・凶刃 - 外出→腹の底 -
フロリー・ロートシルトは焦っていた。
ただ静かに暮らして時を待つだけというのは、今の彼女にとって苦痛なことだったようだ。
フロリーさんは叔母のシオンさんの家事や雑用を代わったり、仕事がなくなるとそのたびに軒先の掃除を始めたり、よっぽど何かをしていないと落ち着かないのか、果てや倉庫世界の整理整頓まで始めてしまった。
そのおかげで僕たちのまあまあ快適だった隠れ家は、1mmの歪みも許されない神経質な空間へと、彼女の度の過ぎた整頓により変えられてしまいそうだった。
「少し早い気もするのだけれど、相場の調査をお願いしたいの。これがイエローガーデンの、だいたいの相場をメモした物よ」
そんなフロリーさんを見るに見かねて、リアナ様が倉庫世界にフロリーさんを呼んだ。
イエローガーデンに何を仕入れて帰るのか決めたいので、相場調査を任せたいと彼女に依頼した。
「あ、はいっ! お二人の力になれるなら喜んでっ! わたしも買い出しを任されることが多いので、日用品と生活雑貨ならば、お力になれると思いますっ!」
「助かるわ。ナユタはお人好し過ぎて、ほんの少し商売に向かないところがあるの」
「実際の仕入れの際もわたしにお任せ下さい! わたし、少しでもお二人の善意に報いたいんです! 感謝しているんです!」
それは隠し倉庫の質草を預かってより3日目のことだった。
僕は最近顔色と声の張りが良くなってきたフロリーさんと、王都の東西南北に点在するバザーを訪ねた。
「問屋から仕入れるより、バザーから仕入れた方が安くなることもあるのですよ。そのバザーの主が、生産者本人であることも珍しくないので……」
「そうなんだ」
「はいっ。あるいはもっとたくさん仕入れたかったら、直接生産地におもむくのがよいかと……っ!」
「そうすれば、問屋さんや交易所から仕入れるより安くなるの?」
「はいっ、そうなのですっ! 彼らは問屋との契約以上にできてしまった品物を、自分の手で売っているのですっ!」
そう語るフロリーさんはまるで別人のようだった。
母を失い、家を乗っ取られるより前の彼女は、あの気弱で卑屈なフロリーさんとは、似ても似つかない姿をしていたのだろう。
今のように明るくて、周囲に笑顔を振りまく可憐な人だったのかもしれない。
僕はまた少し魅力的になったフロリーさんと一緒に、バザーを歩き回り、店の相場を交互にメモしていった。
『彼女は有能ね。さすがは大商家ロートシルトの娘といったところかしら』
「うん、同感だよ、リアナ様」
『そうそう、バザーを出ることになったら、フロリーの手を取ってリードしなさい』
「え……? それは、なんだか軽薄な気が……」
『貴方の魂胆を実現するには、彼女ともっと親しくなる必要があるわ』
リアナ様のために屋敷をしばらく貸してもらう。
その魂胆をリアナ様は見抜いていた。
僕は彼女の屋敷を預かりたい。
できれば代わりが見つかるまでの長期間に渡って。
そのためには確かに、ちょっといいところを見せるべきだった。
「ナユタ様、リアナ様はなんと?」
「あ……いや、それは……」
「内緒話でしたか……?」
「秘密なんてないよ! ただ……そろそろ他のバザーを見に行く……?」
「はいっ、一通り回りましたし、そうしましょう!」
僕は彼女ともっとお近付きになりたい。
屋敷全体は叶わなくとも、もっと仲良しになったら、屋敷の離れの小さな塔くらいならお礼に長く貸してくれるかもしれない。
「ぁ……っっ?! ナ、ナユタ、様……」
「さあ行こう! フロリーさんの目利きで、閑古鳥が鳴きっぱなしのうちの店を助けてよ!」
僕はバザーの人混みの中で、フロリーさんの手を引いた。
女を騙すペテン師エドマンドとその息子のせいで、彼女は軽薄な行動を取る男が嫌いかもしれない。
だけど僕はフロリーさんを元気付けたい。
明るい笑顔で彼女の手を引くと、フロリーさんがとても嬉しそうに目を細めた。
本来の髪の艶も戻ってきていて、夕方前の日差しに青紫色が透けて風になびいて綺麗だった。
「ありがとうございます、リアナ様……。おかげさまで、とても気が晴れました……。ナユタ様もありがとう……っ!」
屋敷丸ごと全部、リアナ様のために貸してほしい魂胆があるだなんて言えない。
僕は心やさしい天使を演じて、彼女をバザーの外へとエスコートした。




