君ともう一度笑えるなら
主人公 蓬莱 幼馴染み 洛陽 幼馴染みの妹 吹雪
とても仲のいい友達がいた。そいつといれば何をしても楽しかった。小学校を卒業し、中学校で違うクラスになってもよく遊んだ。でも、俺が部活をはじめ、そいつが部活を怪我でやめたくらいから少しずつ会う回数が減り、違う高校に行ったっきり会うことはなかった。そいつは今何をしているんだろう。俺はそいつのことが確実に好きだった。そいつ以外と結婚しないと思っていた。今はそいつが今何をしているのか。誰と付き合っているのか。もしかしたらもう結婚しているのかもしれない。考えたくない。考えたくもない。知りたくない。知りたくもない。俺はまだガキのまま動けないでいる。なぁ子供のときみたいに俺を導いてくれよ。今お前は、何をしているんだ?
講義中に母親から電話が鳴った。しまった。マナーモードにしていなかった。白い目から逃げるようにコソコソと教室を出て通話ボタンを押す。
「もしもし?いま授業中なんだけど」
「落ち着いて聞いてね蓬莱。巌作さんが倒れたわ」
「・・・倒れたってどういうこと?」
「・・・死んだわ」
「爺が?本当に死んだの?」
「うん。今すぐ帰ってきて」
「わかった。今から帰る。二時間くらいで帰る」
「わかった。気を付けて」
爺が死んだのか。たしかに前帰った時は普通にお酒飲んでたのに。俺は教室内の荷物をまとめ、大学から飛び出した。駅まで速足で歩きながらチャットでバイト先と友人とゼミの講師にに一週間ほど法事で愛知に帰ることを伝える。爺が死んだのか。本当に実感がわかない。赤色に輝く信号機を恨めしく思いながら靴紐を結びなおす。実際ここで急いだところで新幹線の時間なんて知らないから焦っても仕方がないのだが、どうしても早くなる足を抑えられない。爺。俺が運転する車に乗るまで三途の川の渡し船には乗らないって言っていたじゃあねえか。何死んでんだよ。少しずつ悲しくなってきた。気分を変えるためにヘッドホンを付けて音楽を流す。リタリンとソーダホップに溺れたくもなった。
新幹線と名鉄に揺られること一時間半、半年ぶりに実家近くの駅に着いた。半年しかたっていないというのに改装工事が進んで階段を無駄に上り下りさせられた。ざけんなマジで。誰だ三階を作ろうって言ったやつ。長い階段に辟易しながら駅を出る。・・・嘘だろミスドなくなってんじゃあねーか。この街にいったい何があったっていうんだ。俺の高校時代に恰好つけてコーヒー飲んでたのが懐かしい。久しぶりに通る道を思い出しながら、実家についた。
実家では法事でいろいろ二日三日ほどバタバタした。わざわざここに書き記す必要もないだろう。俺だって家族が死んだ話を他人に語りたくない。
爺の遺品を家族で整理していると一つの薄汚れた鍵を見つけた。家族にばれないようにポケットにしまい、家を出る。この鍵は爺が俺と親友と親友の妹に渡していたアトリエの鍵だ。爺は若いころに名を馳せた絵描きだったが、結婚してからはアトリエを使うことがなくなり、いらないからと俺らに鍵をくれたんだ。うわぁ懐かしい。せっかくだし行ってみることにしよう。
道中1万回くらい懐かしいと言いながら、アトリエについた。アトリエ周りは意外にも雑草もそこまで生えてらず、何というか生活感があった。思い出補正だろうか。鍵を開け、玄関から入る。ただいまというべきかお邪魔しますというべきかわからず、結局何も言わなかった。部屋の中は綺麗で、たぶん爺が何度か掃除をしているだろうなっていう不器用な掃除の後が見られた。少し涙ぐみそうになる。目じりを少しだけ擦り、子供のころの定位置の座椅子に腰掛ける。本棚に入ってる色褪せたジョジョと拾ってきたエロ本。古めのテレビにつながれたままのWii。ワゴンで投げ売りされてたグリーンデイとACDC。何もかもが懐かしかった。懐古厨か。俺はテレビをつけ、Wiiを起動する。当然、マリオブラザーズだ。3人でスターコイン集めきったデータを開き、適当なコースをプレイする。・・・やべぇ難しい。
どれほど時間が経っただろう。残機が60も減ったマリオをどこで回復すべきか考えているとき、玄関をガチャガチャとドアを開けようとする音がした。俺は慌てて立ち上がり、近くになぜか置いてあった木刀を手に取って上段に構える。ドアが開けられ、侵入者と目が合う。俺は木刀を落としそうになった。
「兄さん。久しぶりですね」
「・・・」
俺は目を疑った。
「兄さんはいつか帰ってくると信じていましたが、意外と早かったですね。4年と少しぶりです」
「お前は・・・」
「まさか忘れたんですか?薄情ですね」
「まさか。蕗菊吹雪ちゃんだろ。洛陽の妹。久しぶり」
「ええ。久しぶりですね。帰省ですか?」
「まぁそんな感じだね。・・・洛陽は来ないのか?というかなんで来たんだい?俺がいることを知ってたの?」
「いや、たまたまですよ。たまたま兄さんが帰ってきたんですよ」
「ちょうどよく鉢合わせしたってわけか。ツイてるね」
「いえ、偶然じゃあありませんよ。兄さんがいつ帰ってきても歓迎できるように毎日毎日、ここに来てました」
「・・・毎日?」
「ええ。兄さんが高校生になってここに全く来なくなった時から、毎日、毎日、毎日、毎日ずっと、雨の日も風の日も欠かすことなくここに来ていました」
「・・・・・・・」
「何か飲みますか?あいにく冷蔵庫はないので常温ですけど」
部屋の隅にある段ボールを少し漁った後、ゼロコーラとトッポを出してきた。
「どーぞ」
「・・・ありがとう」
2つとも俺がここにいたときによく食べてたものだ。期限も切れてないし、定期的に買い替えていたんだろう。胸が締め付けられる。俺は、こんなに健気な子を忘れてキャンパスライフを謳歌していたのか。
「どうしたんですか兄さん、泣いているのですか?」
「・・・ああ。年を取ると涙脆くってな。ごめんね」
「別に、私が好きでやってたことですから。気を使わなくていいですよ。むしろ重いって思われると思ってましたし、自分でも何やってんだろうと思うことは多々ありました。でもここは私たちのシェルターとして整備しておかないとって思ってましたからね」
涙を誤魔化すようにゼロコーラをのペットボトルに口をつける。最近はお酒ばかり飲んでて、ジュースを飲むのは随分と久しぶりな気がした。
「洛陽も時々ここに来るの?」
「・・・あの人はもう来ません」
「あの人だなんて白々しいな。家族だろ?」
「あれを家族なんて、私や呼べません」
「・・・いくら吹雪ちゃんとて親友をバカにされては黙ってないよ」
「・・・兄さんは知らないから好き勝手言えるんです」
「・・・・・・その、DVか?」
「いえ、あの人はそんなことしません」
「よかった・・・けど、じゃあなんでその、不仲なんだ?」
「・・・ラザロ・アンティ病をご存じですか?」
「いや,寡聞にして知らないぜ」
「『死に至る狂気』をご存じですか?」
「ああ、それなら知ってる。近年多い精神病だろ?」
「あの人はそれに罹患しています。命もそう長く持たないです」
「・・・え?」
「ラザロ・アンティ病は肉体、精神ともに生きる理由を失ったときに発症する病気で、初期状態ならば薬とかで食い止められますが、あの人はもう手の施しようがないほど進行してしまっています」
「手の施しようがないほどに?」
「はい。あの人は余命があと1年ほどと通達されています」
「・・・」
「会いに行きますか?」
「勿論。案内を頼んでいいかな?」
「勿論。でもひとつお願いがあります。あの人は、あなたが覚えている頃のあの人とはかけ離れています。絶対に、絶っ対に失望も絶望もしないでください」
「ああ。約束する。アイツとはなにがどうなっても親友だ」
「親友。そうですか。じゃあ、行きますよ」
外に止めてある白いワゴン車の運転席のドアを開ける吹雪ちゃんを見て動きが止まった。
「・・・今高校3年生だよね?」
「はい。でも私は4月4日生まれなので速攻で免許を取りました。あの人を病院まで送迎するのに必要ですからね」
「・・・共働きだったっけ」
たしか、アイツと吹雪ちゃんと初遭遇したのは小学生の時の少し暗くなった公園だった。親が夜中になるまで帰ってこないって聞いて、暗くなるまで一緒に遊んで、それから学校でも話すようになったな。
「昔のことを思い出しているのですか?」
「まぁね」
「兄さんは免許持ってますか?」
「恥ずかしながら持ってない。運転お願いします」
「任せてください。助手席に乗ってください」
車の中はコーヒーとタバコのにおいがした。灰皿には吸い殻が数多に捨てられていた。なんでや。
「臭くてすみません。まさか兄さんを乗せることになるとは思っていなくてファブリーズも置いてません。兄さんは吸いますか?」
「いや、吸わない」
「・・・私がタバコ吸ってることに何も言わないのですか?」
「うん。別にいっかなって。だれだって逃げ口は必要だからね」
「よくそんなこと言えますね」
音もなく発進した。相当運転はうまいみたいだ。カーステレオからハイウェイ・トゥ・ヘルから流れ出した。いいセンスだ。吹雪ちゃんは黙って曲を変えた。
「兄さんは今大学3年生でしたっけ」
「うん。まぁ単位も足りてるし暇してるよ」
「じゃあ、時々帰ってきてくださいね」
「ああ。約束する。大学受験について考えてる?」
「いえ。私は進学しません」
「なんで?」
「大学に行く理由がないからです。あの人の指定難病の補助金と病院からの研究費としてお金は掃いて捨てるほどありますし、両親の株とアパート運営だけで十全に生活できます」
「大学は遊ぶために通うんだよ」
「私はそんなに人と関わるのが好きじゃあないんです」
「そーなの?初めて知ったよ」
「はい。私が積極的に関わる人なんて兄さんくらいですよ」
「腐れ縁でごめんね」
「いえいえ。十全に反省してくださいね」
許してくれなかったみたいだ。
「兄さんは恋人さんはできたんですか?」
「藪から棒だね」
「高校生は恋バナが大好きなんですよ。大学生のギラギラしているような恋愛談してくださいよ」
「アニメとかの見過ぎさ。1年の時に軽く付き合ってた女の子はいるけど、ホストの子を孕んで中退していったよ。もう連絡も取ってない」
「・・・兄さん童貞じゃあないんですか?」
「や、ゴムつけてたしね。あと気軽に人に童貞かどうかは聞かないの。人によっては自殺しちゃうからね」
「兄さん、見栄は張らなくていいんですよ。別に兄さんが童貞でも決して馬鹿にしません」
「すでに馬鹿にしてるよね。その元カノとしたことあるから」
「大学生ってみんなそんな軽薄な恋愛をしているんですか?」
「それは大学生に対する多大なる偏見を含んでいるよ。大学生も高校生も変わらないさ。いつまでたってもガキのまま」
「私はもう大人です」
「どう思うかは個人の自由さ。でも自分で自分はきちんと見えないものだよ。鏡ですら左右逆。写真は今じゃあないからね」
「経験談ですか」
「まぁね。自惚れてたよ、過去の自分は。そんなことより、まだつかないの?」
「もうつきますよ。覚悟の準備は?」
「十全さ」
車が病院の駐車場に静かに止まった。心臓は音を立てて激しく動き出した。
「こっちです。なにか看護師とか医者に聞かれたら私の恋人ってことにします」
「照れるな」
「殺しますよ」
「怖いな」
病院の中は久しぶりに嗅ぐ独特なにおいと時計の針の音しかしない不気味な空間だった。
「なんか・・・静かすぎやしないか?」
おのずと声も小さくなる。
「ここの病院は死に至る狂気の患者しかいらっしゃりませんから、精神に負担をかけないようにできるだけ静かになっているんです。全患者が個室を持っていますし、トイレも別です」
「そんなピンポイントな病院がうちの地元に会ったんだな」
「偶然ってのは絶対に起こるんですよ。私が兄さんと再会できたようにね」
「それ言われちゃあ返す言葉もないな」
「こっちです。・・・看護師さんがいらっしゃいませんね」
「どうする?待つ?」
「や、もう行っちゃいましょう。私はあの人の身内ですし、その私が連れてきているのなら大丈夫です」
「変わったね。昔は真面目だったのに」
「・・・真面目にする理由がなくなったからですよ」
有無を言わせない口調で言い切り、一人でエレベーターの方に歩いて行ってしまった。慌てて続く。
エレベーターの狭い個室の中沈黙に耐えられず深呼吸をする。緊張してきた。吹雪ちゃんは何も感じていないような真顔で平然と立っていた。その顔からは何も読み取れない。
「こっちです」
物音ひとつしない廊下を歩き、突き当りの901号室に到着した。吹雪ちゃんは普通に戸を開け入ってしまった。俺も意を決して続く。
「・・・吹雪?ちょうどいいところに来たね。そこのテーブルのCD流してよ。動きたくない」
カーテン(?)で仕切られベッドから昔と変わらない低めの声に息が止まった。何も言えない。感動して何も言えない。
吹雪は何も言わず古びたCDプレイヤーを再生する。
≪Born into Nixon,I was raised in hell≫
数多に聞いた曲がCDプレイヤーから零れ出る。アトリエにCDプレイヤーがないと思っていたが、ここにあったのか。
「・・・?もう用はないよ吹雪。帰って」
「姉さん。少しカーテンを開けて」
「ヤダ。面倒くさい。今日はもう寝る。9月が終わったら起こして」
今は11月だぞ。言いたいことはわかるけど日本なら4月じゃね?
「ねぇ、今日は何日?」
「11月2日」
「もうすぐだね」
何のことかわからず吹雪ちゃんの方を見る。首を振られた。吹雪ちゃんも何か分かってないみたいだ。
吹雪ちゃんはつかつかとカーテンに近づき、バッと勢いよく開けた。
真っ白な入院着にそれに見間違うほどの日焼けひとつしていない顔。簡単に折れそうな手足。俺が知っているアイツは活発で快活で健康的だった。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
病室の中に静寂が訪れる。グリーンデイの声すらわからないほどの沈黙。俺はマヌケにも軽く手を振ることしかできなかった。
「テメェ・・・今更何しに来たんだ?嘲笑いに来たのか?」
「姉さん」
「テメェッ!どのツラ下げて俺に会いに来たんだ!」
テーブルの上にあったペットボトルを投げつけられた。蓋は空いてて中に入っていたゼロコーラが飛び散った。歓迎してくれるなんて考えは甘かったな。
「姉さん!」
「テメェ余計なことしやがって!ぶっ殺してやる!」
ベッドから下りて一歩踏み出そうとした瞬間その場に頽れた。慌てて近づこうとしたが、車いすの持ち手を掴んで立ち上がった。こちらを睨みつける目にはしっかりと力が籠っている。しかし対照的に小鹿のように震える両足を見て涙が出そうになる。きっと助からないんだって。洛陽はもうすぐ死ぬんだって。
「姉さん」
「寄るな。おい蓬莱そこを動くなよ。ぶん殴ってやるから」
車いすから手を放し、一歩一歩ゆっくりと進んでくる。俺はどうすることもできなくてただただ立ち尽くした。洛陽は案の定というべきか途中で思い切り倒れた。
「姉さん!」
「洛陽!」
「うるせぇ!寄ってくるんじゃあねぇ!」
再び立ち上がり、一歩一歩近づいてくる。弱弱しいながらも確かな足取りだった。残り2歩か3歩くらいのところでこちらに倒れこんだ。慌てて支える。・・・軽い。あまりにも軽い。
「・・・」
「・・・何見てんだよ。離せ」
俺の手から離れると弱弱しいビンタを頬に放たれた。痛くなさ過ぎて涙が出てきた。
「・・・久しぶり」
「・・・・・・死ね」
洛陽はそのまま倒れた。
「・・・!吹雪ちゃん!どうしよう!」
「落ち着いてください。体力が尽きただけです」
「どうすればいいお!?」
「嚙まないでください。普通にベッドまでお願いします」
抱きかかえてベッドに戻す。
「・・・感想はどうですか?」
「弱弱しくて涙が出そう」
「失望しました?」
「まさか。親友は死んでも親友なんだからこれくらいじゃあ驚かないよ」
「・・・この人も喜んでいます。兄さんが会いに来てくれたのはよっぽど嬉しかったんでしょうね」
「歓迎してはくれなかったけどな」
「姉さんは治療の一環としていろいろな人と交際していた時もありましたが、姉さんはだれが来ても無反応でした」
「好きの反対は無関心ってやつか」
「そうですね。よくわかっているじゃあないですか。花丸を差し上げます」
「なめんな」
「兄さんはこの人のことをどれくらい覚えていましたか?」
「いつの話?」
「さっき秘密基地に来た時です」
「うーん、まさか会えると思っていなかったしな。覚えていないとは言わないけれど、月末までにやらないといけないレポートの内容よりは思い出さなかったな」
「・・・ふーん」
「ふーんて。聞いておいてふーんて」
もぞもぞとベッドの上で洛陽が動き、すぐに目を覚ました。
「おはようさん」
「・・・おい、少し席を外してくれ」
「わかった」
「お前なわけがないだろボンクラ。吹雪だよ吹雪」
「わかった。30分で戻るよ」
「や、1時間後に来てくれ」
「うん」
吹雪は俺に何か言いたげな視線を向けたが、何も言わずに去っていった。
「・・・」
「・・・」
「なんか言ったらどうだ?洛陽さんよ」
「・・・久しぶり。すまなかった。感情的になった」
「ああ。久しぶりだ。気にしてないから気にすんな」
「・・・い、今は何をしているんだ?」
「大学生だよ。民法を学んでる」
「民法ね。将来の夢は警察官か?」
「や、違うけど。なんで?」
「お前はドロケーで警察ばっかり選んだからな」
「なっつ。や、ただ単に牢屋でじっとしてるのが損してる気分になるからね」
「俺はいっつも泥棒にしたな。お前に捕まったことはついぞなかったな」
「お前さんなんであんな足速かったんだ?」
「お前と違って運動以外に取り柄がなかったからな。それが今じゃあこのザマだ。笑えよ」
「HAHAHAHAHA」
「マジ殺す」
「そうはならんやろ」
「友達は大学でできてんのか?」
「何目線だよ。普通にいる。男子3人女子5人のグループとつるんでる」
「・・・彼女はできたんか?」
「や、1年の時に一時期付き合ってた人ならいるけれど、今はいないな」
「どんな子だ?」
「食いついてくるなよ。流石姉妹だな」
「ふっ。・・・なぁお前なんで俺から離れたんだ?」
「いつの話だ?」
「中学のときだよ。秘密基地にも中々こなくなったじゃあねーか」
「あれは・・・部活に忙しいってのもあったし、それ以上に周りにばれたくなかったんだよ」
「私と一緒にいることか?」
「そうだね。『お前女子と遊んでんの!?』って言われたくなかった」
「ばーか」
「うるせぇ」
「お前はどうしてマネージャーをやめたんだ?」
「や、飽きただけだよ」
「・・・」
「・・・」
「・・・いつからこの病気になったんだ?」
「・・・言いたくねーな。そんなことお前が今更知って何になるんだ?」
「浅慮だったな。すまない。撤回する」
「・・・謝んなよ」
「・・・治る見込みはあるのか?」
「少しだけな」
「どうやってだ?」
「俺のことなのに、俺が何を求めているのか、何がしたいのか、何をしたくないのかすらわからない」
「答えになってないよ。今はどんな治療をしているんだ?」
「心の底から生きたいって、死にたくないって思えば生きれる人もいるみたいだ。今まで完治した人は二人しかいないけどな」
「・・・なにか、俺にできることはあるか}
「ねーよ」
「そうか。・・・今の状態はどんなかんじなんだ?」
「小康って言えばいいのかな。今は特に治療していし」
「治療ってどんなことをするんだ?言える範囲で教えてほしい」
「うーん、前してた治療と言えばいろいろな男とエロいことをしたり、欲望の限りを尽くしたけれど、結局病気の進行を抑えられなかったから、もう何もしていない。たまに体をスキャンするくらいさ」
「・・・」
「どうした?俺が他の男と寝たのがそんなにショックだったのか?」
「全然?」
「死ねよ」
「なんでや。俺は治療のためのとやかくに言うつもりはないよ」
「じゃあ1人のことを本気で好きになったって言ったら?」
「お前の命がそれで伸びるならば大歓迎だよ」
「・・・死ね」
「なんで?」
「いや、言いたくなっただけだ。死ね」
「・・・今更だが何で一人称俺なんだ?小さかったときは普通に私だっただろ」
「気にするな。アニメの見過ぎだ」
「何を見たらそうなるんだよ」
「うるせぇ」
「・・・」
「・・・」
「お前は、今、死にたい?」
「・・・まさかね。死にたくないよ。でも、お前が会いに来てくれたんだから死ぬ前の心残りは減ったよ」
「?」
「お前の顔をもう一回見たかったんだよ。いろいろな人に聞いたり調べてもお前の顔とかをSNSでどんな話題で検索しても出てこないんだもん。でも、全然変わらないな」
「褒めてんのか?貶しているんか?」
「貶してんだよ」
「やな野郎だ」
「そんな俺も好きなんだろ?」
「勿論」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・今のなし」
「・・・・・・意気地なし」
「・・・お前こそ俺のこと、SNS使って探すなんてそんなに会いたかったのか?」
「ああ。お前に会いたかった」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「黙んなよ。恥ずかしいじゃあねーか!」
「や、思ったよりストレートに言われて、すげえ恥ずかしい。暑くね?」
「顔赤いよ」
「お前もな」
「・・・もう消えてくれ。お前と一緒にいると言いたいことも言いたくないことも、思ったこと全部言っちまう。だから今日は帰ってくれ」
「今日は?じゃあ明日は?」
「うるせぇ」
「・・・また明日」
「ああ。また明日」
病室から出た。時計を見るともうだいぶ時間が経っていた。吹雪ちゃんに謝っておこう。駐輪場に戻ると車の中でタバコを吸って待っていた。
「おかえりなさい」
「ああ。ごめんね遅くなって」
「いえいえ待ち慣れているので」
鮮やかな皮肉に死にかけた。
「吹雪ちゃんは会わなくてもいいの?」
「はい。私は毎日来るって言ったってすぐに帰りますからね」
「そんなもんなのか」
「はい。それよりどうでしたか?久々の再会は」
「うーん。随分変わっていたけれど、それでも会えて嬉しかったな」
「そうですか」
「なんでアイツは一人称が俺なの?」
「知りたいですか?」
「知ってるの?」
「勿論。家まで来てくれれば教えれます」
「是非行くよ」
「そんなに即答されるとは思っていませんでしたよ」
「断る理由がないしね」
「そうですか」
吹雪ちゃんは煙草を灰皿に当てて揉み消し、黙ってエンジンを入れた。俺も喋る内容の持ち合わせがなく黙った。何気に洛陽の家に行くのは初めてだ。この姉妹は両親を毛嫌いしているから家に招かれたことは今までに一度もない。ちなみに俺も二人を家に呼んだことがないから冷静に考えてすごい関係である。
「兄さん、私はあなたのことを誤解していましたよ」
「誤解?何をだ?」
「いえ。優しいだけだけかと思ってました」
「?見た目が良くなってるってこと?ありがと」
「何も言ってません。兄さんのビジュアルは可もなく不可もなくといったところです。自惚れないでください」
「言いすぎじゃろ」
「兄さんはナマクラです」
「?」
「私が言いたいのは以上です。到着まで少しかかりますが、寝たら窓から捨てます」
「怖いこと言うなよ」
再び静かになってしまった。しっかりしろ俺。年上の俺が会話を盛り上げないといけないだろ。今までの大学生活で学んだことを生かせ!
「吹雪ちゃん」
「はい?」
「好みのタイプは?」
やってしまった。
「兄さんみたいな人です」
やられてしまった。
「どうしたんですか急に。今びっくりしてインド人を右にするところでしたよ」
「結構余裕じゃあないか。マジでごめん。会話盛り上げようと思って」
「大学生が過ぎますね。大学生は物事をちんこで考えているんですか」
「今に関しては返す言葉がねぇ。あとちんこって言うな」
「兄さんは好きなタイプとかあるんですか?」
「うーん、考えたこともなかったな」
「私だって言ったんですから、言わないと怒りますよ」
「そうだな・・・理性的で教養があって、一緒にいて疲れない人が好きかな」
「具体的で気持ちが悪いです」
「お前が言えって言ったろ!」
「冷静に考えて女の子に自分の性癖を暴露するなんてセクハラ以外何物でもないですよ」
「お前が言えって言ったろ!」
「まぁいいです。兄さんは大学ではモテるんですか?」
「や、全然。仲がいい女子以外から声をかけられることはないよ」
「ぷっ」
「マジで殺してやるぞ貴様」
「兄さんって相変わらず変な人に好かれますよね?」
「何のことだ?」
「私が知る限り小学校にあなたのことが好きな変わった子は少なくとも二人はいましたよ」
「もっと早く言えよ。今更遅いよ」
「・・・気が付いていなかったんですか?あんなに露骨にアプローチしていたのに。報われませんね」
「え、そんなにアプローチされてたの?まったく身に覚えがないんだけれど」
「無知って罪ですね」
「悪かったな」
「心当たりはありますか?」
「心当たり・・・?いや、マジでないな。そもそも小学校ではそんなに女友達多くなかったしな」
「そうですか。本人に言っておきますね。無駄だったぞばーかって」
「マジでやめて。今更変な禍根残したまま愛知を出ていきたくない」
いつの間に車は一軒家の駐車場に止まっていた。
「着きましたよ」
「ありがとう」
その家はなんというか豪邸といって差し支えがなかった。
「これが実家?」
「いえ、両親が私にくれた家ですね。アイツらはマンションに住んでます」
「金持ちすぎやしないか?」
「まぁ、そうですね。あがってください」
・・・一軒家にカードキーって。金のムダじゃあないのか?
「こっちです。ここでくつろいでいてください。私はいろいろ用意してきます」
「わかった」
忘れそうになっていたが、洛陽がなんで自分のことを俺と言うようになったかを知るために来たんだったな。本当にアニメの見過ぎだったらここに来る理由もないし、たぶんしっかりとした理由があるんだろうな。覚悟の準備をしないと。
「お待たせしました。これがあの人が書いていた日記です」
「日記?」
「くれぐれもこれを読んで、あの人を幻滅しないでくださいね」
「・・・幻滅?わかった」
ノートは4か月前から始まっていた。
7月10日
私の病気はもう末期だ。
治る見込みは限りなく低いみたいだ。
こんな私のために毎日吹雪をここに来させるのは申し訳ない。
でもこんな時になっても母も父も一度も顔を見せに来ない。死ねばいいのに。
7月14日
三日坊主って言葉があるけど、まさか初日で書くのをやめるとは自分でも思っていなかった。
まぁ、今日の昼ごはんに出てきたパスタがあんまりにもおいしかったから、作りかたをメモしようとしたけど、冷静に考えて料理しても食べてくれる相手がいない。
だからおいしかったとだけ書いておこう。
おいしかった。二度と食べたくない。死ね。
7月16日
吹雪がうっかり口を滑らした。
あのバカいまだに隠れ家に行ってるみたいだ。
蓬莱は両親と一緒。私たちのことは忘れ去ってる。
死ねばいいのに。幸せになればいいのに。
7月30日
蓬莱の夢を見た。
アイツはやっぱりアイツのままだった。
会いたい。とにかくもう一回でいいから会いたい。
神様がいるならアイツと会えたなら死んでもいい。
8月9日
アイツが会いに来てくれた。
蓬莱の野郎帰ってきてるならもっと早く言えよ。お前と遊ぶ時間が減るだろうが。
いつこっちに来るのか楽しみで仕方がない。
初めてこの病気にかかって明日が楽しみになった。
8月10日
アイツは今日来なかった。また先生に掃除サボったこと怒られているのかな?
アイツはあいわらずごまかすのがへたくそだな。
まぁ、明日は精密検査があるから一番早く会えるとしても13日になるな。
楽しみだ。
8月19日
わかってたよ。薄々そんな気がしたよ。
幻覚を見ていた。
死にたい。
8月21日
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
アイツに会いたい
8月22日
アイツに会いたい。
それだけでいい。それだけでいいのに。
8月29日
蓬莱から電話が掛かってきた。
あの甘えんぼめ片時も私から離れたくないみたいだ。
私は別に構わないが、アイツは宿題とか学校とかどうする気なんだろうか。
久しぶりに声を聞けたおかげで今日はよく眠れそうだ。
おやすみ。蓬莱。愛してる。
9月1日
おい、吹雪に俺のことを言うなって。嫉妬しちゃうだろ。
なんで?自慢の彼氏を家族にも自慢したいのは当然でしょ。
彼氏って。恥ずかしいな。
何をいまさら。大好きだよ蓬莱。
俺もだよ洛陽。
9月2日
俺は洛陽が死ぬなら自殺する。
・・・蓬莱はそんなこと言わない!
9月6日
また幻覚を見ていたみたいだ。
死にたい。死にたい。会いたい。死にたい。会いたい。会いたい。
9月7日
日記をつけ始めてから蓬莱の幻覚をよく見るようになった。
なんでかなって考えたら、アイツとノートに落書きをしあって遊んでたから、無意識化でアイツを想像しているみたいだ。
馬鹿みたいだ。
もう、こんなに悲しくなりたくないし、今日で日記はやめることにする。
さよなら。蓬莱。愛してる。
日記はここで終わっている。
「・・・どういうことだ?」
「あの人は兄さんの幻覚とずっとおしゃべりしていた時期があったんですよ。時期っていうか少し前の話ですけど」
「・・・」
「自分で言って、そのあと自分で兄さんになりきって話す。その時の癖が抜けきらずにまだ自分のことを俺っていってます」
「・・・あいつ、そんなに病んでたのか」
何も言葉が出てこない。
「・・・・・・なにか飲み物取ってきます」
気を利かせて吹雪ちゃんは席を外してくれた。俺は袖で涙をぬぐった。
ごめんよ。ごめんなさい。
「・・・・・・お待たせ。アイスティーしかなかったんだけどいいかな?」
「ありがとう」
十分ほどして吹雪ちゃんは戻ってきた。氷が浮いたアイスティーを飲む。甘い。
「兄さん、そう気を落とさないでください。あの病気にかかった人はおおむね幻覚を見ます」
「だからと言って、俺が無関係ってわけでもないだろ」
「兄さん、お分かりかと思いますが、あの人は兄さんのことが好きです」
「・・・ああ」
「・・・・・・兄さんはどう対応するつもりですか?」
「わかんない。・・・どうすればいいんだ?」
「今は、そのままでいてください。私がどうにかしますから」
「・・・ああ」
「・・・兄さん、ハグしてもいいですか?」
「え?」
俺が聞き返す前に吹雪ちゃんは正面から抱き着いてきた。香水なのかシャンプーなのかフルーツのような匂いが鼻をくすぐり、女性特有の、要は胸の柔らかさを否応なしに意識させられる。頬と頬が当たり、お互いの体温が溶けあう。冬目前なのに少し汗をかいてしまった。
何秒が経ったんだろうか。名残惜しいけれど吹雪ちゃんは離れてしまった。こんな時に気の利いた言葉が出ればよかったんだけれど、大学生にそんなスキルは備わっていなかった。
「元気が出ましたか?兄さん」
「ああ。あ、ありがとう」
安心したからなのか、急に眠気が押し寄せてきた。
「どうかしましたか?」
「や、なんか急に眠たくなった。ごめん、少し寝てもいい?」
「勿論、ベッド貸しますよ」
「や、ここでいいや」
「ダメです。風邪ひかれたくないんでベッドで寝てください」
連れていかれた部屋のベッドに倒れこんだ。
目を覚ますとあたりは暗くなっていた。暗闇の中スマホの明かりに吹雪ちゃんが照らされている。
「・・・おはよう」
「おはようございます。よく眠れてましたね」
吹雪ちゃんが部屋のライトをつける。よく見ると吹雪ちゃんは服も変わっていたし髪が少し濡れていたりとお風呂に入ったみたいだ。
「ごめん、今何時?」
「夜中の1時ですよ」
「・・・わーお」
めちゃくちゃ寝てたみたいだ。そろそろ帰らないと迷惑が掛かる。
「ごめん、めちゃくちゃ長居しちゃったな。もう帰るよ」
「こんな夜中にですか?私もうお酒飲んじゃったんですけど」
「当たり前のように飲むな。別に歩いて帰るよ」
「せっかくなら泊っていってくださいよ。久しぶりなんですから修学旅行みたいに一晩中喋りましょうよ」
「うーん、でも、ご両親は
「黙ってください。両親なんていません」
「・・・ごめん。でも俺は男だよ?安易に吹雪ちゃんを襲っちゃうかもしれないよ」
「ふふ、じゃあ今からシますか?」
「は?」
吹雪ちゃんは来ていた白いシャツを脱いだ。抱き着かれたときにも思ったけれど、胸が大きい。その大きくて透き通るように白い肌とは対照的な黒いシンプルな下着に思わず生唾を飲み込んだ。
「・・・」
「何か言ってくださいよ。恥ずかしいです」
「綺麗だけれど、男の前で服を脱ぐな」
「正論も正気も猶予も躊躇も今この場には不要ですよ」
「・・・」
「兄さんは、あの人が好きですか?」
「・・・正直わからない。高校に入って関わることがなくなってからよくわからなくなってきた。中学校の時は確実に好きだった」
「不誠実な答えですね。好きですか?嫌いですか?二択で答えてください」
「好きだよ。勿論」
「私と洛陽、どっちが好きですか?」
俺は・・・こんなことを言いたくはない。言いたくないけれど、逃げ続けるわけにはいかない。俺は二週間たったら大学生活に戻らないといけない。だからこそ、心残りがないように、心の恋がないように。
「俺は・・・」
・・・二の句が継げない。今にも泣きそうな顔でこちらを見る吹雪ちゃんにこっちまで涙をこぼしそうになる。
「ごめん、俺は、俺は洛陽が好きだ。吹雪ちゃんより、洛陽が好きだ」
「・・・知ってます。ずっと前から知ってました。ずっと前から好きでした。結婚してください。無理ならお嫁さんにしてください」
「・・・吹雪ちゃんの・・・吹雪のことは好きだけれど、君より洛陽を幸せにしたい。たとえ、洛陽の命が短くて、悲しみしか残らないとしても、洛陽のことが好きだ」
「・・・兄さん」
「・・・・・・ごめん」
「・・・・・・いえ、気にしないでください。わかってました。覚悟してました。でも・・・こんなに、つらいんでずね」
涙ぐむ吹雪に何もできずに俺は突っ立つことしかできなかった。無能。
「兄さん、抱きしめてください」
何も言わずに柔らかい矮躯を抱きしめた。吹雪は俺の服に目を押し当てて人目もはばからずに泣いた。子供みたいに感情を爆発させるように泣いた。無能な俺は何もできなかった。
「・・・・・・・・・姉さんが死んだら、私と付き合ってくれるんですか?」
「お前、んなこというんじゃあねーぜ。今回は見逃すけど次似通ったことぬかしたら縁を切るからな」
「私だって!あなたのことが好きなんです!」
「・・・」
「私は、家族が姉さんしかいません。その姉さんだったもう命は長くない。だからこそ、私は、家族が欲しい。義理の兄でも旦那さんでもいいんです。お願いします。私と家族になってください。私は、兄さんも姉さんも大好きなんです。だから、だから、どっちもいなくなったら耐えられないんです」
「・・・」
「私は、あなただけが欲しい。あなたのためなら、人だって殺せるし、家だって燃やせるし、死ぬこともできる。あなたと家族になりたいです。兄さんが私より姉さんが好きでも、いいです。あなたがいなかった4年は灰色どころか無色透明で生きた心地がしませんでした。お願いします。このまま私の家から出ないでください。一生養います。一生付き添います。私を、これ以上一人にしないでください」
「俺は、吹雪ちゃんのことは好きだけれど、無責任に一生一緒なんて言えない」
「・・・そうですよね。ごめんなさい」
「いったん、落ち着きなよ。恋は盲目っていうけれど、吹雪ちゃんは男を知らなさすぎるんだと思う。きっと世界にはイケメンだって掃いて捨てるほどいる。俺に固執しないで世界を見てみたら?」
「・・・兄さん、私のために死んでくれますか?」
「・・・・・・死ねる?」
「はい。一緒に死ねませんか?」
「ごめん。俺は絶対に死にたくないし、吹雪ちゃんにも死んでほしくない」
「じゃあ兄さんもくだらないことを言わないでください。兄さんの言っていることはいつか死ぬなら今死んでも同じと言ってるのと何ら変わりありません」
「・・・」
本当にそうか?些か暴論すぎやしないか?
「じゃあ、私が兄さんの住んでいるところに行ってもいいですか?」
「下宿先に?」
「・・・・・・別に構わないけれど、俺の部屋は鬼のように汚いぞ。連日のように友人と酒を飲み、シコって寝てバイトしてゲームするだけで掃除なんか月一でするかしないかの汚部屋だぞ」
「全然構いません」
「じゃあ・・・どうぞ」
「ありがとうございます。兄さん」
目を真っ赤にしながらにっこりと微笑む顔に胸が締め付けられる。仲の良い女の妹。同人誌やAVで腐るほど存在するが、こんなにも気まずいとは思わなかった。
「明日、俺洛陽にきちんと好きだって言うよ」
「・・・はい。それがいいと思います。明日に備えて、今日はもう寝ましょう」
吹雪ちゃんは泣きそうな顔で笑った。それから一緒のベッドに入って抱き合って寝た。温かかった。
次の日はシャワーの音で目が覚めた。吹雪ちゃんは朝と夜の両方お風呂に入るみたいだ。・・・てか俺結局お風呂に入らずに寝たからもしかして臭かったから風呂に入ったのか?出てきたら謝ろう。そしてシャワーを浴びよう。スマホには両親からいつ帰るのか、大学はいつから行くのかと連絡があった。適当に返信して、リビングに向かう。
リビングには飲みかけのコーヒーが置いてあった。いくら喉が渇いていたって飲むわけにはいかないので、流し台からコップをひとつ取り、水道水を飲む。愛知の水はおいしい気がする。なんというか下宿の水道水とは明らかに違う。塩素っていうかカルキっていうかそういったものを感じない味がする。
「いくら浄水器がついているからって水道水なんか飲まないでくださいよ」
浄水器らしかった。吹雪ちゃんはシャワーを浴びた直後だからかシャツにパンツ一枚という誘っているというよりは無防備な格好で歩いてきた。
「おはようございます。早起きですね」
「おはようさん。いつも朝からバイトだから6時半に目が覚めるんだ。そっちも早起きだね。あと服を着ようか。吹雪ちゃんの家だとしても俺がいるからね」
「学生ですし朝ご飯作ってましたから。ヤりたくなったら言ってくださいね。心の準備もゴムもありますから。それはともかく朝食を食べましょう。こっちです」
怪しい発言を聞き流し、リビングの目の前のふすまが開かれると茶室というべきなのかはわからないが小さな和室がある。その部屋ののちゃぶ台の上には玄米に味噌汁、サケの切り身に卵焼き。山盛りのキャベツと切ったリンゴが置いてある。
「すごないな。俺も自炊するようになって久しいけれどこんなにきちんとしたご飯つくらないからそのスキルほしいかもしれない」
「兄さんがいつ帰ってきても大丈夫なように練習しましたからね」
少し思ったがこの娘重くないか?
「食べましょう。冷めた味噌汁ほどまずいものはありません」
ちゃぶ台に向かい合って箸を持つ。
「いただきます」
「いただきます」
俺は食事中に喋るのを好まないので黙々と食べる。吹雪ちゃんもないにも言うことなくただ食事の音だけがした。
「ごちそうさま。おししかった」
「ありがとうございます」
「ごめん近くの衣服が売ってあるような店ってある?シャワーも借りたい」
「服くらい貸しますよ。下着もありますし」
「なんで?」
「勿論いつ兄さんが来ても大丈夫なようにですよ。サイズはいろいろありますから自分で見繕ってきてください。服は洗濯機に入れてもらって構いません」
相変わらずの愛の重さだ。
いくつか手渡された服から一つを頂き、脱衣所に向かう。俺が住んでる下宿の脱衣所の3倍ほどの大きさだ。悔しい。服を脱ぎ捨て、温水を頭からかぶる。頭や体をササっと洗い、湯船につかる。吹雪ちゃんが入った後の風呂だと思うと興奮・・・しなかった。というか足が延ばせるサイズの風呂釜って一軒家に存在しているんだなぁって感心していたら、扉が少し開けられた。
「兄さんごめんなさい、シャンプーです」
「え」
どうやら俺はボディーソープで頭を洗ったマヌケのようだ。
改めて頭を洗いなおして風呂から出る。さっぱりさっぱり。吹雪ちゃんが用意してくれた服を着る。サイズはぴったりだ。パンツも何というか肌に合うというべきなのかお高そうな雰囲気がした。
「ごめん。服っていくら?」
「お金はいりませんよ。掃いて捨てるほどありますし」
「服だけに?」
「寒いですよ。厚着が必要ですね」
リビングに戻ると吹雪ちゃんは肌着のまま窓枠に座って煙草を吸っていた。差し込む朝日と漂う紫煙。憂うような表情に見蕩れてしまった。それに気が付いた吹雪ちゃんははにかんだ。可愛い。
「病院にもう行きますか?」
現在時刻は10時。少し早い気もするが、もう行ってしまおう。変に後回しにして怖気づいてしまうのが1番嫌だ。
「うん。また運転お願いしてもいいかな」
「勿論」
吹雪ちゃんはテーブルに置いてあったジーパンとパーカーを素早く着てすたすたと玄関に行ってしまった。慌てて付いていく。
車の助手席に乗り込み、シートベルトをつける」
「安全運転で行きますからね」
「お願いします」
吹雪ちゃんは少しカーナビを触った後、車をゆっくりと発進させた。
「・・・少し寄り道してコーヒー飲みませんか」
「いいね」
別にコーヒーが飲みたかったわけじゃあないけれど、何か考えているような表情の吹雪ちゃんに対して断ることは流石にできなかった。
五分ほどでマックの駐車場に着いた。ドライブスルーでいいのにわざわざ駐車場に車を止め、吹雪ちゃんはシートベルトを外した。まぁもしかしたらこんな季節に福袋の引換でもするのかもしれないと考えて俺もシートベルトを外す。
店内は平日の朝だからか新聞を机に置いたままウトウトしているおじいさんと談笑している老夫婦、受け取りで待ってるサラリーマンの4人しかいなかった。
吹雪ちゃんはカウンターの女の子と普通に談笑し始めた。まぁ、後ろに人がいないから別に構わないだろう。店員さん1人暇そうにホットコーヒーが落ちるのをぼんやりと眺めているしな。俺は吹雪ちゃんに一声掛け、トイレに向かう。
・・・手についた。くっそ。ハンカチ持ってねーよ。・・・嫌いだけどハンドドライヤー使うか。
戻ると吹雪ちゃんは話し終えていたようでコーヒーを二杯丁度受け取っている時だった。
「ごめん。俺持つよ」
「お願いしますね」
アイスコーヒーを二つ持った。両方ともブラックなのは嫌がらせなのか何も考えていないのかは判断に困った。別にブラックコーヒー飲めないわけじゃあないけれど好んで飲まないしなぁ。
再び助手席に乗り込む。紙ストローとリッドを外し、直飲みする。まじでゴミストローだな。今すぐ廃止しろ。
「じゃあ行きましょうか。何か寄りたいところとかあったりしますか?」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・あの?」
「いや、いいや。吹雪ちゃんにも考えがあるようだし、俺はそれに従うよ」
吹雪ちゃんは何というか俺が病院に行くのを好ましく思っていないように思える。その証拠に買ったコーヒーは一口も飲んでいないし、発進する前に行き慣れている病院なんだからカーナビを触る必要がない。
「・・・」
「・・・」
沈黙ののち吹雪ちゃんはハンドブレーキを戻し、発進した。
俺は吹雪ちゃんが何を思ってその行動したのかがわからないかったから何も言わないことにした。
「・・・」
「兄さん、すみませんでした」
「何がだ?」
「・・・」
吹雪ちゃんは発進した直後、すぐ近くのコンビニに駐車した。
「・・・」
「に、兄さん。私は、あなたに姉さんに会って欲しくないです」
「・・・」
「勝手なことを言ってすみません。このまま、元来た道を引き返して戻ってもいいですか?」
「なんでだ?」
「・・・・・・私は昨日、会えただけで嬉しかったです。会えたらそれ以上望まないって。ずっと思ってました。でも、いざ会ってみて、一緒に喋って、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、ドライブしたら、兄さんを姉に取られたくなくなりました。私だって、姉さんのことは大好きです。でも、それ以上にあなたのことが好きで、あなたを独り占めしたいんです」
吹雪ちゃんは後半になるにつれ声が震え、目も顔も赤くなっていった。
「兄さん、私だけのものになってくれませんか?」
「・・・」
どうすればいいんだよ。俺は。俺は吹雪ちゃんが大好きだ。洛陽も大好きだ。でも、洛陽の命は長くない。吹雪ちゃんの未来と洛陽の死期。俺は。俺は。
「吹雪ちゃん。俺は
続きは特に考えていません。読んだ人の創造する自由です。