第十九話 確率
海もいいが、山もいい。
いや――男なら山だろう。
山というものは、登る度に違う顔を見せてくれると聞いたことはあったが、まさにそのとおりだ。
夏の野原から始まり、様々な植物と巡り会い、崖や大岩といった試練も与えつつも登りつめた先には季節をも凌駕した一面の雪景色を望むことができる。
山を登るということは季節を巡ることに等しいと、そう感じさせてくれた。
山の頂きを目指すと云うのは言葉では簡単ではあるものの、いざ実行するとなると容易なことではない。
体力もさることながら、なにより必要なのは忍耐力。
だからこそ、長き時をかけて忍耐強くひたすら頂上を目指し、雄大な景色に囲まれた頂上を制した瞬間に得られる達成感は堪らないものがある。
頂上に到着した4人は、今まさにその感覚に酔いしれていた。
快晴の山頂は清々しい空気に包まれ、はるか向こうにはこの山とはまた違う表情をした山脈が続いている。
眼下には雪原が広がる銀世界。
大自然の中にいると、人間とはいかに小さき存在かと思わされる。
そう、小さな存在だ――
――とは云うものの、実のところは体力も忍耐力もそれほど使ってはいない。
「苦労して登り切った」という雰囲気だけを感じている。
なにより、この世界での「気温」は現実に比べると体感温度は異なる。寒暖差も少なければ極端に気温を肌で感じることもない。
海で遊んでいた時、陽の照りつける砂浜にいても「ほどよい暑さ」としか感じなかった。
もし現実であれば、確実に猛暑であっただろう。
同様に、雪積もる山頂にいるにもかかわらず肌寒い程度しか感じない。
なにより、ここまで登ってもほとんど疲れていないことが現実との大きな違いであろう。
それどころか、山頂に辿り着いても空気すら薄くなっていない。
そうでなければ、標高5.000Mを軽く超える登山を幼児たちはおろか、万年ほぼ外出をしない俺にできるわけはない。
だからこそ、現実では出来ないことをゲームの世界で満喫しているといえよう。
海に山――国内のみならず、海外旅行をしなければ拝めることのできない雄大な景色を簡単に見惚れることができるのだから。
――ここに到着したのは今から1時間ほど前だった。
4人は雪に囲まれた山の頂きに立っていた。
エスキモーを連想させるフード付きの毛皮のコートを着用し、ここまで登ってきたのだ。
遊ぶためにソリまで持って。
陽の光が4人を照らし、目の前に広がる光景を静かに見つめている。
感動を味わい終わったラテっちが、山頂に来たら誰もが口にしたくなる言葉を発した。
「やっほー!」
雄大な大自然に迎い大きな声で呼びかけるも、やまびこは全く響いてこない。
「しょぼーん」
ガッカリするラテっちに、りゅうが声をかけて励ます。
「もう一度だ! 今度は一緒にいくぞ。せーの!」
『やっほー!』
2人同時にお腹の底から声を張り上げるが、やはりやまびこは返ってこない。
すぐさまパチは無言でボンズのわき腹に肘をつく。「なんとかしろ」という合図だ。
「……わかったよ」
無茶振りだと思いながらも敢えてそれを口にせず、代わりにボンズは横を向きながら小声で「やっほー」と呟いた。
『かえってきた!』
ようやく返ってきた偽のやまびこを聞き、喜ぶ2人――その姿に少々罪悪感を感じていた頃。
――ぃぃやっほぉぉぉーーーーーー!
『またかえってきた!』――更にはしゃぐチビッ子2人を余所に……
「返ってくるの遅ッ! 今頃返ってくるのかよ!」
そう口に出したいのを我慢し、心の中でツッコむボンズ。
その後は子どもたちと山頂にかまくらを作り、その中で豚汁を食べていた。
そして、今――
全員にGMから音声チャットが送られてきた。
そう、この時間をもってクエスト期限の終了を迎えたのだ。
正直、そんなことすら忘れていた。
「もうそろそろかな?」とは思っていたけど、まさかこんな所でクエスト終了を迎えるとは予想外だった。
それにしても……本当にあっという間の2週間だった。
次のクエストも気になるが、なにより期限を忘れるほど楽しかったのだと思えたこと。
そのことで心に充足感を覚えた。
――しかし、そんな感情も長くは続かない。
クエストの内容以前に、GMの台詞にはまた何かある。―そう考えざるを得なかったからだ。
GMからの音声チャットの冒頭は「クエストを達成されたパーティーの皆さま。2週間お疲れさまでした」という台詞。
この時点ですでに違和感は生まれた。
これまでクエスト終了時には、必ず冒頭にクエストを達成できなかった脱落者――【アウトオーバー】の数を表示し、そこから次のクエストの指令を下していた。
それなのに、今回はアウトオーバー数を表示しない。
これには「意味がある」のではないかと考えてしまったからだ。
このような考えに至ってしまうのは、ボンズが生来持っているネガティブ思考のせいなのか。
<ディレクション・ポテンシャル>の世界に来たことによる防衛本能が働いたのか。
ともかく、ボンズは深読みすることを「無駄な行為」とは考えていない。
常に最悪の状況を考えておくことで、初めて「想定以上」の最悪の状況に心が耐えれるというボンズの持論から、この違和感が生まれたのである。
GMはこれからプレイヤーに何をさせるつもりなのだろうか。
想定範囲内か、それとも想定外か……緊張が走る。
そして、GMからプレイヤーに向けて今回のクエストが告げられた。
「これから<ディレクション・ポテンシャル>にお越しのプレイヤーの方々には、画面越しで見てきた世界との『とある相違点』を解消して頂きます」
画面越し――つまり、ゲームから「現実」となったことで生じた相違点のことを指しているのだろうが
先日思っていた「クエスト報酬がない」ことの他、相違点などありすぎる。
その解答を、すぐさまGMは答えた。
「解消して頂く相違点とは――『アイテムドロップ』――<ディレクション・ポテンシャル>において『アイテムドロップ』は大きな意味をなしてきましたが、現在まで魔物にはアイテムを持たせておりません」
――それは気付いていた。
以前こなした「魔物100匹討伐クエスト」の際にも、1つとしてアイテムをドロップしていない。
<ディレクション・ポテンシャル>の資金源として魔物のアイテムドロップは重要な源泉。
レアアイテム等の入手手段の1つにも関わらず、魔物をいくら倒してもいっこうにアイテムを落とさないのだから気付かないはずがない。
ただ、ピンズに生息する魔物は欲しがるほどのレアアイテムを落とすことはないため黙認していただけだった。
それが実は今後のクエストに影響させるための仕様だったとは……なるほどね。
想定範囲である以上、驚くこともない。いずれは訪れる状況だ。
それが今から始まるということだけのことであって、とりわけ焦る必要もない。
ボンズは冷静にGMの話を聞き続ける。
「今回のクエスト開始と同時にレベル50以上の魔物にのみ、『ドロップ率33%』の確率で『ピンクダイヤ』を持たせています。それを20個集め、ピンズ街まで運んで頂くのが今回のクエストとなります」
レベル50以上か……ピンズ周辺でも充分回収可能なレベルだ。1度ピンズに戻った方がいいか。
「ちなみに、クエスト期間はこれより1日。24時間とさせて頂きます」
「……は?」――思わず耳を疑った。
「24時間でピンクダイヤを集め、ピンズの街に入るのと同時に収集したダイヤの所有数の確認が行われます。ですが、パーティー全員で運ぶ必要はありません。ダイヤを持った誰か1人がピンズの街に入った時点でNPCがアイテムの回収に伺いますので、ダイヤを渡して下さい」
「ちょっと待て! ここからピンズまで移動するのにどれくらいの時間が必要なんだ? この大陸まで来るのにもかなり時間はかかったんだぞ」
早速、想定外のことを吐き捨てられてしまった。
24時間という短い期間でのクエスト。
たとえ短期間のクエストとはいえど、俺たちにとっては達成可能の範囲内ともいえただろう。
だが――
それは、ピンズにいればの話だ。
しかし、現状はあまりにも危うすぎる。
ここはピンズより遠く離れた別の大陸。しかも標高5000M級の山頂にいるのだ。
下山するだけで、どれだけの時間を消費してしまうかわからない。
いや、ラテっちの空飛ぶタタミなら山にいようが恐らく関係ないかもしれない。
問題は、大陸間移動の所要時間だ。
「りゅう、ピンズからどれだけ時間がかかったか覚えているか?」
りゅうはピンズで買ってあげた腕時計を見る。
「うーん、たしか4時間くらいはかかったはずだぞ。それに海からここまで来るのに2時間はかかったから、ピンズまでは6時間はかかると思う」
移動時間を差し引いたら、戦闘に使える時間は実質20時間もないのか……それに睡眠時間だってある。
子どもたちが今から24時間も起きていられるとは思えない。
それに今は登山を終えたばかり。このクエスト期間内を不眠で過ごせと云うのは酷な話だろう。
故に、かなり厳しい状況に陥ってしまったといっても過言ではない。
それなのに……雪山に来ちゃってる俺たちってどうなってるの!?
かまくらまで作って思いっきり楽しんでいるよ! どうすんのこれ?
今更ながら、楽しかった日々が仇になるとは……いや、そんなことはない。楽しかったことはいいことなんだ。
必ず打開策はある……と思いたい。
楽しんでいた己とネガティブな己とが戦いを始めた時――
「ただし、人数制限によるアイテム収集個数の緩和を行います。ピンクダイヤ20個収集は、あくまでパーティー全員――つまり『4人』で戦った場合です。このクエストにおける戦闘参加プレイヤー数の設定により、収集個数が変動します。例えば1人を戦闘参加不可とし、3人で戦闘を行った場合はアイテム収集個数を20個から15個となります。更に、2人を戦闘参加不可とした場合はアイテム収集個数は半分の10個。もし3人を戦闘参加不可とし、1人のみで戦闘を行った場合は収集個数を5個と致します」
驚いた――珍しいこともあるものだ。
まさかGMがプレイヤーに助け舟をだすとは。
これなら、クエスト達成は不可能ではないかもしれない。
「付け加えて説明します。戦闘不参加のプレイヤーは戦闘行為禁止/ゾーン入出不可/アイテム使用禁止となります。経験値は1人の戦闘でもパーティーに配分され、魔物からドロップしたアイテムの入手もゾーンが解除され次第、戦闘不参加のプレイヤーにも入手可能となります。付け加えて、もし戦闘を行うプレイヤーが戦闘不能状態となった場合は、ゾーンは解除され戦闘不参加プレイヤーからの蘇生行為を受けることができます。ですが、4人全員で戦闘を行い、結果『全滅』となった場合には、通常通り他パーティーに蘇生をしてもらうなどといった手段を用いて戦闘不能状態から復活して下さい。復活できない場合は当然【アウトオーバー】となりますのでご注意して下さい。それでは、健闘を祈ります」
戦闘不参加プレイヤーでも、魔物が落としていったアイテムを拾えるということか。
と、いうことは不参加プレイヤーにアイテム収集を任せて、戦闘参加プレイヤーは魔物に集中すればいい。
それならば――
ボンズはこのクエストを今すぐ山で行うべきと判断した。
ピンズ付近で戦うよりも回収作業は早いはずと思ったからだ。
多分、ピンズの大陸に広がる「染められた森」は他のパーティーであふれ返っているはず。
その点、ここには俺たち以外のパーティーは見当たらない。
このソーズ大陸には高レベルの魔物が多く生息しており、レベル50以下の魔物は存在しない。
そして、今の俺たちでは倒せないような強い魔物も恐らく存在しないだろう。
それならば、すぐにでも魔物と戦い、ピンクダイヤを回収した後にピンズ街まで移動する。
この方がより確実にクエストを達成できると考えた。
更に、下山すればすぐ周辺に魔物が生息していることも救いだ。
この辺りに生息している魔物は<イエティ>――、大きく広がった足で獲物を踏みつけ、異常に長い腕を振り回し攻撃する全身白く長い体毛に覆われた大男だ。
レベルは68――クエスト対象内の魔物だ。
あとは戦うメンバーをどうするかだ。
移動時間を考慮すれば、4人で戦うのは得策ではない。
俺たちはすでにハンデを負っているのと変わらないのだから。
誰を戦闘参加不可にするかだが、攻撃主体のメンバーのみでクエストを進行するほうがいいだろう。
問題は、回復役のパチを残すかどうか。
すでに決まっているのは、ラテっちの不参加だ。
戦闘中に不測の状態が起こった場合に対応してくれる(かもしれない)ラテっちの存在も大きいが、今はとにかく時間が足りない。
それにラテっちにはピンズまでパーティー全員を運んでもらう大役がある。
空飛ぶタタミは操作方法も消費符力も未だもって全く不明だが、度重なる戦闘を終えた後、ピンクダイヤを無事に回収できたとしても「タタミはだせまちぇん!」と云われてしまっては、その時点で【アウトオーバー】が確定してしまう。
いや、それをいうなら睡眠時間を考慮しなければならない。
これまで空飛ぶタタミを使用していた時、ラテっちは必ず起きていた。
そして今、登山を終えたばかりでお昼寝もしていない。もしもタタミに乗っている最中に「ねむいでちゅ」といい残して眠ってしまった場合、タタミはどうなるかわからない。
どちらにしても、これから24時間ラテっちが起き続けている可能性は全くないといっていいだろう。
こうなっては、短期戦を選択するしかない。
そうなると――やはりパチも不参加にしたほうがいいだろう。
回復はアイテムを使い、各自でHPの管理をする。もし残り2人が戦闘不能になった場合にも蘇生してもらうことで対応できる。
ラテっちの蘇生方法(正確には蘇生ではない)は1人では行えないという制約のようなものがあるから、専門家のパチを残すのは得策といえよう。
あとは、りゅうと2人で10個のピンクダイヤを収集することとなるが、問題はアイテムドロップ確率は33%だということだ。
単純に3回に1回の戦闘で1個を獲得できるが、そんなに簡単にはいかない。
例えば3分の1の確率では当然約33.9%。
1回の戦闘のドロップ確率は更に0.9%も低い33%だ。いや、仮に33.9%のドロップ率だとしても、逆にドロップしない可能性は66.1%もあることになる。
仮にそれを5回の戦闘を行い連続でアイテムドロップしない確率は66。1%(0.661)の5乗――つまり0.661×0.661×0.661×0.661×0.661=0.1261……%と、なるのかもしれない。
この計算から、5回魔物と戦闘し5回ともアイテムドロップしない確率は約1000分の1となり、極めて確率の低いと推測される。
しかし、このような確率や数値などアテにはならない。
俺の人生で1000分の1の不幸など、どれだけあったことか……
例えば年に1回しか外出しないとすれば365(日)分の1。それに時間をかければ365日×24時間で8.760時間――その1時間で毎年1回の外出で必ず警察官から職務質問を受ければ……ほら、8.760分の1が毎年必ず起こる。1000分の1なんて日常的に起きてしまうことなのだ。
だから、10個のピンクダイヤを収集するのに魔物を30回倒せばいいわけではない。
50回――いや、もしかしたら100回戦闘をこなしてもダイヤを揃えられない可能性だってあるのだ。
確率などあてにはならない。今までの人生経験からの結論だ。
――やめよう。虚しい……
訳のわからん計算はやめて、現実と向き合おう。
この世界で学んだことは「とりあえず向き合う」ことだ。
まずは俺とりゅうで戦う。そしてアイテムを回収し少しでも早くピンズへ向かう。もうこの方法しかないのだから。
あとはこれをみんなに伝えて了解を得るのみ。
時間もないので簡潔に話さないと。それに賛同してくれるかどうか……
「――よし。みんな、聞いてくれ」
話をしようと3人の方を見ると、なにやら様子がおかしい。
――あれ?
3人の表情は消えているようにも見える。
「ボケーっとする」という表現で正しいのだろうか。
「みんな、どうした?」
ボンズが尋ねると、パチが大きなため息をつく。
「ボンズ……よくもまぁそんなくっだらないことや自分の黒歴史を長々と喋れるわね……呆れるを通り越して耳が腐るわ」
「え……声に出してた? ――って! 腐るって、どんだけ!?」
「ボンズがラテっちのマネをしてたぞ。いい大人が『でちゅ』だって。ビックリだ」
「やはり声に出てたのね……恥ずかしいけど、その前にひかないでくれよ……」
「じぇんじぇんにてまちぇん! 0てんでちゅ! ぷん・すか!」
「怒られた……」
とりあえず3人はボンズの意見に賛同してくれることとなり、魔物を探すべく下山の準備を始めた。
「せっかく、かまくら作ったのに……」
りゅうは残念そうに呟くも、こればかりは仕方のないことだ。
「そうだな。でも、これで最後ってわけじゃないだろ?」
「本当か? また一緒に作ってくれるのか?」
「あぁ、また作ろうな」
「おう!」
りゅう、納得してくれてありがとな。
「ばいばい」
ラテっちはかまくらに向かって手を振り、その場を後にした。