「君が笑った夜、世界は終わり始めていた」
世界が静かに崩れ始めたとき、人はまだその意味を知らなかった。
ただ一人の青年が、失われた答えを追い求める。
これは、滅びゆく世界で「真実」と「罪」に触れた人間の記録。
崩れる音は静かだった。誰かが泣いたわけでも、サイレンが鳴ったわけでもない。
ただ、気づいたときには街角のざわめきが薄れ、空の色も違って見えた。
――思えば、あれが始まりだった気がする。
人類は夢中だった。世界中に突如として出現した、正体不明の物体――「アーティファクト」。
それらは重力を無視し、時に人の声に反応し、そして時に、都市ひとつを丸ごと飲み込んだ。
僕――カイトは、それを見つけたくて冒険家を志した。
崇高な理由なんてなかった。ただ、父がその“アーティファクト”に触れたまま帰ってこなかったからだ。
父が何を見て、何に触れ、どこへ行ったのか。誰も知らなかったし、調べようとする人もいなかった。
なら、僕が行くしかないと思った。ただ、それだけのことだった。
「またアーティファクトの話? カイト、本気で言ってるの?」
そう言って笑ったのは、幼馴染のミナだった。
彼女は昔から無鉄砲な僕を心配してくれた。でも、その笑いはいつも優しかった。
僕はつられて笑った。心配させたくなかったから。――それが最後になるとも知らずに。
その夜、ミナの住む村が“消えた”。
山ごと。家ごと。人ごと。
跡形もなかった。空から見下ろしたその場所は、ぽっかりと穴が開いたように、何も残っていなかった。
ニュースは「地盤沈下」と報じていた。自然災害、異常気象。
しかし僕は知っていた。あれは地盤沈下なんかじゃない――アーティファクトだ。
人知の及ばない何かが、世界のどこかで静かに進行している。
皆、現実から目を背けたいだけなのだ。
僕は旅に出た。
都市を離れ、廃墟を渡り、荒野を越え、沈んだ町を歩いた。
アーティファクトを求めて。
時には苦しくなることもあった。だが僕は歩みを止めなかった。誰かを救えるかもしれないと思ったから。
あるいは、せめて真実に触れられるのなら、それだけでもよかった。
世界は変わり続けていた。
あちこちで観測される「異常重力地帯」。
時間が止まったように風も音もない「静寂圏」。
重力の中心が“空”にある都市遺跡。
人類はまだそれを言語化できていなかったが、そこには“人間ではない意思”のようなものが存在していた。
僕には、そう感じられた。
そしてついに、それは現れた。
それは空に浮かぶ、漆黒の球体だった。
ただの黒ではない。光を飲み込んでなお形を保つ、不自然な黒。
地平線の彼方にそれを見たとき、僕の足は自然とそちらへ向かっていた。
気づけば、周囲は静寂に包まれ、小鳥のさえずりも、自分の心臓の鼓動さえも聞こえなくなっていた。
そして、見上げた瞬間――その静けさが、音を増幅するように、頭の中へ声を流し込んできた。
「……起動条件、すべて満たされました。最終アクセス者:ヒューマン、カイト」
次の瞬間、地響きが世界を駆け抜けた。
空が黒く染まり、雲が逆巻き、重力が反転する感覚。
大地が泣き、空が軋む。自然の法則が、ひとつずつ壊れていく音がした。
「なにこれ……止められるのか……?」
自分の声が、やけに遠く感じた。
右手のひらを見ると、奇妙な紋章が浮かび上がっていた。
幾何学的で、まるで電子回路のようにそれは鼓動に合わせて淡く光っている。
世界とリンクしたような感覚。
僕の意識が、地球の深層にまで入り込んだような錯覚を覚えた。
それが何だったのか、もう分からない。
だが僕がそれに触れた瞬間、“何かが終わり始めた”。
それだけは理解できた。
誰かがそれを起動しなければ、何も起きなかった。
ただ静かに、何万年もそこにあったのだ。
そして、僕がそれを“起動”してしまった。
――ミナ。
君が笑ったあの夜、僕は何を返せばよかったんだろう。
父さん、あなたはこれを見たのですか? 止められなかったのですか?
優しくあろうとした。誰かを救いたくて、それが一番だと思っていた。
……でも、それって結局、自分が傷つかないためだったのかもしれない。
僕は誰かを助けたかったのか?
それとも、父さんに近づきたかっただけなんだろうか。
空が、崩れていく。
世界が、音を立てて壊れていく。
人間の暮らしていた街も、誰かの記憶も、すべてが、まるでフィルムのように剥がれていった。
ミナのくれたマフラーが、今もどこかの荷物の中にある。
汚れてボロボロだけど、なぜか捨てられなかった。
……意味なんてないのに、こういうものだけが残っていくんだ。
――これは僕のせいじゃないって、
誰かが言ってくれたら、どれだけ楽だっただろうか。
そう呟いて、カイトの意識は闇の中へと沈んでいった。
人が何かを信じ、触れようとするたび、世界は少しずつ形を変える。
カイトの選択が間違いだったのかは、誰にも分からない。
けれど、あの静かな崩壊の音だけが、今も耳に残っている。




