第七十三話 勝負⑥
俺は、何年も前に「頑張る」ことをあきらめた只のニートでコミュ障のドロップアウター。
だが、今は……
正義、強さ、救世主――そんなもの関係ない。
他人を都合よく助けてくれる勇者様か。
違う。
見ていてくれればいい。
子どもたちにかっこいいと憧れてもらえるヒーローになりたい。
安いことかもしれないが、俺にとってはそれが全てなんだ。
りゅうとラテっちは興奮状態で、その場に座っていられなくなった。
「ラテっち、もっと、一番前で応援しよう!」
「うん!!」
人ごみをかき分け、観客席の手すりまでかけ登る――『せーの!!』
『あっぱー! あっぱー!』
二人そろって右腕を突き上げ続ける。
ボンズは最前列で応援するチビッ子二人を見つめる。
「子どもたちが見ているんだ――恰好つけさせてもらうぞ!」
この状況の中、一人冷静を保てない者がいた。
誰であろう、対戦者の華洛である。
またしても余所見しやがって――コイツ……どこを見て戦っている? 視線の先が見えない。
華洛は拳を繰り出す。渾身の右、しかも三本の矢だ。
その拳がボンズの顔面を捉えている。
『――当たる』
脳裏に浮かぶ確信。
確実に捉えた際に拳に伝わるはずの「衝突」の感触。それが――感じない。
拳がすり抜けたかと思うほど、ボンズは紙一重でかわしていることにより、この錯覚は生まれる。
このことにより、華洛に対し二次的効果を生み出した。
不可思議な現象と思わせたこと。それによる不安や苛立ち。――なによりも、未知なるものへの恐怖だった。
「スゲェ……もう三本の腕なんて、まるで相手になっていない」
観客も動揺を見せる。
「当たれ! 何故当たらない!」
当たれという焦燥感は、気付かない内に声に出していた。
それを気にする余裕すら、華洛には無くなっていた。
視点移動をしない分、わずかコンマ数秒の違いだが、このコンマ数秒分ボンズは速く初動動作に入れる。時にすれば些細なことだが戦闘においては大きな差に変わる。
スピードを重視するボンズと華洛にとっては大きな違いだった。
そして――
かわすことだけしかしていなかったボンズは次の行動に打って出る。
華洛を中心に円を描くように移動し、突然逆方向へとステップを切り返す。
円を描くかと思えば、身体を繰り返し左右に凄まじい速度で移動させ、交互にジグザグを描く。驚異的な速さでだ。
左右への移動かと思えば、直進し、一瞬で間合いを詰め高速の左ジャブを一発だけ叩きこむ。
近付いたかと思えば、まるでスケートリンクを滑るような足運びでS字を描きながら高速で後方へと移動する。
極限の状況へと追い込まれたボンズは、視野だけでなく戦闘移動スキル『千鳥』を、今この世界で完璧にマスターしていた。。
「異常な速さだ……ボンズのヤツ、速度だけなら間違いなくこの世界でトップクラスに入るぞ。だが、千鳥だけであそこまでの速度が出せるわけがないのに……何故だ?」
式さんの疑問に壱殿が答える。
「千鳥だけではないのだろう。恐らく奴はフィールドでの高速移動スキル【特急券】をも同時に使っているはずだ。そうでなければあそこまでのスピードは出ない。器用な男だ」
「なぁ壱。ボンズのヤツ、何故攻め込まないんだ? ステップを繰り返すだけで牽制に一発ずつ攻撃しているだけ――なぜだかわかるか?」
式さんがボンズの行動の意図を再度壱殿に問いただす。
「相手が同じ東の方位のプレイヤー。さらに拳を使う攻撃を主体としたボクサータイプ……同じタイプの相手に拳以外の武器を奪おうとしている――そう考えれば合点がいく」
「拳……以外??」
「この世界では肉体的疲労はあまり感じられない。数時間走り続けることはできなくともゲームならば可能だ。だが、疲労がないわけではない。それはこの世界でも忠実に再現されている。そしてこの闘いのみ、疲労が顕著に出るとなれば、同じスタイルで戦う相手から何を奪えばいいのか――ボンズはそれを理解している。そして狙ってやがるのさ――式よ、これは参考になる戦術だぞ。円運動に加え、螺旋、直進、屈曲の連続高速運動――これを目の前で繰り返されるとどうなると思う?」
「……わからん」
「『眼球』が疲れるんだよ。現実でゲームをやり続けた時と同じ状態にな。
いずれは眼でボンズを追えなくなる。そうなれば――詰みだ」
「ボンズよ。考えるな、感じるな! ――行け」
ボンズの旋回が止まらない。
時計回りに回る。突如、反転。そして、また――突然襲うボンズの左拳。
華洛は拳が飛んでくる瞬間、視野を一瞬だけ見失う。拳に意識を集中しているからだ。拳をブロックしたその隙に移動され、ボンズを視界にとらえ続けることができないのであった。
それでも、特攻をやめない華洛
拳を振り回し まるで、独りでシャドーをしているように。
「届け……届いてくれ! まだ届かないのか。俺はまだコイツに届かないのか! これではまた同じではないか。かつて、この男に完膚無きまでに倒されてしまったあの頃と――」
華洛、心の中で咆哮。
「いや、そんなはずはない! 俺は勝つ――今ここで、俺は仲間と共にこの男に勝つんだ!」
ボンズは高速ステップと左ジャブを駆使し、壁まで華洛を追い詰める。
丸い闘技場は、壁を背にしたらコーナーに追い詰められたのと同様だ。
いや、相手も覚悟の上だ。むしろ、後退し追い詰められた振りをしてボンズをあそこまで誘導したのだ。
壁を背にすれば、相手は見失わない。
目が疲れて景色がぼやけてきた華洛の苦肉の策だった。
華洛は拳をボンズに叩きつけるための予備動作を整える。引きつけてカウンターを放つため、肘を引く分だけ背後にスペースを作り、ボンズを迎え討つ準備を整えた。
そして、ついに放たれるボンズ渾身の右ストレート。
「顔面にさえ喰らわなければ――」
華洛は、顔をガードで固める。そのため、数瞬の間、己の腕が影となったため、ボンズを視界から完全に離してしまった。
「目を切る」――この表現が適切だろう。愚行とも云える行為を。
「ボディ攻撃を打たれた瞬間だけを我慢すれば、それでいい。その後に……打ち終わりの隙に、渾身の右を叩きこむ――来い!」
だが、ガード越しに待ち構えても、ボンズの攻撃が来ない。
腕を数センチ下げ、視界を前方へと移すと、攻撃どころかボンズの姿すら視界から消え去っていた。
「いない……どこだ!?」
華洛は予想外の展開に思わずガードを崩す。両腕を降し、左右に首を振りながらボンズの姿を探すも見当たらない。
「――まさか!?」
「潜りこまれた」と察した華洛は咄嗟に下を見る。
――だが、そこにもボンズの姿はない。
「消えた……?」
その時――
歓声に紛れた仲間の声が聞こえた。
雑音混じりのため、ハッキリとは聞こえなかったが、あるフレーズだけ耳に届く。
「――逃げろ!」と、だけ。
華洛は気付いたわけではない。
気配を感じたわけではない。
理由を挙げるとすれば「何気無く」だった。
後ろを振り返る――壁しかないはずの背後に。
そこには――僅かの隙間に、僅かな時間でもぐりこんだボンズの姿があった。
既に攻撃態勢に入って。
振り向きざまにガードを解いてしまったことを初めて自覚した華洛――だが、振り向いた時には時すでに遅く、下から突き上げられたボンズの左拳が腹部を貫いた。
不覚にも、ボディブローをノーガードのままで腹部に喰らってしまう。
その威力は、華洛の両足が地から離れるほどに。
この世界は苦痛が薄いはず――だが、華洛は苦痛でうめき声をあげ、堪らず身体をくの字に曲げる。
その威力に会場がどよめく。
「あの近距離でこれだけの威力を出せるのか」
観客同様、式さんも驚き言葉を漏らす。
「爆発的な瞬発力だよ。それに、単発ではない。とっさに三連刻を発動させ、六……いや九発入れやがった」
恐らく、ボンズが九発叩き込んだのを見えていたのは壱殿のほか、コロシアムには数名しかいなかったであろう。
だが、焔慧眼を持つ壱殿は見逃さなかった。
そして、この機をボンズは逃さない。
顔面をさらけ出す華洛。瞬時にボンズは右拳を固める。
この時、ボンズは右拳を数センチだけ左右に揺らした。それは、ほんの些細な仕草でしかない。
この些細な動作には意味があった。
この動作を過敏に反応した華洛は、苦痛に耐えながら顔面を防御する事となったからだ。
右の大砲が拳を襲うのを察知して。
ボンズの動作に瞬時に反応したことは華洛の強さが本物という証明になるといえよう。
だが、強さこそが――因果。
本物こそが――仇。
しかし、待ち構えるのは――虚無。
危機察知能力の高さが幻影を映し出す結果となってしまった。
ボンズの右拳はフェイント――がら空きになった華洛の腹部へ再び左拳が突き刺さる。
この攻撃は大きな意味を生んだ。
華洛は二択を迫られた。
顔面を防御し、腹部を貫かれるか。
腹部を防御し、顔面をさらけ出すか。
既に反撃という選択肢はない。リピート再生のように、同じ場面が幾度と続く。
そしてついに、華洛は初めてのダウンを奪われることとなった。
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