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アニメが好きな超能力者の友人

作者: 志信

『あなたには、普通の人にはない特別な力があるのよ』

アニメのキャラクターは、テレビ画面の中でそう言った。


二人で共用している部屋の小さなテレビで、少し前に流行った作品のDVDを観ているのは一組の男女。

平均よりやや小柄な体格の少年、そして長い黒髪が印象的な少女だ。

「やっぱこのシーンよね。世界の運命を押し付けられるっていうかさ。そういう責任感がぐっとくるよ。うん」

「そうかなあ。このアニメが面白いのは認めるけど、今のシーンはありきたりじゃないかと思う」

互いにストーリーの感想を述べたり声優の演技を批評しながら、楽しそうに画面を眺める二人。

特別用事のない時などは、こうやってのんびりアニメ鑑賞を行うのが彼らの趣味だった。

この世の大抵の苦しみとは無縁な、平穏で幸せな一時。しかし、そんな時間は唐突に終焉を迎えることとなる。

何者かが階段を昇ってくる音に続いて、部屋の扉がノックされたのだ。

「――恵一、入るわよ」

「はーい」

扉を開けたのは少年――秋山恵一あきやま けいいちの母親だった。

手には買い物篭を持っている。近所のデパートで、資源節約キャンペーンの一環として販売されているものだった。

これを使って買い物をすると様々な特典があるらしい。

そんなことが店内に掲示されていた気がする。恵一は首だけ回して母を見た。

「何?」

「暇なら買い物に行ってきてくれない? ティッシュペーパーが安いんだけど」

「めんどい」

「何言ってるの。恵一が一番使うものでしょうが」

嫌そうな顔をした恵一も、そう言われれば頷かざるを得ない。

母の主張を裏付けるように、部屋の隅に置かれたゴミ箱の中には大量の丸めたティッシュが捨ててあった。

恵一は軽い花粉症持ちだった。

対策用品が必要なほど辛い症状はないものの、この時期はどうしても鼻水が止まらない。今朝も鼻炎薬を服用している。

「……わかったよ。行ってくる」

「お願いね」

買い物篭をその場に置き、母は一定のリズムで一階への階段を下る。

リビングで菓子でもつまみながら、午前の情報番組でも観るつもりなのだろう。恵一は小さなため息を一つ、DVDプレイヤーに手を伸ばした。

「あんなにティッシュを使う割には、この部屋にえっちい品物はないわね。パソコンの中かな?」

「花粉症だよ。――ほら、ユージンも聞いてただろ? ティッシュ買いに行くぞ」

「おっけ。続きは帰ってからね」

恵一に促され、ユージンと呼ばれた少女は座布団から立ち上がった。




十八歳の恵一は自動車免許を持っていたが、乗るのはもっぱら二輪車だ。

アルバイトをして購入した白いスクーターにまたがり、恵一は道路の左端を制限速度で走る。

薄手のシャツにジャケット姿。頭にはスクーターと同じ色のヘルメットをかぶっていた。

「もっとスピード出せないの? 下手っぴ」

「何とでも言え。事故るよりマシだ」

青いトレーナーを着たユージンにからかわれても、決してスピードは上げない。若者には珍しい安全運転である。

当然と言えば当然かも知れない。ハンドルを握る恵一と背中合わせに座ったユージンは

ただでさえ不安定な姿勢でいるにも関わらず、ヘルメットや防具の類は一切身につけていないのだ。

これで転倒しようものなら大怪我は免れまい。恵一が慎重になるのも無理はなかった。

「こける乗り物だから面白いんでしょ、バイクは。

 少しくらい転んだって、通報される前に逃げちゃえばいいじゃない」

「バイクが壊れたらどうする気だよ。それに見ろ」

赤信号に捕まりスピードを緩め、交差点の向こう側を顎で示す恵一。

反対車線に行列を作っている車の先頭に、白と黒のツートンカラーが居座っていた。ユージンが口笛を吹く。

「おお、ポリ公がいたか」

「そういうこと。パトカーの前でこけたら、さすがに捕まるだろ」

「ちぇー、運がないなあ」

残念そうにつぶやき、ユージンはスクーターからひょいと飛び降りる。

そして今度は恵一と同じ方向を向いてシートに腰を落ち付けた。運転者の腰に腕を回す、一般的な二人乗りの姿勢。

「ほれ、青になったよ。それ行け」

「わかってる」

右手首を手前に捻り、恵一がアクセルを開く。

二人の乗った原動機付自転車が警察車両とすれ違い、そして何事もなく互いに走り去った。


「で、ティッシュってどこで売ってたっけ?」

「一階でいいはず」

ユージンが問い、恵一が独り言のように答えた。

人の過ごしやすい気温に調節されたデパートの店内を見るに、客の入りはまずまずのようだ。

いつもならこの時間はパン屋やファーストフードのコーナーに人が集中するものだが

今日はティッシュの他にも様々な商品が安売りされるはずだった。

「早く買わないと売り切れそうね」

恵一が頷き、店を見渡すユージンを追い抜くように進み始めた。

幼い頃から何度も利用しているデパートだ。忘れっぽいユージンはともかく、恵一は商品の配置を記憶している。

トイレ用芳香剤や掃除用具の置かれた棚を左に曲がり、買い物客の間を縫うようにして前進。すぐにお目当ての品を発見した。

持ち手を兼ねるぴっちりしたビニールに包まれた、五箱ワンセットのティッシュペーパーを手に取る。

「危なかったんじゃない? これ」

ユージンが言った。棚に置かれた商品の残りは、もはや数えるほどしか残っていない。

もう少し遅く来ていれば売り切れていたかも知れなかった。

「まあ、私達には関係ないけどね。さ、早く帰って続き観ましょ」

釣られて棚を覗き込んでいた恵一を尻目に、ユージンはさっさとレジに向かって歩き出した。

そして、正面に金髪の女性が立っていることに気付く。

すらりと高い背に、やや癖のある明るい金髪。海外のモデルを思わせる美貌。

ユージンはじろじろとスーツ姿の女性を眺め回す。彼女の視線が、ようやく腰を上げた恵一に向けられていることに気がついたからだ。

やがて女性が動いた。ユージンや他の客のことなど目に入っていないかのように、恵一への最短距離を一直線に進む。

ぶつかりそうになったユージンが身をかわすが、女性はまるで気にしなかった。

「何よ。恵一に何か用?」

靴のかかとを鳴らす女性の背中を、ユージンが追う。



「あの、すいません」

見知らぬ女性、しかも日本人では有り得ない外見の美女に日本語で話しかけられ、

恵一は戸惑いを通り越して軽いパニックに陥っていた。

「お、俺ですか?」

「そうです。実は私どもの方では、日本の若者について調査をしておりまして。

 もし宜しければ、簡単なアンケートにご協力願えませんでしょうか」

声だけ聞いたら外国人だとは思えない滑らかな口調。

恵一はこういうシチュエーションが苦手だった。

あまり社交的な性格ではない恵一は、軽く人見知りをする傾向がある。見知らぬ人と話をするのは好きではない。

しどろもどろになりながらも、どうにか断ろうとする。

しかし相手は人を呼び止めて飯を食っているプロである。簡単には引き下がらなかった。

「えと、あの。急いでまして」

「お時間は取らせませんので」

「いや、でも……」

「ほんの数問です。協力してくだされば、少ないですが御礼もできます」

「そ……それなら、あ、いやその――」

「恵一!」

そこを一喝したのはユージンだった。

恵一は親に叱られた子供のように肩をすくめ、頬を膨らませた少女の側をちらりと見る。女性がわずかに訝しげな顔をした。

「うだうだやってないでビシッと断る!いつまでもアニメが観れないじゃないの!」

「あ――す、すいません!」

尻を蹴飛ばされ、恵一は女性に頭を下げ下げレジに走る。

女性は慌てて後を追おうとしたが、目玉商品の置かれたこの周辺は人通りが多い。

小柄な少年の姿は人の波に呑み込まれ、やがて棚の角へと消えていった。



女性はあきらめたようにかぶりを振ると、近寄ってきた東洋系の男性に向き直った。

「ごめんなさい。失敗したわ」

「またか。これで三度目だぞ……くそっ」

日本人でないというだけで目立つのが日本という国だが、だからと言って彼女らを物珍しく見る者はいない。

せいぜい流暢な日本語を話す女性を見て驚いた顔をする客が関の山だ。女性が言った。

「どんなアンケートを装っても誰が話しかけても駄目ね。

 あの子、アンケート調査にトラウマでもあるのかしら」

「案外そうかも知れないな。

 まあ、誰かに口うるさく言われてるんだろ。知らない奴について行くなとでも」

「何にせよ、この作戦はもう駄目ね。別の手を考えないと」

「ああ。俺らの班だけ調査が遅れて――」

ふいに男性の胸を襲う、断続的な振動。女性の耳にも高い電子音が届く。

男は胸元から携帯電話を引っ張り出して耳に当てた。見守る女性の前で二言三言を話し、通話を終える。

もとの位置に電話を戻しながら男が言った。

「ちょっと面倒なことになった。観察対象のもう片方もこのデパートに入ったらしい。

 隊長はこの機会に例のテストを始めるって言ってる」

「今から? ずいぶん急な話ね」

「仕方がない。なるべく唐突に開始しろというのが上の命令だ」

「テストであることを気取られれば、能力を全く使わない、

 使ったとしても全力でない可能性が出てくる……だったかしら」

「そんなことを言っていたな。とにかく、民間人が巻き込まれないようにしよう。

 後は上が上手くやるだろう」

「了解」



「ねえ、前にもこんなことがなかった?」

財布に釣り銭をしまう恵一にユージンが尋ねた。

恵一は何も言わずに彼女を見るだけだったが、構わずに続ける。

「こないだ街を歩いてる時も捕まったじゃん、どっかの業者の外回りさんにさー。

 何? 恵一、アンケートを取らされる星のもとに生まれたとか?」

「何の占いだよ、それは……。 ただの偶然だろ」

脇に挟んでいたティッシュ箱を買い物篭に放り込み、恵一は小声で答えた。

すぐ隣にいるユージンにだけ聞こえる声量を妙に思ったのだろうか、

向かいで買った品を袋にしまっていたおばさんが小首を傾げていた。

「さて、さっさと帰ろう。ここにいると、さっきのお姉さんが追いかけてきそうだ」

「それはないと思うけど、おっけ」

会話を切り上げ、二人は出口に顔を向ける。


ちょうど新しい客が入ってくるところだった。ラフな格好をした、五人組の男。

遠目にもそれとわかる、プロレスラーのような太い腕に携えていたのは、

「……銃?」

「ウソ、本物?」

驚く恵一やユージン、その他の客や従業員の視線を一身に浴び、

物々しい銃器で武装した男達が一斉掃射を開始した。


ずがががががががががっ――


轟く銃声。巻き起こる悲鳴。我先にと駆け出す人間達。

誰が気を利かせたのか鳴り響く非常ベルの音をBGMに、

一階にいた人間は客も従業員もほとんどが、男達の入ってきたのとは逆の出入り口に殺到した。

中には腰を抜かしたり、事態を把握できずに呆然と立ち尽くす者もいる。恵一もその一人だった。

ぺたりと床に座り込み、かちかちと歯と歯を打ち鳴らしている。ユージンが怒鳴った。

「ちょっ、恵一!ヤバイよ、私達も逃げよう!」

「わ……わかってるんだけど……足が動かない……」

「腰抜かしたの? もう、ほんとに弱っちいんだから、あんたは!」

ほら、肩貸してとしゃがみ込んだユージンを、暗い影が覆う。

見上げれば銃口をこちらに向けた男がそこに立っていた。恵一がいよいよ震え出す。

「ちょっ、何よ!恵一にさわらないでよ!」

彼女のわめき声が聞こえないかのごとくユージンを無視し、男はかばんをそうするように恵一を左脇に抱えると

空いた手でポケットから携帯電話を出し、いくつかのボタンを押して耳に押し当てた。

「目標を確保。これより合流します」

それだけ言って電話を畳み、巨体に似合わぬ俊敏さで走り去る男。

「こら、待ちなさいよ!恵一を返して!」

とっさに飛び付こうとしたユージンだったが、周囲には男の仲間達がいた。

下手にもみ合いになれば恵一が撃たれるかも知れない。その考えがユージンの行動を一瞬だけ躊躇わせ、

その一瞬が決定的な差となった。

気がつくと男達はだいぶ離れた位置を走っている。今から追いかけても、追いつけない。

「恵一……」

ユージンは唇を噛んだ。



数分後、恵一は屋上にいた。

そろそろ暖かくなってきているとはいえ、吹きさらしの高所は風が強く、肌寒い。

せめて屋内に立てこもってくれと恵一は思う。

屋上には恵一の他にも数人、両手首と足首をガムテープで縛られて一塊に座らされている。

目隠しをされていたり、口を塞がれていたりしないのは幸いなのかも知れない。

少し離れた位置には物騒なサブマシンガンを持った男が一人、

非常階段を除けば唯一の出口であるドアを背に立っている。見張り役だろう。

「ユージン……」

心細さからか、恵一は無意識にその名をつぶやいていた。

「友人がどうかしたのかしら?」

「え……」

程度の差はあれ皆が恐怖に震える中、一人平然と座っていた女性がそう声をかけてきた。

この特徴的な容姿は忘れようがない。恵一にアンケート協力を依頼してきた、あの外国人女性だ。

「あ、その、さっきは……」

「いいのよ。今はそれどころじゃないでしょう?」

「そうですね……何でこんなことに巻き込まれちゃったんだろう。死にたくないなあ……」

話しかけられて気が緩んだのか、恵一は本心をつぶやいていた。

大好きなアニメのような非日常を望んだことがないと言えば嘘になるが、

だからといって命を賭して犯罪者と戦うような状況を願っていたわけではない。

そもそも銃で武装した相手に抵抗するつもりなど毛頭なかった。現実と虚構の区別はできている。


「おい、勝手に喋るな。殺されたいのか」

見張りの男がそう言い、わざと音が鳴るよう銃を動かしてみせる。

恵一はごくりと唾を飲み込んだ。撃たれれば間違いなく死んでしまうだろう。そう思うと鼻の奥がツンとしてくる。

どんな目に合わされようと、どれだけの恥をかこうと、死ぬのだけは絶対に御免だった。

たとえそれが自分だけでも助かりたい。生きて自分の家に帰りたい。

唇の辺りまで垂れた鼻水をすすり、恵一は見張りの男を見る。

ユージンがいた。



「うおりゃああっ!!」


ごすっ――


思い切り蹴り上げられたつま先が男の股間を直撃する。男は声もなくその場に崩れ落ちた。

落ちた機関銃は恐る恐る拾い上げ、万が一にも手の届かないところに放り出しておく。アニメで得た知識だ。

「ユージン……?」

「恵一! 良かったー……殺されてたらどうしようかと思った」

駆け寄ってきたユージンの顔は、命の危機に晒されていた恵一よりもひどい泣き顔だった。

まず抱き付いて頬擦りし、恵一が縛られていることに気付くと急いでガムテープをはがす。次いで、他の者達のテープも同様に。

「さあ、早く逃げよう! 大丈夫、中の連中も私がやっつけるから!」

「バカ言うな、危ねえ! それより非常階段を使ったほうが早いだろ、見張りがいなくなったんだから!」

「あ、そっか」

手を打つユージンとため息をつく恵一を、屋上に捕まっていた客達がぽかんと見つめる。

「……あ! いや、その、気にしないでください。

 とにかく下に逃げましょう、さっき言いましたけど、非常階段を使えば逃げられると思います」

おかしなものを見るような視線に気付いた恵一が、軽く頬を赤らめてそう言った。


シャツの襟もとに取り付けられた小型カメラを外して、胸のポケットに押し込む。

恵一に促される形でぞろぞろと階段に向かう列を眺めながら、女性は無表情に携帯電話のコール音を聞いていた。

三回目のコールで電子音が鳴り止み、代わりに低い声がスピーカー越しに届く。恵一を捕らえた男の声だった。

『……俺だ。そっちはどうなったんだ?』

「ダニーがやられたわ。人質は地上に逃げてる」

『何だと? 奴は無事なのか? それにテストのほうは? 大丈夫なのか?』

女性は急所を押さえて悶絶している男を一瞥し、

「とりあえず息はあるわ。予定とはだいぶ異なる結果になったけど、貴重なデータも手に入った。テストも成功よ」

『そうか……』

「後は予定通り、警察に捕まっておいて。適当に釈放されるよう手はずは整っているはずだから」

『わかった。――しかし、ダニーがやられるとは。奴はどんな力を使ったんだ?』

問われ、女性は恵一を見る。恵一は最後の人質を階段に誘導し終え、安心したように腰に手を当てたところだった。

数秒の沈黙。

女性がゆっくりと口を開き、重苦しい吐息に乗せて返答する。

「わからない……」





ビジネスホテルの一室で、女性はノートパソコンを立ち上げた。

パソコンには外部マイクとカメラが接続されている。ほどなくして、画面に初老の男性が映し出された。

『……聞かせてもらおうか』

「はい、所長。彼は――秋山恵一は、間違いなく超能力者です。通常の人間とは明らかに違う能力を持っています。

 残念ながら、もう片方の観察対象は単なる人間のようですが」

女性が抑揚なく答える。

常人では有り得ない能力の持ち主――超能力者の調査を行うのが彼女の仕事だ。

各国の共同出資で運営される、超能力の国際研究機間。彼女はその一員だった。


『テストの映像は私も見せてもらった』

男の言葉とともに画面の右上に窓が開いた。動画ファイルが再生されている。

やや不鮮明ではあったが、その場に居合わせた者であれば

それがデパートの屋上で、見張りの男――ダニーが倒されたときの映像だと気がついただろう。

ダニーが何の前触れもなく股間を押さえてうずくまる。

サブマシンガンがふわりと浮かび上がったかと思えば明後日の方向へと飛んでいく。

人質の手足を拘束していたガムテープが、誰の手も触れずに剥がれてしまう。

『思うにこの恵一という少年は、念動力が使えるのだろう。

 己の思うがままに物体を操作する――大したものだ。今までの念動力の持ち主は

 文庫本を数秒浮かび上がらせられれば良い方だったからな』

「そのようですが」

そこで女性は発言を止めた。モニターの中の男が訝しげに片眉を上げる。

『……どうした?』

「彼の能力は、単なる念動力とは違うもののように思えます。

 ――これは私の仮説ですが、聞いてもらってもよろしいでしょうか」

『構わん。言ってみろ』

「ありがとうございます。後で資料を送信しますが、秋山恵一について調査を進めたところ、

 興味深い話がいくつか見つかりました」

女性はパソコンの横に積み上げていたファイルから一冊を選び、カメラに移るようページを開く。


「まず彼は、独り言が異常に多い。夕食後、自室に戻ってから就寝するまで

 ほとんど喋りっぱなしだった日もあるようです。

 今回のテストでもダニーが倒れた後、何者かと言い争うような言動を見せています」

言いながら女性はスピーカーの音量を上げた。

右上の動画はそろそろ終盤に差し掛かっており、恵一の怒鳴り声がノイズ混じりに聞こえてきた。


『――れより非常階段を使ったほうが早いだろ、見張りがいなくなったんだから!

 ……あ! いや、その、気にしないでください。

 とにかく下に逃げましょう、さっき言いましたけど、非常階段を使えば逃げられ――』


恵一は一人で虚空に向かって声を張り上げていた。

他の人質達が彼を変な目で見ているのも当然といえる、

この映像だけを見るなら、恵一の行動は幻覚を見ている麻薬中毒者と大差ない。


「また、幼少時の彼についても調査しました。

 幼い頃の彼は、奇行の多い子供として知られていたようです」

『超能力が発現したということか?』

「それもありますが、他の子供達と遊ぶ時、決まって口にする台詞があったようで。主な原因はそれかと」

『それは』

「”友人ちゃんも一緒に遊んでいい?”です」

女性の持つファイルには、恵一の幼少期が事細かに記載されていた。

彼が積み木や砂場で遊んでいる時、積み木やスコップが宙に浮いているのが何度か目撃されたこと。

友達に遊びに誘われた時は、誰かの手を引くような仕草をしていたこと。

そして、何かといえば『友人ちゃん』と口走っていたこと。


「上手く録音できませんでしたが、私も彼が友人――いえ、ユージンとつぶやいたのを聞いています」

『……今までの情報から考えるに、それは』

「はい。秋山恵一の周囲には、彼以外には視認できない何者かが存在すると考えられます」

ファイルを閉じた女性が静かに続ける。

「その者が物体を持ち上げれば、私達の目には物体が浮かび上がったように見えるということです。

 そしてその何者かは、秋山恵一という人格とは別の、独立した自我を持っている」


もし恵一が通常の念動力の持ち主ならば――自分の思い通りに物体を運動させることができるならば、

あの時、彼が大人しく捕まってくれるはずがない。

その力で銃を奪い上げるなり、ダニーをそうしたように相手を無力化してしまえば良いからだ。

「殺すぞ」と脅された途端に能力を発揮するような臆病な人間が、拉致されようかという危機に力を使い渋るわけもない。

恵一にしか見えないその何者かが、彼の意思に従って動く操り人形だったとしても同じことである。

「恐らくその何者かも、自分が秋山恵一にしか視認できないことを自覚しており、

 そんな自分が好き勝手に動いてしまえば、秋山恵一が変人扱いされることまで予見できている。

 秋山恵一と会話を行い、彼の許しを得た時だけ、何かしらの行動を起こすのでしょう。

 その何者かを、秋山恵一は”ユージン”と呼称していると思われます」




物心ついた時からの友だったとか、家族のような存在だったとか、

彼女に抱く親近感は、そんな生半可なものでは有り得ない。

恵一がユージンに抱く感情というのは、自分の手足に抱くそれと同種のものだ。


幼稚園に通っていた頃は、他の子供達から手ひどく虐められた覚えがある。

子供達は皆徹底的にユージンを無視するし、ユージンと遊んでいると気味悪がって近寄ってこない。

小学校に上がる頃になって、ようやくその理由に思い当たる。


ユージンの声が聞こえ、ユージンの姿が見えるのは、どうやら自分一人だけらしい。


そう考えれば全てに納得がいく。

ユージンの姿が見えていないなら、彼女が何か物を持っていれば、その物は宙に浮かんでいるように見えるだろう。

ユージンの声が聞こえていないなら、彼女と会話をしている自分は、独り言ばかり言っている危ない人間に映るはずだ。

実際、人前でユージンと話さないように心がけると、嘘のように虐めはなくなった。


自分は特別な人間なのではないかと思った。

しかし、大好きなアニメの中ならともかく、現実にそんなおかしな話があるとは思えない。

きっと、他の誰もが自分にしか見えない友人を――ユージンのような存在を持っているに違いない。

そしてそれは、他の人間からは隠し通さねばならないことなのだ。

自分がおかしな人間だと思われるのは、ユージンの存在を隠そうとしていなかったからだ。しかし。



「なあ、ユージン」

「何?」

警察からの事情聴取を終えた帰り道。カーブの手前で減速しながら恵一が言う。

「今回のことで、ちょっと恐ろしい仮説を考えてしまった」

「ほほう。聞かせてごらんなさい」

「やっぱり、ユージンが見えるのは特別なことなんじゃないかな、なんて」

「……自意識過剰じゃないの、あんた」

ユージンが肩をすくめた。

わずかに憮然とした様子の恵一の頬を指でつつき、仕方なさそうに笑う。

「アニメの主人公じゃあるまいし、現実にそんなことがあるわけないでしょ。

 他の人にも私みたいなのがいて、隠してるだけよ。

 あんた、自分が夜な夜なアニメの美少女キャラをオカズにしてますー、って主張する?」

「それは濡れ衣だ。……でも、普通あんな風に命が危なくなったら、誰でもユージンみたいなことをするんじゃないかな」

ユージンはその気になれば、どんな物体でもすり抜けられる。

屋上に来た時、出入り口の扉が開かなかったのもそのためだ。試したことはないが、銃弾が通用するとも思えない。

「だったら皆、自分の友達は助けようとするんじゃないか?

 実際ユージンはそうしただろ?」

「さあ? 案外、鬱陶しく思ってるのかも知れないわよ?

 ここで死んでもらったほうが、人の目を気にせずに好き勝手できると思ってるかも。

 でなきゃ戦争や事故であんなにバタバタ人が死ぬはずないじゃん。……その点では確かに、私は特別かもね」

微笑むユージン。腰に回された手の力が、少しだけ強くなった気がする。

「ほら、飛ばしなさい。早く帰ってアニメ観るわよ」

「まだ忘れてなかったのか」

カーブを抜けたスクーターが、法定速度付近まで力強く加速する。




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― 新着の感想 ―
[一言] ストーリーは面白いですね。守護霊とでも言うのでしょうか 楽しめました。ただ、超能力研究所は突飛過ぎたかも・・。
[一言] 文章がとても綺麗で読みやすかったです。 キャラクターに魅力があるので、単発ネタだけではなく、長編やシリーズ物にしても面白いのではないでしょ うか?
[一言] 超能力の発想は面白いと思いました。文章も読みやすかったです。どちらかと言うと長編の冒頭のような感じでした。 少し疑問に思ったところがいくつか。「観察対象のもう片方」は結局なんだったんでしょう…
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