第三話 あの頃は知らなかった
「ふっふふのふーん」
隣から上機嫌で聞こえてくるのはベルイットの鼻歌。
とはいえ、鼻歌の選曲は一昔前にはやった演歌。その珍しい組み合わせに笑いそうになるも、彼女に腕に抱き着かれたままの和真はどうしたもんかと頭をかく。
繁華街でベルイットと合流し、電車に乗って揺られること一時間。行きたい場所があると引きずられるままについたその場所。目の前に広がる光景は日本人の娯楽の集結地。
――どう見てもテーマパークだった。
しかも、ここ最近頻繁にお茶の間で話題に上がるアンチヒーローグループかつ、ヒーロー協会共同出資、完全新型テーマパーク。
「いやそりゃ、興味がないと言えば嘘になっちゃうわけだが、ここってまだプレミアチケットでしか入場は――」
「ふっふーん。お主、わしをどこの誰だと思っておるのじゃ。アンチヒーロー作戦参謀大幹部、べべべのベルちゃんじゃぞ。ほれほれぇ」
歪んだ笑みと共に彼女が取り出したのは、遊園地のプレミアムチケットが二枚。ピラピラと揺らすそのチケットの日付をみて、和真は頭を傾ける。
有効期限がどう見ても今日一日扱いになっている。それも、今日に限って仲間たちは誰もかれもが用事で不在。彼女だけが今日一日休みだった理由。
つまり、
「ベル、お前はめたな?」
「ほっほーう! お主も少し頭が回るようになったのじゃな! 褒美のちっすなのじゃ、んちゅうー」
「止めんかバカたれ! ったく、話がうまく運び過ぎだと思ったんだよ。お前初めっから、ここに遊びに来るつもりだったんだな」
「にょっほっほ。だってチケット二枚しかとれなかったんじゃもーん」
悪びれもせずに腕を抱いて歩きはじめる彼女の様子に頭を抱えながらも、和真もまた彼女に笑顔を向けた。
「あぁもうわかった。今日はしっかり付き合うよ、せっかくここまでしてもらったんだしな。俺も久しぶりのテーマパークだし、結構好きだしなこういうの、お前と一緒でさ」
「おお! 和真にしては何と言う前向き発言! と言うことで録音しておいたのじゃ。『あぁもうわかった。付き合うよ。俺も好きだしな、お前と一緒で』って。にょっほぉおおお!」
「何それどんな録音の仕方!? 明らかに意図的な編集入ってるよね!?」
「ほれほれ行くのじゃぞ和真!」
「わかった、分かったから引っ張るな!」
◆◇◆◇
「……まずい、大ピンチ」
深々と被った帽子とサングラスで顔を隠し、二人の後を追っていたソフィは舌打ちをする。もはや周りに頼れる仲間たちはおらず、手にした小型カメラを構えるソフィはどうしたものかと頭を抱える。
たった今自分達の目の前で、マスターとベルイットはテーマパークの中へ消えていった。追いかけようと思っても、その先はプレミアチケット所持者のみの禁断の地。作戦参謀という特殊な地位を利用するベルイットと違い、ソフィにはそのような当てはない。
「おいかけ、られない……」
唇を尖らせる。消えていく二人の背を見送るしかないソフィは、自分の隣をちらりと見つめる。普段の定位置にいない和真に気づき、ソフィは言いようのないもどかしさに襲われた。
拳をぎゅっと握って胸の前に持ってくる。自分はベルイットのように積極的になど慣れはしない。ソフィ自身、自分が素直でないことなど百も承知であったし、何より自分は――変身ベルト型アンドロイドだ。
「……私は、マスターやベル達とは違うから」
ご主人様と変身ベルト。そう言う関係であることを自分達は望んだし、それでいいと思っている。それでもなお、胸が痛いのはなぜか。その理由をソフィは知りたくはなかった。
「で、なにしてるの、ソフィ」
「わひっ!?」
物陰に隠れて物思いに浸っていたソフィに、背後から声がかかる。情けない声を上げて腰を抜かしたソフィが視線を上げると、そこには久しぶりに見る顔があった。
「は、博士! な、なんでこんなところに……!」
ソフィと同じ銀色の腰まで伸びる髪。黒のビジネススーツに白衣を羽織ったいつもの服装。薄化粧で僅かに齢を誤魔化す三十路近く。ソフィの生みの親である来栖桐子だ。
桐子は伊達で書けていた眼鏡を胸元にかけ、倒れ込んだソフィを引き起こす。
「なんでって、貴方が約束の時間になっても研究所に来ないから探しに来たのよ」
「あっ! ご、ごめんなさい博士、今日は用事ができたせいで例の、あの、その、あ、ああああ、あの件はまた後日にする連絡をっ……!」
「豊胸アタッチメントね。折角、貴方の希望通り人肌を完全再現した、不自然にならないBカップボリュームで用意したのに」
「は、博士、それは内緒! 絶対内緒なの!」
「内緒なの?」
「内緒っ!」
口元に手を当ててくっくっくと笑う桐子の様子に、ソフィは顔を真っ赤に染めたまま詰め寄った。ソフィの鼻息荒い様子をひとしきり笑う桐子は、彼女の額を小突きながらテーマパークへと視線を移す。
「何の用事かと思ったけど、なるほど。ベルちゃんと和真君がデートしてるのね」
「べ、べべ、別に興味ない。私はそう、唯このテーマパークが気になるだけで」
「貴方を作った私が言うのもなんだけど、仕方ないわね」
苦笑する桐子は、ソフィの頭を一度撫でた後、白衣のポケットから一枚のチケットを取り出した。ピラピラとソフィの目の前で見せびらかされるソレは、間違いなくプレミアムチケット。
「な、なななな、なんで博士が……! 可愛い男の子と研究のことにしか頭のない博士がどうしてこんなチケットを!?」
「人を勝手に寂しい女にしないの! 私もベルちゃんと同じ理由でチケットを貰っているだけよ。そして、私は特に用はないしこれは貴方にあげるわ、ソフィ」
「博士――」
差し出されたチケットに、うるんだ瞳でソフィが手を伸ばす。そのチケットを受け取ろうとしたその瞬間、差し出されたチケットはひょいっと天にあげられた。
「もちろん、交換条件付きでね」
「…………」
満面の笑みを浮かべる桐子を見て、ソフィの口元のへの字がさらに強まる。自分が愚かだった、自分の身の回りにロクな人など誰一人――自分含めていないのだと。
「……条件は、聞く」
「さすがソフィね。大丈夫、約束を守ってくれたらプレミアチケットどころか、今度このテーマパークで開催予定のヒーローショーへヒロイン役で推薦してあげるから」
「早く! すぐに条件聞く!」
◆◇◆◇
「うぉお、人数限定とはいえ、すごい人だよなぁやっぱり」
「はぐれないように手を繋ぐかの、の、の?」
「おまえ、ソレ人の腕に既に抱き着いてる人間のセリフじゃねぇよ」
辺りを見渡せば、軽快なBGMに充てられたようにできた人の流れ。家族ずれもいれば、カップルもいる。友人グループ出来たであろう学生の姿も。皆が皆、楽しそうに笑って今の時間を背一杯に満喫する空間。
悪くないよな、と。
和真もそう思い、周囲のアトラクションに目を配る。その一角にあったのは、それほど激しくはないジェットコースター。立って乗るタイプのコースターだ。すでに稼働している様子を見れば、それほど激しいものでないことはすぐわかる。
「おっ、ベル、あれはどうだ?」
「にょほ? おお、お主もなかなか最初から飛ばすのぅ! あっちの高度三百メートルからの落下アトラクションじゃな!」
そう言って抱き着いたままのベルイットが目を輝かせた先にあるのは、和真が行こうとしていたジェットコースターの背後。天高く聳えるひときわ目立つ急落下型アトラクション。目の前で急速落下していく客たちの悲鳴が、和真の背筋を伸ばした。
圧倒的速度で錐もみ回転しながら落下していく目玉アトラクション。
「ん? いや、ちょ、まって。ちがう、ちがうちがう。それじゃない、その手前のコースター。あんな急落下をしょっぱなからなんて俺――」
「ひゃっほーい! あのふわっと感がたまらんのじゃよ! 行くのじゃ和真!」
「聞いてくれる!? 俺そんなに激しいアトラクション得意じゃないんだって!」
「ひょっほっほ、まーたまたそんなこといって和真はぁ、うりうりぃ」
「肘で脇腹小突くな! あぁもう、いやだ、やめてくれええええっ!?」
――十五分後。
「うヴぉええぇぇえぇぇっ……、うぐ、おげぇええッ!?」
「…………お前絶対バカだろ」
ビニール袋を手に蹲るベルイットの背を、和真はあきれ顔でさする。真っ青な顔で和真を見上げたベルイットは力なく口角を吊り上げた。
「ふ、っふふ……。愛しの彼女の弱りきった姿は、お主の心に、どっきゅんはーと……うヴぉぇええッ!? お、お主への愛が、口から洩れているだけなのじゃ」
「いやそんな弱りきった姿見たくもなかったよ。っていか、無理して喋んな。後、そんな効果音ついた愛はいらない」
フラフラと揺れる彼女を支えながら、和真は近くのベンチに彼女を連れていく。
アトラクション一つ目にして真っ白に燃え尽きたベルイットの様子を呆れながらも、近くの自販機で水を購入。げっそりとした彼女にそのまま差し出した。
「だーから言ったんだ。最初からあれはつらいって」
「かーずーまー……。膝枕を頼むのじゃぁ……。ベルちゃん、このまま溶けちゃう」
「はぁ……。分かったよ全く」
ぐったりとしたベルイットの隣に座り、彼女をそのまま自分の膝の上に寝かせる。
「ひょっほぉ……。人生初の和真のお膝ぁ」
「やっすいなぁ、お前」
すり寄るようにして膝の上でゴロゴロと頭を動かす彼女の額を小突く。
膝の上に乗った彼女の頭は想像より小さかった。ほのかに彼女の鼻孔をくすぐる香り。さらりとした亜麻色の髪。
大騒ぎして人を巻き込んで、好き勝手やって目の前で吐こうが、それでもやっぱり彼女も女の子だと。
「んにゅ? ど、どうかしたのかの和真?」
気づいたら、膝の上で横になった彼女の頭を撫でていた。珍しく照れたように頬を染めたベルイットが、探るような視線で和真を見上げる。彼女の視線から顔を逸らした和真は、なんでもないとだけ告げ、辺りを見渡す。
楽しそうだな、と。
見渡すだけでそう感じてしまう理由は、視線の先々の人々がみんな笑顔だからだ。そして同じだけ、今自分の膝で鼻歌を歌い始めた彼女も――笑っている。彼女が笑えば、自分も気付けば笑顔になってしまうのだ。
「羨ましい――じゃ、もうないんだよなぁ」
「んん?」
彼女達に会ったばかりの頃、自分は彼女達を羨ましく妬ましいと思った時があった。あのころの自分のまま今ここに居れば、きっと彼らの笑顔から受けた感想はまた違ったものだったに違いない。
良くも悪くも御堂和真は、彼女達に毒されたのだ。
「よしっ!」
「おべふっ!? 和真、いきなり立ち上がでないのじゃ! 顔面したたかに打ち付けてしまったぞぃ!?」
「そいつは悪かった。けど、ここでこんなにまったりしてても仕方ないだろ。お前の言葉を借りれば、今日はデートなんだろ」
「っ!?」
立ちあがって詰め寄ってきたベルイットが驚きに目を見開く。そんな彼女の頭を一度だけ撫でた和真は、フラフラしたままのベルイットの手を自分からとった。
「時間も限られてんだ。どうせなら立ちあがれなくなるぐらい全部見て回るぞ、ベル」
「ひゃっほーい! お主もようやくその気になったのじゃな! うむ、一気に全部見て回るのじゃ!」
「分かってる、それじゃあ行くぞベル!」
彼女の手を引いて、和真は歩き出す。
目の前に広がるのは、昔の自分が直視できなかった世界だ。そんな世界に自分を無理やり連れ込み、引きずり回し、挙句の果てにその世界の住人に変えてしまった彼女――ベルイット・ベン・ベル。
彼女に、自分は何ができるのだろうか。答えは見つからないからこそ、彼女が見せてくれる世界を彼女と一緒に楽しむのだ。
「あ、和真、ちょっと待つのじゃ」
「ん、何だよ一体?」
腕を引いて立ち止まったベルイットに向き合う。そこで自分を見上げるベルイットは、愛おしそうに瞳を緩め、愛らしく笑った。そんな彼女の姿に思わず和真はドキッとしてしまう。
そんな和真の様子を知ってか知らずか、僅かに赤く染まった彼女の頬が膨れ、
「ウボェえええええッ!?」
「いぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!」
良くも悪くも彼女は、一遍の疑う余地もなく――ベルイット・ベン・ベルだった。




