あの日ぼくらは虹を見た
人生が消えたらあなたはどうしますか?
人生は真白なキャンバスに描かれた一枚の絵のようなものである。
どこの誰が言ったものか生憎覚えてはいないが、なるほどどうして素晴らしい言葉である。
もし人生の最初が真白だとするならば、生まれ、育ち、学び、挫折し、立ち上がり、そして老いていく。そんなことを繰り返しながら丁寧に自分の色を重ねていくわけだ。そしておそらくそのキャンバスに一切色を塗るスペースがなくなりあらゆる経験という色が重なり合った時、つまりキャンバスが黒に染まるときあそらく人生は終末を迎えるのである。
人として青白く、青臭いときは美しい一枚の風景画なのだろうが、やはり時間は、経験はそれらに上書きをして隙間をうめ、色を変えていくのだ。
さて、話を変えてではどうだろう。今僕の目の前に置かれている原稿用紙の束、ざっと10枚程度。さてこれはいったい何にたとえることができるだろうか。15年しか生きておらず、加えて数か月前の記憶さえおぼろげになっている私の人生を表すにはいささか役不足ではないだろうか。
「そんなことをしゃべる暇があるのだったら、もう少し手を動かしたらどうかしら。」
やれやれ、僕の熱弁も空しく一蹴されてしまう。割と真剣に考えていたのにつれない人だ。
しかし、まぁ彼女のいうことも一理ある。白紙の、名前すら書かれていない原稿用紙が何を表しているのかはこの際保留にするとしても目的は決まっている。ここに書かれるべき内容は決まっている。反省文である。
僕がこうして彼女、風紀委員の先輩と生徒指導室に缶詰めにされているのは学則を破った人間に対する懲罰だ。この時分このように大量の反省文を書かせるというのも如何なものかと思うが。
「そう思うのは勝手ですが、屋上に無断で侵入するのは本来であれば停学処分が下ってもおかしくないの。私が特別に計らってあげているのだからありがたく思ってもらいたいものね。」
そりゃどうも。そういうのなら止むを得まい。事情はどうあれこんな僕に気を裂いてくれるというのなら好意に甘えてしかるべきだろう
お恥ずかしながらこういう風に作品を公開するのは初めての経験になります。
ですが、こういうところで皆さんの忌憚のない意見を聞けると大変励みになります。
もっとも、生憎あまり更新の速度は早くないので隔週ぐらいで楽しんでいただけたら幸いです。
まだまだ稚拙な文章ではありますがよろしくお願いします。