未来への一歩
剣聖、レイナ・ヴァーミリオン。
この名を知らない人間はこの世界には存在しないと言っても過言ではない人物だ。
数多の魔物を屠り、数多くの戦場を駆け、王国の剣として多大な功績を残した人物。
剣士として最高の頂まで上り詰め、ついには十年間終わらなかった戦争を終わらせるに至った英雄。
そんな伝説の人物が今、フェイの目の前に現れ、助けたのだ。
実際に目にしたのは初めてだが、見た目は伝えられている通りだったのだが、その事実を受け止めることができず、ただ見つめることしかできなかった。
何も言わずにいると、レイナはフェイに近寄って頭を撫でた。
「少年、君の頑張りのおかげで間に合った。あとは私に任せな」
優しい声でフェイを安心させるように、柔らかく微笑んだ後に剣聖は目の前から姿を消し、気づけば魔物の目の前に移動して瞬きをするような短い時間で、魔物は一切の抵抗を許されずに全身切り刻まれ消滅した。
剣を振る動作すらフェイには見えなかった。
「一瞬で……」
あまりの出来事に声を失うが、驚くのはそれだけではなかった。
剣聖は大型の魔物を倒した後、村にいるの魔物を倒し始めたのだが、その光景は戦いではなく殲滅だった。
瞬間移動のように一瞬で魔物に近づくと、近寄られた魔物は全て一切の抵抗を許されずに切り刻まれ消滅していく。
フェイたちが逃げまわった魔物たちが、一切の抵抗を許されずに切り刻まれていくその様は圧巻だった。
「すごい」
他にも多くの感想を抱いたのだが、剣聖の今の姿を現す言葉はこれで十分だった。
その後、村に残った魔物も数分とかからず全て剣聖によって切り刻まれた。
倒れたまま剣聖の戦う姿を見て、いつかこんな風に戦いたいと強く憧れ、気づけば力が抜けていたはずの手を強く握っていた。
「これを飲みな」
剣聖は魔物を倒し終えて戻ってくると、フェイに緑の液体が入った瓶を渡した。
その瓶は回復ポーションのようで、飲むと全身の痛みが弱まって、立ち上がれるようになった。
「助けてくださり、ありがとうございます。その、すみませんが、あそこで倒れている俺の父さんにもそのポーションをくれませんか?」
すぐに礼を言い、レイギルにも同じものを分けてもらえるようお願いをするが、剣聖の表情は暗かった。
「……少年、ついてきな」
フェイの願いには答えずに、ただついてくるよう言った。
剣聖はレイギルに近づきフェイを呼ぶので、怪我を治してくれると思ったフェイは急いで駆け寄る。
「父さん! もう大丈夫だよ、助かったんだ。あの人が、剣聖様が俺たちを助けてくれたんだ!」
助かった喜びで大声ではしゃぐフェイを見て、レイギルは優しく笑った。
「そうか、お前は無事でよかった。レイナさん助けていただき、ありがとうございます」
レイギルはフェイに怪我がないことを確認すると、安心して無事を喜び、助けてくれた剣聖へ礼を言った。
「いや、遅くなって済まなかった」
「いいんです、おかげでこの子は無事なのですから」
話している様子を見るに、二人は知り合いのようだった。
だが、話しているだけで一向にレイギルにポーションを渡さない剣聖に我慢ができずに、フェイはポーションを渡してくれるよう催促をする。
「あの、早く俺にくれたポーションを父さんにもお願いします」
ポーションを飲んで怪我が治れば、すべてが解決するとフェイは思ったのだが、レイギルは悲しそうな顔をして、フェイに言い聞かせるように話し始めた。
フェイが一番聞きたくない、残酷な現実を。
「フェイ、いいか、よく聞くんだ。俺はもう助からない」
レイギルの口から出た言葉を聞いて、フェイの頭は真っ白になった。
それも無理のないことで、フェイがここまで頑張ったのは全て、レイギルを助けるためだった。
それなのに、肝心のレイギルは助からないのだ。助けられなかったのならば、フェイが命がけで魔物と戦った意味もすべてなくなる。
「なんで? 俺みたいに、ポーションを飲めば治るんじゃないの?」
フェイはその事実を受け入れることができずに、涙を流しながら僅かな希望を探す。
「残念だが少年、それは無理だ。ポーションは便利だが決して万能ではない。軽い怪我などならすぐに治るが、内臓を破壊されるような怪我を治すのは不可能だ。むしろまだ生きていることが奇跡だ」
その希望を助けてくれた剣聖が消す。
その言葉を信じたくないが、あの剣聖が無理だというのならば、本当にレイギルは助けられないのだろう。
もうレイギルは助けられないのだと、ようやくフェイは理解する。
「噓でしょ、なんで、俺は助かって、父さんは助からないの? なんで……?」
理解したとたん、フェイの目から雫が溢れ、悲痛な声が周囲に響く。
涙は次から次へと溢れ出し、止めることは叶わなかった。
そんなフェイにレイギルは体を起こしてフェイを抱きしめるが、その手は冷たく、生きてる人間の体温ではなかった。
「フェイ、俺を助けてくれてありがとう」
「違う、助けてなんかない。むしろ助けられたのは俺の方だ」
レイギルに感謝をされるが、それをフェイは否定する。
助けるということはレイギルが生きてなくてはならないが、レイギルは死んでしまう。
それならば、助けたとは言えない。
「お前が授かったその能力はとても良い力だ。お前はきっと強くなれる。俺が保証する」
自分は助からないとい宣告されたのに、穏やかな表情でフェイに語り掛けてくる。
「父さんがいたから俺は生きてるんだ。だからお願い、死なないで……」
フェイの視界は、涙で何も見えなくなっていた。
そのままつらい現実など見たくはなかった。
「フェイ、こっちにこい」
レイギルに優しい声で呼びかけられて、いわれた通り近くに移動すると頭を撫でられた。
「いいか、お前はすごいんだ。あの魔物はエルレギオンという、とても強い魔物でそこら辺の冒険者が逃げ出すような相手なんだ。そんな相手に立ち向かったんだ。お前は冒険者になりたいと言ってたが、俺からすればもう立派な冒険者だ。さすがは俺の息子だな」
話すのもつらいはずなのに、笑顔で自慢の息子だと言い切る。
レイギルのその姿を見て、いつまでも泣いているわけにはいかないと泣くのをこらえる。
「父さん……ありがとう」
「強くなって、その力を誰かを守るために使うんだ。お前なら、できるだろ」
だんだんとなでる手の力が弱まってきていることに気づきながら、レイギルに心配をかけないように笑顔を見せる。
弱まっていく手のことを意識しないように、会話に集中する。
「うん、絶対に強くなるよ。空の彼方まで届くくらい俺の名前を轟かせてみせる。だから見守ってくれ、父さん」
途中から泣き顔のような笑顔になりながらも、最後まで言い切った。
それを見たレイギルは安心したような表情を見せ、最後の力を振り絞った。
「さすがは……俺の、自慢の息子だな。フェイ……頑張れよ」
レイギルは最後に激励の言葉を言い残すと、力が抜けた腕が地面に落ちる。
フェイはその腕をつかみしばらく泣き続けた。
数時間後、村の人たちとレイギルの遺体を埋葬した後、二人は隣町に移動して、レイナの話を聞いた。
レイナは武器のメンテナンスをレイギルにしてもらうためにあの村を訪れたようだった。
その話を聞いて、フェイはレイギルに助けられたことを実感する。
レイギルがいなければレイナは村を訪れず、フェイはあのまま死んでいた。
再び溢れそうになる涙をこらえながら、村のあった方向を眺めて立っていると、レイナが近づいてきた。
「あいつからお前の話はよく聞いていた。自慢の息子がいると、よく笑って話してたよ」
レイナはフェイの心中を察してか、レイギルの話を始めた。
レイナの話すレイギルは、村での様子とは異なりフェイを息子と呼んでいたようでなんだかこそばゆく感じた。
「それなら、嬉しいです。今までそんな風に言われたことがなかったので」
「ところで、お前はこの後どうする?」
フェイにはもう身寄りがなく、行く当てもないのでどうなるかは想像がつく。
「まだ、何も決めていません。両親は俺が生まれてすぐに亡くなったので、あの村の人たち以外に知り合いはいません。多分、どこかの孤児院に行くことになると思います」
どうするかと聞かれても、幼く頼る人がいないフェイの選択肢は少なく、高い確率で孤児院のお世話になるだろう。
「そうか、当てがないなら私の弟子になって旅をしないか?」
「えっ?」
唐突に考えもしなかった提案をされ驚くフェイを優しく見つめながら、レイナは理由を説明する。
「ちょうど雑用係が欲しいと思ってたんだ。暇な時間はお前の修業もつけてやるし、どうだ?アタシの弟子にならないか?」
冒険者になりたいフェイにとって、世界最強と呼ばれる剣聖のもとで修業ができるなどまさに渡りに船だった。
「いいんですか?」
だが、ただの子供でしかないフェイがその誘いに乗ってもよいものか迷ってしまう。
目の前の人間は普通の人ではなく、誰もが一目を置くあの剣聖だ。ただ引き取られるわけではない。
「ああ、もちろん。世話になったあいつの息子だ」
またもやレイギルに救われて思わず笑みがこぼれる。
おそらく今までも気づいていなかっただけで、レイギルには助けられていたのだろう。
そんなレイギルのくれたチャンスを無下にするわけにはいかないと、覚悟を決める。
剣聖の弟子になるということは、生半可な覚悟ではやっていけない。だが、フェイはもう目の前で誰かが失う姿を見るのはもう嫌だった。
だから、強くなるのにレイナの弟子になることが一番の近道だ。
「はい、これからよろしくお願いします」
「決まりだな、私の修業は厳しいぞ」
「ついていきます!俺は強くならなければいけないので!」
目の前の人を守れる強さを手に入れるためならば、どんなに苦しい修行だって乗り越えられる。
「そうか、では早速次の町へ行くか。そうだ、これからは私のことを師匠と呼べ」
フェイの覚悟を受け取った剣聖は、フェイに手を差し出す。
「はい! これからよろしくお願いします師匠!」
その手を強く握り、真正面からレイナの目を見て、笑みを交わす。
こうしてレイナとフェイの旅は始まり、運命の歯車は動き出した。もうだれにも止めることは叶わない。