僅差
夕方。血のような朱に染まった空。見事な夕焼けに不吉ささえ覚えながら、マイカーを走らせる。
進行車線、山側の路肩にタヌキの死骸があった。そこから少し進むと、今度は反対車線、田圃側の路肩にまたタヌキの死骸がある。死骸が二つ道路に転がっている、カラスに突かれている様子はない、二頭の轢死にそれほどの時間差は無いと思われる。彼らが出会う未来があったかもしれない、そうすれば死なずに済んだのに。つがいだったなら?悲劇としかいいようがない・・・
穂の垂れる田園地帯は稲刈りがまだ半分ほどというところだ。三羽のシロサギが畦道に行儀よく並んでいた。稲穂をジッと見つめていた手前のシロサギが、素早く嘴を伸ばし、獲物を捕らえる。あの動作には見覚えがある。イナゴを捕らえたに違いない。ヒトが食うのだからシロサギだって食うだろう。
コンバインが稲を刈っていく。その後ろで何羽かのシロサギが行列をなす。足元で何かをつついている。これもイナゴを捕らえている。コンバインの後ろには行き場を失ったイナゴが四方八方に逃げ回る、イナゴを捕るには絶好の機会というわけだ。とはいえ、あまりに近づきすぎている。轢かれそうになったら飛んで逃げるのだろうけども。
小学校の行事で「イナゴ捕り」があった。だから「見覚え」があったわけだ。記憶が確かなら1kg700円で取引された、それで備品を買うのだ。
勉強が苦手だったがイナゴ捕りはもっと苦手だった。私は昆虫が好きである。しかしノルマが課せられるとなると話は違ってくる。低学年で600g、高学年で1kg。センスが無くていつも苦戦した。未達でペナルティがあるわけではなかったが、宿題みたいなもので、精神的重圧が重くのしかかる。
だから祖母の存在は大きかった。彼女はイナゴ捕りが上手かった。彼女の手にかかれば、半日もしないうちに布袋がイナゴでいっぱいになる。私の2倍か3倍のスピードだ。毎回ではないもののノルマが危うい時はやはり助けてもらった。それだけでも心強いというものだ。
この地域では、捕らえたイナゴは佃煮にされる。祖母の佃煮作りを毎年みたものだ。先ず、大きな鍋でイナゴを生きたまま煮る。次に、縁側で茹で上がったイナゴを干す。その次に、食べられない翅や肢を取り除く。それから先は見たことがない。気づけば冷蔵庫の中に真っ黒の佃煮が入っていた。あまり美味しいとは思えなかった。今なら絶対食べられない。
イナゴを煮る時の祖母の横顔をよく覚えている。グラグラ煮えた鍋の中イナゴたちが苦しそうに藻掻く。それらはやがてエビやカニのように赤くなっていく。地獄の責め苦。鍋の前に立つ祖母の口元がニヤリと歪んでいた。彼女が地獄の門番に思えたのだった。
ある年のイナゴ捕りの帰り。自転車に乗って、真っ赤な夕焼けの空の下ペダルを漕いでいた。家の前の道路にイヌの死骸があった。目の下あたりがパックリ赤く裂けて、血を流して、舌を出して横たわっている。それは家で飼っている柴犬だ。リードが外れてしまったのだ
悲しいというより焦りがあった。家の前に道路があるせいでイヌやネコが轢死するのはしょっちゅうである。イヌやネコが死ぬ主な原因は交通事故である、子供ながらにそう考えていたほどだ。しかしこの柴犬は、私がどうしても飼いたいといって知り合いから譲り受けたものだ。やはりちゃんと世話したのは最初の一年ほど。エサやりや散歩は祖母に押し付けてしまった。この日も昼に祖母が散歩に行ったはずだ。
家について「道路でイヌが死んでるけど」祖母に報告する。「あらあら」といって彼女が外に出る。「保健所に電話しないとね」死骸を見つめながら、口元を歪めながら、彼女が言う。思わずゾッとした。罪悪感にも苛まれた。私に責任がある気がして。
次の年からイナゴ捕りは廃止になった。町で一軒だけ残っていた佃煮屋が廃業したのだ。あと一年はやく廃止になっていれば柴犬は轢かれずにすんだかもしれない、そう思わずにはいられなかった。
‐‐‐二頭のタヌキの死骸を見送った後。しばらく進んでいくと、前の車が急停止した。何事だ?一呼吸おいて、何かを避けるように前に進む。「何か」はイヌ、柴犬だった。いま起きたことが信じられない、とでも言うように呆然と立ち尽くしていた。四本足で。やがてヨロヨロと田圃側へ歩いて行く。目の下がパックリ赤く裂けていた。恐らく車のバンパーに顔から衝突したのだ。
これから体を横たえ、血を流して、舌を出して死ぬのだ。僅か一台の差。前の車とマイカーが逆だったなら、柴犬を轢いたのは私だった。急停止で追突されていたかもしれない。自分のいる前後にはいつも何かが待ち構えている。
田圃側に空に夕焼けの朱がまだ少し残っていた。遠い遠い、山の向こうに。




