プロローグ 地下室の中で
『聞こえておったかの、和真、リジィ』
「あぁ大丈夫だ。リジィ、お前は?」
「問題ありませんわ。それよりも、自分の身を心配してくださいな。少しでも遅れれば、あなたごと射抜きますわよ?」
「勘弁してくれ」
『マスター、リジィ、敵が来る!』
脳内に響くソフィの声に、背中を預け合っていた和真とブリジットは弾けるようにその場を駆け出した。辺りは既に火の海。夜も浅く、疎らにあった逃げ遅れた人々の救助は、怪人と共に駆け回るベルイットが救助を進めている。
『マスター、右!』
ソフィの声に横薙ぎに迫ってきたコンクリートの瓦礫を仰け反って躱し、和真は爆心地の中央にいるソレを睨み付けた。強靭で巨大な肉体を包む銀の甲冑。アンバランスに巨大な両腕。その背には悪魔のように広がる赤熱に光る翼。
だが、これは全て変異によるものではない。
あれは敵がもともと纏っていた物だ。中身の巨体こそ、変異した突然変異種の姿。しかし、その身に纏う甲冑や翼は全て、あの突然変異種が元から身に纏っていたもの。
つまりそれは――、
「御堂さん! 行きますわよ!」
「っ、あぁわかった!」
脳裏に過る考えを振り払い、和真は既に先を駆け出していたブリジットの背を追って走り出す。肌を焼くような激しい熱に顔を顰めながらも、和真は瓦礫を蹴りつけ、加速した。
敵との距離がおよそ三百メートルを切った瞬間、和真の前を駆けていたブリジットの背が消えた。だが、和真はあえて彼女の姿を追わず、真正面から敵に向かって駆け抜ける。
あと数秒で接敵と言う位置に来た時点でようやく敵が和真の姿に気づいた。その巨大な掌を和真に向けたかと思うと、敵の周囲に転がっていたコンクリートが宙に浮き、弾丸の如く和真に向けて迫った。
『――!』
脳内でソフィの声が再生されるより早く、彼女の訴える回避パターンを行動に移す。敵に向って突撃するままに、正面から迫る瓦礫を飛び越え、しゃがみ込み、身を翻し、躱せないものは叩き潰す。だが、数が多い。
下がるしかない、そう思った直後、和真は直感で下がる足をギリギリで止め、顎を引く。瞬間、うなじスレスレを横切るようにして瓦礫を粉砕したのは真紅の矢。
天にとんだ彼女の一撃だ。だが、矢の嵐はそれだけで終わらない。次々と和真の目の前に落ちてくる真紅の矢。そのどれもが全速力で駆け抜ける和真の僅か一歩先を狙う、ギリギリの一撃。遅れれば射抜かれる。引けば諸共射抜かれる。
進行方向から迫る瓦礫を粉砕していく真紅の弓に、和真は悟った。
そのまま行きなさい、と。
後ろへの跳躍に移ろうとしていた上半身を倒し、両足に力を込める。肥大化する脹脛が爆発的な跳躍力のベクトルを敵に向けた。
そして、空に飛ぶのではなく、正面に向って――飛ぶ。
グォンッ、という耳鳴りをするような空気の壁に阻まれながらも、和真は敵の攻撃と真紅の弓の中を一気に突き抜けた。
敵への接敵直前に両脇に突き刺さった密度の高い真紅の弓を一瞥し、そのまま両手に集中した粒子で突き刺さる矢を手に取り、敵の真正面に着地。
真紅の二刀流のまま、一息に横薙ぎに矢を薙ぐ。だが、これに反応する敵は横薙ぎの一撃をしゃがんで躱し、そのまま顎を狙う蹴り上げで和真を襲う。これに辛うじて反応した和真は、薙いだ矢を地面に突き刺し、腕力だけで転身。顎の薄皮を裂く一撃を避け、さらに追撃。
追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃。十秒にも満たない僅かな時間の超高速の攻防。
「避けなさい!」
呼吸を思い出そうとした瞬間、天からかかった声に、和真はそのまま敵の左右に手にしていた真紅の矢を放り投げ、背後に跳躍。下がる和真を追おうと敵が腰を落としたそのタイミングで、手放した真紅の矢が爆散。空振が敵の動きを止め、そのまま天から降り注いだ轟烈な真紅の雨が敵の四肢を穿ち――、
ビィイイイイイイイ!
と。戦場には不釣り合いなほどの機械音が鳴り響いた。
『うむ、敵の行動不能を確認したぞぃ! そこまでじゃ!』
耳につけていた小型無線機に入ったベルイットの声に、飛びずさっていた和真は背筋を伸ばし、宙から降りてきたブリジットに拳を向けた。和真の隣に着地したブリジットもまた、差し出された拳に自身の拳をぶつけ、金色の髪をかき上げる。
「まぁ、ギリギリで合格点ですわね」
「これでギリギリかよ。今回はちゃんとお前の攻撃には当たってないんだけど……」
「当たってないのではなく、当てないように注意しただけですの。それに貴方、最初の一撃の後下がろうとしたでしょう?」
「うっ……」
ブリジットの訝しげな視線に負け、和真は項垂れた。それと同時に二人の纏っていたスーツが粒子となって解け、互いのパートナーが傍に並び立つ。
メリーはいつもと変わらぬにこにこ笑顔で。ソフィは僅かに不満げな顔で。
「マスター。リジィの攻撃もそうだけど、動き出しのタイミングが遅れてた。全体的に注意力不足。あと、敵との接敵の最初の一撃目。折角両手に武器があるのに、どっちも同じ方向からの横薙ぎじゃ相手に躱す手段を残し過ぎ。最低でも薙ぎと袈裟斬りにすべきだった」
「あぁ、さいですか……。突発で考えたには、あの戦法は結構ありだと思ったんだけどなぁ」
「そこは否定しないけど、全体的に勘だけに頼り過ぎ」
その後もぶつぶつ小言のあるソフィと並んで、和真はたった今のシミュレート戦を振り返り、アンチヒーローの用意した地下室を出た。
広い地下室の中央で、去っていった和真を視線で追っていたブリジットは、隣のメリーの頭を軽く撫で、通信機に問いかける。
「ベルイットさん、一つ宜しくて?」
『うむ、なんじゃらほい』
「あぁいうことが――できるんですの?」
『…………』
ブリジットの困惑の声に、ベルイットは押し黙る。
あぁいうこと――自分の放った真紅の矢を手にして、それを武器として利用するなんて真似ができるのかと。
「そもそも、メリーやアリサさんを含め、私達のパートナーが身に纏うスーツに変わる際には、個人に合わせた生体信号に同調するよう、ナノレベルでの分解、再構築されているはずですの。それはつまり、彼女達も私達も、一対一でしか同調はできない完全ワンオフ。武器も然り」
『これまでの理論なら、他人の武器には介入できるものじゃない、といいたいのじゃろ?』
ベルイットの言い回しに、ブリジットは瞳を閉じて頷いた。
「理解しましたわ。つまり、彼女はこれまでの理論じゃない、そういうことですわね。最新型と言うには、例の記録の件以外に大きな特徴があるようには見えなかったけれど、なるほど。これは確かに公にはできませんわね」
『ひょっひょっひょ。話が早くて助かるのじゃ』
「……一応、機密ですわよね、これ」
『うむ』
「………」
否定もしないベルイットのはっきりとした回答に、隣にいたメリーは小首をかしげた。対照的に、ブリジットは頭を振って深い溜息をつく。
「機密を知ったからには、これまで以上に働け、そういうことですわね」
『にょっほっほ! さぁ、和真のやつも先に休憩室に戻っておるのじゃ。新しい茶も用意しておるし、お主も早く早く!』
「ご主人様ご主人様! 新しい紅茶なのです! 私今日は新しいお茶菓子も持ってきているので、速く食べるのですよ!」
「メリー、貴女さっきのシミュレート中もお菓子のこと考えていたでしょう?」
「ぎくっ!?」
「……初撃の展開速度がコンマ二秒遅れましたわ。そのせいで初撃を危うく御堂さんにあててしまうところでしたの。……あの人はそれでも躱したけれど。今日は貴女、お菓子抜きですわね」
「のおおおお!? ご、ごめんなさいなのです、お菓子抜きだけはいやなのです!」
泣きつくメリーを引き摺りながら、ブリジットもまた地下室を去った。
◆◇◆◇
アンチヒーロー施設の地下室の一角。レストルームで椅子に座って身体を休める和真達に、部屋に入ってきたベルイットと桐子が声をかけた。
「それで、新型導入されたシミュレートシステムのβテストはどうだったかしら」
「あー……」
感想を考えているところで、隣で紅茶を口にしていたブリジットがすらすらと答え始める。
「悪くないですわね。これまでと違って局地的なフィールド構成も可能。敵のパターンもソフィさんがいればほぼ無尽蔵ですし。ただ、フィールド配置を考えると、まともに運用できるほどの巨大な空間の確保がきつい気がしますわ。私や御堂さんみたいな近中距離タイプは良いですが、飛行、遠距離タイプのヒーローの訓練には限られた空間であることは少しネックですの。ただ、今回敵役として配置された突然変異種のパターンは、合成変異種でしょう? イレギュラーっていう面においては言うことはないんですの」
「さすが、ヒーロー協会推薦で今回のシミュレートに参加してくれているだけあるわ。貴重な意見ありがとう」
「あー、やっぱりあの敵ってそう言う系だったのか。なーんか違和感あったんだよね」
ブリジットが口に出した、合成変異種。つまりは、複数の突然変異種の能力を組み合わせて作った人工変異種のことだ。とはいえ、あくまでシミュレートの中だけにしか存在しない。
「それにしても博士、ベル。こんなすごいシステムを開発したのってやっぱり……」
ソフィの問いかけに、ベルイットが大きく頷いた。
「うむ。アンチヒーロー並びにヒーロー協会のスポンサー。世界最大クラスの企業 ヴィランズカンパニーじゃ。あ、そうじゃったそうじゃった。和真、リジィ。ほれほれ」
「飛ぶ鳥落とす大企業のねぇ。って、なんだこの小奇麗な封筒」
「招待状、かしら?」
受け取った白と金で美しく装飾されている封筒を手渡される。傍にいたソフィとメリーもまた、互いのマスターの手の中にある封筒に首を傾げた。
「何って、決まっておるのじゃ。今回のβテスターに選ばれたお主ら二人に、ヴィランズカンパニーの会長様が空中晩餐会の招待状をくれたのじゃよ。明日からの三日間、空中パーティなのじゃ」
「へー、そいつは凄いな。空中パーティって、一体、どん……な……」
「噂にだけは聞いていた雲の上の存在の、あの大企業に呼ばれる、なん、て……」
バッと言わんばかりにそばにいた互いの顔を見合わせた和真とブリジットは、驚愕に目を開き、慌てて立ち上がってベルイットと桐子に詰め寄った。
「お、おおおお、おま、いまなんて!?」
「あの大企業が、私達を招待するんですの!?」
詰め寄る二人に、ベルイットはにへらと笑みを歪め、ブイサイン。
「わし、あそこの会長のお爺さん、マブダチ。ツーカーの仲」
この日、アンチヒーローの地下施設内で警報が誤作動するレベルの叫び声が上がった。




