いつだって絶望は希望の後に現れる
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。こんなことが起こるはずがない」
幼いフェイにとって目の前の光景は、到底受け入れられるものではなかった。
視界に映る人だったもの、失われていく命を直視することができなかった。
先ほどまで人の形をしていたものが、次の瞬間には肉塊へと変わるその瞬間を幾つも目に映った。
それを直視し続けることは、フェイの心の崩壊を意味していた。
「そうだ、おじさんに会いに行かなきゃ。もしかしたらなんとかできるかもしれない」
村が襲われている現実から目を背けて、信頼しているレイギルのもとへ行こうとする。
今起きている全ての出来事を一旦頭の隅に追いやって、レイギルに会うことだけに集中する。
そうしなければ、フェイの心は今にも砕けてしまいそうだった。
再び魔物に見つからないように木の後ろに隠れ、木刀に埋め込まれた魔術を発動する。
フェイはまだ魔術を扱うことができないが、レイギルの作った道具に魔力を流せば間接的に魔術を発動させることができた。
所持している木刀には、緊急用として【気配消失】の魔術が埋め込まれていた。
この魔術は魔力が続く限り気配を完全に消すことができて、周囲から自分の存在が気付かれないようになる。
魔術が発動している間は大きな音を出すか、触れたりしない限り気づかれることはない。
「俺の魔力はそこまで多くないから、効果が切れる前におじさんのところに行って、村から出なきゃ。おじさんなら魔物に対抗するための武器が一つや二つあるはず」
大きな音を立てないように細心の注意を払いながら、素早くレイギルの元へ移動を開始した。
移動するときはなるべく、魔物か建物を見ながら歩いた。
決して他のものは見ずに、音も聞かないように……。
魔術のおかげで魔物に見つかることがなく、順調に進んで行くとレイギルの家が見えてきた。
ようやく会える喜びで、フェイの動かす足により一層力が入る。
早くこの地獄から抜けたい一心で、小走りで家へ近づくと、家の横にある倉庫で何かを集めているレイギルの姿を発見した。
周囲に魔物がいないことを確認したのち、魔術を解除して話しかける。
「おじさん!」
突然の声に驚いたレイギルは、振り向いて手にしていた杖を向けるが、声の主がフェイだと分かると、杖を下ろしてほっと息をついた。
「なんだフェイか、よかった無事だったか。でも悪いが、のんきに話してる余裕はない。急いで必要な武器を持ってこの村を出るぞ」
「うん、わかった」
レイギルはフェイの無事を喜びつつも、武器を集めるように指示をした。
フェイはいつも優しい表情のレイギルが、とても真剣な表情をしていたので、おとなしくレイギルの言うことを聞いた。
魔物を退治するではなく、村を出るということは、レイギルにもこの状況を打破することは叶わないのだとフェイは理解した。
「あのさ、おじさん……」
無駄な時間は今フェイたちにはないと分かっているが、指示された武器手に取りながら、どうしても気になって聞きたいことがあったのでレイギルに話しかける。
「なんだ」
レイギルは顔を上げずに武器を集めながら、フェイの話を促す。
フェイも支持されたものを集めながら、か細い声で問いかける。
「村の皆は……他に生き残ってる人は?」
今まで考えないようにしてきたが、レイギルに会えたことで聞かずにはいられなかった。
フェイ自身、今この村がどのような事態に陥っているのかを正確に理解して、村の人たちもどうなったか分かっていたが、それでも希望を持たずにはいられなかった。
レイギルがただ一言、「大丈夫だ」と言ってくれるだけで、フェイはそれを信じて進むことができたのだが、フェイの問いかけにレイギルは沈黙しか返さなかった。
それだけで希望はないのだと、フェイの望む都合のいい真実は存在しないのだと言われているようだった。
「フェイ、今はここから無事に出ることだけを考えて、他のことは全部後にしろ。お前はこの村で唯一の子供だから、とにかく生き残ることだけ考えていろ」
この村にはフェイを除くと、大人しかおらず、不思議なことにフェイと同じ子供は一人もいなかったのだ。
だからその貴重な子供であるフェイは、生き延びなければならないとレイギルは言う。
「うん……わかった」
フェイも今は自分が生き延びることのみに意識を切り替える。
ここから先は余計な思考が命取りになる。
「フェイお前はどうして、どうやってここに来たんだ?」
作業を続けていると、レイギルからなぜこの場所に来たのかを尋ねられた。
「えっとね、川で休憩してたらリザードマンを見つけて、急いで村の皆に伝えようと帰ってきたんだけど……そうしたら魔物が村を襲ってたんだ。でも、おじさんならどうにかできるかと思ってここに来たの。この木刀にはおじさんの埋め込んだ魔術があったからそのおかげでここにこれたんだ。ねぇおじさん、いったい何があったの」
一息で早口にここに来るまでの経緯を説明し終えたフェイは、今度は逆になぜ村に魔物がいるのかを質問した。
レイギルは話すべきかどうか一瞬迷っているようだったが、フェイの覚悟の決まった顔を見て話すことにした。
「細かいことは俺にもよくわからないが、さっき突然魔物の大群が村に現れた。戦おうとも思ったが、俺がどうこうできる強さの魔物じゃなかった。村の人たちも突然のことにパニックになり、戦う前にほとんどがやられた。残念だがフェイ、俺にはどうしようもできないから、戦わずに逃げるぞ」
フェイはレイギルからこれまでの状況を聞いて、ここにある武器を使って自分が戦うと言いたかったが、レイギルの悔しそうな表情と魔物の大群を思い出し、口を閉ざした。
今フェイが戦い、命を落としたらそれこそ何の意味もなくなってしまう。
村の人たちのためにできることは戦うことではなく、生き延びることだ。
「それでどうやって逃げるの。この木刀の魔術は1人用だし、俺の魔力もあまり残ってないよ」
戦うことを諦めたフェイはどうやってこの村から脱出をするかを尋ねた。
戦闘を避けるとなると、レイギルの道具の魔術で応戦することになるが、フェイはまだ子供で魔力量が少なく、さらにレイギルと合流するまでに魔力を消費している。
レイギルは集めた道具の中から一つをカバンから取り出す。
「俺たちに移動速度を上昇させる魔術をかけて、走って村の外に逃げる」
レイギルの作戦はいたってシンプルなものだった。
仮に戦闘をすれば周囲の魔物寄ってきて、逃げ場がなくなってしまうのでこの方法しかないのも事実だった。
魔物が寄ってくればその全てと戦う羽目になり、そのような余力はフェイたちにはない。
だが魔物を無視して走り抜けるとしても、魔物と完全に戦闘を避けるということはかなり困難だ。
そんなフェイの不安もレイギルはすでに対策済みのようで、自信満々に杖をフェイに見せる。
「逃げている途中で近づいてきた魔物は、この【破壊砲】で吹き飛ばす」
道中の魔物への対策としてレイギルが提案したものは杖に埋め込まれた【破壊砲】という魔術で対抗するということだった。
この魔術は使用者の魔力を込めれば込めるほど、威力の高い魔力による砲撃ができ、発動する際に威力を下げて衝撃だけを強くすることで、傷を与えることはできないが、魔物を吹き飛ばし道を作ることができるとレイギルはフェイに説明した。
「後ろの柵を壊して森の中に逃げるのはダメなの」
レイギルの話を聞いていてふと疑問に思ったフェイはレイギルに提案したが、すぐに否定されてしまう。
「この柵は魔術に対して強い防御力を有していて、【破壊砲】で壊すのは無理だ。だから村で唯一の入り口から外に出るしかない」
柵を壊せれば簡単に逃げられると期待したが、どうやら村の周囲をかこっているこの柵はフェイの想像よりも、はるかに頑丈だったようだ。
改めて周囲の柵を見てみると、魔物が暴れているというのに壊れている部分がなく、どうやら柵は魔術にだけでなく、物理攻撃にも強い耐性があるようだった。
破壊することを諦めて魔物が暴れている中を走り抜ける覚悟を決める。
「最後の確認だがフェイ、能力は授かったか」
レイギルは期待するような表情でフェイに能力の有無を聞くが、残念ながらフェイはまだ能力を授かってはいなかった。
「ううん、まだ授かってないよ」
「そうか、わかった」
フェイの報告を聞いたレイギルはすぐに気持ちを切り替えて、自分たちに移動速度上昇の魔術をかける。
「よし、準備はいいか」
「うん、いつでもいいよ」
フェイは自分にもしも能力があれば、という迷いを振り払い準備完了の返事をする。
もしもなんて仮定は考えても仕方がない。
ないものは無いのだから、今あるもので行動しなければならない。
「よし、行くぞ」
レイギルを前にして走り出す二人だが、気配消失の魔術がないのですぐに魔物に見つかってしまう。
「前方から二体来るよ!」
接近してくる魔物は小型のものが二体。
レイギルは近づかれる前に、魔術を起動する。
「破壊砲!」
杖から放たれる魔力の衝撃波によって、二体の魔物はたやすく吹き飛ばされた。
「すごいよ、おじさん!」
「安心するのはまだ早い。褒めるのは村から無事に出てからにしてくれ」
興奮するフェイとは対照的に、レイギルは冷静だった。
自分たちのいる状況が決して油断できるところではなく、一瞬の判断ミスで命がなくなる危険な場所だと知っていたので決して期は抜かなかった。
そんなレイギルのおかげでその後も順調に魔物を対処して、なんとか村の出口が見えてきた。
「やった、もうすぐ出口だよ!」
「そうだな。村を出れば木々で身を隠しやすくなるから、だいぶ楽になるな」
出口が見えたことで少し気が緩んでしまった二人だが、その直後絶望が大きな破壊音と共に村の出口から現れた。
音がした方向に視線を向けると、大きな竜の見た目の青い魔物が、頑丈な柵を破壊しながらこちらへ進んできていた。
今まで進んできて壊れている部分を一度も見たことのなかった柵が、あの魔物にとっては障害にすらなっていなかった。
竜の全長は普通の一階建ての建物よりも大きく、全身は空のように青く、翼はないので一般的に地竜と呼ばれるものに似ていた。
「おじさん、あの魔物は何」
村の中にいたどんな魔物よりも大きく強そうに見えたので、どんな魔物なのかレイギルに聞くが、聞かれたレイギルは魔物を見つめたまま呆然として返事はなかった。
「嘘だろ、なんでこんなところにあいつがいるんだよ」
フェイの声が聞こえないのか、何かぶつぶつと呟いていた。
「おじさん!どうすればいい」
呆然として独り言をぶつぶつと言っているレイギルに大きな声で呼びかけて、すぐに対応を聞いた。
フェイの二度目の声でようやく我に返ったレイギルは瞬時にやるべきことをシュミレートし、フェイの方を向いて今まで見たこともないような真剣な表情で話しかけてきた。
「フェイいいか、よく聞け。今から俺が【破壊砲】でアイツの注意を引き付ける。だからその間にお前は【気配消失】の魔術を起動して、絶対に振り向かずに走り抜けるんだ。いいな」
これまで二人で逃げていたのに、突然一人で逃げるように指示されるが、あまりにも急なことだったのでフェイはすぐに返事ができなかった。
今まで二人で逃げると思っていたので、レイギルを一人残して脱出することに抵抗があったのだ。
確かにこの作戦がうまくいけばフェイ一人なら簡単に逃げれるかもしれないが、残ったレイギルは巨大な魔物と村の中の魔物を同時に相手をすることになる。
そのことがいかに困難なことかは、幼いフェイにもよくわかっていた。
だから余計に一人で逃げることが嫌だったのだ。
「でも、おじさんはどうなるの」
本当はどうなるか理解していたが、何か作戦があるのではないかと微かな希望を求めた。
聞いてはならないと理解しつつも、聞かずにいられなかったフェイを責めることはできない。
「大丈夫だ。破壊砲の他にも武器はある。お前が先に逃げてくれれば、俺一人ぐらいどうにかなる。心配すんな」
頭をなでながらやさしい顔で説明されるので、「嘘だ」と言おうとしたがフェイは何も言えなかった。
仮にフェイが共に残ったところで、足手まといにしかならないことがよくわかっていた。
魔物から逃げるのはどちらかが注意を惹かなければ困難なので、一緒に逃げようという言葉を飲み込んで精いっぱいの笑顔を作る。
「わかったよ。でも絶対に後でまた会おうね」
それに対してレイギルも笑いながら言った。
「ああ約束だ、絶対にまた会おう」
最後にフェイの姿を焼き付けるように見た後、レイギルは再び真剣な表情に戻り、この後の卯木気を説明した。
「いいか、合図をしたら俺は左に向かって移動しながら【破壊砲】を打つ。あいつが俺にむかって移動したら出口から逃げろ。村を出たら、隣町へ向かって保護してもらえ。いいな」
「うん、わかった。いつでもいいよ」
レイギルは最後にフェイの頭を優しくなでてから、覚悟を決めて魔物に向かって走り出した。
「フェイ……元気でな。【破壊砲】」
フェイはレイギルが攻撃を始めるのと同時に【気配消失】の魔術を起動する。
【破壊砲】は寸分違わず魔物の顔へ直撃し、魔物は攻撃をしてきたレイギルを睨みつけた後、ゆっくりと地響きを立てながらレイギルへ移動を開始した。
それを確認したフェイは全力で出口に向かって走りだした。
フェイが村の出口へ向かう間にも絶え間なく【破壊砲】が魔物の顔面に打ち込まれるが、魔物にダメージはない。
ダメージはないが、顔面に絶え間なく与えられる強い衝撃に、魔物はひるんでいるようだった。
一度、レイギルの心配をして戻りたくなったが、それではレイギルの覚悟を無駄にすると、ただひたすらに【破壊砲】の音を聞きながら一生懸命走り続けた。
もうすぐ村の外に出れる時、後ろで肉が潰れるような音がした。
フェイは違うと頭によぎった考えを否定したかったが、先ほどまで絶え間なく聞こえていた破壊砲の攻撃音が同時に収まった。
絶対に振り向くなと言われていたが、嫌な想像が頭から離れず振り向かずにはいられなかった。
ゆっくりと振り返り、音のした方向を見ると、フェイの近くに魔物に吹き飛ばされたと思われるレイギルが倒れており、その周囲には赤い液体が水たまりを作っていた。