第五話 自己紹介は笑みと共に
「出て行けって言ってるだろ! ここは僕の場所だ、僕に近寄るな!」
「ちょちょちょっとまて、待ってって! 俺達は……!」
メジャーリーガーびっくりの高速で飛んでくる文房具や椅子を紙一重で躱しながら、和真は部屋の主でもある少年――日柳穹に静止を呼び続ける。ちなみに、和真の身体を盾にするようにしてソフィは既に背後に退避済み。本当にちゃっかりしている。
「マスターの侵入が悪かった。これは埒が明かない」
「誰のせいでこういう状況になってると思ってるのかな!? うおっ!」
飛んできたサッカーボールを辛うじて躱し、和真は穹に向って諸手を上げて降参のポーズ。
「だいじょうぶだ、敵じゃない! ほら見ろ、俺の顔覚えてるだろ!? さっき屋敷の玄関で――」
だが、そこまでしてようやく気付く。
部屋の奥でソファの後ろに隠れるようにしている穹の姿が、着替え途中の半裸であったことに。本当に今回はどこまでもタイミングが悪い。
「うううううるさい! 人の着替え中に部屋の鍵粉砕して入ってくる変態なんて僕は知らない!」
「へーんたいじゃない! 確かに部屋の鍵を粉砕しちゃったのは俺が謝る! でも変態は取り消せ!」
「どうせじいちゃんの差し金なんだろ!? 貴方みたいな没個性な変態人間に僕のことがどうこうできるもんか、でていけ!」
「どうしてここで没個性出てくる!? こんにゃろう、ソフィ!」
背後に控えていたソフィの腕を引いて傍の物陰に突き飛ばす。わきゃっという彼女の驚く声を無視し、和真もまた一気に部屋の入口まで飛びずさった。ソフィを庇う状況でなければ、距離を詰めることはできる。
部屋の入口外まで飛びずさった和真の目の前に、いくつもの荷物が飛んでくるが、落ち着いてこれを躱す。そうして先ほど飛んできていたサッカーボールを引き寄せ、和真は足を振りかぶった。
「な、なんであたらないんだよ……!」
困惑する穹が手にしたのは、小さな写真立てだった。今までやけくそに飛んできていたものと違う、大切にされてきたであろう透き通るようなクリスタルの写真立てだ。穹がそれを和真に向って投げつけるより早く、和真は振りかぶった足でボールを蹴り飛ばした。狙うのは一点。
蹴り飛ばされたサッカーボールは穹の反応速度より早く、穹の顔面スレスレを横切った。
「うわっ!?」
「……よしッ!」
誰だって顔面スレスレにボールが飛んで来れば、反射的に回避するか縮こまる。一瞬だけ自分から離れた穹の視線に、和真は地面を蹴って穹との距離を一気に詰めていく。
だが、穹の手にしていた写真立てが宙に舞うのに気付き、慌てて和真はヘッドスライディング。
地面に落ちるスレスレで写真立てをキャッチし、そのままの勢いで穹の前に着地。図らずも穹に土下座して写真立てを献上するような体制になった和真は、荒れる息を整えながら穹に向って恨み節を投げた。
「お前、いくらなんでもそこらにあるもの全部投げるのは勘弁してくれよ、手荒になっちゃっただろ!」
「――――ッツ!」
「ん、なんで身体を隠――うゴッ!?」
見上げた先にいた穹の顔が真っ赤に染まり、半裸の身体を手にした服で隠す。と同時に、穹の鋭い右キックが顎を直撃。ついでに壁を跳ねたサッカーボールが脳天を直撃し、和真はあっけなく意識を手放した――。
◇◆◇◆
「ふんっ!」
「だから、悪かったって。土下座して謝るから」
「土下座して下から僕のことを眺めてニヤニヤするつもりだろ変態。服の裾から覗くおへそとか腋とかみてハァハァするつもりだろ気持ち悪い」
「どうしたらそこまで変態目線で見られるのかな!? いっそ本当にやってやろうか!?」
部屋の中にあったタンスの隅に隠れるようにしてこちらをにらみつける穹の視線に心折れながらも、和真は用意されているソファーにも腰かけず、床に正座。何を伝えるにも、穹にしてしまったことには謝る必要があるからだ。こちらの様子を伺う穹に向かい、和真はそのまま迷うことなく頭を下げた。
「さっきのも含めて悪かった。ついでに名乗らせてくれ。俺は――」
「……待って」
だが、土下座で頭を下げる和真の傍に、タンスの隅から出てきた穹は不満げな顔で近寄ってくる。そのまま和真を見下ろしていた穹は、深い溜息をついて和真の前に座り込み、正座をして居住まいを正す。穹のそんな姿に面くらった和真は、傍でちょこんと座っているソフィと視線を躱して小首を傾げた。
「冬獅郎じいちゃんがいつも言ってるんだ。名乗るときは目線を合わせろって。相手の上に立つでもなく、下に媚びるでもなく、同じ場所にいるものとして名乗れって」
穹が僅かに恥ずかしそうに語る言葉に、和真もまた共感し、笑う。飛ぶ鳥を落とす勢いの大企業のトップが語る言葉じゃない。
「……そりゃ、カッコいいな。わかった。俺もそうするよ。俺の名前は――」
「名乗った後は大いに見下せって。どうせ地面に這い蹲って泣きながら利用されるんだから、最初だけはいい気にさせてやれって言ってた」
「おーい、今すぐお前のじいちゃん呼んで来い! あんたの教育方針が全ての元凶だって声高に叫んでやる!」
ひとしきり言いたいことを言い合った後、穹がようやく落ち着きを取り戻してくれる。そうして穹に言われるままにソファーに腰かけた和真とソフィの前で、穹はソファーの背もたれに腰を下ろし、意図的な見下し態勢。
……やっぱり教育の問題ではないだろうか。
「それで、貴方達はいったい何なの。悪いけど、僕は一人になりたいんだ」
「改めてだけど、俺は和真。御堂和真。で、こっちがソフィ」
「……兄弟には見えないけど、なんなの貴方達」
訝しげに睨んでくる穹に和真が説明しようと口を開くと同時に、傍にいたソフィがうぅっと小さく呻きながら片手を口元にあて、涙ぐむ姿を見せる。
「私、マスターの道具だから。いつもいつもマスターに置いて行かれて、私は一人で……うぅ……っ」
「ハイそこォ! 嘘はついてないけど大体間違ってる言い方やめてくれないかな、やめてくれないかな!? 穹、お前も屋敷の人呼ぼうとするな!」
ぺろっと舌を出すソフィを睨むと、小さい声で一言、自分を置いて飛び出した仕返しと言い返された。何もこんな仕返ししなくてもいいだろうと涙ぐむも、和真は穹に向かって頭を下げて謝る。
「さっきの件は悪かった。あぁするしかないとは思ってたんだけど、怪我とかはしてないか?」
「さっきの件って覗きの?」
「違う違う。お前を抑え込んだ時のだよ」
「……ん、えっ、ちょ、ちょっとまって。抑え込んだって、さっき僕が暴れちゃったときの……? いたっけ、貴方達」
「いただろ。……あー、俺も変身してたから気づかないかな? あの――」
「もしかして、僕を止めたあの白髪の正義の味方……!?」
「白髪じゃない銀髪。私と同じ髪の色。白髪は失敬」
ソフィが不満そうに唇を尖らせるが、それ以上に穹の反応は早かった。座っていたソファーから飛びずさると、すぐさま和真のもとに近寄り、和真の両手を握りしめて懇願してくる。
「正義の味方なら、分かるだろ! さっきの僕の力……! 今すぐ僕を倒して、どこか誰もいない牢屋に押し込んでよ!」
牢屋に押し込んでくれ。そう懇願する穹の瞳のまっすぐさに、和真は思わず面食らってしまうが、穹の掴む手を離して首を振る。
「悪いけど、牢屋なんてものに押し込みたくなんてないし、倒したくもないね」
「なんでだよ! みただろ、さっきの化け物!? あれが僕なんだぞ!」
怒声に近い声で叫ぶ穹の前で、和真は少しだけ上を仰いで思い出す。玄関先で戦ったその姿でしっかりと目に焼き付いているのは、天使のような白い翼。
先日自分達が戦ったあの黒い怪鳥――ドン・キホーテとは全く違う姿だ。同じ変異型の突然変異主だからこそ分かる。既に向かう道を間違えたあの黒と違い、目の前の少年はまだ間違ってない。それ故の歪な変異。それ故の無垢な白。
「おう、見たぞ。いいよなぁ、あんな綺麗な羽なんかついちゃって。空飛べそうじゃないか」
「ばっ……! あれを見て、あれとぶつかってどうしてそんな感想が出るんだよ! ばっかじゃないのか貴方!」
「聞かれたから答えたんだろ。それに、ぶつかったから分かるんだよ。本当に人を傷つけようとする本物は――もっと恐ろしい」
「っ……」
和真の見せた困ったような笑みに毒気を抜かれたのか、穹は口を噤み、和真の前に力なく座り込んだ。その追い込まれるような姿が、どうしても過去に化け物になったばかりの自分とそっくりで。周りを傷つけることが怖くてしかたなくて、世界に味方が誰もいない一人ぼっちだと思い込んでいて。
座り込んで嗚咽を隠す穹の前に、和真も同じようにしゃがみ込んで視線を合わせる。
ソフィは和真が何をしようとしているのか理解し、同じように和真の隣にしゃがみ込んでふわりと座って自慢げにふんぞり返った。
「さっきの名乗りじゃ、足りなかった」
「……なん、だよ。何が、足りなかったっていうんだよ……?」
涙の滲む赤い瞳で自分達を睨む穹に、和真とソフィは互いに顔を見合わせ、互いの腕を差し出した。差し出した腕は穹の目の前で一つになり、差し出した腕は穹を止めた時と同じ正義の味方のスーツを纏った腕に。
そして、その涙を拭える資格があることを宣言するように、和真は自分自身を伝える。
自信満々で、満面の笑みと共に。
「御堂和真。何の因果か正義の味方にまでなっちまった、お前と同じ突然変異種の化け物だ。よろしくな、後輩」




