・月下の旅路 - 特別馬車→ミルクパン -
「ちょっと、いいかしら?」
ところがローズお婆ちゃんのやさしい顔付きが鋭いものに変わり、通りがかった宿のボーイさんを止めた。
「これはローズウッド夫人、何かご入り用で?」
ローズは名前だと思っていた。
だけどローズはローズウッドを略した姓だった。
「支配人を呼んでちょうだい。馬車を1台用意させたいの」
「チェックアウトでございますか?」
「ええ、そうなるわ。私は今夜中に王都に向かいます。この子と一緒に」
「かしこまりました。すぐにご用意いたしますので、しばしお待ちを」
「わがままを言ってごめんなさいね」
「いえ、夫人には常日頃、大変お世話になっておりますので……」
リアナ様はこのお婆ちゃんに挨拶をしてから町を去れと、ちょっと非合理的な提案を僕にした。
それは情だけで提案したことではなかったのかもしれない。
リアナ様がローズお婆ちゃんの立ち振る舞いから、彼女の身分の高さを見抜いていた可能性が浮上した。
でもまさか、乗り合い馬車で旅をするお婆ちゃんが馬車を出してくれるとは、リアナ様も想像すらしていなかっただろう。
「驚いた……。お婆さんちゃんって何者なの……?」
「ふふふ~。私は、ただのローズお婆ちゃんよ~」
「いや、でも、僕と一緒にくると危ないかもしれないよ……?」
「そうね……。でも私……明日も楽しみだったのよ……」
「え……っ」
「ナユタくんと一緒にお喋りをしながら、ポカポカの日差しの下で、ゆらりゆらりと馬車に揺られるのが、とても楽しみだったの……」
さっきの気品と鋭さをあわせ持ったあの姿は、いったいなんだったのだろう。
ローズお婆ちゃんはただ一緒に旅をしたいという動機1つで、恐らくは大枚を叩いて、こんな時間に王都行きの馬車を出すという。
『好都合よ……この話に、乗りなさい……。何かあれば、また……私が守るわ……』
『ローズウッド……わたし、どこかで聞き覚えがある気がします……。わたし、その馬車に乗りたいです! お礼を、お礼をお伝えしないと……!』
全会一致だ。ここはご厚意に甘えるとしよう。
フロリーさんが望むなら、詳しい事情を馬車の中でお婆ちゃんに伝えよう。
「僕もローズお婆ちゃんと、明日一緒に旅をするのがとても楽しみだった。お婆ちゃんのご厚意を受けることにするよ。ありがとう、お婆ちゃん」
「ふふふ~。久しぶりの、スリルのある旅になりそうね~」
お金があるのに乗り合い馬車に好んで乗って、そこでお喋りを楽しむこの不思議なお婆さんは、この事態をどこか楽しんでいた。
ローズお婆ちゃんは義侠心があって、粋で、顔はシワシワだけれど、カッコイイ女性だと僕は感じた。
夕飯がまだだった僕は食堂で噂のビーフシチューとミルクパンをご馳走してもらい、しばらくして馬車の準備が整うと、ローズお婆さんの手を引いて馬車室へと乗り込んだ。
それは王都とこの宿を繋ぐ送迎用の物だそうで、8人は乗れる大きな馬車だった。
乗り込むと馬車はすぐに出立し、僕たちはその立派な馬車室に隠され、大切に守られながら夜の闇の彼方に運ばれていった。




