第六話 人の知らぬ間人知れず
「で、結局御堂だけなのな」
「そう言う耕介こそ、一人寂しく予防接種だろ」
顔を見合わせて項垂れる。予防接種を終えた和真とその友人の耕介は、ともに受付前の椅子に腰を下ろした。お出迎えも無ければ、女っ気一つないさっぱりとした予防接種。
お互いの甲斐性の無さに二人は乾いた笑い声を上げた。
「ったく、面倒だよなぁ俺も御堂も。俺なんて、結局注射の後三十分も気絶。寝起きに看護師さんが憐みを込めて肩を叩いたのが夢に出そうなんだけど」
「あー、それで遅刻した俺と同じ時間に出てくるわけだ。俺はさすがに注射じゃ気絶しないけどね」
「仕方ないだろ! 子供のころからほんっと、注射っていうか、あぁいう細いの苦手なんだよ」
肩を抱いてぶるっと震える耕介の様子を見て、和真は彼の肩に手をかけ、頭を振った。
「耕介、見苦しい」
「おまっ、それは酷くないか!? ったく、それじゃあ俺も帰るからまた月曜にな、御堂!」
「あぁ、またな」
手を振って受付を去って行った耕介を見送り、和真もまた椅子から腰を上げて病院を出た。すでに時刻は九時近く。夜風が肌に染み、思わず身震いしてしまう。
そんな折に感じたのは、風に乗った甘い香り。鼻孔を擽るその香りにつられて、和真は視線をそこに向けた。
ケーキ屋だ。
ここ最近、クラスの女子たちの間で話題に上がっていたのを思い出す。あのリジィの口からも名前が出たことのあるケーキ屋だ。それだけでも興味が惹かれるというのに。
「……まぁ、たまにはいいか」
今朝家を出る前に問い詰めてきたソフィやリジィ、アリサ達へのお土産でもと、ケーキ屋に向う。普段こういうことをしない和真としては、彼女達へのちょっとしたドッキリの意味も込めて。
「さぁて、どのケーキがあいつらの好みに合うかな」
一人で過ごしていた頃には感じたこともなかった明るい気持ちを抱え、和真は並んでいるケーキの吟味に入った。
店頭に並んでいるのは、残り少ないものばかり。クラスで話題に上がるだけあって人気なのだろう。辛うじて残っているのは、オーソドックスなショートケーキ。少々値が張るホールタイプのデコレーションケーキ。そして、アイスケーキ。どれも普段甘いものを積極的にとらない和真からしても、思わず喉を鳴らしてしまうほどだ。
「お客様、いかがいたしましょうか?」
「ん、あー……、じゃあそのホールケーキを一つお願いします」
カウンター越しに悩んでいた和真だったが、思わずかけられた店員からの声に迷うのを止め、目の前にあった大きなホールケーキを選択する。多少値ははるが、たまには悪くないだろう。
そう思い、和真は財布をポケットから取り出して顔を上げると、
「それではこちら、三千二百円になります」
「あ、どうも。これ……五千円、か……ら……」
和真の選んだケーキを箱詰めして差し出すのは、モグラ顔の怪人。
疲れたのだろうか。目を閉じ眉間を揉んでもう一度直視する。
差し出される箱を掴むのは、巨大な爪。器用に爪先に箱をぶら下げた状態。カウンター越しに見えるのは、茶色の毛の上にラブリーなエプロン姿。愛らしいくりっとした黒の瞳が正面から和真を凝視し、頭に遠慮がちに乗った白の三角巾はシュールだった。
膝がひとりでに爆笑寸前。
「はい、おつりの千八百円になります」
「は、い」
差し出されたお釣りを受け取り、和真は店員――モグラ怪人に背を向ける。
振り返っちゃだめよだめだめ。
そんな白い顔の神様の気遣いを知りつつも、和真はやっぱり振り返って問いかけてしまった。
「……お前、なんでここにいるの?」
「今日は御付のお仕事、有給を頂いているんです」
「へ、へー、有給なんてあるんだそうなんだ」
照れたように笑うモグラ怪人の声を改めて聴いたわけだが、外見に似つかわしくない、可愛らしい声。姿を見ずに声を掛けられれば、胸躍るような美声だ。
――というか、喋れたのか。
「私なんて有給溜まっちゃってて、ベル様に怒られたんです。有給じゃ有給って。ホント、愛らしいですよねベル様って」
「いやぁ、あー、うぅん、あぁうん」
「それ、ベル様達へのお土産ですよね?」
「いやまぁそうなんだけど、そうなんだけども」
「きっと喜んでくださいますよ! サービスも付けておきましたし、是非皆様で楽しんでくださいませ!」
「サービス?」
伝えられた言葉に、渡されていたケーキの入った箱を顔の前に持ち上げる。別段、箱に特に違和感はない。
「あ、だめですよベル様達に見せる前に開けちゃ。サービスと言う名のドッキリみたいなものなんですから」
「あぁなるほど。わかった、ドッキリに引っかかったベルの様子は今度内緒で教えるよ」
「ぷふっ、ありがとうございます! ではでは、またのおこしをお待ちしております!」
手を振ってくれるモグラ怪人にお辞儀を返し、和真はその場を足早に去る。
なんとも最後の最後で足をすくわれた気分だ。今度自宅で会ったときは、虎顔怪人の方にも声をかけてみようか、なんて思ったところで、ふと思い出す。
「あー……」
別れ際にむすっとしていた彼女の姿。手にしたホールケーキの箱を顔の前に持ち上げて凝視してみるが、やっぱりこれだけではあの表情を笑顔に変えることはできないだろう。
「そうと決めたら、よし」
仲間達へのプレゼント――とは別の、彼女だけへのドッキリが必要だ。苦笑交じりに、和真はもう一度だけ財布を開いてその中身と戦った。
◆◇◆◇
「ただいま」
三十分ほどたって帰宅した和真がそう告げるが、いつもなら出迎えてくれるソフィやベルの姿もない。だが、玄関には彼女達の靴やリジィ、虎彦さん達の靴も並んでいる。
心なしか、廊下の奥――居間から賑やかな声が聞こえてくるのに気付き、和真はぽりぽりと頭をかいた。
「にぎやかだなぁ。もう。おーい、帰っ……た、ぞ……」
勢いよく今の扉を開けた和真が目にしたのは、ソファーの上に詰め寄るようにして座り込む女性四人。ベル、リジィ、メリー、アリサ。そして彼女達の隣で寝っころがってゲラゲラと笑う虎彦。
彼らは皆、ソファーの前に勝手に移動させたテレビで、映し出される映像を見て思い思いの声を上げて笑っている。それだけなら普通の光景だ。友達が来てみんなでゲームをプレイして大騒ぎしているぐらい普通な光景だ。
あえて言うなら――現在進行形で自分達のデートの映像が流れていなければ、だ。
「ハハ、っふふぅ、ぷぷ、あ、あら、御堂さん……ぷっ、いつ、帰ったのでして? ――ふふっ」
「おお坊主、今帰ったのか。ほれ、坊主もこっちカモン。……っていうか、坊主デートの段取り下手だなぁ。おっさんが教えてやろうか?」
目聡く和真の姿に気づいたリジィと虎彦が、半笑いで和真を手招きする。彼らの薄ら笑みに殺意を覚え、思わず手にしたケーキの箱を投げつけそうになるが、慌てて空いた手で押さえつけた。怒りのままに放り投げそうだったケーキの箱は食卓の上へ丁寧に置き、目一杯に息を吸い込む。そして、
「……で、なにこれ? なんで、なぁんで今日の俺の動画撮影会が行われてるのかな!?」
和真の切なる叫びに、一番大きな声で笑っていたベルイットが振り返った。その顔を羞恥――ではなく、完全な笑いすぎで真っ赤にして。
「ひょっほっほ! ひょほっ、へほっ、ゲホゲホ!? うひょひょひょひょ! でっひゃっひゃっひゃ!」
振り返ったベルイットはまさに破顔。少女にあるまじき大爆笑。息切れも酷いほどに大笑いをしたまま、和真を一瞥してニヤリと笑い、そのままデート動画観賞に戻った。何一つ弁明もないままに。
慌てて和真はソファーで笑い転げるベルイットの頭を掴み、持ち上げる。
「何、弁解するわけでも説明するわけでもなくただ笑うだけ!? 大体、当の見られて恥かしい側のお前がどうして一緒になって笑ってるわけなんだよ!」
「あいだだだ、頭もげる、もげるのじゃあ!」
ベルイットの額に指の痕が付く程度に彼女にアイアンクローを決め、和真はようやく彼女を解放した。よほどの苦しみだったのか、解放されたベルイットは頭を抱えて床を転げまわり、奇声を上げている。
活動的な黒の服装にホットパンツなせいで、色々とちらちら見えてしまい、和真は視線を逸らして頭を抱えた。
「お前の自分すらネタにする芸人根性には恐れ入るけど、もう少し考えて行動をだな」
「考えておるぞい。こうやってお主と二人っきりのデート映像を残すことで、将来の結婚式でのお披露目映像にもなるのじゃ。それにそれに、孫うことなき既成事実にアンチヒーロー最新の映像編集技術を組み合わせればなんと! 劇的、ビフォーアフター!」
「なんと……ってなんだよ。ん?」
ベルイットが自慢げに指差した先――現在再生中のデート映像を見て、和真の顎が外れた。
それはもう、素敵なほどのハートマークの嵐。
画面の先で、乗り物酔いしたベルイットを介抱している自分の頬が赤く染められ、恋する乙女顔に強制変更。自分を見上げるベルイットの瞳にハートマーク。
カットインだろうか。映像中の物理的距離は近くなかったというのに、切り取られた自分のアップとベルイットのアップが映像中に並べられ、まるでキスでもしたかのような良い仕事。
――これでもかと言わんばかりの映像の幻想曲。
幸いにも、自分達が観覧車に乗っていた時の映像はないが。思わずベルイットにキスされた唇の傍をなぞってしまい、その瞬間を傍にいたベルイットに見られてしまう。
彼女は僅かに頬を染め、黙ってにへっと破顔した。そんなベルイットの笑顔に喉の奥に出かかっていた彼女へのツッコミを飲み込み、行き先を失った視線をテーブルの上に戻す。
「……ったく、人がせっかく気を使ってケーキを買ってきたらこれかよ。っていうか、いつこんな映像とってたんだよ」
「あれ、御堂さん知らなかったんです? ちゃんと専属カメラマンちゃんが御堂さんとベルさんの後をずっと撮影してたんです」
涙目を拭うアリサの返答に、和真はぎょっと目を見開いて絶句する。そしてその言葉の中にあった『カメラマンちゃん』に思い当たってしまい、バツ悪く和真は頭を掻き毟った。
どおりでそのカメラマンちゃんがこの場にいないわけだ、と。
「行ってお上げなさいな。拗ねてますわよ絶対」
「わかってるっての。……はぁ」
リジィに指摘されるように、間違いなく拗ねているに違いない。まぁ、もとより弁明するつもりではあったのだが。とはいえ、そんな彼女を一体どんな言葉でなだめたもんかと頭をかきながら、和真は机の上に置いてあったケーキの箱をあけた。
「とりあえずさ、お土産にケーキを買ってきてるから、みんなで食べててくれ。あいつは今から連れてくるからさ」
「ひょっほう! さっすが気がきくのう! アリサ、リジィ、メリー、一緒に食べるぞぃ!」
「はいはいはい! 私ケーキが大好きなのです! ケーキに合う紅茶の準備は任せてくださいなのです!」
「ちょっと待って、今さり気なくおっさんの名前なかったよね。おっさん、一人さっきからはぶられて寂しい! この年頃のおっさん、美少女より繊細なアルミホイルハートなのよ!」
「虎彦ちょっとくどいです。それに加齢臭きついのでそっちで一人で食べてください」
「おっさんハートくしゃっとなったぞ!?」
アリサきついひとことに、虎彦がしょぼんと頭を下げ、切り分けられたケーキの中から一番大きなサイズをさり気なく抜き取ってその場を逃げた。
目聡く気付いたアリサとメリーが、逃げる虎彦を追いかける。彼らの様子に溜息をつくと、傍に近寄ってきたリジィが和真の肩を叩いた。
「ソフィさん、頬膨らませてましたわよ」
「そりゃ、大変だ。んじゃ、後頼むな」
そう言ってリジィに後を任せ、和真はソフィのいる自室へと向かった。
◆◇◆◇
「……行きました?」
「うむ、いったぞぃ」
和真が階段を上っていく音を聞き、騒がしかった居間に居た五人は顔を合わせて頷いた。そうして、ケーキの箱の底にあった隠し蓋を開き、そこから一つのビデオテープを取り出す。
「それが嬢ちゃんが言ってた、もう一つの隠し撮りってやつか?」
「もちのろんじゃ。わしが唯自分のデート映像を取るだけで満足するはずがないからのぅ! ひょっほっほ!」
「悪趣味ですね、ベルちゃんは」
「わし、アンチヒーローの幹部じゃもーん!」
悪びれもしないベルイットの様子に、隣り合って立っていたアリサとリジィが顔を見合わせて苦笑い。
「さぁて、和真の嬉恥ずかし初デート上映会はおわったのじゃ。続いての第二部。その名も『銀髪ツンデレ少女の一人で盗撮できるもん!』じゃ!」
和真とソフィの知らぬ間に、五人のいる居間は新しいフィーバータイムへと入っていった――。




