第四話 諦めないということ
「どうかしましたかの?」
とぼけたように顎鬚を撫でる冬獅郎の様子に、ソフィが心配そうに和真を覗き見た。彼女の視線に気づかないふりをした和真は、困ったように笑いながら冬獅郎の問いかけに答える。
「いえ、残念ですが俺に突然変異種の力を制御する事なんてできませんよ」
和真の答えに、冬獅郎は意味深げに視線を天井に向け、口角を吊り上げた。
「変異型でありながら、強化型として戦う。人々の恐れる突然変異種でありながら、人々を助ける正義の味方でもある」
「……っ」
目の前の老人の瞳の奥が読み取れないほどに暗くなる。其れこそ、失った右目の眼帯より黒く深く――。
見透かすような視線にさらされた和真の頬を僅かな冷や汗が流れ落ちるのに気付いたソフィは、掛けていたソファから立ち上がった。そのまま和真を庇うように一歩前に出たソフィは、冬獅郎に向って声を荒げようと口を開こうとする。
だが、それよりも早く和真が前に出たソフィの肩に手を寄せ、軽く押しのけるようにして冬獅郎の言葉に答えを返した。
「人助けが嫌いでも、人を助けられる。笑うことが怖くても、笑うことができる。俺みたいな化け物でも、こうしていける。俺はそれでいいって思ってます」
「……どうして、それでいいんですかの? つらいじゃろうて、そんな矛盾した生き方は」
老人の瞳は暗い。だが、なぜだろうか。その暗さの奥底にある何かは自分が見たことのある光に似ていて、和真の心は和真の口より先に言葉を続けていく。
「矛盾してますよ。怖いのは嫌だし、辛いのは嫌だし、痛いのもいやですよ。誰とも関わらなきゃこんな思いしない、見捨てればいい、見ないフリすればいい。一人でいきればいい。俺は化け物なんだから、仕方ない」
「えぇ、そうじゃのぅ。一人でいれば誰とも関わらずに済みますぞ。それが一番賢い生き方ですのぉ」
「でも、俺は一人で生きていけるほど強くない。一人でいるのは嫌だし、一人で辛いものを抱えたくない。見捨てたくない、見ないフリしたくない。こいつらと一緒に居たい。俺は化け物だけど、そうしたい」
「……」
ソフィの戸惑うような視線に笑みを返した和真は、いつの間にか自分を見て嬉しそうに笑っている老人に応える。
「仕方ないのか、そうしたいのか。生憎と俺はバカだから。頭で考えるより先に体が動く。だからきっと――そうしたいんです。そういう衝動なんですよ」
「ほっほっほっほ! 衝動ですかの! そりゃあどうしようもありませんなぁ!」
和真の答えに、冬獅郎は破顔した。其れこそまるで、我が子が初めて自分の名を呼び喜ぶ父親のように。心地よささえ覚えてしまうその笑い声に和真は頭を振った。
あぁ、分かった。
この人は――ベルイット・ベン・ベルに似ているのだと。
「ソフィ」
「……なに? 生憎と私はマスターが化け物だろうが関係ない。私はマスターのパートナー。マスターが何を言おうと、私はここにいるから」
「いきなりなんだよ恥ずかしい奴だな。別にそう言うことを聞いてるわけじゃなくて、立ってないで座ったらどうだ?」
「っ!」
ソフィの答えに照れ隠しの言葉を投げると、彼女の頬は赤く染まり和真の足の甲を踏みつけた。痛みに悶絶すると、ソフィはふんっと鼻息を鳴らしながらソファに座り込み、和真と冬獅郎を睨み付けてそっぽを向いてしまう。
「いやはや、意地悪な質問をして申し訳なかったですの。ですが、それが答えなのじゃよ」
「これが、答え?」
首を傾げる和真の前で、冬獅郎が笑顔のままに頷いた。そうして彼は扉の奥に消え去った孫を想い、語りかける。
「あの子――穹は、幼いころに両親を失っております。二人に良く懐いておっただけに、その心に負った傷は深い。わしらは目一杯あの子に愛情を注いだつもりですが、あの子はもう賢い生き方を選んでしまったんじゃ」
賢い生き方。
それはすなわち、誰も傷つけず、自分も傷つかず、人と関わらないように生きる。
先ほどの冬獅郎の問いかけの意味を、和真はようやくこの時理解した。
「わしはこう思っております。『突然変異種の力が制御できないのは、諦めであるからだ』とのぉ。化け物になってしまった。もう元に戻れない。普通じゃいられない。心の奥底でどこか、化け物であることを認めてしまっているんじゃ」
大藤大吾も。藤堂秀樹も。それまでに自分があったことのある突然変異種になった人々を思い浮かべ、和真は頷いた。
誰もかれもが、自分が化け物であることを認め、諦めきっていたことに間違いはない。
唯一。
唯一だ。
漆黒の怪鳥だけは、諦めていはしなかった。
あの敵だけはある意味で他の突然変種たちと違い、『突然変異種』であることを変えようとしてた。
故にこそ強く。あれほどまでに強い敵だった。
「だから、和真君にお願いしたいんじゃ。君は誰よりも諦めが悪いからのぉ」
「それって褒めてるんですか?」
「ふぉっふぉっふぉ。改めてお願いしたい。和真君、ソフィ君。どうかわしの孫を助けてくれ。わしの孫に、君らの諦めの悪さを見せてやってほしいんじゃ」
席を立ち、深く頭を下げた冬獅郎の姿を見て、和真は自嘲した様に笑った。
本当に人が悪い。そう言う言い方をされれば、自分達は是が非でもなんとかしたくなってしまう。
逃げ場を残さずに自分達を力技で巻き込んでいくこのあり方は、本当にどこかの誰かさんにそっくりだった。
だからだろう。
自分でも思っている以上の力強さで席を立ち、頭を下げた冬獅郎に向って、和真もまた手を差し出してしまったのは。
◇◆◇◆
「で、マスター。快諾したけど、ここからどうするの?」
「考えてると思う? 俺がそのことを」
「…………ふっ」
「そのそうでしたねっていう憐みの視線向けるの止めてくれないかな!?」
冬獅郎の部屋から出た和真とソフィは、屋敷地下にある巨大な鉄扉の前でどうしたもんかと頭を捻らせていた。
冬獅郎の願いである、孫の日柳穹のことを助ける約束をした。そうして穹がいつもいるという地下室前に案内されたのだが、如何せん何一つ作戦がない。
そもそも、自分自身突然変異種の能力を制御できている自信がなく、それを赤の他人である幼い子供にどうやって制御するか教えるというのも無理な話だ。
「なぁソフィ、俺って制御できてると思うか?」
「ドンキホーテも同じようなことを言ってた。ここ最近は変身時の生体信号は安定してきてるけど、それでも制御できているっていう範囲じゃないと私は思う」
「だーよなー。制御っていうか、ほぼ無意識に抑え込んでセーブしてるっていうのが正しいし、変身時はお前のサポートもあるもんなぁ」
「ふふん。つまるところマスターの制御には私が必要ってこと」
「別に胸張るところじゃないからね、ないからね」
くだらないことを言いながら既に扉の前で10分。隣にいるソフィは、とりあえず初対面の人間と仲良くなれる性格はしてない。むしろ軋轢を生む大変取扱注意なアンドロイド。それは御堂和真が一番よく理解している。
じゃあ自分はと言うと――、
「ロリコン」
「人の思考を読んで先走って回答するの止めれ」
「マスターの嗜好がわかりやすいだけ」
「思考違いじゃないかな!?」
このままここでじっとしているわけにもいかない。幸いにして自分は、穹と呼ばれる先ほどの少年と同じ年頃の子供達をあやした経験はある。
そっと目を閉じれば思い出す。幼い少女からのほっぺへのキス。男どもからのフルボッコ。リフティングオン股間。
あ、駄目だこの記憶、と頭を振って気持ちを切り替える。
「マスター?」
「なんでもない、いくぞ」
扉へ手を伸ばし、ガチャリという音。
「…………」
「…………」
そりゃそうだ。
先ほどあれだけ屋敷の中で変異して暴れ、冬獅郎に食って掛かるようにして地下室に閉じこもったのだ。目の前の巨大な鉄扉に鍵がかかってないはずがない。
ちらりと視線を向けると、扉の端にロック端末があるようだった。
いつもならここで日の改めが頭をよぎるが、今回は既に助けを求められた後だ。和真もソフィも思考が既に身勝手に進む。
「よし、ソフィ頼んだ」
「イエスマスター」
鉄扉の左右に備え付けられていたセキュリティロックを睨みつけたソフィは、ゴスロリのスカートの裾を捲り、そこから白い太ももに巻いたベルトに手を寄せた。すぅっと音もなく底から抜いたサバイバルナイフで、遠慮なくセキュリティロックにナイフを突き立てる。
バチィ!っという火花の散る音と、屋敷内にド派手なセキュリティアラートが為り始めるが、ソフィは意にも介さず突き立てたナイフの柄を蹴り込むようにして扉のロックを粉砕。
目の前の扉が、これ以上は止めてくれと言わんばかりの勢いで一瞬で開いた。
「――あの、ソフィさん?」
開いた扉の前で冷や汗だらだらで絶句する和真をよそに、ソフィはめり込んでいたサバイバルナイフをいそいそと引き抜き、和真の手に持たせた。
その後彼女はやりきったと言わんばかりに一息つき、いつの間にか手に付けていた半透明の手袋を取り、ポケットに隠す。
そしてソフィは、呆然とする和真の隣に並び立ち、
「――あ、あの、マスター? さすがにここまでひどい開け方はないとおもう。パートナーの私でもドン引き」
「あのォ!? え、なにこれ全部俺の仕業にされるの!?」
「残念だけど、そのナイフにはマスターの指紋がたった今べったり。私も見たことの無いナイフ。さすがマスターやることがちがう」
「完全に棒読みじゃねぇか! 電子ロックだったでしょ!? 君一応最新の変身ベルト型アンドロイドなんだし、もっとこうハイテクな感じでロック解除してほしかったんだけどな俺!」
「私にそれができないから、マスターが物理的に破壊した。あーあー、鳴り響くサイレンは犯罪者へのカウントだうーん」
「のぉおおおおおおお!?」
崩れ落ちる勢いで和真が床に手をついた瞬間、部屋の奥にいた少年の声が、和真達の耳に届いた。
「な、なんでここに来たんだよ!?」
御堂和真と日柳穹の出会いは、それはもう最悪な形で進んでしまった――。




