ユーズド
などなど、たかがゲームに関してやたら偉そうを言ってしまった感のある筆者ではありますが、実は筆者自身、それほど偉そうを言えた身分でもありません。ゲーム制作に関わった人たちからすれば鼻を抓まれそうな分際です。
というのも、筆者はこれまで自分の好きなゲーム、などともっともらしくゲームの感想だか批評めいたことをやってはきましたが、その大半が中古ゲームだったのです。正規品で購入した作品なんて、数えるほどしかありません。それがどれほどゲーム業界を圧迫し、ユーザー自身の首も締める行為なのかも、正しくは分かっていません。
一時期、スーファミの頃だったとは思いますが、中古ゲーム商法もまた隆盛を極めていました。筆者もかなりお世話になったクチです。なにしろスーファミの新作なんて一本が8000円以上する高価なシロモノ。子供のサブカルには少々高くつきます。でも、中古品ならちょっとおねだりすればなんとか買ってもらえる価格にはなるのです。話題の新作だって内容がアレなものなら一年足らずで半額程度になります。製作会社からすればとんでもない話なのでしょうが、ユーザーの立場だとこれこそ正しい市場原理です。
このあたりがゲーム産業という、いびつでアングラな部分の一端でもあります。
ゲームはあくまでソフトウェアです。中身の知的財産部分が対価になるはずです。が、発売されるゲームは一律、同じ値段。有名メーカーのものでも、マイナーな会社のものでもどれも一緒。これはどう考えても不自然です。そして内容もそうです。ゴージャスな機能を贅沢に盛り込んだ大ボリュームの超大作でも、3分で飽きてしまいそうなクソいゲームでも、新品で買えばほぼ同じ、高価なゲームなのです。製作会社はよくこれで文句を言わなかったと感心します。
確かに、ゲーム制作には大変な労力がかかります。人も時間も、制作のための投資も半端無くかかることはなんとなくですが素人にもそれなりに分かります。その間のコストは当然価格に転嫁されます。クリエイターだって神様じゃありません。家族は養わなければいけないし、税金だって納めていかねばなりません。ゲームが慈善事業でないくらいは筆者だって分かっています。
でも、ユーザーにとってはやっぱり納得できない話です。どんなに楽しいゲームでも、3分で飽きるようなクソいゲームでも、値段が一緒というのはどうしたって許容できません。これが楽しみにしてた、親からプレゼントしてもらったようなゲームがクソいものであれば、親に申し訳ない気持ちになってしまいます。子供は我慢するしかありません。
しかし、これがそれなりの年齢に達したユーザーなら自由に売り飛ばすことが可能です。もうプレイしなくなったゲームを積んでてもノスタルジーにしかなり得ませんが、市場に流せば次の購入資金になります。お金のない子供はその恩恵に預かれる、というサイクルが生まれます。中古ゲーム商法が生まれたのも市場の必然であり、当然の成り行きでしょう。