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――三津 伊吹――
俺は隣の部屋からザワザワした気配を感じて部屋から飛び出た。
時間は深夜。
こんな時間に姉とはいえ女の子の部屋に入るなんて非常識だ。
だけど嫌な胸騒ぎが収まらない。
何か姉ちゃんにあったとしか思えない。
ドアをノックするも反応がない。
俺は姉ちゃんゴメンと心の中で謝りつつドアノブを回して部屋へと入る。
鍵が無いせいで、前に間違って着替え中に入ってしまい
酷く怒られた記憶が新しい。
でも今はそんな状況じゃない気がする。
説明できない焦燥感。俺が入って最初に見た光景は…
「なっ!?」
それは現実感のまるでない光景。部屋の明かりを付けると、
姉ちゃんの寝ているベッドの周囲に
黒いモヤのようなものがかかっているのが見えた。
「ね、姉ちゃん!!」
俺がみている間にも、モヤはどんどん濃さを増していき、
姉ちゃんの姿をすっぽりと隠してしまう。
急いで駆け寄るが、その時にはベッド全体がモヤに包まれてしまっていた。
何が何だか分からない。
だけど、ここで躊躇したら二度と姉ちゃんと会えなくなる気がする。
俺は迷うことなくそのモヤに身体を飛びこませた。
小さい頃に両親を亡くした俺にとって、
姉ちゃんは唯一の血のつながった家族だった。
その時俺は五才。姉ちゃんは七才だった。
俺は知らない家で知らない人達と暮らすのが苦痛でいつも泣いていたと思う。
それをいつも慰めて支えてくれたのが姉ちゃんだった。
数年たてば知らない人達は親戚のお爺ちゃんお婆ちゃんになり、
知らない家は俺の実家になった。
それでも姉ちゃんの背中に隠れていることが多かったけど。
俺が姉ちゃんの背中から顔をだすようになったきっかけも姉ちゃんだった。
父親と母親の命日。その日の夜に誰もいない部屋でお父さん、
お母さんと泣きながらうずくまる姉ちゃんを見たときから。
俺は姉ちゃんが無理して頑張っているのをその日初めて知った。
泣きながらうずくまる姉ちゃんの姿は、幼い頃の俺の姿。
泣きたいのは姉ちゃんだって一緒だったはず。
だけど、俺は泣きながらうずくまる姉ちゃんの姿を初めて見る。
我慢して我慢して…でも命日というお父さんとお母さんを
思い出してしまう時には我慢できなかったのかもしれない。
俺は守られているばかりの自分が情けなかった。
そしてもう二度と姉ちゃんを泣かせたりしないと心に誓った。
勉強も、スポーツも必死で取り組んだ。
姉ちゃんに心配かけたくないから…姉ちゃんが喜ぶ顔が見たいから。
爺ちゃんと婆ちゃんとも積極的に会話するようにした。
いつまでも姉ちゃんの背中に隠れているわけにはいかないから。
そんななか、爺ちゃんが趣味でやっている将棋の相手もするようになった。
これが思った以上に楽しく、俺はかなりはまっていった。
こういった頭を使うゲームというのが好きな性格なのかもしれない。
やがてコンピュータートレーディングカードゲームというのに行きつくことになる。
現実のトレーディングカードゲームは、
高校に入ったばかりの俺にとっては少し財布的な意味で厳しいゲームだった。
だがゲームの中でカードを集める
コンピュータートレーディングカードゲームはその制限が低い。
多少の課金はしつつも、お小遣いの範囲内で済むレベルだ。
俺はその対戦相手として、
高校に入って少し距離を置いていた姉ちゃんを誘う事にした。
距離を置いた理由は単純だ。姉ちゃんを俺のクラスに来させないため。
恥ずかしいというのもあったが、クラスメートの男共が
「お前の姉ちゃんすげぇ綺麗だな」
「お前あんな姉ちゃんと一緒に住んでるのか。羨ましいな」
「なぁなぁ、お前の姉ちゃん付き合っている相手とかいるの?」
なんて言い出したからだ。
用事があるたびに俺のクラスにくる姉ちゃんを見て、クラスの男達は沸き立つ。
上二つの言葉はまぁいい。最後の言葉は駄目だ。
姉ちゃんがクラスの男と付き合うなんて考えたくもない。
俺はできるだけクラスに来ないでほしいと言うと、
少し寂しげな表情をした姉ちゃんを見て心が痛んだ。
だから家ではできるだけ一緒にいたいと思った。
シスコンでもなんとでも言うがいい。
俺は黒いモヤの中で姉ちゃんの身体を掴まえようと、
もがくように泳ぐように身体を動かす。
だが、俺の手は姉ちゃんを掴むことなくその黒いモヤを抜けだした。
「ぐっううっ…ここは…? 姉ちゃんは!?」
俺が抜け出た先。そこはいままさに戦闘が行われているさなかだった。
「えっ、いきなり現れた!?」
「ジュナ、今は呪文に集中しろっ! こいつら増援呼びやがった。やばいぞ!!」
俺の目の前にはおびただしい数の緑色の肌をした化け物。
それに対するのは数名の鎧を着た人間。
俺の目の前には少し立派な鎧を着た中年の男と姉ちゃんより少し年上くらいの女性。
「なんだ…ここ…?」
俺が目の前の光景にあっけをとられていると、中年の男が声をかける。
「おい、お前。どうやら違う世界からの迷い人のようだな。
運が悪いとしか言いようがないが、
今は戦闘のさなか。しかも劣勢だ。
死にたくなかったらそこいらに落ちてる武器を使って加勢してくれ。
今は少しでも戦力が欲しいところだ」
そんな場合じゃない。俺は姉ちゃんを探さないと…
なんて言い出せる雰囲気じゃない。
緑色の肌をした化け物は、一体一体の戦闘能力は低そうだが数が多い。
こちらの十倍以上はいるだろう。
いやそんなもんじゃないか…
この数の差は劣勢どころか勝ち目があるとも思えない。
けど…死ぬ気はない。姉ちゃんもこの世界にきてるんだとすれば、
絶対に見つけ出さないと。
姉ちゃんを守る。もう泣きながらうずくまる姉ちゃんの姿なんて見たくない。
俺は近くに落ちている剣を拾い上げる。ずっしりと重い。
体育の時間に剣道を少し触れた程度の俺じゃ
満足に戦えるとも思えない。それでも生きる為なら…
その時俺は目の前にチラつく見慣れた物を見つける。
それは五枚の白く輝くカード。
なぜカードが? これはゲームの世界なのか? ゲームのように使えるのか?
そんな疑問が一瞬頭の中でグルグルとするが、
俺は一縷の望みをかけてカードを選択する。
その瞬間身体に満ちる力の感覚。
「理由はわからないけど、使えるものは使わせてもらう」
――スペル・吹雪の抱擁――
俺が一枚のカードを行使した瞬間、
緑色の肌をした化け物たちを極低温の嵐が包み込む。
近くで戦っていた鎧姿の男達には何の影響も与えずに。
吹雪の抱擁
シルバー コスト2 スペル属性:水
敵ユニット全てに10のダメージを与える。
中年の男と女性が驚いた顔で俺を見るが、いまはそれどころじゃない。
ほとんどの化け物は倒せたようだが、何体か少し大型の化け物が残っている。
随分と弱ってはいるが。
「あと数体残っています。止めを!」
俺の言葉にハッと意識を切り替えた中年の男は味方に叫ぶ。
「残りのゴブリンとオークどもを掃討せよ!」
そのあとはこちらの圧勝だった。
元々一対一の強さはこちらがかなり上だったのだろう。
あっさりと残りの化け物を倒していく。
しかしゴブリンか…ゲームの中の世界みたいだな。
カードゲーム「オルディアナ」の世界のゴブリンとはだいぶ違うけど。
そんなことを考えている間に、戦闘が終わる。
さて、色々と問いたそうにしている中年の男だけど
それはこちらも同じこと。姉ちゃん待ってろよ。ぜったいに俺が探し出すからな。
俺はそう決意して、中年の男と交渉を開始した。