第五十二話 憮然
「そんなことが――」
だから初めて出会った場所で「高校生か」と尋ねた時、返事が曖昧だったのか。
三人とも、高校生には……なれなかったから。
俺とはあまりにも違う理由で。
自ら望んで進学しなかった俺と、彼女等とでは重みが違う。スクールライフを満喫したかったはずだ。
それなのに、他者に貶められ先を失った優作はどれほどの苦痛を味わったか、俺のような人間には想像もつかない。
更には友を助けるため、己の手で先を投げ捨てた只人と当夜の強さ、そして優しさ。
こんな真似などできるわけがない。誰にだって出来る行為ではない。
いや、二人だからこそ。――なのだろうな。
現実でも、そしてこの世界でも、最期の最後まで優作を守り通した。
なにより、「先を捨ててでも守らなければ」と二人を奮い立たせた優作の人徳……いや、互いが友を思いやる強い絆によって、今ここに優作がいるのだ。
なんて人たちなんだ。
こんなにも若いのに、なんて……
これ以上言葉が浮かばない。
人生経験の少ない俺には、これ以上の形容詞は思い浮かばない。
ただ、一つだけわかっていることは――
もう只人と当夜は戻ってこない。
「どん底に落ちたはずの2人が、どん底に落ちた自分を助けてくれた。自分を助けるために、笑って一緒にどん底に落ちてくれた。それが、申し訳なくて……でも、やっぱり嬉しかった。それなのに……それなのに、二人が最期を迎えるまで助けてもらってばかりで何もしてあげれなかった! 自分のせいで! またあの時のように何もかも台無しにしてしまった!!」
「そんな……優作、そんなこと云うなよ」
「ごめんなさい……無理、です。もうやだ……人に裏切られるのは嫌! 友達を失うのは嫌! もう嫌……もうイヤァ!!」
ボンズの胸に飛び込み、大泣きする優作。
優作……君まで消えてしまったら、只人と当夜はどうなる? 君の一緒に笑ってきた、君の中にいる只人と当夜は、本当にきえてしまうんじゃないのか。
なんで只人も当夜も、優作を助けたかわかるか? 笑っていて欲しかったからじゃないのか!
俺はそれ程面識がある訳ではない。でも、あの二人ならそう云ってくれる。俺はそう信じている。
あいつらの為に生きろとは云わん! 俺は友達を見捨てる奴が嫌いだ! そんな奴になりたくない! 俺のために仲間になってくれ!
――などと、恰好の良い決め台詞や慰めの言葉を彼が云えることができれば、どれだけよかっただろう。
優作は、己の顔に雫が落ち続けていることに気が付いた。
雨も降っていないのに。
顔をあげると、抱きついた男が己以上に号泣していたのだ。
「……どうして?」
この時優作は、何故ボンズが泣いているのかわからなかった。
直接出会ったのは一度だけ。
その後数回しか話したことのない人が、他人の為にこんなにも泣いている理由が優作にはわからなかった。
「チクショウ……なんでだよ。なんで俺はこんなにもみっともないんだ……初めての友達も助けられない。チクショウ……優作、俺は只人や当夜に何て云ってやればいい……ごめんな……俺がもう少し早く辿り着けていれば。俺がもう少し頼れるヤツだったら……情けねぇ……俺はなんて情けねぇんだ」
「……ボンズさん」
「ううあ……あ……うわああああああああ!!」
ボンズは優作と同じか、それ以上の涙を流し号泣した。
気の利いた台詞など浮かばない。
一緒になって泣くことしか、彼にはできなかった。
たった一度だけ会っただけの人のために泣いてくれる。
「ボンズさん。貴方は、自分の親友の為に何故こんなにも泣いてくれるのですか……?」
「グスッ……ク、おっ、おれ、俺な、ずっと独りぼっちだったんだ。今までずっと……ずっと独りで部屋に閉じこもっているどうしようもない奴だった。それがさ、この世界に来て、りゅうとラテっちと出会って、友達になったんだ。いい歳して、初めての友達だ。そして優作たちもだ。俺はもっと年上だけど、無駄に歳をとった成人だけどさ、それでも歳の近い友達ができたことが嬉しくて仕方なかった。友達ができて、友達が増えていく……こんな気持ちは生まれて初めてだったんだ」
ボンズは優作の肩を抱きしめ、泣き顔を隠さずに答えた。
「俺にとって、たった一度でも友達として接してくれた只人と当夜のことを忘れることはできないんだよ!!」
答えを聞いた優作は、抱きしめられながらゆっくりと額をボンズの胸の中に預けた。
そのまま、ボンズと優作は喋ることも動くこともしないまま時だけが過ぎていった。
しばらくすると――
「ボンズー!!」
「ぼんず~! どこ~?」
聞き覚えのある声が辺りに響く。
りゅうとラテっちだ。
優作は子どもたちの声を聞くと、静かにボンズとの距離を空けた。
ボンズは、子どもたちに呼びかけ、居場所を知らせる。
二人の姿が見えた。
「見つけた!」
りゅうが気付いてくれる。そして後ろへと振り向き大きく手を振った。
「こっちだぞー」
そこには、パチや壱殿、式さんがいた。
みんな全員でこちらまで向かってくれたのだった。
「すれ違いにならずに済んでよかった」
パチはボンズに対してのみ声をかける。
優作には、声をかけられなかった。
なんて声をかけて良いかわからない。
そして、誰も只人と当夜の安否を聞かない。
優作とボンズの目元を見た瞬間に、全てを把握してしまったからだ。
そのまま誰もこの静寂を破ることができなくなってしまう。
と、後から追ってきた大人たちがそう思っていた矢先のことだった。
「ゆうさく~だっこして」
ラテっちが優作の足元まで歩み寄り、両手を差し出している。
優作はその姿にほんの少しだけ笑みを浮かべてラテっちをだっこした。
「むぎゅ~」
するとラテっちは優作の首へと正面から抱きつき、自分の頬を、優作の頬へと擦りつけはじめた。
「すりすり~」
「ラテっちさん……」
「ゆうさく、すべすべ~」
そのままラテっちは優作に甘え続けていると、突拍子もないことを云いだした。
「ぼんず~おやつ、つくって」
「コラ、ラテっち。今はダメよ」
パチが諭すも、後ろから壱殿が肩を静かに叩く。
「いや……今、だからこそだ。そうだよな、ボンズよ」
「――だよな。少し時間をくれ。準備するから」
「あぁ、頼んだぞ」
ボンズは火を起こすと、アイテムポケットから材料とフライパンを取り出した。
金物のボウルを用意し、薄力粉にグラニュー糖、玉子や牛乳、バターを加えて一気に混ぜ合わせる。
オレンジを取り出し、果肉を取り分け、皮を細かく刻み、果汁も絞る。
皮と果汁をバターソースに加え、とろみがつくまで煮詰める。
ボウルの中身をフライパンに薄くひいて破れないように焼く。
ざっとボンズの仕込みを説明したが、彼は他にも事細かい作業を目にも止まらぬ速さで行っていた。
今説明したことは、周囲の者が把握できたことだけである。
ボンズの手は止まらない。一心不乱に調理を進めていく。
そして、仕上げの作業に皆が注目した。
フライパンで焼かれた薄い生地を素早く畳むとグラン・マルニエ(オレンジリキュールの一種)をくわえてフランベし始めた。
フライパンに炎が立ち登り、周囲を明るく照らす。
焼きあがると同時に素早く器に移し、オレンジの果肉とソースを盛り付けた。
炎に包まれながら、様々な味のハーモニーを奏でる温かいデザート。
【クレープシュゼット】――完成。
みんなに行きわたり、みんなで食べ始める。
オレンジの爽やかな酸味が食欲をそそり、香りが甘く絹のようになめらかなクレープの味を引き立たせる。
「あったかくて、甘くておいしい……そういえば初めてボンズさん方に出会った時も、こうしてみんなで囲んで甘いものを食べましたね」
優作の表情が次第に柔らかくなっていった。
「ねぇ、優作。一言だけいい?」
パチが食べるのを止め、ゆっくりと優作の方へと振り向く。
「いい女ってね、自分のことだけが大好きって人のことではないの。自分を大切にできる人ってことよ。自分を大切にしてくれた人を大事にすることも、大切にしてくれた人の気持ちを受け止めるのも、自分を大切にすることなの。――いいたいこと、わかってくれるかしら」
その言葉を聞くと同時に、優作はもう一度一筋の涙を流す。クレープを頬張りながら。
食べ終わるとその場で立ち上り、涙を拭きながら深々と頭を下げた。
「皆さんの仲間に加えて下さい。お願いします」