誰の所為でもなく1
「わ、私がこれを‥‥?」
俺の手元にある一枚の書類をみて呆然と呟いた。
「昨日これを書いあと、寝ちゃったあなたを運んでここへ来たんだけど覚えてない?」
「えええっ!?だって昨日あなたと一緒にいたのは覚えてる‥‥でも昨日まであまり話したことすらなかったのに婚姻届なんて」
そう、俺の手元にあるのは婚姻届。
今いる場所はプリンスホテルのダブルベッドの上。
「ごめんなさい。私、酔って無茶を言ったのね。その届け出は捨てるから迷惑かけて本当にごめんなさい」
ベッドの上で昨日着ていた服のまま、なぜか正座している彼女はガバッと土下座して謝った。
捨てる?とんでもない!
パニクっているせいか婚姻届なんてものが都合よく手元にある不自然さをつっこまれなくて良かった。
記憶をとばしたのは睡眠薬を飲ませたからで、届け出もわざと読ませず書かせた。
この苦労を無駄にしてなるものか!
「無理矢理で婚姻届を書くはずない」
自分は書かせておきながら、だが。
「あなたのことは知っていたしこれからも知りたいと思ったんだ」
これは事実。
五年もの月日を遠くから毎日みていたのだから。
彼女が他の男と仲良く話すところも、口説かれているのに気付かず笑ってるところも、この五年間腐るほどみてきたんだよ。
「でも付き合ってもいないのに‥むぎゅ」
彼女の口に手を置いて言葉を発するのを遮った。
「好きなんだ」
我ながら今更だと思う。
でももう待てないんだ。
「結婚届は今すぐにださなくていい。付き合ってくれませんか?」
彼女の細い肩を抱き寄せて温もりを感じると答えもわからないのに安心する。
矛盾だらけだ。
今まで遠くからみていたのにこれは夢じゃないと、現実なんだと思い知らされる。
(俺を‥‥)
「俺を好きになって」
心の声はかすれたように小さくて心細いものだった。
それでも胸の中に抱き込まれた彼女に届くのには足りていたらしい。
ビクッとした彼女をみると耳がほんのり赤くなっている。
「どうして私なんか‥私なんて駄目だよ」
震える声すらも愛おしい。
その声も奪いたいほどなのに。
「美沙子さんじゃないと駄目」
他の女で我慢できるなら苦労しない。
むしろこんな俺にしたのは君なんだから。
「なっなにいってるのよ!そういうことみんなにいってるんで‥‥むぎゅ」
彼女の口を口で塞ぐ。
(柔らかくて甘い。噛み千切ったら血もあまいのかな)
あまりの気持ちの良さに思わず夢中になっていたらしい。
らしい、というのはキスし終えて満足感に浸っている俺の腕の中で彼女がぐったりしているから。
「あなたにしか言えない。ねえ‥」
涙目になって潤んだ瞳。
不安そうな表情も息を途切れ途切れにするのも全部。
「ねえ美沙子さん、信じてよ。これ以上手だされたくなかったら」
全部俺の前だけにしてほしいんだ。
こんな独占欲があることも知りたくなかった。
君に逢うまでの俺にどんなに戻りたかったことか。
適当にもててたし遊ぶ女は勝手に寄ってきたし。
なのに君には惨敗で。
情けない自分がみじめだった。
だからさ、こんな俺にした君が責任をとってよ。
「ウソ。美沙子さんが好きになるまでしないって約束するから」
真っ赤になる美沙子さん。
そのとか、でもとか言いながらも必死になって考えてくれてるのがよく分かって嬉しくなる。
「その、ええとその‥はい。よろしくおねがいしま、す?」
首をかしげた疑問系の了承だけど俺には充分だった。
五年間指くわえて見てるのに比べれば破格の前進だ。
「駄目‥我慢できないかも」
「我慢てなにを‥むぎゅ」
数分後。
我慢できずに再びキスして押し倒してしまった美沙子さんに殴られて。
赤くなった頬を冷やしながら、帰ろうとする彼女の服を掴んで帰らせないようにする俺と彼女の攻防戦がはじまったのだった。




