【3】オオカミさんと真っ赤な髪の少年
ある日、オオカミさんは怪我をしました。
森にやってきた猟師に撃たれたのです。
最近森には新しい人間がやってきて、獲物を乱獲していました。
自分達が食べる分や、生活をする分を越えた、行き過ぎた行為でした。
オオカミさんは一応、森の主という事になっています。
別に自分でそう名乗ったわけではないのですが、森の動物たちからは敬意をはらわれていました。
面倒でも頼られているのなら、それはオオカミさんの仕事でした。
だから人間達を追い返すために脅したのですが、相手はオオカミさんを罠にしかけて、最初から狙うつもりでいたのです。
どうにか血だらけになりながら家にたどり着くと、黒ずきんが青ざめた顔でオオカミさんに走りよってきました。
「オオカミさん!」
泣きそうな顔をしながら、黒ずきんは手当てをしてくれました。
今までに時々、怪我をして帰ることはありましたがかすり傷程度で、こんな酷い怪我をしたことはありませんでした。
「オオカミさん、死なないで。ぼくをひとりにしないで!」
黒ずきんは縋るような声で、オオカミさんの事を呼びます。
その声に目を開けることはできませんでしたが、ずっと側でオオカミさんの事を思っていてくれてることはわかりました。
今までひとりで生きてきたオオカミさんは、その時に生まれて初めて、誰かに自分が必要とされていると感じました。
三日くらいそうしていたでしょうか。
どうにか回復して目を開ければ、獣姿のオオカミさんの側に黒ずきんが寝ていました。
その頬には涙の後があって、自分のために流してくれたのだと思うと、たまらなく愛おしくなりました。
ぺろりと舐めれば少ししょっぱい味がして、ううんと黒ずきんが呻きます。
少し寒かったのか体を丸めるような動作をとったので、ゆっくりと移動して黒ずきんを温めるように寝そべりました。
もう一度眠りについて起きれば、黒ずきんに顔を覗き込まれていました。
窓から見える空の色から、一度目覚めてからかなりの時間が経っているのがわかりました。
包帯も新しく巻きなおされています。
「オオカミさん、よかった」
黒ずきんが、やさしく顔に抱きついてきました。
「ぼくオオカミさんがいなくなったら、どうしたらいいかわからない。ぼくは全部オオカミさんのものだから、もう置いていこうとしないで」
震えるその体を抱きしめてあげたくて、オオカミさんは人型に変身しました。
少し傷が痛みましたが、気にせずに黒ずきんを抱きしめます。
「悪かった。心配かけた」
そう言えば、黒ずきんはほっとしたように体の力を抜きました。
「おい、黒ずきん」
緊張の糸が切れたのでしょう。
黒ずきんはそのまま、オオカミさんの腕の中で眠ってしまいました。
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「ぼく、薬草の勉強をしたいんだ」
オオカミさんが怪我をしてからしばらくして、黒ずきんがそんなことを言い出しました。
好きにしたらいい。
そう答えたオオカミさんに、黒ずきんはありがとうと言って、ふもとの街にある薬屋に弟子入りしました。
森からふもとの街までは結構な距離があります。
だから、てっきりあちらの街に住むものだとオオカミさんは思っていたのですが。
「なぜいるんだ」
「だって、ここがぼくの家でしょう?」
朝方帰ってこれば、黒ずきんは家にいました。
朝に一緒にご飯を食べて後、黒ずきんは出かけていきます。
そして夜に帰ってきて、また朝を一緒に過ごします。
不便なはずなのに、黒ずきんは絶対に家に帰ってきて、朝の時間をオオカミさんと一緒に過ごすのでした。
ちょっとでも楽に行けるようにと、オオカミさんは黒ずきんを送り迎えすることにしました。
オオカミさんの足なら、黒ずきんが歩くよりもずっと早いのです。
迎えに行けば、黒ずきんが嬉しそうに走りよってきます。
「オオカミさん迎えにきてくれたんだ!」
背中にしがみつきながら、その毛皮にすりすりと頬を寄せてくる黒ずきんは、とても幸せそうでした。
「そんなに家に早く帰れるのが嬉しいのか。いっそ街に家を構えればいいのに」
「そうじゃないよ。オオカミさんがぼくを迎えにきてくれるのが嬉しいの。もうどうしてオオカミさんはわかってくれないのかなぁ」
純粋なオオカミさんの疑問に、黒ずきんは不満そうな声を漏らします。
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街で薬草の勉強をするようになってからしばらくして。
黒ずきんは森で薬草の研究をはじめ、自分でオリジナルの薬を作り始めました。
その薬は評判らしく薬屋にその薬をおろして、そのお金で色々買い物をするようになりました。
「この本は何だ。また買ったのか」
本の表紙には、獣人のシルエット。捲ればよくわからない文字がびっしりと並んでいました。
「魔術書だよ。色々参考になることが書いてあるんだ」
呆れたようにいうオオカミさんから本を奪い取って、黒ずきんは答えます。
最近では魔術にも手を出し始めたようで、よくわからない本が家に散乱していました。
研究熱心なことに、黒ずきんは時々家を空けて、遠くまででかけて行くことが多くなりました。
帰ってきても黒ずきんがいないと、妙につまらなくて、このところのオオカミさんは少し不機嫌でした。
――私といるよりも、こういう本を読んだり、研究するほうが楽しいのか。
そう思えば、何故か腹が立ちました。
理不尽な怒りだとわかっていたのでぐっと堪えれば、尻尾や耳が垂れ下がります。
「ねぇ、オオカミさん。オオカミさんの血とか少し貰っていい? 少し薬の材料に使いたいんだ」
「一体、どんな薬の研究をしてるんだ?」
「ふふっ内緒。でもね、とてもいいものだよ?」
黒ずきんは楽しそうです。
そういう顔を見るのは、嫌いじゃありません。
しかたないなと、オオカミさんは自分の血を提供しました。
ある日の事。
黒ずきんは上機嫌でした。
話を聞けば、もうすぐ薬が完成するそうです。
「これオオカミさんにプレゼント」
黒ずきんはそう言って、大き目の綺麗な首飾りをプレゼントしてきました。チェーンが長く太いのは、獣型になっても千切れないようにという配慮なのでしょう。
こんなものを付ける趣味はオオカミさんにはありませんでしたが、黒ずきんからのプレゼントなので貰っておくことにしました。
「まぁ受け取っておく」
ぶっきらぼうな口調でオオカミさんは、ネックレスを首にかけます。
「悪くはないな」
そう呟くオオカミさんの尻尾はふっさふっさといつも以上に揺れていました。
「気に入ってくれたみたいでよかった」
嬉しそうな声で黒ずきんはそう言いました。
黒ずきんはもうすっかり大人でした。
一般的に成人と言われている十八歳になった黒ずきんは、背も伸びて、声も低くなってしまいました。
それでも黒いずきんを手放さないため、一見女の子のように見えます。
ネックレスの他に、黒ずきんはお酒も買ってきていました。
少しほろ酔い気分になったオオカミさんは、もっとよく黒ずきんの顔が見たいのになと思いました。
ずきんのせいで顔が隠れているのが、いつも勿体無いとオオカミさんは思うのです。
「そのずきん、そろそろ取ったらどうだ?」
「……嫌だ」
どうしてか黒ずきんは、あまりずきんを昔から取りたがりませんでした。
「なんでそんなに嫌なんだ? せっかく綺麗な顔と髪をしているのに」
「綺麗? オオカミさんぼくのこの髪、嫌いじゃないの?」
オオカミさんは黒ずきんの髪を嫌いだなんて、一度も言ったことがありません。
むしろその真っ赤な髪が好きだったので、よく黒ずきんのずきんを外しては、寝ている間に密かに撫でていました。
「なんでそんな事を思う」
「だってオオカミさん、はじめてずきんを取ったぼくを見た時、変な顔したでしょ? この髪が赤いから美味しくなさそうだって思って、ぼくを食べてくれないんだと思った」
尋ねれば黒ずきんはそんな事をいいます。
「毒のある食べ物って派手でしょ? だからオオカミさんも、ぼくを食べてくれないんだって思ったんだ」
だから嫌われたくなくて、ずっと隠すように黒いずきんを被っていたのだと、黒ずきんはいいました。
黒ずきんの親は、黒ずきんの赤い髪を嫌ったようでした。
だから隠すように、黒ずきんを被せました。
気持ち悪いといって、神様への捧げものという名目で、山へと捨てたのです。
ぽつりぽつりと、黒ずきんは今まで話さなかった身の上をオオカミさんに話してくれました。
「私は別にお前を美味しくなさそうだと思ってあんな顔をしたわけじゃない。可愛いと見惚れていたんだ。だからずきんを取れ」
「オオカミさん……」
お酒の力を借りて、普段はいえない恥ずかしい言葉を口にすれば、黒ずきんは嬉しそうに微笑みました。
「あぁだがそのずきんがないと、黒ずきんとは呼べないな。何と呼べばいい?」
しかし、オオカミさんが尋ねれば、また黒ずきんは冴えない顔になってしまいます。
「どうした。名前を私には言いたくないのか」
「そうじゃなくて、黒ずきんってしかぼくは呼ばれてなかったんだ」
名前を教えてくれないわけではなく、最初から黒ずきんには名前がなかったのだとしり、オオカミさんは驚きました。
「……私の名前はシスカというんだ。銀色という意味を持つ。お前は赤い髪をしているからアウルでどうだ? 赤色という意味で、私とおそろいだ」
少し考えてからそうオオカミさんが言えば、黒ずきんは目を輝かせました。
「うん、オオカミさんとおそろいだね!」
抱きついてくる黒ずきん――アウルは、幸せそうな顔をしていて。
オオカミさんまで、嬉しくなりました。
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「オオカミさん、おはよう」
朝オオカミさんが目を覚ますと、すぐそばにアウルの顔がありました。
ずきんを被っていないアウルは、改めてみても綺麗な顔をしているとオオカミさんは思いました。
「ほら、オオカミさん。ご飯の時間だよ!」
昨日の夜は狩りが早く終わったので、早めに帰ってきてオオカミさんは寝ていました。
その間にアウルは朝食のしたくをしたらしく、オオカミさんに催促してきます。
しかたないなとオオカミさんは人型に変身して、服を着ました。
それからアウルを自分の膝の上に招きます。
幼い頃からやっている習慣。
ここ最近アウルは急に背が伸び始めていました。
きっともう一年くらい少しすればオオカミさんの背を越してしまうことでしょう。
もう、オオカミさんが食べさせる必要なんてないはずなのに、アウルはこれをやめようとはしませんでした。
すぐ目と鼻の先に、アウルの真っ赤な髪があります。
「オオカミさん、ほら食べさせて」
振り向いてくるアウルの瞳と目が合いました。
凝縮されたりんごの蜜のような、琥珀色の瞳。甘えるようなその色に、オオカミさんの心臓がきゅっと音を立てます。
「オオカミさん?」
どうしたのというようにオオカミさんの体に、アウルがすりよってきます。
白い頬に、すっとした鼻筋。
黒いずきんがないせいで、アウルの顔が今まで以上にはっきりと見えます。
可愛いというよりは格好いいと言った方がいい顔立ちへと、アウルは変わっていました。
けれどオオカミさんの心は、可愛い可愛いと叫び続けていて。
今まで以上に酷くなったこの衝動にオオカミさんは戸惑いました。
「……今日からは自分で食べろ」
オオカミさんの言葉に、アウルがしゅんと俯きます。
落ち込んだ表情に、自分が物凄く悪い事を言ったような気分になりました。
「わかった。じゃあ、食べさせてはやる。けど膝は駄目だ。ほら、そのお前も大きくなったし重いからな」
「うん、ありがとうオオカミさん!」
結局折れてそう口にすると、アウルがオオカミさんに抱きついてきます。
全くしかたないな。
そう思いながら、正面に向き合ってアウルにご飯を食べさせます。
スープをすくって、口元に運んで。
膝だとアウルの顔をあまり見ずに食べさせることができましたが、これだとアウルと見つめ合う形になります。
女の子だと思っていた時と、アウルの面差しは大分変わっていました。
ずきんを外せば、誰が見ても男の子です。
いつも接しているはずなのに、目が合うと妙にドキドキして、ついオオカミさんは逸らしてしまいました。
何故アウルの顔をまともに見れないんだ、私は。
アウルの顔は好きです。
ずっと隠しているのを勿体無いと思っていたはずなのに、どうしてこんなにも見ていて落ち着かないのかわかりませんでした。