プロローグ 御堂和真の休日
「御堂君、加賀見君。二人は明日、予防接種の時期なので忘れないでくださいね」
授業終了と同時に担任教師に呼び止められた和真とその友人――加賀見耕介は手渡された書類を黙って受け取った。担任が教室を出て行ったあと、二人は顔を見合わせて盛大な溜息をつく。
「御堂はそう言えば、この前の予防接種は怪我でいなかったんだっけ」
「ま、まぁね。そう言う耕介はどうして俺と一緒なんだよ?」
「そ、そんなこと……御堂と一緒に注射を受けたかっただけじゃない。ばかっ」
「気持ち悪いから止めてくれない!?」
腰をくねらせて親指を咥える耕介から距離を取ながら、和真は机の横に下げていた鞄を手に取った。そのまま足早に耕介から距離を取って逃げ出そうとしたが、ガシッと耕介に捕まえられた。
「ちょ、ちょっと待てよ御堂! 冗談、ほんの冗談だろ!」
「お前なぁ……。見てみろよ、リジィのやつが変態を見る眼つきでお前を見てるぞ」
「エインズワースさん! 大丈夫です、俺アブノーマルですから!」
「えぇ、知ってますの。だから二度と声かけないでくださいな」
ニッコリと笑みを取って自分達から数メートル以上の距離を取ったブリジットは、そのまま手を振って足早に消え去った。残された和真と耕介はツッコミ不在の寂しさに崩れながらも、並んで帰宅の途に就く。
「まぁ、ぶっちゃけ俺、体質的に注射の時期ずらされちゃってるんだよね。デカい病院で受けないと、注射刺されただけで失神しちゃう体質なのよ。御堂も結構毎年時期ずれてたよな?」
「あー、そう言えば俺も毎年注射の時期ずれちゃってるな。今年は怪我が理由だけどさ。毎年俺達だけだなぁ……」
「御堂、お前って最近怪我が多いけど、なんか変なことに首ツッコんでんじゃないだろうな?」
靴を履きかえて校庭に出たところで、耕介の声色が僅かに強まった。心配されているのは分かるが、正直にすべてを話すわけにはいかない。できるだけ内心の動揺を悟られぬよう、和真はいたって平常心で答えた。
「怪我は仕方ないって。ほら、俺も正義の味方のリジィと一緒に過ごしてるわけだし。それに、俺の身の回りって元気良すぎる人間が多いから」
「あー……。御堂の妹さん達のバイタリティすごいからなぁ」
「あっはっははは……はぁ……」
妹。それはもちろん、自分の学校に突撃してきたこともあるソフィとベルイットのことだ。彼女達の存在はもはやクラスメイト全員に認知され、ロリコン認定された原因でもある。変身ベルトだとか、実は他人なんですとも言えず、溜息はいやおうなしに深くなる。
「って、言ってる傍から発見! おーい、妹さんっ達!」
項垂れて校門近くに来たとき、隣の耕介がぱっと笑顔を見せて指差した。その先には周りの視線を気にせずぼーっと空を見上げたままの銀髪の少女――ソフィの姿。その隣には近所の中学の制服に身を包んだ亜麻色の少女――ベルイットの姿が。
二人は和真の姿に気が付くと、それぞれがそれぞれで異なる反応を見せた。
「おっ兄様っ!」
「……お兄様、遅い」
ぱっと笑顔を輝かせて飛びかかってくるベルイットと、ようやく来たのかと言わんばかりに瞳を細めたソフィ。ひとまず驚きの跳躍力で飛びかかってきたベルイットをひらりと躱し、和真は頭を抱えた。
おぶっと情けない声を上げて地面に転げたベルイットを一瞥し、和真はソフィに声をかける。
「お前らなぁ……。別に毎日迎えに来る必要はないんだぞ」
「私は別に毎日迎えに来たいわけじゃない。でもほっとくとそっちの……妹が勝手なことをする」
「ぶっへぁ! お兄様、私のハグを躱すなんて酷い!」
「……お前もお前で、ほんとすごいよ。とりあえず顔についた砂払っておけ」
お兄様大好き妹を演じ切るベルイットの姿に嘆息しながら、彼女の顔をハンカチでゴシゴシ拭う。ぬおっとかひょへっとか色気もない声を上げるベルイットの様子に苦笑いをしながら、和真は耕介と言葉を交わした。
「悪い耕介、騒がしくなって」
「気にすんなって! ってか、ほんと羨ましいよ御堂が。こんな可愛い妹さん二人と同居してるのに、エインズワースさんも一緒とか……って、あれ? 御堂、あの人こっちに手を振ってない?」
「ん? ……んんんんんッ!?」
耕介の視線の先をちらりと見つめると、そこにいたのは蒼の胸を強調したゴスロリ服を着た黒髪の美女――というか、どこかの変身アンドロイドだった。最悪だ。
これ以上身の回りが騒がしくなると困ると、アリサのことはクラスメイト達には黙っていた。黙っていたというのに。
「耕介、あれはきっと人違いだよ」
「でもこっちにすごい手振ってるけど」
「きっと見えちゃいけないもんが見えてるだけだって。考えても見ろ、あんな格好して外で歩ける人間がろくな人間のわけないだろ?」
「……良く見るとすごいプロポーションいいよね、あの人。お、俺声かけてみようかな」
指で円を作って遠くで手を振るアリサを、耕介が見つめる。だか、和真はすぐさまベルイットとソフィの腕を引きながら、耕介の脇腹を小突いて踵を返す。正門は駄目だ。裏門から逃げ出さなければいけな――、
『御堂さーん、久しぶりに会いに来ましたよ!』
「御堂、お前の名前呼んでるぞ」
「お兄様、あの人すごい手を振っています!」
「……お兄様、嫌な予感がする」
「気のせい、超気のせい」
遠く聞こえてくるアリサの声に、和真は知らないふりを決め込む。アリサと会うのは実に事件から一週間ぶり。アリサは協会でしっかりとした調整を受けに戻っていたのだ。会えるのは嬉しいが、彼女がいない間にようやく撤回したばかりのモテロリコンの称号を再び手に入れるわけにはいかない。
『ちょっと、御堂さん忘れたんですか! 私です、アリサです! 聞いてます!?』
「アリサって名乗ってるぞ」
「アサリの間違いだ気にすん――ぬおっ!?」
飛んできた黒のパンプスをギリギリで躱す。と同時に背後から羽交い絞めにする形で迫ってきたアリサに取り押さえられた。背中に柔らかいものが当たるが、耳元でささやく低い声に和真は顔を青くする。
「御堂さん、いい度胸です。久しぶりに会ったっていうのに、ずいぶんな態度ですね?」
「い、いや、別にそんなことはないからね!? お、お帰りアリサ」
「はい、帰りました。今日から改めて、虎彦と一緒に宜しくお願いします」
「お、おう宜しく。でもなんで俺、アリサに抱えられてるのかな?」
「掴まえないと逃げますよね?」
「…………」
軽々とアリサに抱えあげられた和真は、そのままアリサの肩に抱えあげられ、身動きを奪われた。ベルイットが傍で笑いを必死に堪えているのに気付き、ソフィは不機嫌そうにそっぽを向いてしまっている。一体全体どうしろと言うのだと目で訴えるが、二人とも素知らぬ顔でそっぽを向いた。
和真を抱き上げ、ひょうひょうと鼻歌を鳴らすアリサは、傍で呆然としていた耕介に気づき、頭を下げる。
「あ、先日噴水広場でお会いしてた御堂さんのお友達ですね。騒がしくしてすみません」
「あぁいえこちらこそ。えと、御堂のお知り合いか何かで……?」
「はい。御堂さんに忘れられない記憶を焼きつけられた女の子です。傷物にされたんです」
「御堂ォ!?」
頬を染めて腰をくねらせたアリサを見て、耕介が大口を開けてぎょっとする。そのままアリサに抱えられている和真の襟元を掴み、がくがく揺らし、涙ながらに耕介は叫んだ。
「み、御堂、お前、こんなきれいな女の人にまで!? お前の守備範囲どこまで広いの!?」
「ちがぁう! すごい誤解! 間違っちゃいないけどすごい間違ってるんだってばよ!」
「それではすみません、御堂さんがその件についてすぐに誤魔化すので、責任取らせに行ってきます。ソフィちゃん、ベルちゃん、いきましょう」
「はぁい、それではお兄様のお友達さん、またどこかで!」
「……さよーならー」
呆然とした耕介を置いたまま、和真はソフィとベルイット、アリサの三人に連行された――。
◆◇◆◇
「おや、遅かったですわね、御堂さん」
「誰かさんのせいで逃げ遅れたんだよ、裏切り者め」
「裏切ってなんていませんわ。それとも、御堂ハーレムに私も加わればよかったのかしら?」
「……勘弁してください」
玄関で靴を脱ぐ和真に、腰を折って視線を合わせていたブリジットが、楽しそうに笑う。鼻孔をくすぐる彼女の金色の髪に和真は頬を染めながらも、傍で同じように靴を脱ぐ彼女達に視線を戻した。
「ソフィとアリサはまぁ、学校に行ってるわけじゃないから仕方ないけど……。ベル、お前は一応、リジィと同じ学生なんだから、もう少し周りの目を気にして――」
「大丈夫なのじゃ。周囲の皆様方には、わしと和真は婚約をしていることを既に説明しておるぞい!」
「そっちの大丈夫じゃねぇよ! 昨日回覧板で回ってきてた『御堂さん家のご祝儀』ってそう言うこと!?」
「マスター、そっちは心配いらない。ちゃんと欠席に記しつけて次のお宅に回しておいた」
「いやそう言う問題じゃないだろ」
いそいそと靴を脱ぎ終わった和真達は、並んで食卓のほうに向う。つい二か月ほど前までは自分一人で暮らしていた家も、もう随分と賑やかになったものだ。
一階にあった両親たちが使っていた部屋の掃除は既に終わり、そこにはブリジットとメリーが。二階にある自分の部屋の隣部屋はベルイットが。本来ならソフィもそこで寝泊まりしているが、最近はもっぱら和真のベッドの上を占領中だ。
「うぬ? 和真、その書類はなんじゃ?」
「お、これか? ほら、予防接種の書類だよ。今回も怪我で周りとずれた日付になっちまったんだ。去年も一昨年も、この時期には何かしら問題があって毎回ずれるから慣れたもんだ。注射自体も、最近慣れちまってるしな」
「な、難儀なものじゃのう、お主も。ひょっひょっひょ!」
ベルイットの様子に、和真は思わず瞳を細める。珍しく、注射と言う言葉を聞いて彼女の顔がこわばったのを和真は見逃さなかった。アリサやソフィ達を追い抜いて、一人さっさと食卓に向うベルイットの背をジトッと和真は見つめる。
「ベル。そういやお前、予防接種は受けたのか?」
ビクッと。彼女の身体が震える。この動きを今度は、ソフィもアリサもブリジットも見逃さなかった。ニコニコ笑ってたい焼きを咥えているメリー以外は気付いたのだ。
「な、何のことじゃかワシにはさっぱーりわからんのじゃ」
「ふーん。ソフィ、アリサ」
コクンと、隣にいた二人が頷いた。次の瞬間、ソフィとアリサが廊下を駆け、ベルイットの両腕をがっちりホールド。へにょっという情けない驚き声を上げたベルイットが、ぎょっと和真を睨み付けた。
「か、和真!? そ、そりゃわしはお主に奪われるのなんぞいつでもよいのじゃが、じゃが! いきなり八人同時相手はさすがにまずいのじゃぞ!? ベルちゃんこまっちゃう!」
「八人って一体何の――おいお前、そこにいる御付のモグラとトラ怪人を数に入れたな!?」
頬を染めて腰をくねらせながら、廊下の奥にいる怪人二体が現れる。いつもベルイットの脇に控えている虎顔怪人とモグラ顔怪人だ。
すぐさま履いていたスリッパで彼らをはたき倒し、和真はベルイットをニヤリと見る。
「お前、俺に何か隠してるよな隠してるよね」
「な、何のことだかさっぱりわからんのじゃもーん!」
「ソフィ、アリサ」
「仕方ないですね」
「……イエスマスター」
「お、お主等一体何を――にょへへへへへへっ!?」
ベルイットを羽交い絞めに切り替えたアリサの脇から、ソフィがベルイットの脇腹を責め立てる。何とも情けない笑い声と気の抜ける拷問だが、彼女の隠していることを知るためにも容赦はしない。
「最近どうにも、お前が学校からもらってきてるはずのプリントが少ないと思ってたんだよ。お前、注射が嫌で予防接種の書類ごと隠してるだろ?」
「にゃ、にゃんのことだかわからな――にょはははははっ!?」
「リジィ、メリー、悪いけどこいつの鞄チェック頼む。俺が見るとさすがにセクハラだ」
「なんだか気乗りしませんわね」
「ご主人様、耳がぴくぴくしてるのです。こういう時のご主人様はいつもノリノリなのです」
ハムスター並みに頬をたい焼きで膨らませたメリーの一言に、ブリジットの顔が真っ赤に染まった。ジト目で彼女を見つめると、ブリジットは慌てて顔の前で手を振る。
「……リジィ、お前」
「ちちち、違いますわよ、全然違いますの! メリー、貴方も余計なこと言わなくていいの!」
「ご主人様、突撃なのですよ!」
「貴方もほんっとうに人の話を聞きませんわねっ!」
メリーが両腕を振り上げて、ベルイットの持つ鞄にダイブ。話を聞かないメリーの様子にげっそりしたブリジットもまた、ベルイットの鞄に腕を伸ばした。
「お主等、わしを裏切るつもりなのじゃな!」
「あら、別に裏切ってなんていませんの。それに、御堂さんの言うことにも一理ありますもの」
「あるのですよ!」
うぬぬ、と言わんばかりにベルイットの顔が紅潮し、カバンに腕を伸ばしたブリジットに向ってベルイットが叫ぶ。
「やめるのじゃ!? お主等、あんまり調子に乗ると過去についファンに撮られちゃったちょっとエッチなプロマイド写真をばらまくのじゃぞ!?」
「あ、貴女どうしてそんなものを!? あ、あれは協会にお願いして全部削除したはずじゃ……っ!」
ギクッと言わんばかりにブリジットの身体が強張る。よっぽど恥ずかしくて見られたくない写真だったのか、彼女は動揺を隠せないままにベルイットの襟元を掴んでガシガシと揺らした。
だが、そんなブリジットを見たソフィが一言。
「……リジィ、ダサい。ぷぷぷ」
「ソフィさん、貴方バカにしてるの!?」
「ふっふっふ、わしを誰じゃとおもっとる。泣く子も黙るアンチヒーロー大幹部、べべべのベルちゃんじゃぞ! そんな面白――もとい、貴重な資料を処分するはずないのじゃ!」
「い、良いですわ。そこまで言うなら受けて立ってあげますの! 貴方こそ観念して全部見せなさい!」
「あっ、ちょ、こらよすのじゃ! いや、見ないで見ちゃいやーん、なのじゃ!」
「……あの、お前ら、頼むから最初の目的間違えてないよね、見失ってないよね?」
いつの間にやら玄関先で大乱闘。頬を引っ張り合って蹴りあって、何とも情けない子供の喧嘩が勃発。アリサやソフィも巻き添えを食らって参戦。一人呆然と彼らの姿を見つめた和真は、深い溜息をつき、足元に転がってきたベルイットの鞄を手に取った。
「まぁ、その……お願いだから家は壊さないでね?」
小声で伝えると、うるさいという怒声が全員に向けられ、和真は泣く泣く一人食卓に逃げ込んだ。




