第五話 素直になれない理由は
観覧車の二週目を終え、言葉少なく降りた二人は夕暮れを背にテーマパークを出た。
辺りを見渡せば他の家族連れやカップルなども少なからず帰宅の途につき始めている最中だ。そんな中、自分の手を引いて歩いていたベルイットが唇を尖らせ、悔しそうに呟く。
「うぅむ、本来ならこの後にテーマパーク内で特大花火や怪人達によるショーもあったのじゃが、むむむ」
「悪かったって。ただ、昨日も言ったけど今日はこの後用事があるん――」
そこまで口にして初めて思い出す。
本日の御堂和真の目的。ベルイットと二人でいる目的。少なからず頭の隅からすっぽり消えてしまっていた、最初の目的だ。
彼女を――さり気なく病院に連れて行くこと。
綺麗さっぱり忘れていた己の目的に和真は頭を抱えた。そして、前を歩いていたベルイットを追い抜いて彼女の腕を引く。
「悪いベルイット。この後の用事にお前も付き合ってくれるか?」
「え、え、えっ!? 夕暮れ時のこの後の時間! 夜景の見える高級レストランで愛をささやき、そのまま二人っきりでホテルの一室密室ゴールイン!?」
「お前頼む! 人通りの多いこんな場所でそんなとんでもない事口走らないでくれないかな!?」
頬を染めて自らの肩を抱くベルイットの頭をひっぱたきながら、和真は歩く足を速める。勘の良い彼女のことだ。ぼろを出すとすぐにこちらの目的はばれてしまう。
「まぁ食事ぐらい奢るよ。今日のデート代、ほとんどお前に持ってもらったようなもんだし。俺も少しはカッコつけないとだからな」
「ひゃっほう! ではでは、レッツ三ツ星レストラン!」
「おーけーわかった。三ツ星レストラン級の味わいを楽しめる屋台に連れて行く。大丈夫、最近ボックスカーから大型キャンピングカーに変わる予定の屋台だ。店主は冗談のきついおっさんだが、味は保証する。ゴスロリの店員さんもいるぞきっと」
「ソレたこ焼きじゃないじゃろうか!?」
絶望にしがみ付いて叫ぶベルイットの顔を押しのけ、和真は物知り顔で彼女の肩に手をかけた。
「だぁいじょうぶ。たこ焼きじゃない。ツァッコイ・ヤーキだ。お前なら食える。俺の所持金でもフルコースが行ける。なんならカッコよくツケるところも見せてやるから」
「いやぁじゃ! 女子のロマン、夜景の見える展望台のディナーがいいのじゃあ!」
「だいじょうぶ、夜景の見える場所まで移動してくれるってセルフサービスで」
「それ全然ロマンチック足りないのじゃぞ!? ロマンチックくれなのじゃ!」
「お前がもっと逞しく生きたらな」
「スパーキンできんぞぃ!?」
騒ぐベルイットの腕をとって、和真はベルイットを引き摺るようにして帰りの電車へと向かって行った。
◆◇◆◇
電車を乗り換え、街に戻ってくるころには既に時間は七時を回ってしまっている。駅前と言うこともあって、テーマパーク入口ほどに人通りが多い。すれ違う人達はまだまだこれからいろいろな場所に向うのだろう。誰もかれもが活気にあふれたまま和真達の傍を歩きぬける。
電車のお釣りをベルイットから手渡され、財布に戻そうとするが、人の流れが速い。諦めて小銭を片手に握りしめ、そのまま和真は周りの波に流されぬよう、ベルイットの腕を引いた。
駅前の広場を抜け、大通りに出る。流れが駅に向っているおかげか、通りの人はまばらだ。
「さぁて、んじゃまずは食事の前に俺に付き合ってもらうぞ」
そう言って自然にベルイットを連れて病院の方角に顔を向ける。だが、
「ちょっとまずのじゃ和真。そっちは病院の方向じゃぞ。ワシ、ソッチニヨウハナイナイ」
とんでもなく鋭い。足はまだ病院の方角に向いていないというのに、顔をそちらに向けただけで彼女は気付いた。
「別に病院に行くとはいってないだろ?」
「病院に行かないとも言ってないのじゃ」
「…………」
「…………」
笑顔で無言の睨み合い。互いに腹の底を読みあう戦い。緊張感に流れる冷や汗を無視し、二人は互いを視線だけで牽制しあう。
「ゲホッ、ゴホッ、ぐっ、この前の傷の痛みがっ、急に……! やばい、これやばい、今のままじゃまた入院し――」
「三日で完治したからのぅ。一週間はかかると言われておったから、毎日見舞いに行けるように仕事のスケジュールもずらしておいたのに」
「…………」
「…………」
しゃがみ込んで肩を掴み、痛むふりをしていた和真をベルイットが覚めた視線で見つめる。彼女の視線の先で和真は思い出す。そう言えば、怪我したの肩じゃなくて脇腹だった。
「おーけーわかった。腹を割って話そう。俺は今日この後予防接種があるからついでにお前も――」
「じゃんけん!」
「えっ、なっ、ちょっ?」
「ぽん!」
「ぽ、ぽん!」
勢いに促されるままにグーを出す。彼女はパー。
「ハイ決まったのじゃ。帰るぞい和真」
「ちょっと待って、ちょっと待ってくれない!? 今のノーカウントじゃないかな! そう言う勢いだけで誤魔化すの、俺よくないと思うな!」
「じゃんけん!」
「えっ、ちょっ、なっ」
「ぽんっ!」
「ぽぉん!」
グーを出すと、彼女はまたパーを出していた。というか、彼女と手を繋いでる方の手は使えない。じゃんけんに使う手の平の中には電車賃のお釣りが。どう足掻いてもグーしか出せない。
「おい、ちょ、これ卑怯じゃね!?」
「あっち向いてホイ!」
「ホイィ!?」
人間、勢いに飲まれた時は意のままに動かされる。彼女の細い指が指し示す先に和真も思わず顔を向け、あっけなく敗北。
「お主の負けじゃな」
「納得いかない、超納得いかないんですけど」
「というか、ほれ。わしの指差した先見てみるのじゃ」
「いやだから、とにかくお前も俺と一緒に――ん?」
ベルイットに言われてみるままに視線を向けると、反対の通りから信号を渡ってくるのは銀髪の少女。いつもの目立つゴスロリに銀髪ツインテールを揺らすソフィだ。
彼女はてくてくとこちらに向ってきたかと思うと、一度だけ不機嫌に和真を睨み付けた。
「お、おうソフィ。お前も研究所から戻ってきてたんだな」
「マスターのばーかばーか」
「藪から棒になんでかな!?」
「自分の胸に聞いてみるといい。マスターはもっとパートナーである私を大切にすべき……って、今はそれは別にいいの。それより、ベル」
「うぬ?」
和真から顔を逸らしたソフィは、小首をかしげたベルイットに視線を移す。そのまま和真とベルイットが繋いでいた手を乱暴に引き剥がしたソフィは、ベルイットの腕を引いた。
「マスター、悪いけどベルに用がある。アンチヒーローの案件で彼女の呼び出し」
「ちょっ、おいおい! いや、俺は今日コイツを連れてこの後――」
「ふむ。そう言うことなら仕方なかろうて。悪いが和真、今日のデートはやはりここまでじゃ。すまんのぅ。まっ、観覧車の中のアレで今日は十分じゃったがの! ひょっほっほっほ!」
「だ、だからお前はなんでそう……っ! ったく、あぁもうわかった。俺一人でいってくるよ!」
観覧車の中でのことをソフィに話されると、彼女にどやされるだけでは済まされない。ベルイットも用事ができてしまったことを考えると、和真にもう彼女を連れていく手段はなかった。
今は一刻も早くこの場所を去るべく、赤く染まりかけた頬を隠して和真は二人に背を向けた。
だが、彼女に伝え忘れたことを思い出し、和真は乱暴に頭を掻く。照れるには照れるが、今日一日彼女に振り回され楽しんだことへの意趣返しも含めて。
「ベル。そういや、一つだけ」
「んん? なんじゃ急に」
「楽しかったよ、今日は。ありがとな」
そう伝えると、視線の先にいたベルイットの顔がすぅっと朱色に染まった。彼女の隣にいたソフィは、和真の言葉に瞳を細めて唇をすぼめる。そんな二人の様子をみて、和真は初めて彼女達に会った時を思い出し、思わず吹き出してしまった。
和真の様子に気づいてか、ベルイットは慌てて口を開き、
「――――っ、さっ、さっさと和真は病院に行ってくるのじゃっ! わ、わしはソフィとも、もう向こうに行くからの!」
「はいはい。んじゃソフィ、また後でな」
「……ん」
背を向けてしまったベルイットの様子と、むすっとしたソフィの様子に必死に笑い声を堪える。彼女達に別れを告げ、和真は一人、病院へと向かって行った。
◆◇◆◇
和真がその場から去ってしばらくして、ベルイットは地団駄を踏むようにして己の赤くなった顔を押さえる。そうしてどこにぶつけていいか分からない照れを誤魔化すように、声を荒げて頭を振った。
「まったく、まったくもうなのじゃ!」
「……じー」
「和真のやつめ、乙女心を分かっとらん、まったく分かっとらんのじゃ! 去り際にあぁいうことを言うのは卑怯じゃろう!」
「……じー」
冷めた視線で自分を見つめるソフィの視線に気づいたベルイットは、咳払いと共に慌てて冷静さを取り戻す。
「な、何じゃソフィ、わしは別に何にも悪い事しとらんのじゃぞ」
「別になんでもない。それより、これで私の借りは返した」
「お主に借りなんて作ったつもりはないんじゃが」
「あの時、私とマスターを二人っきりにしてくれたお礼。ただそれだけ」
ソフィの言葉に、ベルイットはおおうと返答して思い出した。大藤大吾の一件のときの話を今更持ち出したのかと。
ベルイットは、ムッツリ顔のソフィの脇腹を肘で小突きながら、ニヤニヤと笑みを歪める。
「お主も難儀じゃのう。下らん事なんぞ考えず、まっすぐぶつかっていけばよいじゃろうに」
「……生憎と、私は捻くれた性格で作られてるの。ベルとは違う」
「ひょっひょっひょ」
「とにかく、借りは返したの。私はもう疲れたから先に帰る」
「うむ。助かったのじゃぞぃ!」
「……ふんっ」
僅かに頬を染めたソフィは、ベルイットを残してその場を去って行った。ベルイットは彼女を見送り、和真とソフィの姿が消えたのを見計らい、物陰に声をかける。
「すまんのう、桐子。色々と迷惑をかけてしまったのじゃ」
「いいえ、やりたい放題の上司の命令だもの。仕方ないわ」
「にょっほっほっほ!」
物陰から姿を現した桐子は、掛けていた眼鏡のずれを直し、ベルイットの隣にたった。スーツの上から羽織っていた白衣を手に携え、ベルイットの背中をぽんっと叩きながら、桐子は深い溜息をつく。
「それにしても、危なかったわね」
「うむ。和真のやつの目的は知っておったが、危うく無理矢理病院に連れ込まれるところだったのじゃ。助かったぞぃ」
「貴女にそうなられてはたまったものじゃないもの。でも、まんざらでもない顔してるわよ?」
「そりゃ、わしは和真大好きっ子じゃからのぅ! 病院ではなく、素敵なレストランやホテルなら諸手を上げてついていくのじゃぞ」
「ソフィも貴方みたいにまっすぐ和真君に向けるといいのだけれど」
苦笑いを見せる桐子の横で、ベルイットはソフィが消えていった通りに視線を移す。物憂げなベルイットの姿を見て、桐子は思い出したように瞳を閉じた。
「……あの子より貴女のほうが、素直じゃないのかしら」
「…………」
桐子の言葉に、ベルイットは答えなかった。唇をなぞるベルイットの様子を、桐子は寂しそうに見つめて声をかける。
「貴女も難儀ね。素直に言えばいいのに。ようやく会えたのでしょう? それに、あの時――」
「それは言えんのじゃ」
珍しく拗ねたようにそっぽを向くベルイットの様子を見た桐子は、首を振った。
「貴女が気に病むことではないと思うけれど」
「それでも――」
桐子の言葉を遮り、ベルイットは彼女の前を歩き始めた。その視線は歩く道の先――それよりもなお遠い過去を見据え、彼女は自嘲した様に桐子に応える。
「私は、和真に笑っていてほしいの。それ以上は、望んじゃいけない」
と。
ベルイットの答えを聞いた桐子は一瞬だけ驚いたように目を開き、だがすぐに深い溜息をついた。そこには僅かの自嘲と憐れみを含め。
「やっぱり、貴女もソフィと同じで難儀なものね。素直じゃないんだから」
「ソフィのやつと同じと言うのは納得いかんのじゃ! 大体、あ奴を作ったのはお主であって……!」
「人格形成実験に付き合ったのは貴女よ。というか、面白がってあの子の試験に色々捻くれたことしたのはベルちゃんでしょう?」
「何のことじゃか全くわからんもーん!」
「あ、こらちょっと待ちなさいベルちゃん! そもそも貴女は昔っから――」
拗ねたように先を歩くベルイットを追いかけるようにして、呆れたように笑う桐子も彼女後に続いて通りの奥に消えていった。




