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祖父の遺ししもの。

人外が苦手な方はご注意ください。

その昔、山奥にあるその村は山の神の化身である狼神(大犬とも言われている)に生贄を捧げていた。

その昔がいつの話かは私は知らない、小さい頃に遊びに行って猟師であった祖父が語ってくれたことをほんの少しだけ覚えている。

小さいながらに“生贄”という言葉を随分と怖いと思ってしがみついて泣いたものだった。

その祖父も数ヶ月前に亡くなり、山奥の祖父が住んでいた家は誰も居なくなった。




『あの家は取り壊すの』


母は電話口でそう言った。

祖父は年をとって母が呼び寄せようとしても頑としてウンとは言わなかった、小さい頃から育ったあの家で死ぬと言って。

確かに幼い頃に会っていた祖父は都会よりも山の、田舎の方が似合っていた。山のことを何でも教えてくれて山菜や棲んでいる動物達のことも教えてくれたことをおぼろ気ながらに覚えている。

『更地にして売るの?』

『ええ、遺言状にはそう書いてあったから。あと、壊す前にあなたに一度は見に来てほしいって書いてあったわ。あの事があってからおじいちゃんちには行かなくなってしまったから・・・』

『あぁ・・・うん』

私は思い出してズキリと痛みだした右腕を見た。

今は長袖で隠されているけれどその下には酷い傷跡がある。

『あなたが唯一の女の子の孫だから・・・今はもう野犬はいないようだけど一応、いとこの和くんと行ってあげて頂戴』

『分かった』

祖父は好きだったけれどあの事があってから行かなくなってしまった、両親も娘がまた酷いことになるのを恐れて祖父の家から足が遠退いたのだった。

私は通話を切って息を吐き、袖を少しまくる。


整形しても消えない傷――――――


2本の穴の跡が生々しい、幼い頃の傷だというのに。


「食いちぎられなくて良かった」


誰かがそう言ったのを覚えている。

あれは祖父の声ではなかった・・・低い男の人ではなく、まだ若い人の声。

熱くて激しい痛みに泣き叫び、次第に薄れ行く意識の中で私は聞いた。

誰の声だったのだろうか、私を野犬たちから助けてくれた人なのだろうか。

今となってはその時の事を知っている祖父が亡くなってしまって、詮索も出来なかった。



祖父の家は飛行機と電車を乗り継ぎ、車で行かなければたどり着けないほどに遠い。

3才違いのいとこ、和くんと観光がてら行ったので辛いとは思わなかったのは良かったと思う。

『相変わらず遠いよなあ、じいさんち』

『うん』

ガタゴトと山道をSUV車で登ってゆく、山道に覚えはなかったけれどなんだ懐かしい気はする。

空気も心なしか澄んでいるような感じ。

『未央、泊まるって言ったけどさ、一人で大丈夫か?』

和くんは心配げに言う。

『大丈夫だよ、もう野犬は居ないって』

『でもさ、あそこ一軒家なんだぜ。女一人じゃ心配だよ』

『ありがと、でも一晩だけだから』

人も入ってこられないような一軒家でもある、それも祖父は自慢していた。

『・・・豪気すぎ、なんかあったらすぐ電話しろよ』

『うん』

痴漢撃退スプレーもあるし、私は多少の護身術の心得もある。

山道がやっと開けてきた、人工的に開かれたような場所。

『おお、あれか』

その先に、平屋の家が見えてくる。

その光景に幼い頃の記憶が微かに蘇ってきた、随分と来ていなかったと思う。

バタン。

車から降りて全体を見回す、本当に山の中にある。

周囲はうっそうとした雑木林に囲まれていて夜になると真っ暗になるのだろうと思う、泊まるのは失敗したかなと思った(苦笑)

『ボロじゃないけどさあ・・・』

和くんが言いたいことは分かる。

『おじいちゃん、どこかに居るかも』

私は笑って玄関の鍵を開けた。

一晩過ごすための荷物を持ち込み、和くんがブレーカーを入れてくれた。

『水は湧き水があったよな、確か。見てくる』

『うん、お願い』

取り壊しが決まったけどまだ家具や何もかもが祖父が住んでいた時のままだった、私が祖父の遺品を確認してそのあとに処分するのだろう。

まだ埃はないけれど窓を開けての換気は必要だと思い、あらゆる窓を開けた。

祖父は独り暮らしだったけれど、男の独り暮らし特有のしっちゃかけめっちゃかさはなく、良く片付いていた。

襖を開け、寝室だったであろう部屋に足を踏み入れる。

当たり前だけれど主の気配は感じられない、興味深くぐるりと見渡す。

壁に今年のカレンダーと古ぼけたポスターが貼ってある。

衣装ダンスに、机と小さい本棚。

机に近づいて私は引き出しを開けてみた、何かあるかもしれないと思って。

金目のものではなく、祖父を感じられるものを。

引き出しを開けると鉛筆、ボールペンが何本もあった。

消ゴムと小銭が270円ほど、なぜか。

右側の三段引き出しも開けてみる。

そこには辞書とクリアファイルが何冊か入っていた、内容は免状のようだった。祖父は猟師をしていたので猟銃とかの免状だろうか。

そして奥の方から少し厚みのある本のような冊子が出てきた。

日記?

祖父らしき字で日付と文字が書いてある。

パラパラとめくると冊子からハラリと何かが落ちた。

足元に落ちた紙を私は取り上げる。


未央へ。


その紙の書き出しは私の名前からだった、祖父から私へのメッセージらしい。


 私が見るかどうかも分からないのにこんところに挟んでおくなんて・・・

そして、いつ書かれたかも分からないのに。


と、思いながらも書かれている文字を読む。


お前をあんな目に遭わせてしまってずっと私は後悔している、ほんの少し目を離してしまったために身体にも心にも残る傷をお前に与えてしまった。 あの日以降、来なくなってしまったのは仕方がないことだ。怖くて近寄りたくもないだろう、お前の両親も酷く私を責めた。目を離してしまったのは私の落ち度だ、生きているうちに謝りたかったがそれも難しいようだ。

未央、この手紙で謝ることしか出来ない私を許して欲しい。

その代わり、お前に御守りをあげよう。

私が死んだら“それは”開放されるはずだったが引き続き面倒を見てくれると言ってくれた。

お前がこの家に来てくれた時、“それは”お前の前に再び現れる。

そしてお前を守ってくれるだろう。


文の最後に書かれていた日付は遺体が発見される前日だった。


おじいちゃん―――――


涙は出て来なかったけれど、おじいちゃんがあの事を悔やんでいたことは分かる。

あの時、私は幼かった。

都会から離れ、珍しい場所で興奮していた。

だから祖父に連れられて行った畑から、子供の抑えられない好奇心で一人歩いて離れてしまったのだ。

また、腕が疼き出す。

私は傷跡を服の上から押さえた。


『未央』


和くんが私を呼んだ。

私はハッと我に返り、彼の元に戻る。

『湧き水はそのままだ、水は蛇口をひねれば出るだろうから風呂も入れるぞ。五右衛門風呂じゃないのがまだマシだな』

腕捲りをしている、色々とやってくれたようだった。

『和くん、ありがとう』

『べつにいいよ、それ――――』

私が持っている冊子見る。

『うん、おじいちゃんの日記みたい』

『まだ、そんなの残ってたんだ』

そういえば、形見分けやらをした後だろうになぜか手付かずだった。

『夜はこれ読んで寝る、いい時間潰しになるかも』

『まあ・・・でも、あまり人が居るって教えないようにしろよ』

和くんは心配性だなあ

私は苦笑しながら他の場所も見ることにした。




山の中は静かだ、今夜は大きな風も吹かない。

ただし、虫の声は良く聞こえる。

用心のため、和くんの忠告通りお風呂は早めに入った。

夕飯を作っておじいちゃんの日記をテーブルに置き、その前にワンカップのお酒をお供えした。

おぼろげながらしか覚えていないけれど、おじいちゃんのことは好きだった。


あんな事があっても――――――


「良く振りほどかなかった」


そんな言葉も思い出す。

あの時、野犬に噛まれた私は恐怖で動けなかったのだ。

振りほどこうという意思もなくただ、深く噛まれるまま泣いていた。

その後、すぐに食い込んでいた牙が私の腕から離れて痛みが薄れたのを覚えている。


おじいちゃん・・・あれは誰だったの?


思い出せない。

顔も分からない。

ただ、あの声は優しかった。


ガタン


『?』


不自然な音が家の外から聞こえた。

私は一瞬、身を固くする。

怖くはないけれどドキリとする、やはり女一人で泊まるのは無謀だったかと思う。

しかし、そのあとに風の音が大きくなり裏や周囲の木々の音が酷くなりはじめた。

静かだった山に風が出てきたようだった。

私はホッとして座布団に座り直す、鍵はちゃんと閉めたし手元には撃退スプレーもある。

大丈夫、大丈夫。

ご飯を食べ終わってからおじいちゃんの日記を読む、日記は私のあの事のあとから始まっていた。

色々思うところがあったのかもしれない、私の知らないおじいちゃんのことが書いてある。

山での生活、思うようにならなくなってきた身体のこと、そして私のこと。


『“あれ”?』


日記を読んでいて“あれ”という言葉に気付く。

おばあちゃんは早くに亡くなっていて、おじいちゃん一人で暮らしていたはずだ。

なのに“あれ”と抽象的に誰かの存在が日記からうかがい知れた。

誰かと一緒に住んでいたのだろうか。

あれ、は頻繁に出てくる。


今日は“あれ”と一緒に猪を捕った。


一昨日は“あれ”が雉を捕ってきた。


“あれ”が、身体を支えてくれた等々――――


“あれ”とは誰なのだろう、名前がないから人ではなく犬でも飼っていたのか・・・けれど両親からそんな話は聞いていない。

私にあんなことがあってからは犬の話題は我が家にはNGになっていた。

おじいちゃんが死んでしまって“あれ”はどこに行ってしまったのか。

それに冊子から落ちた紙に書かれていたことも気になっていた、私がここに来たら私の前に現れるというお守り。

現れる、というのだから護符などではなく実体の在るものなのだろうか。

大学では民俗学を学んでいたのでそういうものには恐怖はない、むしろ好奇心を持って受け入れてしまう。

だから、普通に彼氏も出来ないのかなとも思う(笑)

変なことばかり興味を持っているから敬遠されてしまうのだろう、私は。

 ・・・日記を読んでいたら眠くなってきた。

今夜はお仏壇あとの前に寝ることにした、位牌はないけれど何となく何かから守ってくれるだろうと思ったから。

何もないだろうけれど・・・




ひたっ


ぐっすりと寝てしまっていたのに私は何かの気配に目を覚ました。

何年も来ていなかった場所だというのに、布団に入ったらすぐに寝入ってしまった。

でも、何かの気配に私は目を覚ました。

誰もいないはずなのに気配がする、それもすぐ近くに。

私は冷や汗をかく、心臓がバクバク音を立てた。

ゆっくり手を動かして枕元の撃退スプレーを取ろうとした時、その手が押さえつけられた。


『きゃあ!!』


明らかに人間の手の感触、角ばった人の手だ。


『静かにしろ!動くんっじゃねえ、大人しくしろ!!』


私はのし掛かられて押さえ込まれた。


『嫌っ!!』


まさかと思ったけれど和くんの心配が現実になってしまった。


『―――――しばらく誰も来なかったと思ってたらまさか女一人で泊まるとはな、ラッキーだぜ』


暗闇のなかで激しく男に抵抗するも押さえ込まれてしまう、布団は剥がされて男の手が入り込んで来た。


『大人しくしろ、抵抗しなきゃすぐに終わる』


男の荒い息が顔にかかる、護身術の覚えがあっても身体が恐怖で動かなかった。


『止めてっ!』


『動くなって、言ってんだろう!』


男の手が私をひっぱたいた。


『あっ!いやっ!離して!』


『うるせえ!』


今度は激しい一撃、頭が一瞬クラリとする。


だめ・・・いま気を失ったら―――――


ゾワリと鳥肌が立った。


『そこら辺で止めておけ』


不意に声が割り込んできた。


『なっ?!』


男の動きが止まる。


――――――まだ、誰かがいる!?


私は更に恐怖に身を固くした。


『だ、誰だ!?』


『死にたくなければ失せろ』


暗闇の中では何も見えない。

私を押さえていた男がいきなり私を離してやみくもに動き始めた。


『うるせえ!誰だ!殺してやる!出てこい!』


見えない恐怖で男が焦っているのが分かった、私は何とか自分を取り戻してそこからゆっくりとあとさずる。


グルルルルル


暗闇から唸り声がした。

私の身体が再び恐怖で固まる。


この・・・唸り声・・・・


嫌な思い出がフラッシュバックする。

大きな野犬に噛まれたあの時の思い出が。


『な・・・・んだ、何が居るんだ・・・』


グルルルル、ウウウウ


明らかに攻撃的な唸り声だと分かる。


『さっさと消え失せろ、噛み殺すぞ!』


ヴァウッ!


人間の言葉のあとに大きな咆哮が部屋に轟いた。


『ひいっ!なっ、なんなんだよ! くそっ!!』


バリン、バーンと激しい音がした。

何かを叫ぶ男の声が徐々に遠くに聞こえる、どうやら戸を壊して逃げていったようだった。

男は居なくなったけれど身体の震えが止まらない、男に襲われたのも理由だろうけれどまだ私の前には“恐怖”が居る。


『···お前が未央だな』


しばらくたって、暗闇の中から私の名前を言われて驚いた。


『えっ』


『お前のことは八伊児から聞いている』


落ち着いた声。

八伊児はおじいちゃんの名前だ。


それに――――この声には覚えがある。


『こんな山の中に女一人で泊まるとはな、無茶をする』


『ごめんなさい・・・』


私は暗がりからの声に謝っていた。

さっきまでの恐怖が落ち着いてきている、まだ身体の震えは止まらないけれど。


『い、犬がいるの?』


犬は苦手だ。

小さいものでも、近づくと身体が固まって汗が吹き出てくる。

下手すると過呼吸で倒れてしまうこともあった。


『・・・まあ、居ると言うか』


初めて声の相手が戸惑うような感じ受ける。


『おじいちゃんの知り合い・・・?』


『ああ、あいつが死ぬ時まで側に居た』


それでピンと来た。

“あれ”だと。

抽象的で名前がない、存在。

おじいちゃんと一緒に居た“あれ”。


『電気を付けてもいい?』


私がそう聞くと一瞬、つかえがあった。

見られたら嫌な姿なのだろうか。


『構わない』


返事が返って来た。

真っ暗なのは何となく不安だったけれど灯りを付けた時、目の前に現れる光景にも不安だった。

何が居るのか。

あれ、とはなんなのか。


パチッ


電球を付ける。

パチパチと蛍光灯が点滅してから、明かりが部屋を照らし出した。


ビクッ


思わず後ずさった。

再び鼓動が激しくなる。


『あ・・・・』


私の顔は恐怖でひきつっていただろう。

世の中で一番、苦手なものが目の前に居たのだから。


『この姿で人前に出るのは八伊児以来だ、あんな事があってお前がこの姿を怖がるのも無理はない』


それは人の言葉を流暢に喋った。

私は頭がおかしくなったのではないかと自分を疑う、だって・・・あり得ないことだからだ。


犬が人間の言葉を喋るなんて――――


『これは・・・夢?』


『夢じゃない、現実だ。自分の腕を見てみろ』


そう言われて腕を見ればくっきりと男に掴まれた手の痕が残っている、頬をつねっても痛い。


『どういうことなの、これは』


『話せば長いぞ』


『・・・目が覚めてしまったわ、もう寝れる気もしないし』


おじいちゃんの日記書いてあった“あれ”だと思ったら少しホッとして良く見る余裕も出てきてた。

犬にしてはずいぶんと大きい、ハスキー犬のように見えてそうでもない。

どこかで似たようなもの見たような気がするけれど・・・


『八伊児からお前の事を頼まれた、守ると』


『えっ』


やっぱり、おじいちゃんが言っていたお守りって――――――まじまじと見てしまう。


『だ、大丈夫よ、そんなに毎日、危険でもないし・・・』


まさか犬とは思わなかった、しかも人間の言葉を話す犬なんて。

私のマンションじゃ飼えないし・・・


『約束は約束だ、違えるわけにはいかない』


のしっ。

大きな身体がにじり寄ってくる。

本当に大きい、大型犬以上だった。

恐怖というよりは圧迫感と普通の犬にはない神々しさというべきものだろうか、そんなものを感じる。


『私には・・・必要ないわ』


『今はなくてもいずれ必要となる』


はっきりと言った。


『何かあるの?』


『長い話になると言った、私の話を聞け』


私はそう言われて話を聞く覚悟を決めた。

何か温かい飲み物を飲むために居間の方にそれと一緒に移動した。






和くんが迎えに来たのは翌朝、ご飯を食べ終わった9時過ぎ頃だった。

『えっ?!』

和くんは玄関から上がってきて私と一緒にいるそれを目にして思わず飛びさった。

驚くのも無理はない、私は犬に噛まれてから犬とは距離を置いていて近づきもしなかったから。

『なんで?! どうしてこんなデカイ犬が居るんだよ!』

『おじいちゃんが飼っていたみたいなの、名前はあかつきですって』

しかも犬じゃなくて、日本に居ないはずの狼。

ついでに雄かと思ったら雌だったという、あの話し方では私でなくても間違える。

あと、野犬に噛まれた私を助けてくれたのは彼女だった。

あの声は曉の声だったのだろう。

色々と朝まで話してくれた曉。

『飼うのか? マンションじゃ飼えないんじゃないか』

こわごわ間合いを取りながら和くんは言った。

『まあ、そのことについては考えがあるから大丈夫』

それよりもまずはこの曉をどう運ぶかだ、こんな大きいものを飛行機や新幹線には乗せられないし・・・

私の視線を感じたのかじっと見てくる曉。

『自動車で陸路しかないだろうなあ――――――』

『ごめん、和くん』

随分と長旅になると思う。

『いいよ、じいさんの形見みたいなもんだ。しかし、生き物は困るよなあ世話が大変だぞ』

『うん』

そのことについては考えずみで何とかなると思う、私は曉の頭を撫でた。


走行距離はかなりのものになり、休憩に次ぐ休憩。

窮屈だろうけれど曉には途中で首輪を買い、高速PKで休憩させながら(運動という運動はさせられない・私には無理)。


『ごめんね、首輪も後部座席も窮屈でしょう?』


和くんがトイレ休憩の時、曉に声をかける。

声かけくらいなら普段の時も問題はなかったけれど、彼女と話したい時は和くんが居ないときが一番いい。

『大丈夫だ、問題ない。私は山から一歩も出たことがないから何もかもが珍しく新鮮だ』

『そう、良かった。まだまだかかるけどなるべく早く帰れるようにするから』

曉の顔を両手で掴むと撫でた。

もう、苦手ではなくなった。

彼女が野犬から私を助けてくれたのだと知ったから、怖くない。

ペロリ。

舐められる。

『犬みたいなことをするのね』

『山から離れたら私は狼神ではなくなる、言葉は話せるが神として使える力の一部を失う』

狼神、大犬とも呼ばれ山の神様と崇められる。

おじいちゃんの住んでいた一帯も彼らの神域だったけれど、現在においてはそれも廃れて記録に一部残るだけだという。

社すらも今は無い、生き残った狼神は現代に人間に見つからないように細々と暮らしているらしい。

『私たちの役目はもう終わったのかもしれない、八伊児も私に好きな事をしたらいいと常日頃、私に言っていた』

『必要とされないのは寂しいわね』

『私には未央がいる』

『・・・そうね』

狼の曉にそう言われて私は照れてしまった。

人間の男性すら言われたこともないのに(笑)

『どうした、顔が赤いぞ』

『何でもない!』

指摘されてカッとなってしまう、曉にしたらただ感じたことだろうに。

そんなやり取りをしていたら和くんが戻ってきた。

『どうしたの?』

『ううん、何でもない。行こう』

後部のドアを閉め、助手席に乗り込んだ。





『死んだ・・・』

和くんは車ハンドル部に両腕をおき、もたれ掛かって言った。

到着したのは私の家ではなく、別の場所。

私のマンションは動物が飼えない、大型の動物を飼えるマンションを斡旋してくれる友人がいるのでそれまではと、知り合いの動物と一緒に泊まれるホテルに来たのだ。

『ごめんね、和くん。あとで何かご馳走するから』

結構な移動距離を運転させてしまった、申し訳なく思う。

『いいよ、またな』

『うん、和くんも気をつけて帰ってね』

車はノロノロと発進した。

長時間の長旅で運転手はもちろん、隣に座っていた私も後部座席の暁も身体が固まってしまったのか一人と一匹、同時に背伸びをした。

神様と言われた彼女も、その様子は見たまんま犬にしか見えない。

『なんだ?』

クスリと笑った私の方を見る。

『ううん、見たまんまだと思って』

『言っておくが、私は犬ではない。狼だ、忘れるな』

『どう違うの?』

『人間に飼い慣らされたのが犬だ、私は飼い慣らされたりはしない』

プライドの問題なのかなーと思う。

『ま、どちらでもいいや』

『どちらでもいいって・・・』

『ほら、入るからおしゃべり禁止』

私は首輪に繋いだ太い紐を引っ張ってホテルに入っていった。

『いらっしゃいませ・・・って、未央?!』

私を見てフロントに居た友人の真希が声をあげた。

ロビーに居た従業員も少しのお客さんの注目を浴びてしまう。

『そんなに大きな声を出さないでよ、真希ちゃん』

まじまじと見られて恥ずかしい。

『だって、その大きな犬!未央、小さい頃に犬に噛まれてからチワワだって触れなかったのに』

曉は大人しく私の隣で座っている、神様なので実際年齢はずっと上。

下手したら何百年かもしれない・・・そんな話もした。

『まあ・・・色々あってね、大型犬が飼えるマンションが決まるまで利用させてもらおうと思って』

『飼うの? すごく大きいわね、シベリアンのミックスかしら?それともウルフドック?』

『あー多分、後者のウルフなんとかってやつかなー』

本人が狼だと言っているのだから名前にウルフが付く方がいいだろう(笑)。

そういえば看板犬の柴犬のじゅうべいの姿が見えない、遊びに来たら私に飛びかかって来ようとするのに。

『じゅうべいは私が来るから隔離してくれているの?』

宿泊カードを書きながら聞く。

『そんなわけないじゃない、お客さんをもてなすのが仕事だからそこら辺に離しているんだけど・・・』

キョロキョロと探す。

『じゅうべい、どこ行ったのー?』

キャウッ。

近くに居たお客さんの抱えているプードルが鳴いて暴れた。

あと、リードで繋がれていた別のお客さんのビーグル犬が腰が抜けたように後ずさり始める。

その様子から皆の視線が大人しく座っている曉に注がれた。

『えっ(;゜∇゜)、真希ちゃん、この子は大きいけど大人しくて噛まないよ』

良く見ればじゅうべいも机の下に身を隠してこちらを見ている。

明らかに怯えているようだった。

『―――――もちろん、分かっているわよ。でも、すごい迫力ね』

『そうかな・・・?』

ただ座っているだけなのにね。

曉を見ると彼女はニヤリと笑った。

『――――――――――!』

犬、もとい狼がそんな風に笑うなんて馬鹿馬鹿しいと思うだろうけれど実際、ニャリと笑ったのだ。

ふと、食物連鎖の頂点のことを思い出す。

神様であることをさっ引いても、狼である曉はここにいるどの犬よりも強い存在なのだ。

それを本能で彼らは分かっている。

『連れて歩くときはリードは付けてね』

『うん、分かった』

暴れたり喧嘩をすることはないと思いながらも回りに気を配らなければならないのは大変だった。

ルームキーを貰い、私たちは部屋に移動する。

ホテル、というよりは旅館っぽいつくり。

フロントだけが現代風で、渡り廊下で個々の離れに行けるようになっていた。

『圧迫感があるな』

人が居ないの確認して曉が喋る。

『これでも広いのよ、離れがあるなんて贅沢だわ』

カプセルか、ビジネスホテルのような物もあるというのに。

『ふうん』

『お部屋、すぐに決まればいいのだけれど・・・』

『私は狭くても構わないぞ、雨風さえしのげれば』

『おじいちゃんちは広かったからねえ、あと山は駆け放題だし』

都会で賃貸マンションで大型犬を飼おうとするのは難しい、ため息をついてしまう。

部屋の前に来て鍵つきの開き戸を開けると、奥に引き戸があった。

それを開けるとその奥に小さな庭がすぐに見え、床は畳と板張りに別れている。

『和室もあって良かったね』

ここでやっと曉のリードと首輪を外した。

ブルりと彼女は首と身体全体を振るわせる、ここまで強制してしまって可哀想だった思う。

『大丈夫?』

『問題ないが、喉がかわいた』

『あ、ごめんなさい。今用意するから』

見回すと水飲み用の容器と食事用の容器が見つかった。

しかも水はアルカリイオン水らしい、冷蔵庫にも入っているという。

ペットの人間並みの扱いに驚く、昨今のペットブームをなめていた。

『口に合うかどうか・・・』

それが不安だったけれど曉は飲んで空にしてしまう。

『もう一杯』

『あ、うん』

お代わりまでしたので口に合ったのだろうとホッとした。

『飲み終わったらくつろいでいて、私はマンションの連絡を入れるから』

私は庭が見える場所に置いてあった和椅子に座ると部屋を斡旋してくれる友人に連絡を取った。



プルルルルル

どれくらい時間が経ったのか私も覚えていない、いつの間にか暗くなっている。

慌てて電気を付けてから内線を取った。

『お夕飯だけどどうする? 部屋に持って行くことも出来るけど』

真希からだ、チェックイン時に朝夕の食事を頼んだ気がする。

『うーん、部屋に持って来てくれる? 他の犬を興奮させると困るから』

『分かった』

とはいえ、内容が不安でもある。

私はともかく、曉の食事が。

『私は2、3日食べなくても平気だ』

曉が私に言う。

『あなたは私の心が読めるの?』

『読まなくても大体分かる、表情で』

ニヤリ(* ̄ー ̄)

また・・・人間並みの表情(呆)

『でも、せっかくだから食べて。それこそ口に合うかどうか分からないけれど』

『食べられるだけマシだ、問題ない』

『聞き分けが良くて嬉しいわ』

『伊達に歳はくっていない』

神様だし。

いまだに話してくれた事を信じきれていなかった。

ただ、目の前に言葉を話す狼が居るのだから信じない訳にはいかない。

おじいちゃんの日記にもその事は書かれていて、嘘ではない事を教えてくれている。

でも―――――――

『ほんとに私の事を守るの?』

私の先祖は、狼神に捧げられた生け贄の一族だったと聞かされた。

両親にもおじいちゃんにも聞かされたことがない、ただそういう信仰・風習があるいうことは耳にしていた。

まさか自分のルーツが、とは思わなかったけれど。

近代化で狼は害獣として狩られ、生け贄などもってのほかと信仰も風習も廃れていってしまったらしい。

『もちろんだ、廃れてしまった信仰や風習に邪悪なものを込める輩はいつの時代にもいる。復興とは名ばかりに己の欲を満たそうとする奴が現れるとも限らないからな』

『・・・随分と大袈裟に感じるんだけど、私はただの一般人なのよ?』

喉がかわいたので私はお茶を入れて飲むことにした、話ながら用意する。

『お前は分かっていない、私と話が出来るというのはそれだけで特別なんだ。八伊児だって私とは会話は出来なかったんだぞ?』

『えっ? 話せなかったの? どうやってコミュニケーション取っていたの?』

日記では会話が出来ていたように思えるのに。

『あれは猟師だからな、意思の疎通はしやすい。昔のことは自分の祖父から聞いて覚えていたらしいからな』

なるほど。

『生け贄は皆、老若関係なく女性だった。そして、お前の一族の女の中には話すことが出来る者が希に現れる』

『それが私?』

『そうだ、だが弊害もある。近年では女が生まれにくくなっている、理由は分からないが』

確かに親族のほとんどが男子だ、私以外に女子はいない。

『ま、私の役目が本当に無くなってきたということかもな。未央が最後かもしれない』

寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

『でも、私は曉に会えて良かったと思うわ』

無言で曉は私を見る。

『野犬から私を助けてくれたでしょ? あのままだったら私は腕を食いちぎられていたか、もっと酷いことになっていたかもしれない。ずっとお礼が言いたかったの』

『あれは・・・お前のことはすぐに分かった、八伊児に言われなくても私は助けるつもりだった』

こぽこぽと急須で湯飲みにお茶を注ぐ。

『ずっとあの声は誰なのか気になっていたのよ、おじいちゃんにしては若すぎたし』

笑って言う、何年か越しで声の主に出会えるとは。

しかもそれが神様で、狼神とは。

ファンタジー小説でも書けそうだった。


コンコン。


ドアがノックされた。

お夕飯が届いたようだ、私は立ち上がり出口に向かう。

今はお腹が空いているので難しいことは後回しにしてお腹を満たそう。

ドアを開けると良い香りがして余計にお腹が空いてしまった。

それは曉も同じだったようでくつろいでいた場所から移動してきて私が夕飯を受けとる様子を見にきている。

『お腹空いているのね、曉も』

そう言うと曉は拗ねるようにプイと横を向いた。





大型犬クラスになると一緒に暮らせるマンションはなかなか無い、もちろん私の懐具合いとも合わせてだとさらに狭まる。

『うーん、なかなか無いなあ・・・』

今日も仕事前に朝からマンション探し、友人も探してくれてはいるのだけれど曉の大きさがネックになってしまう。

困った、手詰まり。

『私が問題なのか』

『まあ、オーナーの不安は分かるんだけれどね。曉は大人しいけど全部の大型犬が大人しいとは限らないから』

ナデナデ。

ホテル宿泊、1週間。

曉も慣れてきたのか私の側にきて、身を寄せている。

もとからもふもふだなとは思っていた私はその触り心地にハマっていた。

抱きつくともふっと獣毛に埋まってしまうくらい深い、それに不思議と曉は臭くなかった。

『この姿がダメなのか?』

『曉ってば、小さくなれるって訳でもないでしょ?』

私は何気なく言った。

『狼じゃなきゃ、マンションなんてすぐ見つかるんだけどなあ』

『・・・・ふうん、そうなのか』

顔を上げて私を見る。

『あ、ごめんーもう仕事だ。また遅くなるけど寝ていて』

頭をひと撫で。

私はひとまずマンション探しは止めて、仕事に行くことにした。

この時はまだ、曉に起こる衝撃的なことについて私は思ってもいなかったのだった。

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