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ある手紙  作者: ミノマ
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僕と手紙

 本田ほんだ 架莉(かかり)は、手紙で自述していたとおり、平凡な人間だ。特にかわいくもなく(尤もこれは一般的な評価であり、僕は彼女以上にかわいい人間はいないと思っている)、ぶすでもなく、いじめられているわけでもなく、両親は健在で、普通科の高校に通い、成績上位になんとかくいこむ教科もあれば平均点すれすれの教科もあり、制服のスカートを折り畳んで短く見せてみたり、放課後カラオケではしゃぎすぎて帰りが遅くなって怒られたり、クラスメイトと前日見たテレビや今話題の映画の話で盛り上がったりした。

 ただ彼女はとにかく運が悪かった。どんくさいわけでも、お人好しで騙されやすいわけでもない。周囲が観察する限り、彼女に悪いところは全くない。ただ運が悪かった。

 例を挙げよう。彼女は、志望する私立中学に合格し、通い始めた矢先に経営元の学校法人が経済破綻した。結局通ったのは一年とちょっとで、地元の公立中学に編入することになった。そして編入当日、彼女は僕と初めて会うのだが、そのとき彼女は土砂降りの中壊れた傘を持って立ち尽くしていた。

 架莉と電車に乗ると、大抵事故か故障で電車が止まる。だから彼女は自転車通学をしているけれど、鍵をかけていたにもかかわらず盗まれたり、駐輪場に車が突っ込んで、彼女の自転車だけ壊れたり、結局高校二年の今までに四回自転車を新調していた。

 決定的に不幸になるような運の悪さじゃない。誰にも文句の言えない、だけど「なんで私なの」と言いたくなるような、いやみったらしい運の悪さだった。

 けれど彼女は「なんで私なの」と言うことはなかった。自分の運の悪さに気がついていないようだった。強いて言えばそこが彼女の落ち度なのかもしれない。

 ただただ気にするのは、自分の平凡さだ。平凡さを嫌い、だけどこの生活を捨てることはできなくて、そのまま平凡に甘んじる。その弱さもあまりに平凡だった。放課後の教室で、スナック菓子をつまみながら、僕たちは鬱々と「思春期特有の悩みや不満」を打ち明け続けた。

 架莉は、自分は何をやっても失敗すると言った。その原因には彼女自身が気づいていない運の悪さもある。アクシデントに邪魔されて、成功まで持っていくことができない。平凡と失敗。その言葉が彼女を支配していた。

 だからっていきなり変な方向に思い切るなよ。結局運の悪さにまた、邪魔されてんじゃねえかよ。


 その日の午前、架莉は信号無視の車に撥ねられ、肋骨骨折、頭部からの出血、その他全身打撲、意識不明の重体で病院に運び込まれた。僕に知らせがきたのは正午をすぎてからだった。もちろん彼女の両親はただのクラスメイトの僕の存在など知るはずもなく、知らせてきたのは彼女の幼なじみだった。

 「お前と一緒にいたのか」

 「まっさか。居合わせただけだっつーの」幼なじみは苦い表情で言った。

 小中と同じ学校に通った二人は、高校が別々になることによって急速に道を異にした。架莉はそれまでどおり、平凡な一般女子の道をひた走り、幼なじみは高校デビューを果たして、典型的なギャルへ変貌していた。お互いの交友関係もかなり違ったものになって、二人で遊ぶどころか顔を合わせてもろくな会話をすることもなくなっていたという。

 「あいつの部屋、聞いた?」あいつの部屋のことを聞いたかという意味だ、念のため。

 「聞くわけないだろ、お前から聞かないと」

 彼女の両親は集中治療室の前でうなだれて座っていた。まるでドラマみたいだな、と僕は遠くから眺めていた。そこに行くことはできない。今、僕と架莉をつないでいるのは目の前でネイルを気にしている幼なじみだけだ。

 「全部のもの、捨てて、家具だけにして、家具もピカピカにきれいにしてたんだってさ」

 …それって。

 「だから自殺じゃないかって、車が百パー悪いんじゃなくて、飛び込んだんじゃないかっつって、それ聞いた相手側がごねてる」

 「自殺とか、するわけないだろ!!」思わず強い口調になって、幼なじみはびくりと身をすくませて、せわしなく髪を手櫛ですいた。

 「ちょっと、場所考えろって」

 「悪い…」

 僕たちの会話が聞こえたのかどうか、架莉の父親がこちらに歩いてきて、まだ当分治療室から出てくることはないだろうし、もう夕方だから帰りなさいと言った。まだ五時で、高校生にとってはなんてことのない時間ではあったが、僕には従うしかなかった。僕の親父より若い彼女の父親は、疲れきった表情で、去ろうとした僕たちに、車に気をつけなさいと小さく呟いた。


 手紙が正確に何時に届いたのかわからないが、僕がそれを読んだのは夕方だった。前日と同じように彼女の両親に促されて病院から帰宅したとき、食卓の上に無造作に置かれているのを見つけて、息が止まるかと思った。

 彼女の意識はまだ戻らない。ただ山は越えて、意識さえ戻ればそのまま回復に向かうだろうと言われているらしかった。

 架莉の状況を逐一教えてくれるのは幼なじみで、悪態をつきながらも毎日、僕が病院に行くと必ず先にいた。

 「あたしの目の前で事故られて、まじ夢見悪いし」せめて意識が戻るまで見守らないとハクジョーなニンゲンみたいじゃん、めんどくさいけどさ、と架莉がいるであろう部屋をにらみつけたが、薄情な人間はそんな泣きそうな目はしない、おそらく。

 手紙のことは誰にも言うことができなかった。結局彼女は自殺しようとしていたわけだけど、失敗してしまったわけだし、みんなにそれを知られてしまうのを彼女はいやがるだろうなと思ったからだ。このまま知っているのが僕だけならば、なかったことにできるだろうかという期待もあった。彼女は一度終わったことにあまり執着しない。僕一人終わったことにできれば、もう自殺なんてしようとしないだろうと思った。

 意識不明の状態が四日続けば、生活は彼女を取り込んで元に戻ろうとしていく。僕と幼なじみは、架莉の両親に学校へ行っていないことを見とがめられて、放課後まできちんと授業を受けることを約束させられたし、その両親もずっと仕事を休むわけにもいかなくて、仕事へ行く合間に病院にいたり各種の手続きをしたりするようになった。病院にとってもすでに、いや最初から架莉は一患者でしかなく、結局面会謝絶の病室の中でも、彼女は平凡な存在だった。

 家に帰ると僕は彼女の手紙を開く。どうせ同じ日常なら、同じ平凡なら、彼女が目を開けて、動いている方がずっといい。

 布団から弾みをつけて起き上がって、ろくなものが置いてない勉強机からなけなしの便せんを引っ張り出した。返事でも書いてみようかと思った。

 手紙を書くなんて、数年ぶりかもしれない。はがきを送ることはあった。年賀状はじめ僕は架莉にいろいろと送ったが、彼女はそれらをすべてスルーした。中学で知り合った僕たちは、いつまでも「仲のいい友達」で、僕はずいぶんもどかしい思いをしたんだ。

 早く目を開けてくれよ。

 書いた文章はあまりにくさくて、耐えられなくなってすぐに破り捨てた。便せんの端で指を切って、痛くて、涙が出た。

 いや、それも、かっこわるいな。

 だけど本当の理由なんて、認めるものか。


 架莉が目覚めたのは、その日の夜中であった、らしい。



 病室の前で所在なく立っていた。幼なじみは架莉の両親とともに病室に入っていて、こういうとき家族ぐるみの付き合いのあるやつはずるい。僕は泣き声まじりの不明瞭な話し声を、扉越しに聞いていた。

 十分くらい経っただろうか、彼女の両親に背を押されながら幼なじみが出てきた。幼なじみは顔にタオルを押し付けて、真っ赤な目で僕を睨みつける。架莉の両親はいまさらながらこの少年は娘のなんなのだと目を細めてこちらを見ていた。僕はあいまいに笑って、促されるままに病室に足を踏み入れた。

 架莉の両親に禁じられて、意識を取り戻したからといってすぐ会いには行けなかった。全部の授業が終わるまで、何日もかかるような気がして、でも終わってみれば一瞬だった。最初に彼女が目を開けてからすでに12時間は経っている。もちろん、ずっと起きていたわけじゃないだろうけれど。

 結構元気そうな表情だった。酸素マスクはすでに外されていて、顔も全部見ることができた。

 『まつもとくん』

 彼女は口を動かした。空気のかすれるような音がした。

 「痛い?」

 『わかんない』ちょっと微笑んだようだった。

 「髪、剃られたの、知ってる?」頭部からの出血と聞いていた。縫合のために一部であるが剃られたという。今は包帯のようなものが巻かれていて見えない。

 『うそ』

 「ベリーショートにすればいい」

 きっと似合うよ。言うと彼女は、今度はもっとわかりやすく笑った。

 『うそつき』

 高校入学と同時にのばしていた髪を切ったとき、僕がかなりショックを受けていたのを彼女は覚えていた。

 「でも今は、ショートかわいいと思ってる。ほんとに」

 言い募るともう一度笑って、架莉は疲れたように目を閉じた。しゃべりすぎたか。僕は焦って、でも何もできなくて、しばらく黙った。

 「…聞いてなかったら、それでもいいんだけど」

 彼女は少しだけまぶたを動かした。

 「自殺しようとして、全然関係ない車にはねられるって、そうそうねえよ。平凡じゃないよ」

 きっと彼女は今眠ってしまう直前なんだろう。それでいいんだけど。よく寝て、早く、病院じゃないところで、君を見たい。

 「…あとさ、おじいさんと同じ名前の男とつきあうってのも、そうそうないと思うんだよな。平凡じゃ、ないよ」

 架莉を見ると、寝ていると思っていたのが薄目を開けてこちらを見ていた。微笑もうとしてゆっくり持ち上げた頬に、水滴が伝った。


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