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1.壁の花と麗しの公爵


 その日の王城は煌びやかな明かりと紳士淑女の華やかな衣装で彩られ、まさに宝石のごとく輝いていた。


 新年を言祝ぐ大舞踏会は、貴族全員が出席することが義務となっている。

 そんな舞踏会に出ている一人、アリシア・ブレイジャー侯爵令嬢は周囲にばれないようにそっと息を吐いた。


 艶やかなバーガンディブラウンの髪に、鮮やかなエメラルドの瞳。誰もが認める可憐な容姿に、小柄ながらも女性らしいラインに恵まれた身体を上品で慎ましいドレスに包み、実に美しい。そして何より由緒正しい侯爵家の令嬢ともなれば、自然と人々が寄ってくるものだ。


 しかし、彼女はホールでひとり壁の花になっていた。


 アシリアの生家、ブレイジャー侯爵家には複雑な事情がある。

 彼女の母は建国八家のひとつであり先の戦争の英雄であるエアルドレッド辺境伯の妹で、当然ながら正妻だ。しかし、現在ブレイジャー侯爵夫人を名乗っているのは子爵家出身のエイダ、そしてその娘であるマリベルは姉、なのだ。


 つまり父であるバージル侯爵は恥知らずにも婚姻中に子爵令嬢との間に子供をもうけ、正妻のテリーサ亡き後愛人を正式に妻として迎え入れた。

 

 当時8歳だったアリシアは衝撃を受けたものだ。

 しかし、さらにショックだったのはその日から『家族』という枠から自分が外れたことだった。


 誠実とは程遠い父ではあったが、確かに母も自分も大切にされていた。しかし、エイダとマリベルが迎え入れられた途端アリシアをほとんど見なくなった。


 別に嫌がらせをされたことなどない。

 食事もドレスも教育も、充分に与えられた。義母も義姉も私に嫌味を言ったり暴力など振るったりしない。こういった家庭環境ではそういった事が起こる事例あると聞くけれど、それがないのだから感謝すべきかもしれない。


 だが、彼らとの間には明確な線引きがあり、その内側にアリシアは入ることが出来ない。

 そんな寂しさと虚しさを抱えてアリシアは成長した。


 そういった雰囲気は周囲も自然と察するものだ。

 先にデビューしていた義姉の翌年に社交界に出ると、アリシアを待っていたのは遠巻きに眺めてくる人々の視線だった。


 アリシアがいかに美しく文句のつけようのない血筋を持っていたとしても、当主の侯爵が尊重しているのは現侯爵夫人と姉の侯爵令嬢だ。アリシアにすり寄ってもあまり旨味はなく、かといって母方の実家である辺境伯家の力を考えて意地悪をすることも出来ない。


 つまりは、放置。あるいは様子見としてアリシアの社交界での壁の花の日々が確定したのであった。


 出席必須の夜会はまだ始ったばかり。侯爵令嬢であるアリシアは遅い入場であったけれど、まだ王族はお出ましになっていない。今は公爵家の方々の入場が始ったところだ。

 ホールに入った途端父達と離れたアリシアは壁沿いに立ちながらすでに退屈していた。早く帰りたいと思いつつも、何とか淑女らしく背を伸ばして立っていた。


「ギルバート・ハフィントン公爵閣下、ご入場!」


 その声を聞いた途端、人々のざわめきでホールが揺れたように感じた。

 社交界にデビューして間もなくあまり人との交流のないアリシアでも、その名は知っていた。

 

 通称、『仮面公爵』


 建国八家と呼ばれる名家のひとつ、建国王の弟三人が作った公爵家は今も特別な存在だ。特に参謀として活躍したハフィントン公爵家は最も家格が高い。

 当代の公爵の母親は現王の妹で、従兄弟の王太子に次ぐ王位継承権を持っている。にもかかわらず、彼は自らの顔を仮面で隠し年に一度のこの新年の大舞踏会にしか姿を現さない。


「まあ、ご覧になって。今日も閣下は素敵だわ」

「でも、あの仮面の下は醜く爛れているのでしょう?呪われているなんて恐ろしいわ」


 近くのご婦人達のひそひそとした声が聞こえる。

 ハフィントン公爵の仮面は目元を覆っているだけなので、彼の顔の造形自体は隠しきれていない。何でも今のようになる前は傾国と謳われるほどの美貌だったのだそうだ。


 しかし、彼が18歳の時突然その美しい顔が爛れてしまった。

 当然ながら何かの病気ではないかとあらゆる検査が行われたが原因はわからず、次いで診せた魔術師が言うには、これは呪いがかかっているとの事だった。


 かつてこの大陸を席巻した魔法は、現在では殆どの人が満足な魔力を得られず廃れてしまった。そんな中僅かに残った才能のある人は全て国に仕えることになっている。そんなエリート達をもってしても、公爵の呪いを解くことは出来なかった。

 

 以来公爵は領地に引きこもり、社交界に顔を出すのは年に一度、この新年の大舞踏会のみになった。


 アリシアは当然ながら彼を見るのは初めてだった。

 遠すぎてよく見えないが、確かに彼は美しいと思う。シャンデリアの下で光に溶けそうな程淡い金の髪も、その目元を覆う仮面でさえただの装飾と思えるほど整った容姿も。

 筋肉質で長身の身体をぴったりに仕立てられた夜会服に包み、胸を張って立つ姿はまさに王族といった風格がある。


 その堂々とした姿にアリシアは自己嫌悪に陥った。

 何を言われても動じない彼の誇り高い姿に、自分の情けなさが身にしみる。私もいつまでも悲劇のヒロインのように俯いていないで積極的に人と交流しなくてはいけないわ。


 そう思ったアリシアは、たまたま目があった令嬢ににっこりと笑ってみせた。

 当の令嬢はびくりと身体を揺らしたが、目は逸らされなかったので話しかけてみる。


「こんばんは。いい夜ですね」

「え、ええ。本当ですわね」


 そっと近寄って彼女の隣に立つ。周囲の人に見られているのを意識しながらも、笑みを絶やさずに彼女を見た。

 

「とても素敵なドレスを着てらっしゃるのね。お色もデザインもとてもお似合いですわ」

「まあ!本当ですか?このドレス、婚約者が贈ってくれたのです」

「きっとそうだと思いました。あなたの魅力を引き出す可憐さと、もしかして婚約者の方の瞳って青ですか?」

「はい。おわかりになります?」

「もちろん。愛されてらっしゃるのね。あなたを誰にも渡したくないって想いが溢れているわ」


 実際布地の大部分に青が使われ、婚約者の主張が強いものだった。

 アリシアの言葉にぱあっと顔を輝かせた令嬢は婚約者の話をしてくれた。そんな惚気話をにこにこと微笑みながら聞いていると、彼女の友人の令嬢も話しかけてきた。


 アリシアは努めて笑みを浮かべながら、彼女達を褒めた。

 誰しも褒められて嬉しくないはずがない。こちらを見る目に好意が浮かんだら、後は彼女達の話を聞いた。若い娘らしく次々と話題が変わっていく様を楽しんでいると、再び案内係の声が上がった。


「国王陛下、王妃殿下、ならびに王太子殿下、王女殿下、ご入場!」


 その場に居た全ての貴族が一斉に礼を取る。それに鷹揚に頷いた国王は、顔を上げるように言った。


「今年もそなたらと会えたことを嬉しく思う。新年おめでとう。皆、この夜を楽しんでくれ」


 国王がそう言い終えた途端、楽団による音楽が鳴り響いた。国王は微笑みながら王妃の手を取るとホールに出てワルツを踊り始めた。優雅に舞うその姿に誰もが見惚れてため息を吐く。


「ご覧になって。王太子殿下って本当に素敵ですわね!」

「あら、あなたそんな事を言っていたら婚約者に嫉妬されますわよ」

「そうよ。褒めるなら王女殿下にしなくては。なんてお美しいのかしら」


 壇上で次のダンスを待っているのは王太子と王女だ。金の髪と金の粒が煌めく青い瞳という王家の色を持つ彼らは、この世のものとは思えないほど美しい。

 けれど、そんな王族よりさらに美しかったというハフィントン公爵の美貌がどれほどのものだったのか。アリシアの想像力では再現できそうになかった。


 アリシアはそっと視線を巡らせてハフィントン公爵を探す。けれと見つけられずにがっかりしてしまった。勇気をくれた公爵をもう一度見たいと思っていたからだ。


 王太子と王女のダンスも終わり、貴族達もホールに出られるようになると、彼女達の婚約者が迎えに来て連れ出してしまったのでアリシアは再びひとりになった。

 相変わらず遠巻きに見られているし、久しぶりに家人以外と話して疲れたのでバルコニーから庭園に出ることにする。


 私の勇気なんてそんなものよね、と自嘲しながら夜の庭に足を踏み出した。


 舞踏会は始ったばかりなので、庭に出ている人は誰も居ない。警備する騎士にちらりと見られたが、アリシアは会釈をしただけでゆっくりと庭を散策した。整えられた庭園は綺麗に並んだ樹木と冬の花達が彩りを添えている。


 外は寒いが人の熱気で溢れていたホールを抜け出た今はむしろ心地良いくらいだ。火照った頬を押さえながら歩き続けていると、不意に開けた場所に出た。


 噴水のある広場は回廊に囲まれていて、魔道ランタンの明かりが反射していて幻想的だ。うっとりと見とれていると、噴水の縁に座っている男性がいることに気づいた。


 その男性は苦しそうに身をかがめ、低く呻いている。後ろ姿しか見えないので誰かはわからないが、心配になったアリシアは思わず声をかけた。

 

「もし、どこかお加減が悪いのでしょうか?人を呼びましょうか?」

「・・・大事ない」


 アリシアの声に小さく身体を震わせた男性はひとつ息を吐いてから立ち上がった。見上げるような長身の男性の顔を見た途端あっと声を上げた。


「公爵閣下!」


 仮面をしていてもなおにじみ出る美しさを誇る男性は、間違いなくさっき見かけたハフィントン公爵だった。思いがけない邂逅にアリシアは深く膝を落とした。


「ご無礼を。申し訳ございません」

「良い。さあ、立ちなさい」


 目の前に公爵の手が差し出され、アリシアは素直に手を取った。彼に優しく引き上げられて姿勢を正すと、公爵が繋がれたアリシアの手をじっと見ている事に気づいた。


「・・・?」

「・・・閣下?」


 あまりに真剣な様子に気後れしながらもそっと声をかけると、公爵ははっと我に返ってアリシアの手を離した。


「いや、何でもない。失礼した」


 彼はアリシアの手を離し、一歩離れると彼女を見下ろした。


「君はひとりなのか?こんな庭園の奥深くに若い令嬢がひとりで来るなんて不用心だ」

「まあ、そんなに奥に来てしまっていたのですね。庭園の美しさに見とれるあまり、不注意でした」


 もしかしたらここは侯爵令嬢ごときが入ってはいけない場所だったのかもしれない。青くなっていると公爵の手が差し出された。


「来なさい。ホールまで送ろう」

「お気遣いありがとうございます」


 公爵の素敵な紳士ぶりに感動しながら彼の手に自分のそれを重ねると、何か言いたげな沈黙が返ってきたのでアリシアは顔を上げた。


「君は怖くないのか?」

「何がでございましょう?」

「呪いだよ。知らないわけがないだろう」


 自嘲気味に口元を歪めた公爵だったが、アリシアはよくわからずきょとんと首を傾げた。


「もちろん聞き及んでおりますが、それは病気のようにうつるものなのでしょうか?」

「いや、今のところ私に接触した者でうつった者はいないな」

「そうだと思いましたわ。閣下がわたくしをエスコートしようとしてくださった時点でそれはわかります」


 本心から言ってにっこり笑うと、公爵は戸惑ったように口を引き結んだ。


「私の評判は地に落ちているはずだが、どうしてそう言い切れる」

「地に落ちているなんてとんでもない!」


卑下する公爵が信じられずにアリシアははしたないと思いつつも、強く言い募った。


「これはわたくしの一方的な思いでご不快になるかもしれませんが、閣下をご尊敬申し上げているのです」

「尊敬?」

「はい。わたくしには色々と事情があるのですが、本当に自分の不甲斐なさに情けなく思っていたところ、閣下の堂々たるお姿を拝見して勝手に勇気をいただいたのです。それに、見ず知らずのわたくしに親切にしてくださって、やはり閣下は素晴らしいお方だと確信いたしましたわ」


熱弁をふるうアリシアを見ながらぽかんとしていた公爵だったが、やがてふっと笑って口元を緩めた。


「私が君の力になれたのなら、今日の舞踏会に来て良かったよ」

「はい、わたくしもそう思っております。閣下にお会いできて光栄です」


 公爵のエスコートを受けて再び歩き出したアリシアは、夢見る気分でホールへの道を戻り始めた。憧れの人と他愛のない話をしていると、それなりの距離があったはずなのにあっという間にホールの明かりが見えてきてしまった。


 残念に思いながらもきちんとお礼を言わなければと顔を上げた時、ふと公爵の仮面に何かがついているのが見えた。


「あら、閣下。仮面に何か黒いものがついていますわ」

「黒いもの?」

「ええ。少し屈んでくださいますか。すぐにお取りします」


 それは本当に無意識だった。薄明るい中、仮面についた汚れを取ろうと思ったのだ。けれど、ハンカチで拭いても消えない。

 よくよく見ると、それは仮面についているのではなく、もやのように浮かんでいるように思えた。首を傾げていると、真剣な目をした公爵に尋ねられた。


「君、名前は?」

「まあ、申し遅れました。私はブレイジャー侯爵の次女、アリシアでございます」

「ああ、ブレイジャー侯爵の」


公爵は少し思案した後ひとつ頷くと、アリシアに手を差し伸べた。


「ブレイジャー嬢、君に婚約者や候補などはいるかい?」

「いいえ。おりませんわ」

「ならばすまないが、今からホールに戻って私と踊ってくれないか」

「それは光栄ですが、わたくしなどで良いのですか?」

「それを確かめたいのだ」


そう言った公爵は少し強引に、しかしあくまでも優しくアリシアを導いてホールの明かりを目指し始めた。

公爵の発言の意図がわからないものの憧れの人とのダンスを断れるはずもなく、アリシアはただ彼についていく事にしたのだった。



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