・宵闇の追撃者 - 僕→私 -
その日は雨だった。
屋根はあるが年期の入った四人乗り馬車の中で、僕たち3名の旅行者は閉息感と退屈にあえいでいた。
会話がなく気まずいというわけではない。
だけれど正午の鐘と共に出発して、かれこれ4,5時間も馬車室に閉じ込められているとなると、話題も尽きるし、気も少しおかしくなってくる。
僕たちは当たり障りのない世間話から、各地の宿や名物の話、果てや野良猫の出産の話までして、退屈をまぎらわせた。
といっても僕の返事や話題の半数は、リアナ様やフロリーさんの言葉を復唱したものだったのだけれど。
「窓を閉めてくれるかな、若いの。この寒さは年寄りに堪える」
「おっと、これは失礼。私はナユリンくんの気が少しでもまぎれればと、そう思ってね」
同乗者の1人は若い二枚目の紳士、もう1人は壮年の立派な紳士で、どちらも僕、ナユリン嬢をとても気にかけてくれていた。
厚手の布製の窓の先では冷たい雨がシトシトと降り注ぎ、ときおり御者席のおじさんのくしゃみが聞こえてくるほどだ。
外の天気が悪いのもあって馬車室の中は非常に薄暗く、目をこらさなければ相手の顔がよく見えないほどだった。
「ナユリン殿が望まれるなら、まあ我慢しよう」
「い、いえっ、大丈夫です! 閉めましょう! わっ!?」
「おっと、失礼」
代わりに窓を閉めようとすると、若い紳士がわざとらしく僕の手に触れてきた。
「君、レディに何をしているのだね」
「事故ですよ、事故。すみませんね、ナユリンくん」
リアナ様とフロリーさんのところに行きたい。
だけどこの寒さと、この若い紳士の前でこの身体を放置したら、どんな結果になるかわからなかった。
・
目的地の町に着いた頃には日が沈んでいた。
僕は寒さに震える御者さんにお礼を言って、同席者たちともお別れをした。
「ああ、私も楽しかったよ、ナユリンくん。ああそうだ! 楽しい時間のお礼に、よければ私が今日の宿代を出そうか? 実はね、オススメの宿が――」
「け、結構です……っ、今日は予定がありますので……っ」
若い紳士は少女ナユリンがよっぽど気に入ったようだ。
特に僕の白い髪を、まるで真夏の青空に輝く雲のようだと、歯の浮くような言葉で褒めてくれた。
「君はナンパをするために、この馬車に乗っていたのかね? お嬢さん、この軽薄な男は俺が見張っておこう。さ、先を急ぎたまえ」
僕が嫌がると、老紳士が間に入ってナンパ男を睨んでくれた。
「素敵な女性を見たら食事に誘うのが私の流儀です。さ、ナユリンくんっ、この町一番のディナーでもっ!」
「妙だな。そんなに裕福ならば、もっと立派な乗っていたはずではないか?」
「邪魔しないで下さいよ、ご年輩!」
「行きたまえ、ナユリン殿。まったく、最近の若者は……」
女装なんてするんじゃなかった……。
まさか、同姓に口説かれるなんて、ショックだ……。
「あの……では、すみません、お2人とも……っ。ごめんなさいっっ!」
僕、男なんです。
誤解させてごめんなさい。
そう心の中で謝りながら、俺は宿屋街を目指して走った。
もう辺りは暗くなっていて、雨は小雨になっていたけれど、よりいっそう空気が冷たくなっている。
早く宿を取って明日の打ち合わせをしたかった。
明日はついにイエローガーデンに到着する日だ。
フロリー・ロートシルトが奪われた物、全てを取り返す日が目前に迫っていた。
『残念だけれど、今日の夕飯は期待しない方がよさそうよ』
「え……? あ……っ!?」
『囲まれているわ。退路は……そうね、屋根の上くらいかしら』
「それはリアナ様にできても僕には無理だよ……っ」
道の前後からわき道まで、いかにも普通じゃないヤクザ者たちの姿があった。
どうしてバレてしまったのかわからなかったけど、彼らは今も包囲の網を狭めてきている。
『ナユタ様……ッ、こうなった以上は、わたしが、囮に……っ』
僕たちは詐欺師エドマンドを甘く見ていたのかもしれない。
彼は僕たちを潰すために、現在見えるだけでも30名ものヤクザ者を動員していた。
『必要ないわ。捕まりなさい、ナユタ』
けれど焦る僕に、リアナ様は涼しい声でそう命じた。
その一言で僕は落ち着きを取り戻し、恐怖に打ち勝てた。




