粘土像
まえがき
2023年夏のクトゥルフ短編第3段
文体をがらりと変えて、かなり堅めの言い回しを用いています。
劇中に残酷なシーン(とくに未成年がかかわる)が存在します。苦手な方はご注意ください。
粘土像
上瑠璃という場所をご存じでしょうか?
〝うえるり〟と読む、人口約五〇〇〇人の山間の村です。
数年前、大規模な土砂災害が起こったことで全国報道されたので、名前でピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。
今では完全に復興したばかりか、全国的な過疎化を嘲笑うかのように発展しつつある珍しい地域です。
昨今の田舎ブームに乗って、Iターン向けの開発や企業誘致、観光事業に力を入れ、またそれなりに成果を上げてもいます。
しかし、あの村への移住や旅行を検討している知人がいれば、私はいつも考え直すよう諭すのです。
風評被害と言われるでしょうが、この場で批判をおそれず、述べさせていただきます。
あの村は呪われています。
発展とは裏腹に、上瑠璃にはつねに不気味な静けさが垂れ込めています。
田舎であれば静かなのは当たり前と思われるでしょうが、登校する子供達の列や、昼休みの社員食堂の風景までもが静謐のうちに過ぎてゆくとしたら、それも田舎らしいと言えるでしょうか。
また犬の吠え声ひとつ、野鳥の鳴き声ひとつ聞こえてこないと言えば、私の伝えたい不気味さを分かっていただけるでしょうか。
人々は一見すると行儀がよく、教育が行き届いているように見えるかもしれませんし、ある意味ではそうだと言えるでしょう。
そのおかげで、上瑠璃では犯罪発生率が非常に低く、総合的には日本随一の優良地域だと言えます。
しかし実際のところ、指定優良地区に名を連ねたことはありません。
なぜなら、殺人と、その未遂事件に限っては、上瑠璃は世界でも稀にみる多発地帯だからです。
また重度の精神病を発症する住民の割合も多く、前述の事件のほぼすべてが、彼ら発症者によって行われているという事実もあります。
こうした問題を抱える一方で、上瑠璃には精神病患者専用の病棟を備えた病院がありません。いちじるしい自傷や他害衝動が見られるような重病患者でさえ、村にいるかぎり入院治療が施されることは決してないのです。
村民らもまた、この現状に異議を唱えることなく、それがさも不偏の理であるかのように日々を過ごしています。
直截な事実を述べてしまえば、彼らは殺されるのを待っているのです。
彼らには、もう心はありません。あるいは魂すら失われていることでしょう。
上瑠璃に入った者は、狂人か、生きた人形になるしかないのです。
その上瑠璃も、かつてはごく普通の田舎町でした。
そもそもの発端は五年前のこと。裏山で起こった土砂崩れが麓を小学校を直撃し、土や倒木の撤去作業を行っている最中でした。
当時、その学校の職員だった私も、村の青年団に混じって作業に参加していました。
戦後間もなく建てられたという木造校舎は土砂の直撃に耐えこそしたものの、流木に壁面を破られたり、廊下への土の浸食はひどいものでした。
そのため、作業中の倒壊の危険性もかんがみて「この際、建て直そう」という案が間もなくまとまりました。
現場からは唐突な改築に見えましたが、行政のほうでは以前から校舎の老朽化を把握しており、新校舎の図面も、ほぼできあがっていたようです。
仮校舎としてのプレハブが校庭の隅に造られる一方で、旧校舎は滞りなく解体されてゆきました。
ですが、その最期に、床下から奇妙なものが発見されたのです。
「変なものが出たんですが、先生方、見てもらえますか?」
業者に呼ばれて、私を含め、そのとき手の空いていた数名が現場に向かいました。
それは、漆喰で塗り固められた古井戸でした。
表面が割れて、その隙間から腐食した木製の井戸蓋の一部が覗いていました。
漆喰を崩しきると、井戸の全容とともに、蓋の表面が現れました。
そこには、古風な書体で力強く、
『封 狂龍』
と書かれていました。
由来を知る者はその場にはおらず、ことの異様さから、村の神社に連絡が飛びました。しかし、しばらく前に先代が亡くなり、現在はそのご子息が宮司を継いでおられたのもあって、記録が残っていたとしても、すぐには分からないとのことでした。
その記録探しを待つあいだ作業を中段するわけにもいかず、また埋め戻しても基礎に差し障る、という理由から、急遽、井戸抜きがなされることに決まりました。
御祓いは滞りなく執り行われ、蓋を外して残水が取り除かれました。
そして井戸の底から、一体の粘土像が出てきたのです。
奇怪な像でした。子供が描いた絵に出てきそうな円錐形にデフォルメされた胴体の上に、太陽の戯画のような頭部が乗っていました。丸い輪郭の四方八方に向かって、ゆらゆらと揺らめく角が伸びています。蛸が足を広げているようにも見えました(本数は十を軽く超えていましたが)。
井戸と同様、その像についても誰ひとり心当たりはありません。一見すると造形が変なだけのただの粘土像でしたが、蓋の文字のこともあったので、神社で預かってもらうことになりました。
しかし、それから間もなくして、上瑠璃に異変が起きはじめたのです。
最初は犬や猫、家畜たちといった、動物の異常な行動でした。何にともなく威嚇したり、怯えるようになり、家から脱走するペットが続出しました。野鳥は昼夜を問わず騒ぎ立てて、鳩や雀、カラスですら村から姿を消してゆきました。
そうするうち、こんどは村民のなかに、頭痛や譫妄状態に悩まされる人が現れるようになりました。動物たちのこともあったため、なんらかの公害や感染症が疑われましたが、原因は分かりませんでした。
実際には、発症者は共通して知能指数と感受性が高く、繊細な性格の人ほど症状が重く出るというデータも一部から上がったのですが、結局、深く追求されることはありませんでした。
また、彼らのほぼ全員が悪夢に悩まされていました。
その内容は、私が校の児童から聞けたものだけでも、およそ小学生とは思えない不気味なものでした。
「何本もの手が自分のなかに入ってきて、ぼくの手や足を勝手に動かそうとする」
「みんなで海のなかにいて、自分以外はみんな水に溶けて消えてゆく」
「空から蛇みたいなのがいっぱい伸びてきて、村のみんなを食べている」
それらの夢にはまた〝自身あるいは他者の喪失〟という共通点がありました。ごく少数の子供だけであれば、思春期という〝自他の認識が変わってゆく〟過程で起こる悩みが現れているのだと考えることも出来ますが、同様の症状は、高齢者をふくむ村の成人にも出ていました。
悪夢はその非現実的な場面に反して、異様なまでの現実感をともなっているらしく、彼らは次第に、いまが夢のなかか、現実なのかが判らなくなってゆき、ときに妄想や幻覚症状を示すようになりました。
「みんながドロドロに見える。みんな人間じゃない」
「風の音みたいな大きな叫び声が、ずっと聞こえる」
「蛇が私の足を食べてる」
動物達と同様、彼らもまた次第に精神の均衡を失ってゆきました。
にもかかわらず、彼らの状態が村民らの間で注目されることはありませんでした。
というのも、それと同時に別のある現象が上瑠璃全体で起こっていたからです。
上瑠璃は良くも悪くも田舎町とあって、血の気の多い若者のケンカや暴走行為、気性の荒い住人による諍いごとは日常茶飯でした。
それらが、またたくまに減少していったのです。
彼らはまるで人が変わったかのように気質が穏やかになってゆきました。ですが反面、彼らは有り余るような元気さと一緒に、人間らしい感情をも失っていったのです。
近しい人々にも変貌の原因は皆目見当がつきませんでしたが、あえてそれを追求しようという人もいません。
「別人みたいでも、前の荒くれよりはいいですよ」
中学生の息子の素行不良に悩んでいた保護者の言葉が、全員の意見を代表しているようでした。
しかし、いまにして思えば、その時点であらゆる人が精神に変調をきたしていたのでしょう。
前述の言葉は、文字にすると快活そうに見えます。ですが、その保護者の顔は笑っていても、目にはなんの感情も現れてはいませんでした。
そうして村全体が静けさを増してゆくのに対して、頭痛や悪夢に悩まされる人々は、そういう取り決めがなされているかのように放置されました。
私をはじめごく少数の、何の変調もきたしていない者達は、上瑠璃はどうなってしまうのかとオロオロしながら事態を見守るほかありませんでした。
発症者のなかには外地へ引っ越した人もいましたが、子供の場合はそうもいきません。危機感を覚えた保護者によって上瑠璃から連れ出された子は数えるほどで、ほとんどは村に留まったままでした。
そうした家庭の親は、児童の精神状態が悪化してゆくのを望んでいるかのように、私達が他所の病院を受診するよう薦めても、あの無表情な顔で「考えておきます」や「心配のしすぎです」と言って受け流すのでした。
そうしてある朝、恐ろしい事件が起こりました。
重症化していたひとりの児童が家から登山ナイフを持ちだし、登校中の他の児童達の列に襲いかかったのです。
嘘のような話ですが、私は当日、登校の監視員を務めていたがためにその現場近くに居合わせ、最終的に加害児童を取り押さえるにいたりました。
被害者は死者三名、重傷者四名。いずれも上瑠璃小学校の生徒です。
しかし、これほどの惨事にもかかわらず、村ではほとんど話題にされず、報道もされませんでした。
加害者の年齢が考慮された結果でないことは明らかでした。私に対しても、責任の追求はおろか、ろくな聴取さえなかったのです。
なにより、加害児童がナイフで次々に学友達を突き刺してゆくのを目の当たりにしたとき、私は彼自身ではなく、まったく別の恐ろしい事実に気付き、立ちすくんでしまったのです。
子供達は誰ひとりとして、そこから逃げようとしませんでした。
恐怖に動けなくなっているのではありませんでした。
その逆で、彼らは刺され、殺されることをまったく恐れていなかったのです。
隣を歩いていた友人がめった刺しにされるのを無感情な目で見つめるその姿は、次に凶刃が自分を貫くのを待ち望んでいるかのようでもありました。
「先生、あいつらは違う……違う……」
組み伏せた加害児童がうわごとのように繰り返した言葉の意味を、私はしっかりと理解していました。
それを皮切りに、上瑠璃では陰惨な事件が相次ぎました。
隣家に忍び込んで住民を皆殺しにした青年……子供達を刺殺して自らも縊死した母親……高笑いしながらオフィスでハンマーを振るった会社員。
田舎町とは思えない大量殺人が、二週間に一度という頻度で起こりました。
加害者は老若男女さまざまでしたが、みんな一様に、あの頭痛と悪夢によって心を蝕まれた人々でした。
こうして上瑠璃は沈黙と殺意のなかに沈みつつ、逆比例するかのように再開発の熱を上げてゆきました。それが狂気以外のなにものでもないと確信していながら、私にはどうすることも出来ませんでした。
いいえ、何も出来なかったのではなく、何もしなかったのです。
そのときになってもまだ私は「これは何かの間違いか、一時的な集団ヒステリーで、いずれ皆も目を醒ますか、外地の人間が気付いて手を打ってくれる」という希望にすがって、問題への対処から逃げていたのです――ほかならぬ恐怖と保身のために。
しかし、やがて村の呪いは私にもその爪を突き立てました。
頭痛、思考の不安定さ、そして悪夢が始まったのです。
村の空には、クラゲのような薄ボンヤリとした影がいくつも漂っていて、それらは村人を見つけては顔面に張り付き、彼らの口に頭を押し込んでゆきます。
人々が口からクラゲの足をにゅるにゅると揺らすのは、滑稽である以上に、はなはだ怖気の走る光景でした。
ときおり、クラゲの存在に気付いて引き剥がそうとする村人もいますが、そうするとクラゲはこんどは標的の頭にしがみついて、触手の先端を突き立てるのです。
「痛い……痛い……助けて……!」
触手に刺された村人は助けを求めてきますが、私がなにも出来ずオロオロしているあいだにも、犠牲者は白目を剥き、声にならぬ悲鳴を上げ、狂犬のように涎を撒き散らします。
そして最期には、口にクラゲを詰めた者達を睨みつけ、手当たり次第に殺してゆくのです。
私は最初その悪夢を、あの児童殺傷事件のショックの現れだと思っていましたし、実際にも当時は一種のストレス障害を診断されていました。
しかし、二度、三度、繰り返し夢を見て、自らも浮遊クラゲに襲われて逃げ惑ううちに、私は明確な疑問を抱くようになりました。
ひとつは奴らの目的が「同胞の殺害」ということです。奇異なことに、連中は憑依した相手を殺す側と殺される側に別け、たとえ後者となってもとくに抵抗なく殺されてゆくのです。
そしてもうひとつ、やつらは村の一定の方角から湧いてくるということでした。
それは、上瑠璃の神社のある場所でした。
皮肉にも、このときになってようやく私は、上瑠璃を支配する呪いの存在を確信したのです。
人々の精神の異変と、悪夢のはじまった時期、そして神社。それらを繋げるものといえば、あそこに預けられた正体不明の粘土像しかありません。
私は急ぎ、上瑠璃の神社を訪ねました。
境内は参拝者もおらず、静まりかえっていました。
鳥居をくぐって社務所のほうへ向かうと、偶然にも、宮司が外へと出てくるところでした。
あの粘土像を手にして…………
私の姿を見て、彼は短い悲鳴を上げて身体を震わせました。それだけ怯えていたのでしょう。
目は落ちくぼみ、頬はやつれ、肌は土気色です。彼もまた頭痛と悪夢の犠牲者なのだと、ひと目でわかりました。
「あなたもですか、先生」
向こうも、私の疲れた表情でそれを察したようです。
「原因はそれですね?」
確信をもって私が彼の手にしたものを指すと、彼もうなづきました。供養のためにと預かっているうちに、彼のほうでなにか掴めたのでしょう。
「それがなにか、解ったのですか?」
彼はまたうなづきましたが、
「やらなきゃいけないことがあるので、そのあと、お話を……」
と、本殿の裏へ回り、斜面の階段を昇ってゆきました。私もそのあとを追います。
宮司が立ち止まったのは、地面になかば埋められたコンクリート製の貯水槽でした。高低差を利用して山からの地下水を貯めておくためのもので、水は神社の手水にも回されています。
その槽のうえに登ってステンレスの蓋を開くと、宮司は万感の恨みを込めるかのように、震える腕を高く上げてから、粘土像を放り込みました。
「これでいいはずです、きっと」
疲れ果てた様子で降りてきた彼の顔には、達成感と不安感がない交ぜになっていました。
「最初から、妙なものを感じてはいたんです。呪いとか、憑きものとは別の……」
社務所の応接室に招かれ、私は宮司から事情を聞きました。
「そのうち村の人達が奇妙なことになって、私も体調を崩し、恐ろしい夢を繰り返し見るようになりました。それで、あの像が見つかった時期と合いますし、これはいよいよ何かあると思って、神社の記録に何かないかと、遺品や倉を探して回っていたんです。それでようやく……」
そう言うと、彼は戸棚から一冊の本を取り出しました。古めかしい、四つ目綴じの和本でした。
それは、この神社の社務日誌でした。ですが、普通の日誌とは趣を異にしているのが、題に表れていました。
『社務日誌 異録』
「父ではなく、曾祖父の代のものでした。御祓いとか、曰く付きの案件はこちらに纏められていたんです。すべてをお見せするわけにはいきませんが……」
彼の手が黄変したページを開きました。
流麗な筆致に、私は一瞬、なにが描かれているのか分かりませんでした。
丸い頭部から幾本も突き出した触手に、円錐形の胴体――それは紛れもなく、あの禍々しい粘土像の絵でした。
添え文にもしっかり『狂龍』と書かれていますが、振られたルビは、私の想像とは異なるものでした。
――くるうりゅう――
「曾祖父は夢のなかで〝くるうりゅう〟という言葉を聞いて、この字を当てたようです」
日誌によれば、ある日、山に入った村民が山中の泉に落ちてしまい、その水底でこの像を見つけ、持ち帰ったのだそうです。
古い山の民の御神体かもしれず、また捨ててくるのも気が引けたため、供養するために神社で預かることになりました。
そして、この日を境に村人達の様子がおかしくなり始めたのです。
その症状も、いまの上瑠璃で起こっているものとまったく同じでした。
勤勉ながら抜け殻のようになる者と、頭痛と悪夢に悩まされ正気を失う者。
殺される者と殺す者。老若男女の差なく、村人はどちらかに別れてゆきました。
「私達の曾祖父の代で、一時期、人口が激減したのをご存じですか」
彼の言葉が、私の心をざわつかせました。
「村の記録には飢饉と疫病が原因とされていますが、本当は違ったのかもしれません」
そう言いながら、宮司はまた日誌のページをめくりました。
彼の曾祖父も早い段階で悪夢を見ていました。詳しい内容は記されていないものの、夢のなかで何度も「くるうりゅう」という名が叫ばれるのを聞いて、あの像が一種の御神体であると気付き、〝狂龍〟の字を当てました。
当然、像の破壊も考えられましたが、果たされませんでした。相手は存在するだけで村ひとつを狂わせつつある呪物。壊せば、それこそどんな災厄が解き放たれるかもわからない。そう思ってしまうと、恐ろしくて手を下すことが出来なかったのです。
そこで取られた手段が〝見つかる以前の状態に戻す〟ことでした。
泉の底にあったなら、水に沈めればどうか。
はたして、水を張った桶のなかに像を沈めたその日、曾祖父さんは久しぶりに悪夢のない眠りを得ることが出来ました。理由は定かではありませんが、水が像の呪いを妨げるのです。
確信を得た曾祖父さんの手によって、像は境内にあった古井戸に投げ込まれ、木蓋と漆喰によって厳重に封をされたのでした。
「境内? 井戸は小学校の下にあったんですよ?」
私が訊ねると、宮司は思いもよらぬことを口にしました。
「この神社、祖父が引き継ぐ直前に、今の場所に移築されたんです。もとは、あの小学校の場所にありました。村の人口推移を見ると、像が封印されてからは、うなぎ登りに増えています。それで村にも小中学校が建てられました。その時期と、神社がここに移った時期も重なっています。この神社の権力も今よりずっと強かったようですから、曾祖父が手引きしたんでしょう。大工にも外地の人を雇って、村の人間に知られないよう、校舎の下に井戸を隠したんです。学校の下なら決して暴かれないと踏んで」
彼の言葉には、諦観と皮肉が込められていました。
「誰にも真実を伝えられなかった曾祖父の気持ちも分かります。村人に像の居場所が知れたら、盗みだす奴が現れるかもしれませんし」
そういう宮司の目は、こうして向かい合っている私のことをも、心の底からは信じていないと言いたげでした。
「何をどうしたところで、像はいつかは水から解き放たれるでしょう。かといって私には破壊する勇気はありません。何もかも曾祖父と同じです」
彼の疲れ切った心が手に取るように分かりました。
こんにち判明している村の歴史には限りがありますが、宮司の曾祖父の代に山中の泉から像が発見されたことを考えるに、上瑠璃では遙か昔から同じことが繰り返されてきたのかもしれません。
「けれども、あなたがまた水に沈めたなら、今度の呪いも終わったんですよね?」
「少なくとも、悪化はしません」
悪化はしない――その言葉の意味について問うた私に告げられたのは、ひとつの絶望でした。
像の呪いによって変えられた人の心は、もう二度と元には戻りませんでした。だからこそ、宮司の曾祖父は像を封じたあとも村人を信用しなかったのです。
そして人形のようになった人々は、植え付けられた習性のとおり、狂人に殺させるために子孫を増やし、一方の狂人達は症状が治まり正気に戻ったため、出生と殺生のバランスが崩れ、村の人口は増えたのです。
「私には、曾祖父のような権力も財力もありませんから、こんな小さな村のどこかに、誰にも知られずに隠すなんて難しいですね。せめて、この境内にまた井戸でも造って、水が涸れないよう、死ぬまで見張るくらいです」
遠い目をしながら、彼は笑っていました。
一ヶ月後、私は退職し、上瑠璃村を出ました。両親が他界していたこともあって、後ろ髪を引くものは少なくて済みましたし、引く者がいたところで、それはもはや、私の知っている誰かではなかったでしょう。
そして、そのわずか半年後、私の恐れていたことは早くも現実のものとなりました。
この話の最初で私が述べた、大規模な土砂災害です。
それが起こったのは、あろうことか例の神社の斜面でした。地滑りと土石流の直撃を受け、神社は貯水槽もろとも跡形もなく粉砕され、麓に流されてしまいました。
宮司の遺体も、像も、いまだ見つかっていません。
しかし、少なくとも像のほうは間違いなく、地上に出ているのです。
いま現在の上瑠璃の姿が――善良で繊細な人々が狂人に変えられ、彼らによって殺されるための物言わぬ贄が生み出され、かき集められている狂気の連鎖が――その証明です。
今度ばかりは、像の所在が不明であるがために、その終息は二度と訪れないかもしれません。
〝狂龍〟と呼ばれたあの像がいったい何もので、どういう由来で上瑠璃村にあり、また如何なる目的であのような呪いを振りまくのかは、もはや確かめるすべもありません。
しかし実際に悪夢を見て、村の惨状に触れた身から言わせていただくと、あの像から感じられたのは「呪い」や「悪意」と呼ぶのもおこがましい、大きな意志であり、摂理でした。
善悪ではなく、あたかも水が高みから流れ落ち、我々が息をするようなものです。
宮司の曾祖父が当てた〝狂龍〟という字は、あの像の正体を言い得ているようでいて、そのじつ表層をなぞるものでしかありません。
〝くるうりゅう〟とは人間の意思や知恵で量れるようなものではないのでしょう。私達にはその正体を知るすべなどなく、存在の前にただ魂を蝕まれるほかないのです。
あの忌まわしい〝くるうりゅう〟を探すために上瑠璃の土を踏む勇気は、私にはありません。
告白すると、興信所にも何度か捜索を依頼しました。いずれの探偵も、村に入ったきり音信を絶ちました。
いまでは、あの村がまるごと湖の底にでも沈むことを、ただただ祈るだけです。
あとがき
さいごまでお読みくださりありがとうございました。
言わずもがな、「くるうりゅう」は「クトゥルー」の音写です。
また「上瑠璃」は「ルルイエ」を「ruruie」と書いて「ueruri」と並べ替えたアラグラムです。
それでは、また別の作品でお逢いしましょう。