LIP SERVICE
また奴が来た。
俺が昼休み、購買で購入した牛肉コロッケパンを齧りながら、いつものメンツと駄弁っていると、何の拍子もなく神藤暁美が現れる。
その瞬間、教室が色めき立つのを感じた。女子は羨望と尊敬、男子は憧れと下心。そんなもんで色づく――こいつの何がそんなに良いのか、俺には皆目見当もつかない。
美人じゃあ信頼が厚いじゃあ将来有望じゃあと騒がれる、一つ学年が上の学校一の有名人。今度開催される生徒会総選挙に出るとか出ないとか、出たら生徒会長が確実だなとか言われてるセンパイさま――実際はただの腹黒い女。
「おい、ハク。暁美さんが来たぞ」
友人の一人が俺の腹を小突きながら囁いてきた。
「んなもん、見りゃあ解るよ……」ほんと、嫌なくらいにな。「なにしに来やがったんだあの女……」
その女が俺を視界に収める。その後の展開は想像通りで、敗戦国の領土を闊歩する将軍のごとく平然と近づいてきた。
「機嫌悪そうね、ハク」
「てめえのツラ見たからな」
「あら心外ね。これでも私、自分の容姿には自信がある方なのよ」それはともかく、と暁美は軽く腕を組む。「上級生には敬語が基本でしょ」
ふふ、と鼻で笑う姿に堪らず「……うぜぇ」と言葉が漏れる。
そんな俺を気にすること自体が問題にならないと言った顔で、そんな事よりも、と口を開いた。
「ほら、先輩に会ったらまずは挨拶でしょ」
「……コンニチハーセンパイー」
「敬意が微塵も感じられないけど、まあいいでしょう」
暁美が俺を見下ろしながら、余裕の笑みを湛えてきた。俺はその顔をぶん殴ってやりたい衝動をぐっと堪え、またコロッケパンを頬張る。
「んで、今度は何しに来やがったんだよ」
さっさと要件を済まさせて、お帰り願う。これがこういう時の一番の対処法だ。
「生徒会総選挙のことなんだけど、先生と前生徒会長から是非に、と推薦があってね。生徒会長に立候補しようと思うの」
そのフレーズが出た直後、教室が湧いた。ギャラリーと化してるクラスメイトが口々に、暁美さんが生徒会長に立候補! と話し始め、早くも当選したかのように黄色の声と歓声が沸く。
その声を聞きながら、コロッケの味が急に苦虫のそれに代わったのを感じた。
「そいつぁ、どうぞご勝手に、ってのが俺の混じりっ気なしで本音の感想なんだがな。まさか俺に推薦文読めとか、選挙の手伝いをしろとか言ってんじゃねえだろうな」
「そんな次元の話は最初から求めてないわよ」
見下ろす視線がハヤブサが獲物を見据えたものに変わる。
「副会長に立候補しなさい」
クラスが静まり返る。
「――は?」
耳が痛いほどの静寂で脳裏がひりひりし始める。いや、俺の意識が現実から逃避して、遠退いたのかもしれない。
なんにせよ、俺はこの女が言った言葉を理解するのに、勉強の何倍もの労力を使わなくてはならなくなった。
「副会長に立候補しなさい」
余裕のある――いっそ凄惨とも言える笑みで俺を見下しながら、暁美は再度同じ言葉を繰り返す。
「ふ――」コロッケパンが潰れるのも構わず机に叩きつけながら立ち上がる。「――っざけたこと抜かすんじゃねえぞ! 誰がてめえみたいな奴の下に就くかよ! 冗談じゃねえ!」
「あら、何か文句でもあるの?」
息を巻く俺に動ずるどころか、暁美は挑むような目で顔を近づけてくる。それに俺も睨みを強めて応戦する。
「逆に文句が尽きねえな。今日のこれもそうだし、今までの事や、その後の事を考えるとなおさらな」
「でも、その文句に釣り合う対価さえ私が用意すれば、何も問題はないわよね?」
「はあ? あんまふざけたことばっか抜かすんじゃねえぞ。そもそも、これまでてめえが、俺にメリットある事した例がねえだろうが」
「あら、今度のは特別に価値があると自負しているけどね」
口元に壮絶な笑みを表しながら、暁美は俺を挑発してくる。
あとになって思えば、暁美はこの時、得物へ向かって急降下し始めた目をしていたように思うのだが――俺はというと、この安い挑発に、完全に踊らされてた。
だから、思わず口にしてしまった。ハヤブサが見据えたハンティングポイントの、その言葉を。
「だったら教えてもらおうじゃねえか」
「了承したわ」
言うや否や、奴の唇が俺の唇と触れ合う。
人肌の確かな温もりと柔らかさが、あらゆる外界の情報と、根本的思考が完全に吹き飛んだ脳に焼き付けられる。
俺の唇を最後にひとなめして、得物を両足で捕獲したハヤブサは、再び上空に羽ばたいて行った。
最初に現実を取り戻したのは、俺のクラスメイト達だった。
キャーとかギャーとか、黄色やら赤やら橙やら紫やらの声が響き渡り、色がぐちゃぐちゃになって教室が完全に地獄絵図と成り果てる。
それを成した張本人は、何千何万という敵を一人で屠った英雄のごとき立ち居振る舞いで、俺の前に立っていた。
「な――」後ろの机と椅子を気に掛ける余裕も一切なく、後ろに倒れていく体をなんとか支える。
がらがらと耳障りな音が聞こえてくるも、俺の内側の何かががらがらと崩壊して行く音には到底敵わなかった。
「――っにしやがんだよ……」
正気と現実を取り戻し再認識した瞬間、俺は奴の胸倉を猛然と掴み上げる。
「なにしやがるんだよこのクソ姉貴がっ!!」
肺の中の空気をすべて咆哮に変えてなおちっとも足りない。酸欠のためだけじゃなく、頭がくらくらして瞼の裏で星が弾けていた。掴み上げる腕だけじゃなくて、体全体がこれまでの人生の中で一番震えているのがわかる。
「なに、って、言われた通り教えただけじゃない」眼前の、生まれがたった一日違うだけの実姉は、平然と答える。「ちなみに、これは報酬の前払いね」
もっと先を教えて欲しかったら副会長に立候補しなさい。
そう猛禽の目で、声色で、言い放つ。
それにまたクラスが反応し、六道の内の四悪趣が同時に体現かのようになる。
主にそうなってるのは一部の女子と、ほとんどの男子共だ。
「こっ、のっ――」あまりの事に言葉が詰まる。このストッパーが憤慨なのか動揺なのか、あるいは困惑なのかさえ識別できない。「――クソアマァ。よくも、よくも……!」
「そうやってまた顔を近づけてくるってことは、もう一度っていうおねだりの意かしら」
そう言って両目を瞑り、あからさまに唇を尖らせてくる。
その瞬間、またクラスメイトが興奮と嫉妬に駆られた混声を轟かせた。
「ふざけんじゃねえ!」
堪らず暁美を突き飛ばす。それだけじゃ飽き足らず、ほとんど本気で殴りかかろうとする。けれど、それを察した一番仲が良い友人に羽交い絞めにされてそれは叶わなかった。
「っなさせこの野郎!」
「落ち着けハク!」
「これが落ち付いてられるかあッ!」
揉み合う俺たちを尻目に、暁美が乱れた制服の襟を直す。
んじゃ、要件はこれだけだから、と憎悪感じるほどの完璧なウィンクを俺にぶつけ、必ず立候補しなさいよ、と満足な笑みで教室をあとにしていた。
「俺は絶ってえ立候補しねえからな!」
その背後に怒鳴るも、あとは総無視。
最後まで腕を振りほどこうともがいたが、さすがにその姿が見えなくなると俺は抵抗を止める。
俺の剣幕にさすがに察したのか、クラスメイト達も静かになる。
「ねえ、ハク」俺を羽交い絞めにしていた友人が、静かになった教室で呟くように言った。「暁美さんって、誰かと付き合ってたこと、あったっけ……」
その問い掛けに、俺は頭を抱えながら答える。
「こっちが知りてえよ……」
拙作はそうじたかひろさん、霧友隆さん主催の『もしかして:かわいい』という、要するに『可愛い女の子書こうぜ!』という趣旨の企画の参加作品です。
今まででの僕の作品の中で、ある種のベクトルで最強のキャラが出来たかもしれません。
少しでも好評頂ければ、もしかしたら連載にするかも。
ドラマティクによろしくお願いします。
少しでも楽しめたのならば幸いです。