・王都でのひとときの生活 - 下級騎士→男爵 -
叔母シオンさんは激怒した。
当然と言えば当然だ。
実の姉を殺され、かわいい姪を虐待されていたとあっては、怒らない方が異常だ。
必ず力になるとシオンさんは約束してくれて、僕たちを家の中に招いてくれた。
だけど少しでもフロリーさんの心が癒えるように、僕はしばらく距離を取ることにして、その誘いを断った。
エンダー卿は夕方頃に帰ってくるそうなので、それまでは城下町をリアナ様と観光して過ごした。
「本当に本当ですか……? 嘘なんて吐いていたら嫌ですよ……?」
『ふふふ……本当よ。もう大丈夫』
やっと傷の痛みが引いたとリアナ様から聞いて、ホッとした……。
でもリアナ様は人に気を使って嘘を吐くような人だ。
本当はすごく痛いのに、隠しているだけかもしれなかった。
『ナユタ、あそこの店のピーチジュースが飲みたいわ』
「桃のジュースなんて珍しいですね。はい、すぐにお届けします」
王都レッドはイエローガーデンを比べると、こぢんまりとしていた。
華やかで豊かではあるけれど、大きさで言えば防壁のないイエローガーデンの方がずっと勝っている。
けれど人口密度はこちらの方が上で、通りを行き交う人々や店を眺めるだけで、味わい深い観光を楽しめた。
・
時が経ち、西の空が薄めた蜂蜜のように色付くと、エンダー卿の帰りを待つためにあの小さくてかわいい家へと戻った。
ところが早めに戻ってみると、エンダー卿は既に帰宅していた。
彼は王城での職務を終え、息苦しい騎士の礼装を脱がずに客人を待ってくれていた。
「ナユタ殿、このたびは姪が大変世話になった。まさか、フロリーがこんな目に遭っていたとは、自分たちは予想もしていなかった……。本当に、なんと礼を言ったらいいか……」
エンダー卿は立派な人だった。
彼は40代後半くらいに見える若白髪のおじさんで、腰にサーベルを吊している。
仕事柄か少し肩筋張ったところがあるようだけれど、それだけ誠実な人柄に感じられた。
「僕はフロリーさんの必死な姿に心動かされたんだ。抗おうとする強い意志に、手を差し伸べずにはいられなかった。ただそれだけだよ」
「そうであるか」
エンダー卿は会うなり僕のことを信頼してくれた。
フロリーさんとは既に話が付いているのか、この居間には姿がなかった。
「……うむ、では自分もナユタ殿と同じように、フロリーに手を差し伸べねばなるまい」
そうは言っても彼は下級貴族だ。
あるのは騎士の名誉くらいなもので、裕福でもなければ権力もない。
「しかし自分が陛下に直訴したところで、陛下からすれば私はただの下級騎士。陛下を動かすのは不可能と言えよう……」
もしエドマンドがイエローガーデンの領主に今回のフォローを依頼していたら、下級騎士の直訴なんて簡単に握りつぶされてしまうだろう。
よって直訴には、もっと高い地位にある人物の後押しがどうしても必要だった。
「そうだ……! 自分の友人に、ビンチャゲハという男爵がいる。彼ならば上に取り次げるかもしれない」
「ビンチャ、ゲハ……? 変わった名前だね」
「男爵殿は名前以上に面白い男だ。ただ……なんというか、即物的というか、少しガメツイというか、善意だけで動く男ではない。男爵殿を動かすには、対価が必要だ」
さっきは友人と言ったのに、エンダー卿は頭を悩ますようにこめかみに指を置き、まゆをしかめた。
到底、そのビンチャゲハという人を信じたくなるようなリアクションではなかった。
「その人、信用できるの……?」
「友人と取引相手に限れば、誠実な男だ」
「ええ……っ? じゃあ、友人でもなければ取引相手でもない相手には……?」
「不誠実であると言えよう」
「ぇぇ……っ?」
大丈夫なのかな、その人……。
なんかうさんくさい印象がひしひしと……。
「男爵殿もそうだが、我々のような位の低い貴族は、なかなか大変であるからな……。だが彼は取引相手を裏切らない。そこは保証しよう」
どうしたものかと僕は迷った。
するとリアナ様が声を上げて、僕に『受けなさい』と助言してくれた。
「わかった。でも決断をするのはフロリーさんだ。彼女がその人と取引するというなら、僕も賛成する」
そう返答すると、エンダー卿は気をよくした。
それから急に何かに気付き、何やらマジマジと僕の顔をのぞき込んでくる。
こちらの真意を探っているのかと深読みしたけれど、彼が見ているのは僕の腹の底ではなく、顔の表面かもしれないと思った。
つまり彼は僕の、左目の下に強い興味があるようだった。
「勇者に尽くすために生み出された天使アポリオンは、ここではないどこかの世界に繋がる倉庫に、品物を無限に収納することができたという……」
彼は僕の正体に感付いていたようだ。
3ヶ月前に起きたギルバードたちの裏切りと自滅は、一大スキャンダルとなって国から国へと広がっていった。
エンダー卿もまた、その話をどこかで耳にしたのだろうか。
無限に物を預かれる歩く預かり屋が存在する、と。
「うん、僕がそのアポリオンの最期の1人だよ」
「そうか! ならばこの交渉、きっと上手くゆく!ビンチャゲハ殿の説得は自分に任せてくれ!」
何をさせられるのか少し怖いけれど、フロリーの財産の半分をよこせとか、そういう横暴な要求をされるよりはいい。
僕はエンダー卿の話を正式に受けた。
「ふぅ、これでうちの家計も……おっと、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「家計……? やっぱり大変なんですね、騎士様って……」
「市民は皆尊敬してくれるが、生活の方はというと、切り詰めなければ成り立たぬ有様だ。名誉もパンに塗って食べられればいいのだがな」
贅肉のない頬と腹を撫でてエンダー卿は笑った。
肩筋張った人かと思っていたけど、それは僕の思い込みだった。
「この都の言葉にこんなものがある。『身なりのいい騎士には近付くな』」
「どういう意味……?」
「金を持っている騎士は不正をしている。下手をすれば追い剥ぎをやっているので近付くな、という意味だ」
その理屈でいえば、裕福には見えないエンダー卿は、善良な騎士ということになる。
だけどその善良な騎士は、うさん臭い男爵様と友人関係なのだそうだ。
「恩人を騙したりなどしない。男爵は確かにうさん臭い男だが頼りになる。信じてくれ、ナユタ殿」
「う、うん……」
彼はリドリーさんを邪魔者扱いせず、奥さんと一緒に憤慨してくれるいい人のはずだけど……。
いったい僕は何をさせられるか、少し不安だった……。
相手はエンダー卿も認めるうさん臭い男爵だ。
きっと、うさん臭いことをさせられるに決まっていた……。




