エピローグ 御堂和真に休日
「……入るからな。いいか、ほんとに入るぞ?」
自分の部屋だというのに、扉の奥から感じた不機嫌な雰囲気に和真は思わず声をかけてしまった。窺うような和真の声に、当然中で膨れ上がっていた彼女の不機嫌な声が届く。
『ここ、マスターの部屋。ノックせずに勝手に入っていい』
「お前、一度ノックせずに入って着替え中だった時殴り飛ばしてきただろ」
『う、うるさいの! そういう不可抗力はあるけど、いまはいいの!』
理不尽な答えに溜息をつきながらも、和真は扉を開いて部屋の中に入った。
電気はついてない。ただ唇を尖らせて不満げに瞳を細めたままのソフィが、ベットの上で丸くなっていた。
被った白い布団が、まるで寂しげなウサギの耳のように垂れ下がっており、どうしたもんかと迷っていた和真は声をかけ続けることを決める。
「お前、あいつらがお前のとってきた映像見て大笑いしてたぞ。いつとってたんだよあれ」
「……べつに。ベルとマスターが繁華街で待ち合わせしてたのをみんなで尾行してただけ」
「おい、お前それ最初だよね!? しかもみんなってどういうこと!?」
問い詰めるとソフィはぷいっとそっぽを向いてしまう。
「私以外は繁華街で別れた。その時、リジィから映像取ってきてってカメラ渡された」
「ベルよりもそっちからカメラ渡ったのかよ……」
「いや、カメラにアンチヒーローのロゴが入ってた。多分ベル経由でリジィに渡されたもの」
「…………」
隠す気などさらさらないのだろう。ソフィは聞いたことを丁寧にすべて答えてくれる。というか、答えてくれるからこそ不安で押しつぶされそうになる。
……現在進行形でこの部屋、盗撮されてないよね?
「ま、まぁいいや。で、どうやって遊園地の中にまで入ったんだよ」
「偶然余ってたチケットを博士からもらっただけ。後は変装してマスター達の後を追って映像取り続けてた。……途中で係の人に捕まったけど」
思わず係の人に取り押さえられて慌てふためくソフィの姿を想像し、噴き出してしまった。当然の如く、顔面に飛んできた枕に仰け反り、和真はそのまま床に倒れ込むように座った。
「ったく、盗撮してた今回に関してはお前らのほうが悪いんだからな!?」
「…………」
「な、なんだよ?」
布団をかぶって顔だけ出したままのソフィの眉間に皺が寄った。怒っているわけでも、拗ねているわけでもない、ぐちゃぐちゃな感情の混じった顔だ。強いて言うなら、困惑だろうか。
「観覧車だけは映像取れなかった。でも、私の番が回ってきたときに、マスター達は下りずにもう一度そのまま上がっていった」
「あー……」
思い出した。自分達がもう一周と宣言した時、待ち列の先頭にいた帽子を被った少女。あの少女がソフィだったのかと。
そんな和真の心の内をしってか知らずか、ソフィは布団からゆっくり抜け出し、立ち上がる。そして、和真の脇を抜けてベランダへの扉を開けた。そのまま消え入るような小さな声で、
「何があったかは聞かない。もともと、今回のこれは私の中での借りを返すためのもの」
「借り?」
「……こっちの話」
そういって、和真の問いかけには応えずに、ソフィは銀色の長い髪を揺らせながらベランダに出た。彼女を追うようにして和真も立ちあがり、ベランダへとでる。
ベランダの手すりに手をかけて星空を見上げるソフィの横で、和真は手すりに背を預けた。
既に夜も遅く、見上げる空は真っ暗闇だ。たが、そんな中でも確かに輝く星はあり、頬を撫でる夜風はこの時間が偽物でないことを肌に焼き付ける。
「そういや、あの時もこうやって一緒に並んでたな」
思い出すのは、街中で大吾からソフィ達を助けたあの夜。あの夜にも自分達はこうしてベランダで並び立ち、問いかけられた。
どうして自分達を助けたのか、と。いうなれば、遠回しにどうして人を助けることが嫌いな貴方が、人を助けるのかと。その答えは未だにはっきりと形にはできないが、あの時に浮かんだもう一つの疑問に対する答えは、既に和真の中にある。
「……あの時と今は状況も環境も変わった」
「そりゃそうだ。お前のパートナーになって、リジィ達が一緒に暮らすようになって、虎彦さん達に出会って――」
「出会って?」
言葉の先が気になったのか、ソフィが顔だけ和真に向けて続きを促した。だが、ソフィの問いかけに和真は苦笑いだけを返して、言葉を続けなかった。
人を助けるために生まれたお前を――助けようと思った、だなんて。
「なんでもない。それに、変わったのは状況や環境だけじゃないだろ?」
「ほかに、何が変わったの?」
視線を合わせて不審げに小首をかしげるソフィを見つめ替えし、和真は微笑んだ。そんな和真の笑みを見たソフィは、僅かに頬を赤らめ、口元を窄めた。
その口元の笑みに、和真は答える。
「お前が――やっぱいいや面倒臭い」
「ちょっとまって。そこまで言って面倒臭いはない、絶対ない! そこまで言ったらちゃんと最後まで言うべき!」
「いやだよ。大体お前、前にこうして話してたとき言っただろ。素直すぎ気持ち悪い吐き気がするって」
「言った……いや、言ったかもしれないけど、あの時と今は違うの! いいから、ちゃんと答えるマスター!」
鯖折りを決める勢いで腰に抱き着いてきたソフィが、そのままがっちり両腕でホールド。忘れそうになるが彼女はアンドロイド。想定外の力に、メキメキと背骨と腰が悲鳴を上げる。
「あだッ!? い、いだだだ!? ちょ、ちょちょちょちょいまって、た、たぁいむ! せめてロスタイム延長でッ!」
「くだらないこと言ってないで答える! 私の何が、変わったって、いうの!?」
「前言撤回ィ! お前全然変わってない、変わってないって! 今も昔も俺に対する扱い酷くない!?」
「う、る、さ、い、の! マスターこそ全然前から変わっ――てなにこれ?」
暴れ出していたソフィの締め付けに、和真がポケットに隠していた紙切れが一枚落ちた。目聡くその小さな紙切れに気づいたソフィが、和真から手を離してしゃがみ込み、それを手にする。
そして、手に取ってすぐに言葉を失ったソフィの様子に、タイミングを見計らっていた和真はバツ悪く頭を掻き毟った。
「あー……。まぁ、その、なんだ」
「マスター、これなに?」
手にした紙きれを両手でもって、探るような上目づかいでソフィが尋ねた。彼女の視線に根負けした和真は、視線を夜空に向けて渋々答える。
「いや、ほら。今日はあいつとデートすることになっただろ。けど、それはまぁなんていうか、俺なりの恩返しみたいなもんもあってだな……。だからまぁ、あれなんだよ」
「…………」
ソフィは無言で、手にした紙きれ――明日開催されるヒーローショーのイベントチケットを抱いたまま、和真を見上げた。やはり、彼女の長い銀色の髪は夜にこそ映える、なんて気付いてしまい、和真の声は意識せずに早くなる。
「ほら、ベルだけに恩返しってのもおかしな話で。それに、お前ヒーローショーすきだったろ? 運よくチケットショップで見かけたから、たまにはいいかなと……」
「……いいかなっていうのは、なにがいいの?」
「そこまでいわなきゃいけないの?」
「なにが、いいの」
ソフィのまっすぐな視線が向けられ、和真は赤くなった頬を掻いて咳払い。手にしたチケットを胸の前に抱いたまま、彼女は何かを言いたげにしながらも口を紡ぐ。ソフィのそんな姿に、和真は思い出す。
そういえば、こんなにまっすぐに彼女が自分を見るようになったのはあの時からだと。
――自分が、彼女のために正義の味方になることを宣言したあの時。
すぅっと、息を吸い込む。瞳を閉じて震える唇をきつく締め、和真はソフィの視線を受け止めた。恥ずかしい。恥ずかしくて死にたいほどに叫びたいが、もう一度だけ彼女にはまっすぐに答えよう、
「明日、お前をヒーローショーのデートに誘うって言ってんだ」
「嫌」
「ちょっとォ!? そこ、お前そこで断る!? 間もおかずに即答で断る!?」
「今の、顔が気持ち悪かった。エロいこと考えてた。プリーズ、やり直し」
「恥ずかしさと照れのミキシング笑顔のどこがエロいのかな!? 思春期男子皆泣くぞ!」
まっすぐに自分を見つめて来ていたソフィの表情はしたり顔に変わった。胸に抱いていたチケットを掴んだ彼女は、ひらひらと揺らせながら和真に背を向ける。そしてそのまま彼女は狭いベランダと一歩、二歩と歩きながら項垂れる和真に声をかけ続けた。
「今日ベルとマスターは朝から晩までずっとデートだった」
「あぁ、まぁそうだよ! あぁそうですよ!」
「マスターとベルが合流してから、二人が別れるまでの時間が、十一時間四十六分二十四秒」
「……時間にされると結構長いよねホント」
「ベルのデートが約十一時間。なのに、私のデートはヒーローショーだけの……チケットを見たらたったの二時間だけ?」
「…………」
そこですかぁ、と言わんばかりに和真は頭を抱えた。
とはいえ、彼女の言い分も分からないではない。背を向けたまま、少しだけこちらをちらりと覗くソフィの視線に、和真はポケットに手を突っ込む。そこにあった財布の厚さに心許なさこそ感じるが。
「あぁもうわかった! 明日は朝九時に家を出るぞ! いいな、そこまで言うなら今日と同じ時間までお前にも俺のストレス発散に付き合ってもらうからな!?」
「……待ち合わせは駅前で」
「っ……、ハイソウデスネ!」
やけくそ気味に叫んだ和真は、がっくりとベランダの塀に頭を乗せ涙ぐむ。そんな和真の隣をソフィがてくてくと抜け、
「ありがとう、マスター。私の我侭に付き合ってくれて」
「うるさい。明日は俺の我侭に付き合ってもらうからな。ここまでさせるんだ、お前にはいあーんっていってケーキ食べさせるからな絶対」
「わかった。じゃあ私はベンチで膝枕しながら子守唄」
「…………」
「…………」
「わかった、俺が悪かった。どんな顔していいか分からないからもう止めて」
「ぷぷぷ」
半笑いの笑顔を見せられた。思わず拳を握りしめて、彼女の頭に落としたくなるがぐっとこらえる。
なぜ堪えるかって、それは当然――、
「ベルさん、いいかしら。明日は御堂さんがソフィさんとデートするみたいですし、来週の土曜は私のデートを入れておいてくださいな。新作の紅茶を買いに行きたいんですの」
「うむ。大きな事件が起きなければ、来週の土曜はお主と和真のスケジュール調整はしておくぞい」
「お、じゃあおっさん日曜に坊主に付き合って貰おうかな。いやぁ、届いたキャンピングカーの慣らしもしたいしなぁ。おっさん、おめかししてくる」
「あ、虎彦は日曜協会の用事付けてるんで無理です。代わりに私が御堂さんのお相手しておきますね」
「おっさんショックリーマンショック! 坊主、慰めて、坊主とデートできないおっさんの涙を拭って!」
「つーか、なんであんたら全員俺の部屋にいるんだ!?」
部屋の中でベッドに腰掛ける女性二人と、扉の前で崩れ落ちる筋肉一体。彼らに寄り添うゴスロリ二人。どう足掻いても、つい昔までこの家にあったプライバシーの保護は、数の暴力の前には無力なようで。
仲間達がいたことに今更気づいたソフィは、銀色の髪と同じぐらい真っ白になって灰になり、そのままガタンと崩れ落ちて二度と立ちあがることはなかった。
「和真っ!」
「なんだよもう!」
「にっひっひ。ひょっほっほ!」
大笑いと共に差し出されたのは、先ほどまでの自分とソフィのやり取りを撮影したスマホ。鮮明に映し出される身悶えする映像に和真はベランダへと踵を返し、
「俺の休日、どこいったぁああああああ! カムバァック、ホリディ!」
この日の大絶叫は、のちに近所のマダム達の女子会のネタになるのであった。




