陰謀の末路
直接的な表現ではありませんが、冒頭と最後に若干の暴力的表現がございます。それを踏まえてお読み下さい。
「なぜ……………こんな事に……………」
モニカは呻いた。
彼女の首には金属で補強された分厚く頑丈な木枠の枷が嵌められ、それに首と両手首を拘束されている。そして両の足首には鉄鎖と重しの鉄球。
美しかった蘇芳色の髪は無惨にも短く刈られ、深みのあった栗色の瞳は苦痛に揺れている。白く輝くようだった肌もすっかりくすんで、薄汚れた身体に纏うのは煌めくようなドレスではなくみすぼらしい囚人服である。
今、彼女が立っているのは王都エル・マジュリートの郊外の広場に組み上げられた櫓台の上である。そして彼女の目の前には枷が丁度嵌まるように設えられた台がある。
枷が重くて彼女は見上げられないが、台の上部に目を向ければ、陽光を受けて鈍く光る巨大な刃が安置されている。
そう、そこは断頭台。
王都の貴族社会に無用な擾乱を引き起こし私腹を肥やし、多くの貴族たちに害を成したと断罪され、彼女は今まさに処刑されようとしているのだ。
彼女は虚ろな目で、断頭台の眼下にひしめく民衆を見下ろした。目に入る誰もが、これから起こることを見逃すまいと彼女を、そして断頭台を注視していた。
その視線にこもるのは侮蔑と、嘲りと、怒りと、そして好奇の光。いずれも今まで彼女が向けられたことのない類のものだった。
本当に、何故こうなってしまったのか。本来ならばマジュリート公爵夫人として羨望と嫉妬と阿りの視線を浴びて、この世の春を謳歌していたはずだったのに。
民衆を挟んで断頭台の向かいには、同じく組まれた特設の櫓台があり、その上には国王夫妻をはじめ国家の重臣たちや大顕位家門の当主たちの姿が見える。
そこに、夫であるオルソンの姿がない事に気付いて、今更ながら彼女は自分たちの“天下”が潰えたのだと思い知らされた。
モニカのいる断頭台に、このタイミングで登ってきた者がいる。
それを視界の端に見止めて、ひとりの若い女の姿に気付いて、彼女の瞳が驚愕に揺れた。
「なんで、なんでアンタがそこに居るのよ!?」
枷に縛られたモニカの喉から怨嗟の絶叫が迸った。
護衛の騎士を連れて断頭台に上がってきたのは、彼女が破滅させたはずのセリアだった。兄であるラングレウ子爵、今はもう正式に爵位を継いだモンテローサ伯爵アメリオも一緒だ。
モニカは思わずセリアの方に駆け寄ろうとする。だが枷は重く、足首の鉄球もあって思うように身体が動かない。それでも二、三歩踏み出したところで、断頭台の後方に控えていた憲兵騎士たちに捕まり、あっという間に押さえ込まれ膝をつく。
セリアの顔に嘲りの色が浮かんで、押さえつけられたままそれを見たモニカは、短くなった髪を振り乱し我を忘れて口汚く罵った。
「とっくに終わったあんたが、今さら出てきてどういうつもり!?それもわざわざ親友の処刑を見物に来るだなんて、いいご身分ね!」
「あら。まだわたくしのことを“親友”だなんて呼ぶのね。そんな安っぽい演技、いい加減止めたらどう?」
「な………なんですって?」
記憶の中と全く違う、嘲りを含んだ棘のある態度を隠さないセリアの姿に、モニカの中で違和感が膨れ上がる。
実際、今目の前に立つセリアは視線からも態度からもモニカへの侮蔑を隠そうともしていない。穏やかで、大人しくてバカ正直なほど素直だった3年前からは考えられない。
「まさかと思うけれど、わたくしをただの素直でバカ正直なだけの、何も出来ない分からない箱入りのお子様だ…なんて、まだ思ってるの?」
「な………!?」
「自分の置かれた状況を鑑みて察しなさいよそのくらい。それとも何?いちいち口で説明してあげないと理解できないのかしら?」
「まさか………全部アンタの仕業だっていうの?」
我が世の春を謳歌していたオルソンとモニカは、ある夜、突然邸に踏み込んできた憲兵騎士たちに拘束され王城の貴族牢にそれぞれ放り込まれた。その瞬間まで彼女たちの身辺にはなんらの違和感も危機の予兆も感じられず、だからそれはまさしく青天の霹靂だった。
どういう事かと詰め寄るモニカに、憲兵騎士は冷徹な声で告発があったのだとだけ告げた。そして次々と提示される証拠の数々に、モニカは恐れ慄くことになった。憲兵騎士が提示したそれはモニカとオルソンが、もっと言えばカタロニア伯爵家とマジュリート公爵家が政敵であるモンテローサ伯爵家とタルシュ侯爵家を罠に嵌めて没落させた陰謀の証拠の数々だったのだから。
何故そんなものが、厳重に隠して、あるいは廃棄して隠滅したはずのものが、なぜ憲兵騎士に掴まれているのか。何とか誤魔化そうとしたものの、憲兵騎士はすでに全容を把握していたようで反論は全て跳ね返され封じ込められた。
そうして簡易な裁判が行なわれ、あろうことかマジュリート公爵オルソンからの告発までもが追加され、その結果として今、モニカはひとり断頭台の露と消えようとしている。
カタロニア伯爵家にも断罪が行なわれ、すでに再起不能なほどの処罰を下されている。父のカタロニア伯爵もすでに爵位を傍系に移され、終身幽閉処分が決まっている。一門も大顕位こそ剥奪されなかったものの、この後はきっとタルシュ侯爵家やモンテローサ伯爵家よりもずっと厳しい立場に置かれるだろう。
「まさか。さすがにわたくしひとりで何もかもやれると思うほど自惚れてはいないわ」
セリアは冷ややかな目でそう言った。
「要するに貴女たちは政争に敗れただけのこと。三家門に加えて至尊さえ怒らせたのだから、当然でしょう?」
そのセリアの言葉で、ようやくモニカは全てを悟った。自分とオルソンとが三家門、つまりタルシュ侯爵家、モンテローサ伯爵家、さらにセリアの母の実家であるアストゥーリア公爵家に加えて、イグナシオの母の実家である王家までも敵に回したのだということに、ようやく理解が至ったのだ。
大顕位三家門に加えて王家にまで敵対されては、こうなるのも不思議はない。保身に走ったオルソンから切り捨てられるのも当然だ。
「ま、心配しなくても貴女の愛する夫にもちゃあんと罰を与えてあげますから安心なさい。ひとりで逝かせるなんて寂しい思いはさせませんわ」
「いつから………」
「はい?」
「一体いつから、わたくしたちの企みに気付いていたというの!?そしてどうやって暴いたの!?」
「最初からよ」
「……………は?」
「貴女が打算をもって近付いて来ていたことくらい、最初からお見通しでしたけど?もっとも当時はモンテローサ伯爵家とカタロニア伯爵家とは良好な関係でしたし、さほど警戒はしなかったけれど。
でも、モンテローサ伯爵家がタルシュ侯爵家と繋がれば、カタロニア伯爵家が立場を脅かされると危惧するのも当然でしょう?どこと繋がっているのか見極めないといけなかったから、敢えて側に置いていただけよ」
何でもない事のように言うセリアに、モニカは驚きを隠せない。政略も分からない小娘だと侮っていたのに、そうではなかったのだ。
「あの当時、わたくしに与えられていた役目はタルシュ侯爵家との縁繋ぎのみ。だからわたくしは表向き政略にも関わらない比較的自由な立場に見えていたでしょうね。だけれど裏では両家門の“家業”の習得に時間を費やしていたのよ」
モンテローサ伯爵家の“家業”は『諜報』。国内外の様々な勢力を監視し、その情報を集めて王家と国家に貢献することで大顕位を得たのがこの家門である。
そしてタルシュ侯爵家のそれは『謀略』。王家と国家の敵を罠に嵌め、裏で人知れず排除することでやはり大顕位を得た家門であった。
その両家門を繋ぐ者として、セリアには侯爵夫人としての教育と称した、国家の暗部を担うためのエリート教育が施されていたのだ。その厳しい教育と機密情報の数々に、彼女は圧しつぶされそうになって困憊していたのだった。
そんな相手にモニカは自ら近付いたのだ。密かに自分が見定められているとも知らずに。
「そんな………」
「でもまあ、わたくしも未熟でしたわね。両家門を繋ぐ役目に固執するあまり、あんな愚にもつかない失敗をしてしまうなんて。たかが男爵家の娘なんて捨て置けばよかったのに、何故ああもムキになってしまったのやら」
頬に手を当てて大袈裟に嘆息してみせるセリアに、モニカはもはや言葉も返せない。
「ま、それできちんと“獲物”が釣れたのだから、結果としては悪くないのだけれどね」
そう言ってセリアは、もう話は終わったとばかりに憲兵騎士に合図を出す。それを受けて騎士たちがモニカを立たせ、断頭台の方に引きずっていく。
「ま、待って!わたくしが悪かったわ!貴女の力はよく解ったから、ねえ!助けてよ!お願い!」
「何を今さら。最期くらい潔くなさったら?」
「そんなっ!嫌、死にたくない!」
「浅ましいですわよ?」
そうして断頭台に固定され、それでも泣き叫ぶ彼女の首に、無情にも断頭の刃が下ろされた。
これにて完結となります。お付き合い頂きありがとうございました。
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