【4】黒ずきんと闇に染まる心
また森に変な奴らが増えてきている気がする。
どうやらオオカミさんを探してるみたいだ。
そろそろ森を出たほうがいいかもしれないと、そんな事を思った。
前に一度、オオカミさんが人間に傷つけられた事があった。
この地域の人々は、オオカミさんが人狼だということを知らない。
だから、あの後オオカミさんはしばらくずっと人型で過ごし、ハンター達をやり過ごしていた。
けれど半年くらい経って。
偶然にもオオカミさんにあの日怪我を負わせたハンターばかりが、病気になったり気が狂ったり、事故にあったりして街を去って行った。
街では、森の神様に手を出したから、罰が当たったんだという話だったけれど。
大方甘い話にノコノコ着いて行ってうっかり崖から落ちたり、人気のない森で毒と知らず何かを口にしたり、おごりだからと言って知らない人からの怪しい酒でも飲んだのだろうと思う。
本当に馬鹿な奴らだ。
そんな事があって森には誰も近づかなくなり、オオカミさんはまた狼型で活動できるようになって。
オオカミさんは、ぼくが薬屋へ行くときの送り迎えもしてくれるようになっていた。
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しばらく平和だったのになと考えながら、薬屋での仕事を終えて街を歩く。
オオカミさんとの待ち合わせ場所へ向かう途中、ポスターを見かけた。
そこにはオオカミさんの絵姿。
愚かな人間が、オオカミさんの退治に莫大な懸賞金をかけたようだった。
なるほどと納得する。
最近森で見かけるハンターは、前の奴らよりも質が高い気がしていた。
前の奴らは、森の主と言われている大物を、俺たちで狩ってやろうぜみたいな遊び半分の数にモノを言わせたアホどもだったけれど。
この懸賞金目当てに、それを生業としているプロが森に入ってきているようだった。
迎えにきてくれたオオカミさんの背に乗る。
家に帰ってから、変な人間が増えてきたから、狼型になるのは控えた方がいいと忠告すれば、オオカミさんはわかったと頷いた。
これでしばらく、オオカミさんが撃たれる心配はないだろう。
それよりもオオカミさんに対する懸賞金をどうにかしなくちゃ。
前のハンター達の身に起こった出来事が原因で、森の主を排除した方がいいという声が高まったのかもしれない。
完全にぼくのした行動が裏目に出ているようだった。
何か策を考えてやつらを森から遠ざけるよりも、こっちが引っ越したほうが早い。
オオカミさんに懸賞金の事を話して、引越しの相談しよう。
そんな事を思いながら、次の日森で薬草を摘んでいたら声をかけられた。
「なぁ、そこのあんた」
全く気配を感じなかったけれど、そこには眼光の鋭い男がいた。
「あんた、オオカミと友達なんだろ? ここに呼べよ。報奨金分けてやるからさ」
街から帰る時に、オオカミさんの背中に乗っているのを見られてたんだろう。
男は嫌な笑いを浮かべながら、そんな事を言ってくる。
「嫌だ」
「ふーんそっか。別にお願いしてるわけじゃねーんだわ」
断れば、男はぼくの頭に銃を突きつけてきた。
とっさにナイフを投げようかとも思ったけれど、相手に隙がなくて。
抵抗する暇もなく、痛めつけられた。
「言わねぇならしかたねーな。オオカミって鼻がいいって言うし、友達の血の匂いがしたら飛んでくるかな?」
散々ぼくを殴ったり蹴ったりして後、男はぼくの腹に銃弾を打ち込んだ。
――オオカミさん、こないで。
痛みで意識が飛ぶ前にそんな事を思った。
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気づいたらぼくは病院のベットの上にいた。
「これ、君にお見舞いの品が届いているよ」
そう言って医者がくれたのは、ぼくの好きなりんごだった。
「銀髪の女の人がいきなり君を連れてきたときにはびっくりしたよ。彼女も怪我をしていたんだけど、自分はいいから君をって言って聞かなくてね。じっとしていられないらしくて、ドアの前にたくさんウサギやら果物やらを置いていくんだ」
その女の人がオオカミさんだって、ぼくにはすぐわかった。
怪我をしてるって聞いて、いてもたってもいられなくなったけれど、ぼくは体を起こすこともできなかった。
「しばらくは安静にしてなさい。女の人には私から君の無事を伝えておくから」
医者はそう言った。
次の日の朝、目覚めたらオオカミさんがぼくの側にいた。
目を開けたぼくに、オオカミさんは抱きついてきた。
その体は震えていて、ぼくの事を心配してたんだって全身で表していて。今にも壊れてしまいそうなほどか弱いオオカミさんを、ぼくは初めて見た。
いつも強いオオカミさんが、こんなにぼくの事で取り乱してる。
悲しませてしまったのに、そんなオオカミさんを見るのが酷く嬉しかった。
「……オオカミさんありがとう。ぼくを助けにきてくれたんだ」
さらりとオオカミさんの髪をよける。
右目の下に傷跡ができていた。
「これ、ぼくを庇ってできたの?」
「……平気だ。もう痛くない。アウルは?」
オオカミさんは、自分よりもぼくの方が重要だという風に尋ねてくる。
「大丈夫だよ。ねぇ、オオカミさん。他にも傷あるよね? ぼくに見せて?」
そう言えばオオカミさんは戸惑った顔をしたけれど、おずおずとぼくに肩の傷口を見せてくれた。
白い肌に適当にまかれた包帯。
オオカミさんは不器用だ。
医者にお願いして、包帯や綺麗な水、傷口に塗る薬を分けてもらった。
それから丁寧にオオカミさんの傷口をきれいにして、消毒し、包帯を巻く。
本当は医者にやってもらうべきなんだろうけど、オオカミさんの肌に触れさせたくなかったし、いざという時にオオカミさんを助けてあげられるよう、そういう知識も身につけていた。
ぼくの怪我も結構酷いものだったけど、オオカミさんの怪我も酷かった。
獣人は丈夫だ。普通の銃弾なら数をくらわない限り、わりと平気だったりする。
けれど、オオカミさんに打ち込まれた銃弾には、銀が含まれていた。
何故か獣人は銀に弱い。
銀で傷をつけられると、治りが遅く、そのまま跡が残ったりする。
つまりあのハンターは、オオカミさんが狼人だと気づいていた。
今森に帰るのは、人型でも危険だと判断する。
信頼できる薬師の友人に頼んで、家からお金と商売道具の薬箱を取ってきてもらった。
その薬でオオカミさんを治療し、医者にたっぷりとお金を手渡す。
「家が遠くてこの傷では帰れそうにないんです。しばらくここに置いて貰ってもいいですか?」
ついでに評判のよい薬も提供する事を約束すれば、この人のよい医者は快く自分の家の一室を貸してくれた。
オオカミさんは、ぼくの薬をつかったから治りは早かったけど、肩と右目の下に傷跡が残ってしまった。
「まだ痛い?」
「いいや。平気だ」
そっとオオカミさんの傷に触れる。
こんな傷をつけた奴を絶対許さないと思うのと同時に、ぼくのためにこんな傷がついてしまったオオカミさんを愛しく思った。
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街での生活も、それなりに悪くなかった。
オオカミさんと一緒に喫茶店に行ったりして。
服を買ったり、買い物を楽しんだり。
ただ、気になったのはオオカミさんの顔が浮かないこと。
時折ぼーっとして、何か思い悩んでいるように見えた。
店で買い物したものを受け取ろうとしたら、オオカミさんが横からそれを奪い取った。
「私が持つ」
「オオカミさん心配症だなぁ。傷も治ったしぼくが持つよ」
もう平気なのに、オオカミさんは譲らなかった。
オオカミさんは優しいから、ぼくが怪我をしてしまったことを自分のせいだと責めているのだ。
「あのハンターも森の祟りにあったみたいだから、気もすんだし。オオカミさんのせいじゃないんだから」
「……そうか」
明るく口にしてみたけれど、オオカミさんの表情はやっぱり晴れなかった。
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二人とも傷が癒えたところで、オオカミさんが引越しをしようと言ってきた。
ぼくと同じことを考えていたらしい。
オオカミさんがどうせ引越しするならと、作戦を提案してくる。
それは、ぼくがオオカミさんをやっつけたふりをするというもので。
なるほどとぼくは思った。
オオカミさんが死んでしまったことにすれば、面倒な人間はもう追ってこない。
それに迷惑料として報奨金が貰え、かなりいい案に思えた。
「いいか、この牙を証として懸賞金も貰うんだ。二週間後にいつもの酒屋で待ってる」
一石二鳥だというようにオオカミさんはそう言って。
ぼくとオオカミさんは、その作戦を実行に移した。
結果から言えば、作戦は上手くいった。
牙を渡して二週間経って、オオカミさんが森にいないとわかると、ぼくの手に莫大な懸賞金が入った。
騙したようなものだけれど、オオカミさんに迷惑をかけたやつらなのだから、これでも足りないくらいだ。
これから、オオカミさんとの新しい生活が始まる。
その前にぼくは、オオカミさんに告白することを決めた。
オオカミさんに、狼族にしてもらう。
旅をするにしても、これから先どこかに落ち着くにしても、オオカミさんと同じ狼族の方が何かと便利だ。
それに狼族になれば、あんな銃弾ごときでオオカミさんに悲しい顔をさせなくてすむのだから。
ただ心配なのは、オオカミさんがぼくの告白に頷いてくれるかどうか。
オオカミさんは態度や行動こそ素直だけれど、自分の心に素直じゃない。
ぼくを好きだと認められなくて、逆に意地を張ったりして。
説得するのに、物凄く時間が掛かりそうだから、本当はオオカミさんからぼくを襲うように仕向けたかった。
ぼくを好きっていう、言い逃れできない証拠を掴んで突きつけてしまえば、責任感が強く流されやすいオオカミさんを言いくるめるのは簡単なことだ。
まぁ、それはこの際しかたない。
ぼくを意識しすぎて、今以上にそっけなくなったりするかもだけど、積極的にオオカミさんを口説き続けていれば、そのうち頷いてくれるだろう。
このまま旅をするのもいいし、どこかの森の近くに家を買って、薬屋を開くのもいいかもしれない。
人間よりも狼族は長生きだ。
これから先、オオカミさんと一緒ならそれは素晴らしいことに思えて、酒屋へと向かう足は自然と早くなった。
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約束通り酒屋についたけれど、そこにオオカミさんの姿はなかった。
「あぁ、あんたか。銀さんから伝言を預かってるよ」
酒屋のおじさんが声をかけてくる。
銀さんというのは、オオカミさんのあだ名だ。
この酒屋さんとオオカミさんは長い付き合いで、いつもここでオオカミさんは酒を買っていた。
「私のことは忘れろ、人間は人間と幸せになれ。一字一句間違えず伝えたからな」
酒屋のおじさんが、口にした言葉の意味が理解できなかった。
忘れろ?
オオカミさんのことを?
人間と幸せにって、どういう意味?
足元がふわりと宙に浮いた気がした。
酒屋のおじさんが心配そうな顔で声をかけてきたけれど、何を言ってるのかさえ耳に入ってこない。
周りから全ての音と色が消え去ったように感じて。
奈落の底へ突き落とされた気がした。
そんなはずはないと思った。
だから、オオカミさんの姿を町中探した。
森に戻って家にも行った。
毎日寝る間も惜しんで、オオカミさんの事を探し続けた。
けど、オオカミさんは見つからなくて。
ぼくの前から姿を消してしまったんだと、認めるしかなかった。
雨がざぁざぁと降って来て。
見上げればそこに、真っ黒な雲があった。
雨粒が火照った体を冷やしてく。
頭の中は、妙にすっきりとしていた。
「ははっ、そうか。オオカミさんも、ぼくがいらなくなったんだね?」
腹の奥底から黒い何かが湧き上がってきて。
何故かぼくは笑っていた。
オオカミさんはぼくを置いていった。
いなくなった。
オオカミさんもぼくのこと、好きになってくれたと思ってたのは勘違いで。
ぼくの気持ちは、全然伝わってなかった。
いらないなら、最初から優しくしないで欲しかった。
こんな風に側からいなくなるなら、あの日そのまま放って置いてくれればよかった。
何も知らず、何も持ってなかった頃のぼくなら、こんな気持ちを知らずにすんだのに。
オオカミさんは、優しくてとても残酷だ。
オオカミさんといることで満たされていた胸の奥が、カラカラと渇く。
全てを拒絶するような、酷く攻撃的な想いがそこに渦巻いて、傷つける対象を探していた。
喪失感と、怒りと。
大好きだからこそ、ぼくは。
――オオカミさんが憎くてしかたなかった。
いいよ。オオカミさんがそのつもりなら。
ぼくから逃げるっていうなら。
捕まえてあげる。
もう待ってもあげないし、二度と離したりもしない。
縛り付けて、閉じ込めて。
ぼくだけのものにする。
「待っててね、オオカミさん?」
そう呟いて嗤えば。
オオカミさんと過ごした幼い日々の自分が、闇に消えた気がした。