第二話 ランデブーポイントは繁華街
翌日の朝目が覚めた和真が最初に気づいたのは、既に用意されていた食事だ。時刻はまだ朝六時。いつもなら、自分以外はまだ寝ている時間だというのに、
「マスター、起きるのが遅い」
「朝食の準備なら、私とソフィさん、アリサさんで済ませておきましたわ」
「ほらほら、御堂さんも早く席に座ってください」
にこやかに笑うのは三人の女性陣。すでに席について食事を進めるソフィと、給仕を進めるアリサ。そして、既に食事を終えたのか、ソファで紅茶に口をつけるブリジットだ。
「いや、お前らなんでこんなに朝早くから――」
「それで、マスター」
「だから、まず俺の答えに」
「昨日のあれはどういうこと。説明を所望する」
「…………」
三人の無言のプレッシャーに、和真はそっと顔を逸らした。だが、逸らした先――キッチンの奥で呻き声を上げてもがき苦しむ虎彦を見つける。
……そう言えば、虎彦にはブリジットの料理が壊滅的なモノであることを伝えていなかった。
「御堂さん、私達もこう見えて忙しいんですの。ひとまずソフィさんの問いにだけ答えていただけますかしら?」
「なんでだよ。そもそも、最初はお前らも誘おうとしたのに用事があるからって」
「みんなが集まれないなら、ベルちゃんと二人っきりで遊びに行く必要もないと思います。ね、御堂さん」
「いや、そこはほら……。ベルのやつがあんまりにも喜ぶんで断るに断れなかったというか……。悪かったよ。事情を話すから勘弁してくれ」
彼女達の棘のある言葉に、和真は深い溜息をついて席に着いた。そのまま辺りを見渡し、ベルイットの姿がないことを確認。
「で、ベルのやつは?」
「デートの準備って言って先に家を出た。朝五時に騒いでたから、私達も目が覚めただけ。マスターにはベルが睡眠薬盛ってた。十時に繁華街前で待ち合わせって」
「ちょっと待ってくれない。途中すごい不吉な言葉聞こえたけどちょっと待ってくれない!?」
「良いから早く説明を所望」
「ったく、わかったよ! あぁ分かりました! まぁあいつがいないなら平気だけどさ。今日は俺、夜に予防接種の都合で病院に行かなきゃならないんだよ。そのついでに、注射嫌がってたベルイットを連れて行こうと思ったって話だ」
その後も、ジト目を向ける女性陣に和真は事の状況をつらつらと説明した。あれだけ注射を嫌がるベルイットを普通に連れ出すことはできない。だからこそ、遊びに行くという名目でまず連れ出そうとしているのだと。
疑い深い彼女達の様子に心折れそうになるも、真摯に事情を説明するとなんとかかんとか理解してもらえる。
「事情は分かりましたの。それでしたらまぁ、仕方ありませんわね」
「でも、御堂さんも難儀ですね。そこまでしてベルちゃんを予防接種に連れていく必要なんてないんじゃないです?」
アリサに問われて、和真は頭をかく。彼女に言われるように、わざわざそこまでしてベルイットを連れ出す必要がないというのも確かだ。敢えてそこに理由をつけるとすれば、
「一人っきりのときに病気になると、やっぱり辛いからな。まぁ少なくともベルイットの周りには俺達がいるけど、あいつもあいつで自分のことはほとんど話さないからさ。ほっとくのも心配なんだよ」
そう言うと、傍でお茶を啜っているソフィが少しだけ不満げに頬を膨らませる。また勝手に自分だけで動こうとしたのかと、そう言う視線だ。そんな彼女の物言いたげな表情に苦笑いを返し、彼女の額を指で和真は小突く。
「だーかーら、お前らが別に気にするような意味合いなんてないの。っていうか、そう言う意味合いであいつと二人っきりで出てみろ。俺の身体が幾つあっても足りないっての」
「帰宅したら分身してるかもしれない」
「さすがにそこまではないんじゃないかな!?」
ようやくいつもの賑やかさを取り戻し、和真は笑みを浮かべる。そのまま、ソフィに告げられたベルイットとの約束時間を反芻し、和真は食卓に着いた。
◆◇◆◇
ソフィから伝えられていたように、ベルイットとの待ち合わせは十時に繁華街。一緒に住んでいるのだから一緒に家を出ればいいと思いはしたが、待ち合わせを楽しむというのも確かに悪くはない。そう思い、家を出てから既に繁華街近く。
「まぁ、なんだかんだであいつには迷惑かけてるし、たまにはこういうのもありか」
伸びている前髪を弄りながら、和真は傍のウィンドウに映る自分の姿を確認する。
ソフィ達の手前上、デートと言う言葉自体は否定した。とはいえあれほどデートと喜んでいたベルイットの姿を見た以上、さすがにいつも通りのパーカー一張羅と言うわけにはいかない。和真自身もデートの経験はなかったが、身だしなみには必要以上に気を付けておいたつもりだ。
「やべっ、襟曲がってるなこれ」
とはいえ、普段それほど服装を気にしない身としては、オーソドックスにシャツと黒のジャケットと言う何とも云いづらい格好になってしまったのも事実。ショーウィンドウに映る姿を見て曲がってしまった襟を整えてると、傍を通り抜けて行った中学生ぐらいの女子たちに軽く笑われてしまう。
慣れないことはするもんじゃないなと和真自身も染まる頬を隠し、足早にその場を去った。
しばらく歩いてようやく見えてきた繁華街入り口は、既に人通りも多い。休日の朝十時近くともあり、自分たち以外に待ち合わせをしている人たちもちらほらと見えた。
ちらりと辺りを見渡してみるが、ベルイットの特徴的な亜麻色髪は見えない。腕時計で時間を確認すると、まだ約束の時間には二十分ほどあった。
「ちょっとだけ早くつきすぎたなこりゃ。さて、どこかで軽く時間を潰しに――うおっ!?」
そう思った矢先、後ろからドンッと誰かに抱き着かれる。思わずつんのめって倒れ込みそうになるが、すぐさま立て直して和真は自分に抱き着いた彼女に気づいた。
にへっと言わんばかりの笑みを浮かべた彼女は、その特徴的なカールがかった亜麻色の髪を愛らしくまとめている。
「べーるぅ? お前なぁ、もう少し人目を気にしてくれ」
「和真和真、待ったかの? 待ったかの?」
「……別に、待ってないっての」
お約束の問いに、和真も苦笑いをしながらお約束の返しをする。和真の言葉に満足が行ったのか、ベルイットは満面の笑みと共にもう一度和真をぎゅっと抱きしめ、離れた。
そうしてようやく、和真は彼女の全身を確認する。
腰まで伸びている亜麻色髪は、軽く結っておしとやかさを出す。いつもは黒のジャケット、黒のハーフパンツで活動的な服装を好む彼女。だが、今日は雰囲気がまるで違う。空色のワンピース、新調したばかりのように綺麗な茶色のブーツ。上着に薄いピンクのカーデガン。
普段の彼女からは全く想像もできないほどの――清楚な服装。
「和真、お主今さり気なく酷いこと考えたじゃろ?」
「いやっ、別に!?」
「まぁいいのじゃ。それよりほれほれ、愛しの嫁の対御堂和真決戦用特殊装備の感想は?」
「何そのトンデモ装備!? だいち、俺は嫁じゃないって何度も――」
「じー」
ツッコミで誤魔化そうとしたが、ベルイットはそれを許してはくれなかった。彼女のまっすぐな視線が覗き込むようにして注がれ、和真は頬を掻いてそっぽを向く。
「……まぁ、思いのほか効果抜群なんじゃないか?」
「ギャップルール萌え! と言うやつじゃな。『和真は不意のギャップに萌える』っと。メモメモ」
「何のメモ!? おまっ、止めろそんなもんメモ取るなっての! だめだ、だめだめ!」
「きゃあ、お兄様のえっち!」
ひそひそと聞こえてくるおば様達の声や恨めしそうにこちらを睨む待ちぼうけの人達の視線に、和真は慌ててベルイットの腕を掴んだ。
「悪かった、俺が悪かったからすぐに行こうもう行こう。いたたまれない!」
「か、和真、お主の方から手を握ってくるなんて、なんてだ、い、た、んっ。ベルちゃん困っちゃう!」
「おまえほんとッ、見た目以外何にも変わらないのな!?」
◆◇◆◇
「それでどうなんです、ソフィさん。そこから見えますの?」
「見えた。マスター、相変わらずベルと漫才やってる」
「御堂さんもなかなかやりますね。私も達彦とあんな時代があった気がします」
「何ならおっさんと挑戦してみるか、アリサ嬢?」
「あ、見てくださいソフィちゃん、リジィさん! 御堂さんが真っ赤になってベルちゃんを連れて行こうとしてますよ!」
「……せめてツッコミ入れて欲しかったな、おっさん」
繁華街入り口の一角。オープンスペースのカフェテリアに陣取り、和真とベルイットの様子を見つめる集団がいた。深々と大きな帽子を被って特徴的な銀髪を隠すソフィ。いつものゴスロリでは目立つと、僅かなフリルの付いた真っ白なシャツに、黒のプリッツスカートに着替えている。
その隣には同じく私服に身を包み、眼光鋭く和真達を覗くサングラス姿のブリジット。彼女達の様子をニコニコと眺めるメリーとアリサ。そして女子軍団から僅かに席を外した虎彦。
家を出た和真を追って出てきていた五人は、各々が和真とベルイットのデートの様子に和気藹々と楽しそうに見つめている。
「ベルさんも飽きませんわね」
「マスター、相変わらずベルには甘い」
ムッと頬を膨らませているソフィの様子に、傍にいたブリジットとアリサが顔を見合わせて噴き出した。彼女達の様子にソフィは不満そうに瞳を細めて口をすぼめる。
「……何?」
「いいえ、ソフィちゃんがそれを言っちゃうんだと思っただけです」
「私達から言わせれば、御堂さんはいっつも貴女とベルさんには甘いんですの」
「べ、別にそんなことない。マスターはいっつも自分勝手に動いて、後から必死に追いつく私達のことなんて何にも考えてない!」
「だから、お嬢ちゃんが傍にいて見張ってるんだろ?」
虎彦のニヤリとした声に、ソフィはきっと眼つきを鋭くして赤くなる頬を怒りで誤魔化した。そんな彼女の様子に、虎彦は両手を上げて降参のサイン。机の上に自分達のコーヒー代だけを置いて虎彦は立ち上がる。
「それじゃあ、坊主たちのデートも進むみてぇだし、おっさんたちはこの辺でおさらばだ」
「そうですね。あの人達の追跡とデートのお話は、また帰ってからソフィちゃんに聞かせてもらいます」
「ちょ、ちょっと待って! 私は別に追跡なんか……!」
ソフィの言葉に含んだ笑みを返した虎彦とアリサは、手を振ってソフィをその場において去っていく。彼らの消え行く背に必死にソフィは言い訳の言葉を叫んだが、彼らは否定も肯定もしないまま通りの奥に消えていった。
あとに残されたソフィはポツンと立ったまま頬を膨らませ、再び席に戻った。
「……アリサも虎彦も、私のことを勘違いしすぎ。私は唯変身ベルト型アンドロイドとしてマスターの勝手な行動を――」
「ソフィさん、私達もそろそろ行きますの。後はお願いしますわ」
「ま、待って! 私一人なんて聞いてない!」
「あら、言ってませんもの」
ニコリと笑顔を浮かべたブリジットは、驚愕に揺れるソフィに視線を合わせた。
「私達は正義の味方。この街を見て回る必要がありますの。それは貴女が一番良く分かっているはずですわ」
「…………」
「今日は私達が受け持ちますわ。だから、思う存分尾行してきてくださいな」
そう言ってブリジットがソフィの手に握らせたのは、小型の機器。手のひら大の小さなカメラの付いた謎の機器――というか、
「高解像度録画機能付きカメラですわ。私達のいない間、貴方に盗さ――尾行をお任せしますの。夜にでも皆さんのお楽しみ会に使えますわ」
「変身ベルトに何押し付けるの!? し、しない、盗撮なんて絶対しない!」
「あら、ここで御堂さんとベルさんの面白映像を手に入れておくことで、後で有利に動くことができますの。何より、本人たちの前でその映像を流した時の、あの人達の驚き顔を見るのが楽し――こほん、何でもありません」
「駄々漏れだった! 今すごく駄々漏れだった!」
咳払いをして顔逸らしたブリジットに、ソフィは慌てて掴みかかる。
「わ、私は絶対しない、こんなこと絶対しない!」
「……ヒーローショーのヒロイン役」
ブリジットの言葉に、ぴくっとソフィの眉が動く。ソフィのわずかな顔色の辺を見逃さないブリジットは、掴みかかってきたソフィの手を優しく振りほどいて立ちあがる。そして呆然としたソフィに背を向け、ブリジットは口遊んだ。
「明日のショー。そう言えば、少してこ入れが必要な時期だと思っていますの。思いのほか評判は良いのですけれど、毎回同じシナリオと言うのも飽きられてしまいますわ」
「……それで?」
「いぃえ、別になんでもありませんの。ただ、今日帰宅したら、少しシナリオ変更したらどうかしらと、ベルさんにお願いするチャンスがあるかもしれませんわ――とだけ伝えておいてあげますの」
「……行ってくる」
鼻息荒く、ソフィがカメラを片手にブリジットに背を向けた。彼女の様子に満足げに頷いたブリジットは、傍でフランスパンに噛り付いているメリーの首根っこを掴んで引きづり、
「来栖博士には私の方から話を通しておきますわ。今日予定されていた貴方の『豊胸アタッチメントの装着実験』は後日に延期したいそうです、って」
「ま、待って! さすがに待って! な、なんで貴女がそのことをっ!?」
「それじゃあソフィさん、いろいろと楽しい報告待ってますわ」
「待ってって言ってるの! ちがう、む、胸とか違う! 胸とか本当に全然違うの! まって、私の話を聞いて! 違うったら違う!」
足早に逃げ去るブリジットを追って、真っ赤になったままソフィは彼女を追いかけて走り出した――。




