第四話 笑える理由
「分かったから引っ張るなって」
一日で全てのアトラクションを制覇する。そんな勢いでベルイットに引きずり回されながら、和真はベルイットの楽しそうな様子に笑顔を返す。
彼女達が自分の前に現れるまで、自分の趣味など精々――散歩ぐらいしかなかった。誰を気にすることもなく、人気の少ない散歩道をのんびりと過ごす。たったそれだけが幸せな時間だったというのに。
「もう、随分と毒されたな俺も」
「うにゅ? 和真和真、何かいったかの?」
「俺もお前らに随分毒されたって言ったんだよ」
「ほっほう! お主もようやくわしの魅力に気づいたのじゃな! うむ、そう言うことなら奮発して思いっきりハンドル回転なのじゃ!」
「おいバカ調子に乗っ――ぬおあああ!?」
ゆっくりと回転していたコーヒーカップアトラクションのハンドルを、彼女が思いっきり回す。勢いよく自分達の乗るコーヒーカップが回転し始め、目の前が目まぐるしく変わった。
「うおおああ!?」
「ひょっ、ほっ、ほっ! ど、う、な、の、じゃ、ああああ!?」
ハンドルを回すベルイットの声が細切れに聞こえてくる。もはや目が回る勢いで身体を揺らされる和真は、コーヒーカップから投げ出されそうになるのを必死に堪え、同じく吹き飛んでいきそうなベルイットの腰に手を廻して彼女を引き寄せた。
それでもなお嬉しそうに笑う彼女の様子に、和真もまた周囲の視線独占しまくりの状況を楽しんだ。
「ううっぷ、うごっ……」
「だから、お前やっぱりバカだろ」
本日二十五回目。勢いで行動するまではいいが、その後にベルイットは必ずこうして崩れ落ちる。和真自身は最近の無茶な行動や訓練の甲斐もあって多少の揺れには何とか耐えられるが、あのメンバーの中では最も一般人に近い彼女はそうもいかない。
崩れ落ちたベルイットの背をさすりながらも、和真は空を赤く染めはじめた夕焼けを見て瞳を細めた。
「ベル、そろそろ良い時間だ。最後に乗りたいものって何かあるか? 絶叫系は駄目だけど」
「おぉう……。最後はもちろん、あそこなのじゃ……!」
げっそりとした顔で指差す先、テーマパークの中央で煌びやかに輝く巨大アトラクション。他の絶叫系に比べて、装飾された電灯が派で七中にもどこか幻想的に輝く――観覧車。
定番だな、なんて思いながらも、和真は分かったとだけ告げて彼女に笑顔を返した。
◆◇◆◇
「ひょっほー! さすがにここから見る景色は爽快じゃのう! 人がゴミのようだ!」
「いや、あんなに一杯ゴミ散らかってたら足の踏み場ないだろ……」
観覧車の中でなお、外を眺めながら奇声を発して喜びを上げるベルイットの様子を見て、和真は苦笑いを浮かべた。
今日一日、今と同じハイテンションなままはしゃぐ彼女の様子に、和真はずっと考えていた一言を彼女に問いかけた。
「ベル、お前、何かあったのか?」
「どうしたのじゃ、急に」
小首をかしげるベルイットの表情に、動揺は一切ない。彼女の様子を見てなお、和真は言葉を続けた。
「お前はさ、俺達が思ってる以上に先を見てる。無茶苦茶やってるようで、その実、計画的に行動を運ぶ。そんなお前が、はしゃいだだけで今日みたいな無茶な行動をするのか?」
「それはお主の考えすぎじゃろうて。わしだってこう見えて普通の女の子なんじゃもん。好きな人と一緒に居られるのであれば、これくらいはしゃぐのだって――」
「そこがずっと気になってたんだよ」
そう問いかけると、ベルイットが浮かべていた笑みが一瞬だけ固まった。彼女のこんなちょっとした変化にさえ気づけるようになったのも、今さらだ。
出会ってからずっと、迷いなく自分の傍に居続けた彼女の放つ言葉。最初こそ感じていなかったが、こうして一日彼女とデートをして初めて気づいた――疑問。
「お前は、どうして俺なんかを好きだって言い続ける?」
「……にょっほっほ」
和真の問いかけに、嬉しそうに騒ぎ続けていたベルイットが、小さく笑って居住まいを正した。騒がしい彼女には似つかわしくない姿。普段とは違うおしとやかな私服。そのどれもが、今と言う空間をしっとりとさせてしまう。
「会った時に言ったじゃろ。お主に惚れた。理由なんぞ、その程度じゃよ」
「俺は、お前に惚れられるようなことなんて何一つできた記憶なんてないよ」
「助けてくれたではないか。あの時に」
「それは、お前らが――」
「それだけで、いいの」
諭すように、ベルイットが笑みを浮かべて答えた。いつもみたいに年寄り臭い言葉ではなく、はっきりと。彼女の様子に言葉を失ってしまった和真は、次の言葉を見つけられない。呆然とベルイットを見つめていると、彼女はにっこりと笑い、外に視線を移す。
ベルイットにつられるようにして、和真もまた彼女と同じように外に視線を戻した。
彼女が先ほど言っていたように、人はまるでゴミ用に集まり、進み、流れていく。月日が流れるのと同じように。この時間がいずれ終わるのと同じように。
「和真。どうすれば、人は笑えると思う?」
「ベル?」
外に視線を移したままの彼女が、問いかけた。その問いに耳を傾けた和真は、答えを探す。
「楽しいことを考える。嬉しいことを考える。面白いと思ったものを見る、とか。いや、なんか違うな」
自分なりに考えて出てくる答えはどれも、しっくりこないものだらけだ。言われてみれば確かに難しい問いかけだ。そもそも、楽しい事を考えるってのがしっくりこない。思い出し笑いってのも確かにあるが、それが答えだとは思えない。そもそも、何が面白いかなんて人それぞれで、つまりは――。
「にょっほっほ」
顎に手を当てて思案していると、いつの間にか自分を見つめて笑っているベルイットの姿に気づいた。今のどこに面白い要素があったのか理解できないが、彼女は確かに今笑っている。
「考えても見つからん答えってやつなのじゃ。齢を食えば食うほどに、その答えに論理的な意味を人はつけたがる。何故笑うのか。何が面白いから笑うのか。そもそも、面白いから笑っているのか、楽しいから笑うのか。楽しいとは――何なのか。そんなふうにの」
「……」
「ワシやお主も、ソフィもリジィも虎彦も、桐子もそうじゃ。理由なんて必要ないのじゃよ。人が初めて一歩を踏み出すことに、何一つ理由なんてない。ただあるとすれば――」
「あると、すれば?」
ベルイットは何かを思い出すように瞳を閉じ、胸の前で手を組み祈るように伏せた。そして、顔を上げた彼女は初めて自分に見せた笑顔のように、ぱっと破顔した。
「純粋な――衝動だけじゃ。衝動は行動に変わり、その後にようやく理由が追い付くのじゃ。お主がそうであるようにの」
「衝動……か。そうだな」
ベルイットの言葉が身に染みる。リジィを助けた時に自分も彼女に語った。理由があるから助けるのではなく、ただ助ける。理屈などで動くことなどできず、身体が動く。それは確かに、ベルイットの語るように自分の中にある衝動だ。
「じゃあさ、お前にはそう言う衝動はあったのか? 俺がそうだったみたいに」
「もちろん!」
にへっと笑う彼女は、悪戯をする前の子供のようにニヤニヤと笑みを歪めた。そして、
――ちゅっ。
「――――――――え?」
「私は自分の衝動に正直に生きるって、ずっと昔から決めてるの」
何が起きたのか、和真はすぐには理解できなかった。ただ分かったのは、自分の唇の傍に何かが触れた感触と、目の前にいるベルイットが見たこともないほど真っ赤になっていることだけだ。
呆然自失。
多分、これほどまでに自分が自分を見失ったことなど過去にないと言わんほどの驚き。
ガチャンと音を立ててゴンドラが揺れる。だが、和真とベルイットは互いに見つめ合ったままピクリとも動かない。開かれた扉の先では、係員と次の順番を待つ帽子を被った少女が。
「お疲れ様でしたー。お客様、降りられますか?」
「…………」
何か聞こえてくるが、耳には全く入らない。視線をベルイットから外すことができず、ベルイットも同じく和真から視線をはなさなかった。そうして再び、ガタンとゴンドラが揺れ始める。何かを言わないと。そう思い、二人はともに口を開き――、
「……と、りあえず、もう一周乗ってます」
「とっ、とりあえずもう一周乗るのじゃ」
何とも情けないドモリ声が重なり、二人はそろってさらに頬を染めた。ガチャンと音を立てて再び開かれていた扉がしめられる。
ごゆっくりという係員の言葉を耳にし、二人はようやく我に返った。
「にょっほおおおおお! おおう、おっふ、こりゃ、ひょっ、ちょっ、恥ずかしいのぅ! きゃああ!」
「いや、おま、なにを!? どさくさに紛れてなにしてくれりゃした!?」
「ちっすぅ?」
「ちっすぅ、じゃねぇよ!? おまっ、そう言うのはもっとだな、ちゃんと好きな相手とだな……!」
「わし、和真、大好き。あいらぶゆー」
「違う、そうなんだけどなんか違う!」
真っ赤に染まった頬のまま腰をくねらせるベルイットの様子に、和真は何とか文句を言ってやろうと口を開くが、喉の奥からは何も言葉にならない。それだけの衝撃だったのだ。
というか、こういうことを急にやってくるから彼女のことに対しては気が抜けない。抜けたかったというのに。
「……っ、はぁ……」
「にょっほっほっほ!」
声を上げて笑うベルイットの様子に、和真は大きな溜息をついて頬を緩めた。しばらくして、自分の口からも笑い声が漏れてしまう。
「ははっ」
「ひょっひょっほ! いやぁ、やっぱり恋人ちっすはハードルが高いのう! さすがのわしも照れてしまったのじゃ。っと、いうことでじゃ。少しハードルを下げて――」
とんっと。正面に座っていた彼女は、和真の膝の上に座りこんだ。何の違和感もなく、ひょいッと言わんばかりに膝の上に乗った彼女の髪が、和真の鼻孔をくすぐる。そのまま遠慮なく自分に背を預けてくる彼女を見て、和真は困ったように笑った。
「お前なぁ、行動する前に迷ったりはしないわけ?」
「うぬ? もちろん迷いはするのじゃ。でも、そうしたい欲求には勝てんじゃろ? お主も」
「いや、まぁ……。そうだな、俺の言えた義理じゃないなこれは」
居住まいを正した和真は、撫でやすい位置にある彼女の頭を無意識に撫でる。さらさらと掌に感じる彼女の髪の感触と、擽ったそうに瞳を閉じる様子に苦笑しながら。
「和真」
「なんだ?」
「ありがとう、私を助けてくれて」
「なんだよ、藪から棒に。ってか、別にお前のことを助けてやれたことなんてほとんどないぞ、俺」
「いいや、助けてくれたのじゃよ。それに、もう一度言おうって思っていただけじゃしの。だから、ありがとうなの」
彼女の言葉に、和真は小首を傾げながらも、懐かしい感覚に包まれる。ソフィと正義の味方になることを決めたあの日、初めてベルイットが見せた笑顔。それと同じ笑顔がまた、今ここにある。
そう言えば、あの時も彼女はありがとうと自分に言っていた。何をしてあげれた記憶など一つもないのに。自分はベルイットに、何かしてやれたことなんてあっただろうか、と。
「ベル、お前は――」
「んん? どうかしたのかの?」
「……いや、なんでもないよ」
「言いたいことがあるならはっきり言ってよいのじゃぞ? ムードも満天、ちっすの準備も問題ない。お主に抱かれてもよいよう風呂にも入ってきておるし、何ならここで――いやん、和真のエッチ!」
「誰がそんなことするか! お前自分でムード作って自分でムードぶち壊すの楽しんでるよね!?」
「んちゅー」
「やめろ、だから止めろって、背中に腕廻してキス迫るな!」
いつもより二割増しではしゃぐ彼女の様子に笑みを返しながらも、和真は胸の締まる想いでベルイットを見つめていた。
自分は彼女に何がしてやれるだろう、と。




