・執行の天使が微笑む日 - お預かり→何もかも -
けれどフロリーさんはもう騙されなかった。
疲れたようにため息を吐いて、敵から僕にまた振り返った。
「ナユタ・アポリオン。貴方にこの屋敷、及び全ての敷地、全てのわたしの私財を、貴方に預けます。もう二度と、悪い人の手に渡らないところに……預かって、お願い……」
融通の利かない僕の力は、少しの間だけ融通を利かせてくれた。
僕は大口の取引先である彼女の前にひざまづき、依頼を承認した。
「お任せ下さい、フロリー様。フロリー様の物は、フロリー様の元に。これより僕は、貴方の財産全てを、お預かりいたします」
それは僕の祖先を造った神様の気まぐれだろうか。
それとも僕の成長なのだろうか。
彼女の依頼を承認すると、いつもの現象が屋敷規模で起きた。
建物も、庭も、外壁も、木も花も何もかも、フロリーさんすらも、全てが僕の中に消えていった。
いや、例外もあった。
彼女が要らないもの。
絶対に要らない者は残された。
義父エドマンド、義母サシェ、義弟ベリオルは除外され、全裸で白昼下の跡地に取り残されることになった。
こんなことを言うと、リアナ様に失望されてしまうかもしれないけど……。
何もかもを奪い返されてしまった彼らの姿は、なかなか無様だった! はははっ!
『無様ね』
でもリアナ様が言う分には何も問題ない。
『撤収しなさい。こちらの屋敷でフロリーと貴方を待っているわ。ふふふっ、これは最高の結末ね、凄くスッとしたわ』
僕はエドマンドたちの前から立ち去った。
彼らは僕を追わなかった。
彼らは裸だったし、奪われた物を取り返す方法もなく、報復することもできなかった。
街をスキップで駆けて、久しぶりに自分の店に帰ると、僕は自分のベッドに横たわり、リアナ様とフロリー様が待つ倉庫世界――いや、あの屋敷ロートシルト邸を再び訪ねた。
「フロリー、貴女にお願いがあるの。外に満足に出られない私の代わりに、危ういあの子を支えてくれないかしら。あの子、とても弱くて気が小さいのに、無茶ばかりして、もう見ていられないの……」
僕が帰ってくるのを見計らって、リアナ様は僕の目の前でフロリーさんにそんな依頼をした。
「はい、喜んで。せっかく私財を預けたからには、わたしもここの共同経営者に加えていただきたいです」
「あら……! ふふふっ、いいの……?」
あまり商才に恵まれていない僕からしても、それは願ってもないことだ。
リアナ様にここまで心配されていたとは、思わなかったけれど……。
「だって素敵ですもの! 見て、屋敷の外のこの景色を!」
屋敷は敷地から樹木、芝生、花壇まで含めた全てがここに預けられていた。
無限に広がる真っ暗闇の世界に、屋敷だけではなく夜の庭園と外壁、塔まで増えていた。
さらにはその向こうにまで、何か別の建物が続いていた。
遠目だからわからないけど、店や倉庫か何かのように見えなくもない。
「とてもいいわね……。ランプの飾りがいがありそう……」
「ではナユタ様と今度買いに行ってまいりますね。たくさん必要ですからこの際、職人に作らせるのもいいかもしれません……!」
明かりがないと少し不気味な光景だ。
けれどたくさんの明かりで灯せば、そこは美しい常闇の庭園となる。
「ありがとう。最高の報酬よ」
「ありがとう、フロリーさん。やっと、あるべき人に、あるべき場所を与えられたよ。……でも、もう一度聞くけど、これでいいの?」
「ええ。だって1人で暮らすには、この屋敷はあまりに大き過ぎるでしょう?」
「あ、それもそうかな……」
「それではどうか、これから末永くよろしくお願いします、地主様」
「うん、よろしくね、家主さん」
神に祈るだけだった乙女は立ち上がった。
苦難の果てに勝利を手にし、奪われた全てを取り戻した。
そして鮮やかに退場し、別の土地に移り住むことを選んだ。
ロートシルトの屋敷ごと。倉庫ごと。店舗ごと。広大無比な菜の花畑ごと。
彼女を虐待し、侮辱し、全てを奪い取ったエドマンド一家には何一つ残さなかった。
フロリー・ロートシルトは尊敬に値する人物だ。
彼女は非力だけれど強く、大胆で、強者に屈することのない反骨心を持っている。
僕はそんな彼女をリアナ様の次に尊敬している。
それは僕もまた、彼女と同じ気弱で力を持たない弱者だからだ。
だからこそ、僕は彼女の勝利を祝福せずにはいられない。
おめでとう、フロリー・ロートシルト。
そして、最高の報酬を、ありがとう。
君は最高のお客様にして、僕たちの大切な友人だ。




