第十三話 助けたいから助ける
背後から颯爽と登場したブリジットに、和真は顔だけ振り返って笑顔を向ける。
「リジィ!」
「下がっててくださいな!」
だが、彼女は既に次の攻撃に入っている。直線状に自分達がいることなど全く気にもせず、彼女は声高らかに叫んだ。
「メリー、意識共鳴! モード、真紅の弓!」
『はいなのです、ご主人様!』
メリーの肯定の声と共に、すらりと伸びるブリジットの黒いロングブーツが真紅の粒子を吹き出し、その身を赤く染める。そのまま彼女はタンッと地を蹴って跳躍し、右足を振りかぶった。遠慮なく振りぬかれた右足が自身の纏った真紅の光を矢へと変えて、次々とアリサの隣にいる男に向って放たれた。
迫る真紅の矢は、器用に和真達の脇を抜けて男に迫る。そうして男の眼前に迫った真紅の矢は、一斉に爆散して噴水の水面を蒸発させ、辺り一帯を一瞬にして水蒸気で覆い尽くし、敵の視界を奪った。
「マスター、一旦下がる!」
「分かった……!」
「捕まるのじゃ、和真、ソフィ!」
怪人の背に抱えられたベルイットの指示で、別の怪人が和真とソフィを抱え上げ、広場外の雑木林目指して逃げ出す。だが、
『逃げられると思ってるのかい?』
そんな男の声と共に、奪われた視界を物ともせず、アンドロイド達が和真達の元へと飛び込んできた。咄嗟に、和真は自分達を抱える怪人を突き飛ばし、弾かれた様に距離を取る。そうして、ギリギリのところで飛び込んできたアンドロイドの攻撃を躱した。が、痛む脇腹に和真は受け身もとれず、地面を跳ねてしまう。
「マスター!? ベル、私を投げて!」
「ったく、無茶しおる!」
ベルイットの指示で、ソフィを抱えあげていた怪人が和真めがけてソフィを投げ飛ばす。地面を数度跳ねた和真もまた、自分のところに飛び込んでくるソフィに気づき、脇腹から離した左腕を彼女に伸ばした。
「和真、助けてくれなのじゃ!」
「任せとけ、助――」
ベルイットの言葉に、自身の禁止語句を叫ぼうとしたその瞬間、蒸気を引き裂いて自分の傍に黒い髪の女性が飛び込んできた。
「――――!?」
「いけない、マスター!」
伸ばした左腕がソフィの腕に届くより早く、飛び込んできた黒髪の女性――アリサが和真の左腕を踏みつけた。骨の軋む音に和真は呻き声を上げるが、そんなことを気にもしないアリサは音もなく着地したかと思うと、器用に反転してからの回し蹴りを和真の腹に叩き込む。
「がっ!?」
胃の中のものが逆流する感覚。鉄の味が口の中に広がったかと思と、和真の身体は再び地面を転がった。為す術もなくアスファルトの上を跳ね、身体を打ち付け、力を奪っていく。
和真のもとに飛び込んできたソフィも、慌てて受け身を取って地面にぶつかる。変身するための隙の出るその瞬間を逃がすことなくに狙われたのだ。
「ぐっ……あああ!」
「ま、マスター……! 待ってて、直ぐに……!」
身体のあちこちが悲鳴を上げる。横たわる身体を起こそうと地面に腕をつくが、力が入らない。腹から流れる血が頬に張り付き、地面につく右腕に痛みを加速させる。踏みつけられた左腕は腫れ、蹴り飛ばされた腹は今にも穴が開きそうなほどの苦痛を感じさせた。
(やられ、た……っ)
変身するタイミングを狙われた。だがそれ以上に、禁止語句を口にする時間さえ与えられなかった。唯の人の身体で受け止めた攻撃は、想像以上に戦う力を奪ってしまったのだ。強化された肉体であれば、この程度の痛みなど誤魔化すことなんていくらでもできたというのに。
『ははっ、どうだい? 普通の人間の身体って不便だよね。ま、だからこそ正義の味方は彼女達を纏って突然変異種に立ち向かうんだけど』
聞こえてきた声に、和真は地面に這い蹲ったまま空を見上げる。そこには、既に怪鳥へと姿を変えた男がいた。ブリジットの視界を奪う攻撃も、あぁして空から動きを把握されたということだ。
「み、御堂さん! すぐに私が……!」
『させるはずないだろう?』
和真の危機的状況に気づくブリジットがすぐさま助けに入ろうとするが、空を舞う男の指示で飛び込んできたアンドロイドが六体。ブリジットを行かせまいと、彼女の周囲を完全に囲ってしまう。
「貴方達、邪魔をしないでくださいな!」
『ご主人様、油断しちゃ駄目なのです! この人達、前よりもずっと……!』
メリーの注意の叫びと共に、ブリジットは背後から振り下ろされた拳をしゃがみ込んで躱した。だが、想像以上に早い拳に躱したはずの頬が薄く裂け、血が滲む。想像以上の速さにブリジットは舌打ちしつつも、しゃがみ込んだ身体を前傾姿勢に変え、そのまま左足で後方蹴り上げ。拳を振り下ろしたアンドロイドの顎に強烈な蹴りを決め、そのまま反転。仰け反る相手の脇腹に空中後ろ回し蹴りを叩き込む。
しかし、
「なっ――!」
『ご主人様、止まっちゃ駄目なのです!』
蹴り付けた右足はがっちりと脇を固めた両腕でガードされ、咄嗟のことにブリジットは言葉を失ってしまう。その隙を残っていた敵は見逃さず、空中で次の行動を起こせずにいたブリジットの顔に、遠慮のない拳がぶつけられた。
ブリジットの細い体は容易に弾きとばされるが、彼女は器用に地面に両腕をついてそのまま体制を整え、着地する。赤く染まった頬と口元から薄く滲む赤い血を拭い、ブリジットはメリーと共に忌々しく敵を睨み付けた。
「御堂さんじゃありませんけど――最悪ですわね、今回も」
呟くブリジットの声を耳にしながらも、和真はようやく身体を起こすことに成功する。だが、既に自分の身体は虫の息だ。せめてソフィを纏うことができれば多少なりとも戦えるかもしれないが、それをさせてくれそうにもない。
「――――」
自分を見下ろすアリサの瞳を見て、和真は痛みに苦しむ顔を怒り歪めた。ソフィやメリーと同じ喜怒哀楽と人の心を持っていた彼女が、今は唯の機械に成り下がってしまっている。
あんなにも自分のご主人様を求め、愛し、一人で苦しんでいた彼女が。
そんな和真の思いに気づくこともなく、アリサの伸ばした腕が和真の首を掴み上げた。
「あり、さ……っ!」
「――――」
見開いた彼女の金色の瞳は何も捉えない。目の前にいる和真の顔さえ、彼女の瞳には映らない。ギリッと。宙に持ち上げられた和真の首を握るアリサの力が増す。締まる手の力に呼吸はできない。反射的に自分の首を絞めるアリサの腕を掴むが、声もあげられず禁止語句を叫ぶことも出来ない。
「マスター、お願い、逃げて!」
「いかん、和真!」
ソフィとベルイットの叫び声すらも、もう遠くに聞こえてしまう。悔しささえ霞みかける意識の中、和真は突然隣に現れた彼の姿に、目を奪われた。
「あんまりおっさんにくだらない事させんじゃねぇぞ!」
「――っ!?」
和真の首を絞める腕を引きはがした彼――近藤虎彦は、アリサの腕を捻りあげ、そのまま背負い投げる。
「っオラァ!」
気合と共に投げ飛ばされたアリサは、宙で器用に体制を整え、そのまま着地。感情も何もないその瞳は再び、膝をつく和真とそれを庇って前に立つ虎彦に向けられた。
虎彦はアリサを一瞥しながらも、ボリボリと白髪の多い頭をかきながら溜息をついた。
「だから言ったんだ。さっさと初期化してもらえって。面倒事は嫌いだとおっさんは言ったはずなんだがな」
「…………」
虎彦の声に、アリサは答えない。そんな彼女の前で、着ていた白いシャツの袖をまくりあげた虎彦は、ぐっと拳を握りしめた。だが、握った拳を誰に向けるでもなく、虎彦はアリサとの距離を取ったまま和真に話しかける。
「面倒事に首はつっこみたくないが、生憎とこの場所で戦われるのは困るんだ。坊主、さっさとこっから消えろ」
「そんなこと、できたらっ、やってますよ……!」
吐き気と痛みを押さえて、何とか笑う膝と共に立ちあがる。だが、荒れる呼吸は酷く、左手で押さえる脇腹の傷の痛みは酷い。
「……おい、アリサ嬢。おまえさん、自分を手助けしようとしてくれてた坊主をこんな目に合わせて、まだ足りねぇのか? 憂さ晴らしか? それとも、自分にないもんの妬みか? 皮肉なもんだな」
「…………」
虎彦の問いに、僅かもアリサの表情は変わらない。彼女の表情を見た虎彦は、瞳を細め、和真に視線を投げる。その視線の意味をすぐに理解した和真は、小さく頷いた。
和真の様子を知ってか知らずか、虎彦は空を見上げ、そこにいた敵にうんざりとした顔を向ける。
「ったく、面倒事に巻き込まれてるかと思ったら、よりにもよってお前か、漆黒の怪鳥」
『次から次に。君達正義の味方のつながりってやつには心底呆れるよ。蒼の英雄
』
「お前さんに英雄だなんて呼ばれたかぁないね、おじさんは。自分の息子も、その息子のパートナーも助けることも出来ない、しがないたこ焼き屋のおっさんさ」
『謙遜しなくていいさ。君の息子はそれなりに良く戦ったよ。結果が無残なだけさ』
「…………」
虎彦がの拳から血が滴る。怒り任せに握りしめたその拳から垂れる血を目で追った和真は、すぐさま正面にいたアリサの身体が低くなったことに気付く。そのまま、彼女は一瞬で自分達のもとに飛び込み、和真に向けて蹴りを繰り出した。
「ぐっ!」
アリサと和真の間にいた虎彦が、身を挺して和真への攻撃を庇った。脹脛を蹴り飛ばされた虎彦はガクリと膝をつく。しかし、その体制の中でも虎彦は腕を伸ばし、アリサに無理矢理つけられた無骨な首輪を掴み取った。
「こんな簡単に操られてんじゃねぇぞアリサ嬢! こんなもん一つで失っちまうようなもんか、息子と嬢ちゃんの絆は!」
虎彦の言葉は、一つとしてアリサには届かない。首輪を握る虎彦を振り払おうと、彼女は絶え間ない蹴りを虎彦の身体に叩き込み続ける。それこそ、和真が食らった一撃よりはるかに重い攻撃を何度も何度も。
それでもなお。血反吐を吐いてなお、虎彦はアリサに向って叫び続けた。
「蹴りたきゃ蹴り続けやがれ! だがな、おっさんはそう簡単にゃあ、くたばらねぇぞ!」
「……っ」
虎彦の叫びに、アリサの顔が一瞬だけ歪む。だが、それもすぐに姿を消し、胸を押さえて倒れ込んでいた和真諸共、アリサが虎彦を突き飛ばした。
「っぐ!?」
虎彦とその背後にいた和真は、二人そろって遥か後方に弾き飛ばされてしまう。揉みくしゃになりながらもなんとか体制を立て直した和真は、自分の傍で呻き声を上げる虎彦を問い詰めた。
「虎彦さん! ここは俺が何とかしますから、とにかく、今すぐこの場所から――」
「黙ってろ坊主。おっさんは面倒事は嫌いだが……今の坊主よりは役に立つだろうよ」
顔を上げた虎彦の瞳が怒りに震えているのに和真は気付く。それなりに修羅場をくぐったつもりだった和真ですら、虎彦の向けた怒りの視線の前に思わず息を飲んでしまった。
「マスター! それに貴方も……!」
「お主等、無事かの!?」
怪人達に連れられて駆け寄ってきたソフィとベルイットのかける声に反応することも忘れ、和真は虎彦の目に圧倒され続ける。そんな和真の前で、アリサを見つめる虎彦が歯ぎしりを見せて語る。
「こうなっちまったらもう、隠す隠さないの問題じゃねぇなぁ」
「分かって、ます……っ」
荒れる息を整えながら、和真は駆け寄ってきたソフィとベルイットに身体を支えられる。虎彦は和真を一瞥しつつも、アリサと漆黒の怪鳥から目を離さない。
「坊主たちはもう逃げろ。ここはおっさんが受け持つ。こうなっちまったのも全部、半年前の戦いでおっさんや息子、アリサ嬢があいつを止められなかったせいだ」
虎彦の言葉は重く、そしてその言葉に隠された事実を和真は知ることができない。
今この場において、半年前のアリサのご主人様がなくなった真実を知っているのはおそらく、虎彦だけだ。だとすれば、虎彦は一体どれだけの絶望を目にして、まだこの噴水広場に残っていたのか。
(……そうか、アリサと同じなのか)
この噴水広場はアリサにとっても虎彦にとっても、忘れたい景色であって、忘れたくない景色でもあるのだ。だからこそ虎彦は、人気も少ないこんな場所にずっといた。
考えても見ろ御堂和真。アリサが倒れるタイミングで、あんなに都合よく虎彦がいるはずがない。虎彦は、ずっとアリサを気にかけていたのだ。
そして、虎彦は言った。
助けたいと願うのと、助けるというのは別物だと。
「……ベル、ソフィ。お前らの力を貸してくれ」
「和真?」
「マスター……?」
本当に。
本当にもう――馬鹿らしい。
「虎彦さんは言いましたよね、俺に。お前の答えはあとで聞くって」
「おっさん、昔のことは覚えてねぇよ」
「どうすればいいとか、どうしなきゃいけないとか、バカらしいんです」
「…………」
「助けたいと願うことと、助けることは別ものだ。でも、俺はそんな違いが判らないほどの大馬鹿らしいんです。だから――」
隣にいる二人の少女の心配そうな視線を受けつつ、和真は必死になって立ちあがり、前を見る。
「御堂さん!」
痛みを堪える和真のもとに、一際鋭い声が届く。戦場に不釣り合いなほど、迷いもなく、疑いもなく、美しくも鋭い声。
彼女の声に、和真はそこに視線を向ける。
視線の先の声の主はこれまでと変わらず、すらりと背筋を伸ばし、髪の毛をかき上げながら宣誓した。
「どうぞお好きにしなさいな。だって貴方は――人を助ける正義の味方なんですもの」
敵に囲まれながらも、自分達の元へと敵を行かせまいと戦う彼女をちらりと見つめ、和真は拳を握る。傍にいたソフィとベルイットも頷き、自分を支えてくれていた。
そうしてもう一度、和真はアリサを見つめる。
無機質で何も見据えていない金色の瞳。漆黒に紛れる黒い髪。傷だらけの身体。ボロボロの黒いワンピース。
そして――泣き後の残った頬。
ゆっくりと瞳を閉じた和真は、痛む脇腹から手を離した。傍でしゃがみ込んで自分を支え、着ていたゴスロリを破ってまで自分の怪我を止血してくれたソフィとベルを見つめる。
そうして見詰め合う彼女達の瞳が、自分に向って切実に訴えていた。
――アリサを、助けたい。
「ふぅ……」
ボロボロになった身体が熱を帯びる。足りない血液を補充するように、心臓が激しく高鳴り、震える身体を強制的に引き起こしていく。瞳を閉じた和真の脳裏に浮かびあがるのは、一つの可能性。
――自分達の間にある絆。
ソフィと自分の間にある絆は、言葉で言い表すことなどできないだろう。そしてきっと、アリサとそのご主人様の間にあったはずの絆もまた、言葉で言い表すことはできないだろう。
そう、言葉で表すことができないだけだ。
例えば、そう。あの時アリサが自分に見せつけた映像のように。
自分達もまた、アリサに映像を見せつける事だってできるのではないだろうか。
何せ、自分達はいつも変身の度にそれを見ているのだから。
「やるぞ、ソフィ」
「……イエス、マスター!」
力強く頷くソフィと共に、和真は自分を見つめていた虎彦に挑戦的な視線を向け、はっきりと宣言した
「助けたいから、助ける。それが俺の答えです。それ以上の答えなんて、やっぱり考えたって出て来ませんよ」
「……本当に、噂に聞くだけの無茶苦茶っぷりだな、銀色の英雄は」
くっくっくと笑う虎彦の隣に、和真はソフィを連れて並び立つ。脇腹から流れる血の多さは肉体から力を奪うが、それでも闘志だけは微塵も衰えない。それはきっと、助けたいと願うだけでなく――彼女が傍にいるから。
「マスター」
彼女が自分を呼ぶ声。目の前で心を失ったアリサもまた、持っていたはずの景色。その景色を必ず、取り戻す。
「さぁて、んじゃあ坊主達の強情さを借りさせてもらうぞ」
笑い声を上げる虎彦とともに、和真はアリサから空を舞う怪鳥へと目線を上げる。
あざけ笑うような怪鳥の視線に、和真は不敵な笑みを返して指差した。
「教えてやるよ、あんたにも。化け物の正義の味方のやり方ってやつを!」




