【5】黒ずきんと獲物
鼻歌を歌う。
機嫌がいい時に、オオカミさんがよく口ずさんでたメロディ。
一緒に暮らしていた猟師のおじさんが、よくオオカミさんといるときに歌っていたらしい。
耳に残るメロディだったから、つい覚えてしまっていた。
手早く手元で薬を調合しながら、それを銃弾に詰めていく。
獣人が獣化できなくなる薬を込めた弾丸。
それは、前に狼族になるためにつくった薬の、副産物として出来上がったものだったけれど、今の生活にとても役立っていた。
他にも色んな薬と銃弾をバックにつめて、黒ずきんを被り拠点を出る。
オオカミさんが姿を消して、三年の月日が流れていた。
オオカミさんは昔言っていた。
もっと北の方から来たんだと。
だからぼくも北を目指して旅をしていた。
北にいくにしたがって獣人は多くなって、その被害も結構あった。
獣人の中には、人を襲う者もいるのだ。
だから、村人はその対策にお金を惜しまない。
結構いい額の懸賞金が出る。
獣人はかなり丈夫で、普通の弾で傷を負わせたところで、大した怪我にはならないけれど、ぼくにはこの弾があった。
オオカミさんがいなくなってから、獣人を狙うハンターとして、色んな街を渡り歩いた。
ぼくとオオカミさんがいた街と違って、ここでは獣人の存在が認識されているから、目撃情報も結構多い。
それだけ獣人に対して敏感とも言える。
この前は狼族がいるっていう情報を入手して行ったものの、ハズレだった。
人からみたら獣姿なんてそう違いがわからないだろうけれど、あれはぼくのオオカミさんじゃない。
満月のようなやわらかな色をしたオオカミさんの毛とは違い、そいつの毛は青っぽくてがさついていたし、骨格がごつかった。たぶんあれはオスだ。
勘のいいやつなのか、ぼくの殺気に気づいて弾丸を避けた。
それからすぐに姿を見せなくなったところからすると、どこか別の森へ逃げたんだろう。
別にそいつに懸賞金が掛かってるわけでもなかったし、オオカミさんじゃないかったから興味が削がれたこともあって、放っておいた。
でもあの時に殺しておけばよかったなって、そんな事を思う。
街で仕度を整えてから、このあたりの森にいるという狼族を探そうと思っていた。
そしたら偶然、あの時のオオカミだと思われる人型が、ぼくのオオカミさんの肩に触れていたのだ。
しかも馴れ馴れしくオオカミさんの名前を呼んで。
「オオカミさんみーつけた」
ずきんを外して見つめれば、オオカミさんの瞳の中にぼくが映った。
「あぁ、オオカミさん。会いたかった」
ずっとずっと探していた。
オオカミさんは戸惑ったような表情をしていた。
どうしてここにぼくがいるのか、わからないって顔だ。
「探したよ。駄目じゃないかオオカミさん。ぼくを置いていっちゃ。さぁ、一緒に家に帰ろう?」
黒く渦巻く気持ちを抑えて、優しい声を出す。
オオカミさんに甘えるように。
オオカミさんは、少し警戒するそぶりをぼくに対して見せる。
仕草に問題はないはずだ。
時々寄ってくる女性たちにこういう仕草をすれば、皆わりと簡単に落ちてくれたから。
たとえ表面を取り繕っても、積もって捩れたこの想いは隠し切れてないんだなと気づく。
愛しくて、憎らしくて。
オオカミさんと出会って別れるまで、知らなかった暗い闇のようなこの気持ちは。
離れてからますます濃く深くなっていって、自分でも止められそうになかった。
●●●●●●●●●●
オオカミさんは、ぼくを連れて喫茶店に入った。
話をしてくれる気はあるらしい。
たとえ傷つきはしないと分かっていても、オオカミさんに銃口を向けるのは嫌だったからよかったとほっとする。
オオカミさんの分まで注文して、ミルクを冷ますふりをしてさらさらと袖口から強力な睡眠効果のある薬を入れた。
「はい、オオカミさんどうぞ」
「あぁありがとう」
ぼくが差し出せば、オオカミさんは疑うことなく飲んでくれる。
「……何故私を追ってきた。私を忘れて、人間と幸せになれと伝言を残したはずだが、聞かなかったのか」
「聞いたよ。でも意味がわからなかった。だってぼくがオオカミさんを忘れられるわけもないし、人間と幸せになれるはずがない。オオカミさんは何もわかってない」
ぼくがどうして怒っているのか、オオカミさんは理解できていないようだった。
「勝手に姿を消したのは悪いと思っている。だが、ああするのがお前のためにいいと思った。人間は人間と暮らすのが一番だ」
その言葉に、さっきまでオオカミさんの肩をなれなれしく触っていた奴の事を思い出す。
「狼族が狼族と一緒がいいように?」
「そうだ」
苛立ってそう口にすれば、オオカミさんはそれを認めた。
――へぇ、そっか。
オオカミさんは、あいつがいいんだ。
ぼくの事なんか忘れて、あいつと楽しくやってたんだな。
狼は狼同士で。
心の中で、黒い思いが張り詰めて、少しの衝撃で溢れてしまいそうだった。
オオカミさんさえ傷つけてしまいそうで、それをぐっと堪える。
「ぼくが狼族じゃなくて、人間だから駄目なの?」
「そうだ。狼族と人間は違う生き物だからな。生き方も寿命も違う。今まで一緒にいた事が不自然なんだ」
ぼくの問いに、オオカミさんは淡々と答える。
――そっか。
ぼくが人間だから、オオカミさんはそういう対象として見てはくれないのか。
なら、狼族なら愛してくれたのかな?
「ぼくはオオカミさんのものなのに、捨てるんだ?」
「……そもそもお前は私のモノじゃない。最初からお前は自由だ」
いつもやってたように瞳を潤ませて懇願してみたけど、今のオオカミさんにはきかなった。
ぼくはオオカミさんのモノじゃない。
じゃあ、ぼくはオオカミさんにとって何?
いても、いなくても変わらない?
ぼくはこんなに苦しかったのに、オオカミさんは違うんだ?
――ああ、そうか。
オオカミさんにとっては、ぼくなんてその程度の存在だったんだ。
何かがぼくの中で音を立てて壊れた。
「本当オオカミさん酷いなぁ! どんなに誘っても食べてくれないし、その上拾った覚えもないなんて」
酷くおかしくて笑う。
こんなにも好きで、追いかけてきたのにこれだ。
自分が滑稽で、酷く惨めで。
そして何もオオカミさんに手を出さず大切にしてきた事が馬鹿らしく思えた。
そんなんだから、思いが伝わらなくて逃げられたんだ。
自分自身をあざ笑う声が、頭の中で聞こえる。
「自由にしていいなら、もう可愛い子ぶる必要も我慢する意味もないか。オオカミさんをぼくのものにして……食べる側にまわってあげる」
ぴたりと笑うのをやめて、低い素の声で囁く。
オオカミさんには見せてこなかった、黒くて汚なくて、醜い自分。
大好きなオオカミさんの瞳を見つめれば、怯えたような色。
そんな風な目で見ないで欲しかった。
隠してきただけで、ずっとぼくの中にあった自分だ。
オオカミさんには本当は見せたくなかったのに、暴いてしまったのはオオカミさんだ。
オオカミさんが好きで、好きでしかたなくて。
ぼくだけを見てて欲しくて。
繋いで縛り付けて、ぼくの跡を刻んで、無茶苦茶にしてあげたかった。
ぼく以外の事を考える余裕なんてないくらいに。
逃げようとしたオオカミさんの体が傾く。
動いたことで、ようやく薬を盛られたことに気づいたんだろう。
優しくそれを受け止めて、抱き上げる。
「もう逃がさないからね、オオカミさん」
腕の中で目を閉じているオオカミさんには、きっと聞こえていない。
けれどこの重みにとても満ちたりた気分になって。
そっと目元の傷にキスをした。