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その後

 イグナシオには、もっとも重い懲役刑が課されることになった。

 モンテローサ伯爵家令嬢セリアに対する暴行容疑、それに加えて彼女の関与しなかった『メルカド男爵家令嬢ベリンダへの市井での暴行教唆』をでっち上げたことによる名誉毀損容疑、さらにそれを理由とした『不実の理由の婚約破棄』も加味して判断されたのだ。

 物理でも、それ以外でもセリアを加害したと断定された以上、イグナシオが罪を逃れることはタルシュ侯爵家の威光をもってしても叶わなかった。


 彼はそのまま侯爵家へ帰ることも叶わず、裁判による有罪と刑期の確定をもって王城の貴族牢から辺境の監獄へと移送された。

 監獄への収監からほどなくして、イグナシオはタルシュ侯爵家によって『サンルーカル子爵』の爵位を剥奪された。およそ3年にも及ぶ懲役と労役を終えて監獄を出された彼は、無爵のまま実家のタルシュ侯爵家の所領にある領邸にて厳重に幽閉されることとなった。




 その後、彼の姿を見た者はいない。

 病死したという発表すらなかったのは、きっとタルシュ侯爵家にとって元から居なかったもの(・・・・・・・・・・)とされたのだろうと、しばらくイヴェリアスの社交界で密やかに噂されることになったのだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 ベリンダはただ、ちやほやされるのが嬉しかっただけだ。

 前世でも今世でも、周りの人みなに愛された彼女はそれが当たり前だと思っていたし、それが当たり前になるように振る舞っていただけだった。だからセリアを排除する意図もなければその後釜に座るつもりもなかった。

 ただイグナシオを信じて、その言うとおりにしていただけだったのだ。


 だから会場警護の騎士たち、次いで王都治安部の憲兵騎士たちに取り調べを受け、素直にありのままを話したというのに、「数多の貴族子弟を誑かした悪女」と決めつけられて愕然とした。

 もちろん抗議したが、通るはずもなかった。大顕位たるタルシュ侯爵家とモンテローサ伯爵家に都合のいい判決が最初から(・・・・)決まっていた(・・・・・・)などとは彼女には理解しがたいことだった。

 学院は退学処分になり、寮の私物を整理することも、親しい人たちに別れを告げることも叶わなかった。



 彼女は王都から遠く離れた僻地の、聖典教の地方教会付属の修道院に送られた。


 イヴェリアスは西方世界では珍しく、万物の根源たる五色の魔力(マナ)による加護を得た神々を、同じ加護を得た人々が信奉する宗教“イェルゲイル神教”に勝るとも劣らぬほど“聖典教”の布教が進んでいる。聖典教とは、唯一神から下された戒律を記した書『聖典』を奉じ、その教えに従う新興宗教だ。

 その聖典教には各地の教会に付属する修道院や孤児院、療養院などがあり、この国では貴族の罪人がそこで奉仕活動に従事することが多かった。ベリンダが魔術を良くするのであれば療養院で治癒と回復の手伝いをさせられたのだろうが、残念ながら彼女は魔術はさほど得意ではなく、外界と関わりの少ない修道院に閉じ込められることになった。


 3年経って、修道院での生活にも何とか慣れてきた頃、イグナシオが監獄を出されて侯爵家の領地で療養生活に入ると風の噂で聞いた。会いに行きたかったが、自由の身でない彼女には無理なことだった。

 それと同時期に、学院での先輩で在学中に何かと相談に乗ってくれていた女性が処刑されたという噂も聞いた。優しい人だったから俄に信じられず、だが情報の少ない僻地では詳細を確認することも叶わず、ただ悲しみに暮れて冥福を祈ることしかできなかった。




 ベリンダはそのまま、聖典教の修道女として一生を終えた。はっきりと言葉にして刑期の終わりを告げられたことはなかったが、ある日を境に待遇がガラリと変わったので、後から思えばそこが彼女が赦されたタイミングだったのだろう。

 だが彼女は修道院を出なかった。今さらという気もしたし、何よりも貧しい人々を助けて感謝される日々にやりがいを感じるようになっていたからだ。



 結局のところ、彼女はどこまでも人に愛されることを望み、愛されるように生きることしかできない人だった。もっと器用に、ずる賢く立ち回ることができれば彼女の生涯は全く違ったものになっていたのだろうが、それができないのがベリンダという女だった。


 彼女が最終的に幸せだったのかは誰にも分からない。ただ記録に残っているのは、最期のその時まで彼女が修道女として立派に務め上げたという、その事実だけである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 セリアもまた、罪に問われてその罰を受けることになった。

 もっとも問題視されたのは拉致監禁容疑である。


 憲兵騎士がイグナシオに語ったように、この国には貴族に対する犯罪行為を厳しく罰する法がある。被害側と加害側の身分の上下の如何を問わず、暴行、傷害はもちろん脅迫も詐欺も暗殺も、トラブルの元になる行為は概ね罪に問われる。唯一例外なのは決闘だけだ。

 なぜならば、貴族を“処分”できるのは唯一王家だけであるからだ。

 だから当然、騙した上での拉致監禁もアウトである。セリアはそれを当然知っていたはずなのだが、全くもって従おうとしない男爵家令嬢に業を煮やすあまり、超えてはいけない一線を超えてしまったわけだ。


 家のことを思うあまり、家門同士の政略を重んずるあまり、セリアは過ちを犯した。本来ならば彼女は自分では何もせず父の伯爵に報告すべきであったのだ。だが彼女はそうしなかった。もしもあと少しだけでも冷静であれたのなら、きっと彼女は間違わなかっただろうに。

 そして当初、裁判で彼女は容疑を認めようとはしなかった。これもまた彼女の判断ミスであった。独断で動いて事態を悪化させた事を何とか誤魔化したかったのだろうが、それが量刑に影響したことは否めない。



 彼女は結局、王城の貴族牢に2年近くも軟禁され再教育を課される事となった。

 イグナシオとの婚約は当然解消、その上で前科が付いた彼女に婚約を申し込む者などもう皆無に等しい。2年経って伯爵家へと戻されたが、そのまま領都の伯爵家本邸へ引っ込んでしまって、結局その後社交界で彼女を見ることは遂になかったという。




 モンテローサ伯爵家とタルシュ侯爵家はともに家勢を大きく衰えさせることになった。イグナシオとセリアの婚約の解消とともに両家の提携も事実上立ち消えになり、すでに動き出していた多くの事業も取りやめとなった。

 加えて侯爵家には婚約解消による多額の賠償金が重くのしかかり、しかも継爵によって前当主セベリアノが政界を去ったことで、侯爵家は一時的にせよ大顕位家門の中で最下位の地位に甘んじることとなった。もちろん、そのひとつ上はモンテローサ伯爵家である。

 伯爵家もまた、能吏として知られた当主エミディオが失意のうちに総務官長の職を辞し、家督も嫡子のラングレウ子爵アメリオ・デ・ヒメネス=アストゥーリアに継がせて早々に領都へと引っ込んでしまった。ゆくゆくは宰相に、との呼び声も高かったエミディオを国王フェルディナンド8世は何とか慰留しようとしたが、彼の辞意は固く、翻意させることは叶わなかった。




 セベリアノもエミディオも政界から姿を消し、代わりに台頭したのはマジュリート公爵家とカタロニア伯爵家である。マジュリート公爵家は元から筆頭公爵家であり大顕位家門の最高位としても君臨していたが、若き当主オルソンが宰相に就任したことでその権勢はいよいよ高まった。

 裁判からおよそ半年後、オルソンは正式にカタロニア伯爵家令嬢モニカ・デ・グラシア=アシャンブラとの婚約を発表し、約1年の婚約期間を経て婚姻に至った。麗しき美貌の青年公爵と、貴族学院首席卒業生のご令嬢の盛大な結婚式はそれはもう華やかで、式の執り行われた聖典教の王都中央大教会には世紀のカップルをひと目見ようと、貴族も庶民も多くの人々が詰めかけて大変な混雑になった。

 この時期が、マジュリート公爵家の絶頂期だったと言えようか。




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[良い点] うん、頭良くは無かったけど、悪い子ではなかったもんな 愛し、愛されるのを望むなら天職だったかもしれない [一言] モニカに天誅下ったか まぁ親父さん達、調査してたもんな
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