第六十四話 現実 式編
式の現実名も○○とします。
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母を早くに亡くし、昔は父と二人仲良く暮らしていた。
父は小さな土建屋を営んでおり、オレは高校卒業後に父の会社に就職。
親子手を取り合って会社を切り盛りしていたが、不況のあおりを受け、倒産寸斬まで追い込まれてしまった。
その時だった。
毎日のように営業を必死になって繰り返していると、全国的な規模を誇る大手の建設会社から下請けの仕事を頂いたのだ。
これには二人も、数名の社員も大喜び。
建設会社のおかげで父の会社も右肩上がり。少しずつだが裕福な生活を送れるようになった。
ある日のこと。
初めて仕事を頂いてから何度も接待をし、二年がたった時のことだった。
「○○君は非常に優秀だ。私の養子にしたいくらいだよ。どうだね、今度私の企業で地方に新しい支社を作るのだけれども、その会社に入社する気は無いか?」
「――えぇ!?」
「そして、いずれは支社を背負ってくれないか。そうすればお父さんの会社も安泰だろう。どうかな。○○君次第だ」
取引会社の会長か飛び出した信じられない台詞。
オレも父も大喜びし、この申し出を快諾した。
これで、オレ達親子は幸せになれると。
死んだ母の分まで幸せに生きようと心に誓った。
ところが――
ホワイト企業として名の知れているこの会社には特殊な仕組みがあった。
それは、上層部に気に入られている、もしくはその身内の社員はのらりくらりと優雅に茶を飲みながら雑談し一日を過ごし、一部の者だけがブラック企業顔負けの仕事量をこなす。
つまり、会社の一部だけをブラックにすることで違法な労働を強いられたものがいくら労働基準監督署に訴えても、多数のホワイト証言をつくることで揉み消すという非常にわかりやすい仕組みが完成されていたのだ。
○○は、ブラック要員の一員として招かれたのだ。
過剰な仕事量に加え、反会長派閥の上司による執拗なイジメ。
「あの豚会長の手下が人間様の言葉を吐くんじゃねえよ。ほら、豚の泣き声をしながら靴を舐めな」と大勢の社員の前で土下座させられる毎日。
会社に問題が起こると真っ先に濡れ衣を着せられ、始末書を書く毎日。
それでも我慢したのは「訴えたら親の会社を潰す」と脅されるていたからだ。そんな毎日。
地方に出た家族や友人にも会えず、只独りを過ごす毎日。
毎日、死にたかった。
唯一のストレす発散は<DIRECTION・POTENTIAL=ディレクション・ポテンシャル>というオンラインゲームだった。
このゲームで遊んでいる時、現実を忘れられたからだ。
そんな生活が三年ほど続いた頃。
辞めたくて仕方なかったが、これが原因で父の会社との取引に影響が出たら大変だという考えと、会長さんの云ってくれた「いずれは支社を背負ってくれないか」という未来ある台詞を信じ続けることで、なんとか会社を辞めずにこれた。
そんな○○に会長直々に自宅に招かれたのである。
遂に昇進できるのかも――期待を膨らませながら会長宅のインターホンを押し、中へと招かれる。
会長の第一声はこうだった。
「私の名前を使って、社内で好き放題やっているようだな」
耳を疑った。
「誤解です。ありもしないデタラメです!」
どんなに言い訳をしても、会長は信じてくれない。
反会長派の上司から直談判があったようだ。
「○○が会長の威を借り、我々管理職を脅し全く仕事をしてくれない」というとんでもないデマだった。
プライドがないのか……あれだけ会長の悪口を云っていた人間が、その会長に泣きつく。しかも、自分の気に入らない者を潰す。只それだけのために。
落ち込み肩を落としていたところに、会長から予想外な申し出があった。
「実はね、今日君を呼んだのは本当に君の云った通りこの話は嘘偽りなのか確かめたいのだよ」
よかった。まだ希望がある。まるっきり信用が無いわけではないのか。
少し胸のつかえがとれた。
「勿論、嘘偽りです」
そういうと、「いや言葉だけでは信用できない」とのこと。
「ではどうすれば?」
「態度で示してほしい」
「態度……ですか」
「いや、正確に云うなれば行動で私に対する忠誠心を見せて欲しいということだよ。簡単な話だと思うのだがな」
「わかりました。何でもします」
「本当だな」
「はい。それで、何をすればよろしいのですか?」
すると会長はリビングの対面式ソファーに座るよう命じ、自分も座ると顔を近付けてきた。
「君にはまだ早い話なのかもしれないが、会社というものは何かと金がかかってね」
「はぁ……」
「政治の勉強。レディーに対する嗜み。様々なことで入り用が生まれるのだよ」
「勉強……ですか」
「やはり難しいか。要するに大きな企業を存続させるには、世に公表できない金を使わなければならない、ということだ」
「それは、要するに不正な……」
云い終わる前に会長からの怒号が響き渡る。
「なんだその言いぐさは! やはり君は何もわかっていない。仕方ない。これを機に勉強させてあげようではないか」
「どういう意味でしょう」
「簡単な話だ。決算の際、二億ほど合わなくてな。君が使ったことにしたまえ」
「――はぁ!? そんなの無理に決まっているではないですか!!」
「先程、『何でもする』といったばかりではないか」
「ですが、私は只の平職員。どうやって会社のお金を使えるというのですか」
「そこは君、上司たちの証言通りに『私の名前を使い、強引に経理を脅し金を引き下ろし続けた』といえば済む話だ」
「そんな無茶苦茶な……」
「もう経理部長とは話をつけている。あとは君の証言だけだ」
「それはつまり、私に犯罪者になれということですか?」
「人聞きが悪いない君は。君はこの私が見込んだ男だぞ。そんな扱いをするわけないだろう。確かに警察には行くことにはなるが私の権力をもってすれば刑も軽くなる。なにより出所後の君の人生はバラ色だぞ。なにしろ支社とはいえ会社を背負う立場になるのだからな」
「ですが――」
「まぁ、無理にとは云わん。だが、断れば君のお父さんとの付き合いも今日限りだ。会社の取引も中止だ」
これを云われてしまえば、もう選択肢は無い。
父の会社には少なからず従業員もいる。その家族もいる。
オレのせいで、みなを路頭に迷わすわけにはいかない
「君が身代わりになるだけでみんなが幸せになれるんだぞ。お父さんの会社との取引は継続、更に他企業からの仕事も回そうじゃないか」
「――わかりました」
不正を承諾。そして裁判を経て実刑を受けた。
それから数年の後。
心の隅で思い続けていた不安が呆気なく現実になっていた。
出所した時、父の会社との取引は「犯罪者の家族がいる会社と取引はできない」と云われ、中止。一切の受注を破棄されていた。
会社は当然倒産。
そして、父は自己破産した後に自ら命を絶っていた。
誰も参列に来ない葬式も終えて。
出所した○○を親戚からは冷たい視線と罵声を浴びせられる。
汚物を見る目で。
どんなに真実を訴えても、信じる者は誰一人としていなかった。
父の遺書には、オレへの恨みの言葉が並んでいた。
裏切り者――と。
○○は会長宅に行き吠えたてた
「あの時の台詞は嘘だったのか!!」
「おお、久しぶりだな。約束通り会社を背負ってたたせてあげたではないか。君が会社の罪を全て背負ってくれたおかげで我が社は傷つかなくて済んだ。英雄だよ、君は」
唖然とした。
「それだけか、ならもう顔を見せるな。犯罪者に近付かれると私も困るのでね。いや、負け犬と呼んだ方がいいのかな」
会長が欲しかったのは己ではなく、只の生贄だったのだ。
しかも最初から。
父の会社との取引を持ちかけた時からこういう筋書きだったことを告げられる。
その瞬間、今まで感じたこともない破壊願望が生まれた。.
抑え込めないまま社長の殺害を計画。
いや、計画というものではない。
包丁を買って、窓ガラスを割って刺し殺す単純なことを繰り返し思い描き、その日の夜に会長宅の庭まで忍びよった。
と、突然――赤い灯火が辺りを包んだ。
バレたかと思った。即座に警察に通報され、パトカーがやってきたものだと思っていた。
だが、それはパトカーではなく救急車だった。
社長はその夜、心臓発作を起こし突然死したのだ。
呆気ない死にざま。
――と、同時にオレは、殺すことも、復讐することもできなくなった。
生きる意味を……失ったんだ。
そして――何も感じなくなった。
ただ、「恥ずかしげもなく、まだ生き残っている」と後ろ指を指されるのだけは慣れることが出来なかった。
大手企業を裁く法律はあっても、裁くことが可能かどうかは別の話。
どんなに吠えても、すべてが無駄だった。
「犯罪者」の戯言として。
もう、人生に先はない。
オレの全てが『他人の手』によって奪われた。
大切な家族も、オレ自身も失った。
現実世界でのオレは既に死んでいる。息をしているだけ、生きていないのだから。
せめて、この世界で思う様に死にたい。
もう……誰もオレにかまわないでくれ。
この世界に来る前、もう死のうと思っていた。
最期の晩餐を漫画喫茶で過ごそうと足を運んだ。
独り寂しい、いかにもオレらしい場所だ。
そして何より、最期を迎える時は現実ではなく、仮想世界に浸りながら過ごしたいと思ったからだった。
個室にあるパソコン。ディスプレイには<ディレクション・ポテンシャル>のアイコンがある。
懐かしかった。
このゲームで遊んでいた頃は、親父と一緒に仲良く暮らしていたんだよな。
誘われるように久々にログインをすると、浸るどころか実際に足を踏み入れる結果となった。
オレは現実世界で死のうと思っていたのに、本当に仮想世界にやってきてしまったんだ。
だけど、オレは生き延びたとは思っていなかった。
オレは既に生きてなどいない。死にそびれただけだ。
だからこの世界でオレは生き抜くつもりなどなかった
ただ、破壊活動が気楽にできることを知って、惰性だけでここまで来た
他人に「当たり前」を奪われ、オレは「当たり前」を奪い返すことすらできなかった。
オレ自身が消えることを、オレ自身が最も望んでいる。
寝ることができれば嫌なことを忘れられると信じる。その繰り返しだった..
だが、現実は、ゲームの世界ですら、そんな簡単ではない。昨日も、その前の日も、ずっとそう思い込んでいたのに、いつまでも過去のことが鮮明に浮かび出てきやがる。そして、オレは眠ることが怖くなってしまった。明日が怖くなっていった。
それ以来、オレはもう自分が何者かさえ、わからなくなっちまった……