第三話 日柳冬獅郎
目の前に広がる巨大な飛空艇。空中庭園とまで呼ばれ、世のセレブ達の憧れ。ゆうに三百メートルはあろうかと言う超巨大な飛空艇だ。その巨大さは箱舟を連想させ、鮮やかなブルーホワイトの装甲は空よりも蒼い。豪華客船を連想させるようなその飛空艇の周囲では慌ただしく作業員がこの飛空艇に荷物を運びこんでいる。その理由は火を見るよりも明らか。
明日の夜にはこの飛空艇にて著名人を集めた晩餐会が行われるのだ。
「――と、私は聞いていたのだけれど」
小声でそうぼやいたブリジットは親指の爪を噛み、頭を振った。そうしてブリジットは隣で小首をかしげるメリーもよそに、自分達の背後にいる彼女に視線を移す。
「うむ、わかったのじゃ。わしのほうは先に私有地の発着場で待機しておるからの」
手にしていたスマホをポケットに押し込み、ベルイットは自分の傍で不機嫌に立つドレス姿のブリジットに笑顔を向けた。
「悪いのぉ、ちょこーっとだけ話し込んでしまったのじゃよ」
「別に構いませんわ。それに、わざわざ人を御堂さんから離した場所に連れ出したんですもの。それなりの理由があると思いますけれど?」
「うむ」
頷くベルイットが差し出した一枚の小奇麗な封筒を受け取り、ブリジットはその中身に目を通した。そこに記載のある内容をみて、ブリジットは眉を顰め、ベルイットに低い声で問う。
「……これはいつ届いたんですの?」
「この催しの日程が決まったその日じゃ。つまりは――」
「考えたくないですわね」
吐き捨てるように呟いたブリジットは再び手元に視線を戻す。そこにあったのは綺麗な封筒の中身に似合わないありきたりな脅迫文。
――日柳の暴挙を許すな。さもなくば空に浮かぶ庭園は地に堕ちる。
手にしていた脅迫文を封筒に収めて、ブリジットは溜息と共に封筒をベルイットに手渡した。
「……幼稚な脅迫ですわね。それでベルイットさん、貴女はこれを見てどうしようと?」
「なにもせん、と言うわけにはさすがに行かんからのぅ。冬獅郎に伝え、パーティそのものはあの飛空艇内で行うが、あの飛空艇そのものは飛ばさんようにだけしておいたのじゃ」
首をクイッと飛空艇に向けたベルイットと共に、ブリジットと傍にいたメリーも飛空艇を見つめた。あんなものが万が一、脅迫通り地に堕ちようものなら大災害になる。
「賢明ですわね。でも、パーティ参加者の身の保証まではさすがに私と御堂さんだけでは――」
人手がたりないのではなくて、と。そう問いかけようとしたブリジットの唇に、ベルイットが人差し指を添えて言葉を止めた。その顔が厭らしい笑みに歪んでいるのに気付き、ブリジットはベルイットの傍に控える二人の黒服のボディガードを一瞥。
彼らはブリジットの視線に気づくと軽く頭を下げ、注意深く周囲を見渡した。ボディガード達の視線の先にいるのは、現地に早い段階でついた招待客たちの姿。雑談に興じる者もいれば、従者をはべらすものもいる。
「……んーむ、ご主人様ご主人様。なーんか――」
「言わなくていいわメリー。私にも理解できたから」
隣にいたメリーがドレスのフリルを引くのを制し、ブリジットはベルイットを不満げに睨み付けた。ブリジットの視線に気づいたベルイットは満面の笑みで笑い返す。
「なぁに心配はいらんのじゃよ。何せ、相手は日柳冬獅郎。友人の頼みならどんな無茶苦茶でもやってのけるお爺さんじゃからの! ひょっほっほっほ!」
「……こんなことをしようと言う無茶苦茶度合では、貴女も人のことは言えませんの」
深い溜息をついたブリジットはベルイットに踵を返し、その場を離れようと歩みを進めると、
「あ、言い忘れてたのじゃが」
「なんですの? 私も振り回され過ぎて疲れましたわ。御堂さんが到着するまで暇ですし、あの中の休憩室でも借りたいんですけれど?」
「準備に時間がかかったからの。パーティの開催が三日後に延期じゃ。学校にお休みの連絡しておいたからの」
「――――あの、それは聞いていないですわ」
「いっておらんもん」
固まったままのブリジットを残して、ベルイットは御付のボディガード達を連れて鼻歌交じりに消えていった。彼女の背を見送ったブリジットは、メリーにドレスを引かれてようやく意識を取り戻し、
「……御堂さん、出席日数大丈夫かしら」
諦めの境地は、この場にいない誰かの心配に口を開かせただけだった――。
◆◇◆◇
「で、話ぐらい聞かせてもらえるんですよね?」
そう言って、屋敷の中に通された和真は隣を歩く妙齢のメイドに問いかける。だが、帰ってくるのは無言の笑み。先ほどあれだけの騒ぎがあったにもかかわらず、和真とソフィを屋敷内部に案内するそのメイドは表情一つ崩さず、黙って二人をある部屋の前に案内した。
「どうぞ」
そう言ってメイドは和真とソフィに先を促した。二人の目の前にある扉は、先ほどの騒ぎの影響を受けたのか、巨大な鉤爪の跡が残る。何よりその傷痕は――部屋の中から外に向っての傷だ。その意味を理解した和真とソフィは互いに視線を交わし、息を飲んで扉を押す。
そうして部屋の中に一歩を踏み出し、部屋の中に通されて二人は言葉を失った。
「お、ようやく来てくれたんですのォ。いやぁ、これはどうもどうも」
扉を開けてすぐそばにある壊れかけのソファに、老人が座っていた。白い顎髭を撫でるその老人は黒い眼帯で右目を覆い、細い指で白く染まる顎髭を撫でながら笑っていた。その笑顔が不思議と、和真は見知った誰かの笑みに似ている気がし、老人に向って笑みを返す。
和真の笑みに気づいたその老人は、ほっほっほと笑いながら自身もソファから立ち上がり、草臥れた着物の裾を引いて和真とソフィに向って会釈をする。
その老人の身体は小さく、痩せ細っていた。握手を求めて差し出された掌は細く、傷だらけだった。だが握り返したその掌の力強さは確かで、和真は心の奥底でこの老人の信念のようなものを感じ取ってしまう。
「あの、どうも、初めまして。御堂……和真です。こっちはパートナーのソフィです」
「いやぁどうもどうも。無茶な招待に快くやってきてて頂いて、感謝感激ですのォ。ほっほっほ。わしの名前は――」
「冬獅郎じいちゃん!」
挨拶を返そうとしてくれた老人の声を妨げ、耳に響く呼び声と共に扉が開かれた。開かれた扉の先に居たのは、先ほど和真と戦った幼い子供だった。
薄い茶色がかった髪の毛を軽く後ろでまとめていたその子供は、和真と老人を睨み付けるように歯をむき出しにし、叫び続ける。
「じいちゃん! 僕をどうしてこのままにしてるんだよ! 何度も言ったじゃん、僕をこの屋敷の地下牢に拘束してくれって!」
「……」
「地下牢……?」
その子供は乱暴な足取りで和真と老人の傍まで駆け寄り、和真を押しのけるようにして老人に詰め寄った。その横顔は泣きはらした後なのか、目元の赤さを隠せもしない。
「何度も何度も……自分でどうこうできるもんじゃないって言ってんじゃん! 僕の身になってよ、見知った屋敷の皆をわけもわからず怪我させて、でも優しいままの皆を傷つけちゃう僕の身になってよ……!」
「穹、じいちゃんや屋敷の皆はお前さんが大事なんじゃ。だからお前さんを牢屋に閉じ込めて自由を奪いたくないんじゃよ」
「そのせいで何度もそんな怪我しても、そんなこと言い続けるの!?」
そう言って子どもが老人の右目の眼帯に視線を移した。傍で押し黙っていた和真とソフィは、子供の言葉に黙って耳を傾ける。だが、老人の胸元を掴み上げるようにして泣き叫ぶ子供はそのまま、
「もういっそ全部全部……ッ!」
「大丈夫じゃよ、穹、お前さんならできる」
「――ッ、そうやって、そんな笑顔でいつもいつも……! どいて!」
老人の胸元から手を離したその子供は、傍にいた和真を突き飛ばすようにして部屋から飛び出て行ってしまう。和真はバランスを崩しながらも部屋を飛び出ていった子供を視線で追い、自分とソフィがなぜここに呼ばれたのかと言う理由にようやく思い立った。
「いやはや、恥ずかしいところをお見せしましたのォ」
眉を寄せた視線で子供を追っていた和真に、老人が困ったように笑いながら声をかけてくる。その声に和真もまた老人に視線を戻し、頭を下げた。
「あぁいえ……。それより彼のことは放っておいていいんですか?」
「彼……? あぁ、穹のことならどうせこの後また会うことになりますからのォ。それより申し遅れましたが、この爺の名は日柳冬獅郎じゃ。よくおいで下さった」
日柳冬獅郎。
目の前の痩せ干せた眼帯の老人こそが、自分達をここに呼び寄せた大企業――ヴィランズカンパニーの総帥。その柔かな物腰からだけでは判断できない世界の曲者。顎秀を撫でながら何かを思案する冬獅郎は、和真の問いかけに苦笑いで答えなおす。
「穹のことは、先ほどは来て早々ご迷惑おかけしましたのォ。普段はベルちゃんの御付の怪人が屋敷内におってなんとかしておるんですが、今回ちょっと無茶して外しておりまして」
「ベルちゃん……? え、ベルイットのことですか」
「えぇえぇ、ベルちゃんとは長い付き合いでのォ。和真君とソフィ君のことについても良く聞いております。なんでも、籍を入れたとかで。余興はソフィ君の腹踊りとか」
「入れてませんからね!?」
「私腹踊りなんてしない!」
「ほっほっほ。冗談です冗談です」
食えないなと、和真とソフィは眉間に皺を寄せて溜息をついた。そんな和真達の様子に気づいてか、冬獅郎は伸びる白い顎鬚を撫でながら、二人に伝える。
日柳が抱える問題と、和真達だけがここに呼ばれた理由を。
「お二人には、あの子――日柳穹の突然変異種としての力について、制御する術を教えてほしいのじゃ」
と。




