第九話 強制共鳴
「それで、頭のほうは大丈夫なのかの、和真?」
「いや、その言い方だと俺の頭がいろいろおかしいみたいに聞こえるから止めてくれない?」
現場から身を隠すようにして自宅に戻ってきた和真は、ベルイットの問いに答えてすぐ、頭を抱えてソファに倒れ込む。
「マスター、濡れタオル」
「さんきゅー、ソフィ」
差し出された冷たいタオルを額に押し当て、和真は軽く瞳を閉じた。脳内に未だ残る鮮烈な映像に頭を振り、和真は身を起こす。額を押さえたままの和真は、ドアの入り口に背を預けて考え事をしている深見に尋ねた。
「深見さん、どうしてあの場に?」
「あー、実はね。君達を狙ったあのアンドロイドの件について調べてるんだよ。昨日の夜、アリサと別れた後その子から頼まれてね。内緒で君達のこと追いかけてたんだ」
そう言って深見は、和真の隣に座りながらも口笛拭いて素知らぬ顔をするベルイットを指差す。
「べーるぅー?」
低い声でベルイットを睨み付ける。すると、彼女はおでこの隠れぬ短い前髪を指でいじりながら、にへっと笑顔を見せた。
「にょっほっほ。昨日の今日じゃからのぅ。リジィやメリーにもお願いして、多角的にお主たちの動きを見ておったのじゃよ」
「あ、ちょっとベルイットさん。さり気に私達のことまでばらしてしまうの止めて欲しいのですけれど?」
「止めて欲しいのですよ!」
ブリジット達の抗議に耳を傾けながらも、和真は眼を閉じて先ほど自分を襲ってきた女性のアンドロイドのことを思い出す。この際、自分がブリジットや深見に尾行されていたことは頭の隅に置いてしまって。
「マスター?」
「……いや。で、いい加減事情を話してくれてもいいんじゃないか、ベル?」
隣に腰を下ろしたソフィを控えさせ、和真はベルイットに問いかけた。すると彼女は口元に人差し指を押し当て、そこにいる全員を手招きする。彼女に招かれるままに、和真やブリジット達は円陣を組むようにして顔を見合わせた。
「一応、ある程度は極秘事項なのじゃが。ここにおる全員は既に関係者じゃからの」
「あー、僕も混ざって平気なのかい?」
苦笑いを見せる深見の様子に、ベルイットはこくんと頷き返す。
「お主にはワシが直々に仕事を依頼したのじゃ。心配いらんのじゃよ」
「分かったよ。なら僕も話を聞かせてもらうね」
そう言って深見は懐からボールペンとメモ帳を取り出した。日付のプリントされたメモ帳には、既にぎっしりとペンが走らされており、思わず和真はぎょっと目を見張る。
「すごいですね、そのメモ帳」
「ん? あぁ、これかい? 日付があらかじめプリントされてるから、情報の整理がしやすいお気に入りなんだ。このままテープを剥がせば手渡せるしね」
「うむ。情報は集めるだけでは何の役にも立たないからのぅ!」
「なるほど……っと、それで一体何がどうなってるんだ、ベル? 昨日今日と俺達を襲ってきたアンドロイドって、協会やアンチヒーローのアンドロイドなんだろ?」
「うむ。先日、アンドロイド開発を請け負っておった工場の一つが突然変異種に襲われての。そこから盗み出されたものじゃ。その足跡を追っておった矢先、狙いがお主等ではないかと言う見当をつけたのじゃよ」
「俺達が狙い……ね」
ベルイットの言葉に、和真は傍にいたソフィをちらりと見つめる。ソフィもまた和真の視線に気づき、僅かに瞳を細めた。
「御堂さん、ソフィさん。貴方達に狙われる理由は分かりませんの?」
ブリジットの問いに、和真は頭を振る。
「正直、わからない。というか、心当たりが多すぎる」
自分が突然変異種であること。ソフィが最新型の変身ベルトであること。そんな自分達が正義の味方であること。考えれば考えるほどに、自分達に狙われる理由が数多くあることを思い知る。
「僕の方でもいろいろ調べてはいたけど、あまりいい情報はないね。ただ、これは僕の感じ方なんだけど、まるで御堂君を試す様な襲い方だった気がするよ」
深見の言葉に、ベルイットが顎に手を当てて眉を寄せた。そのまま小さく頷いたかと思うと、ベルイットは和真に視線を移す。そしてそっと一言、ベルイットは確認するように呟いた。
「『強制共鳴』――のぅ」
その言葉に、和真は過敏に反応してしまう。もとより、生体同調は本人達の生体リズムを同調させることで初めてその効力を発揮し、変身ベルト型アンドロイドを身に纏うスーツへと変えることができる。そう言う意味でおいても、一度たりとも顔を合わせたことの無い相手に共鳴されること自体を、和真もソフィも想像もしていなかった。
何より、今日のソレは――変身を目的とされていなかった。
「和真、ソフィ。お主たちは今日のコンタクトで何を見たのじゃ?」
ベルイットの問いに和真とソフィは顔を見合わせる。メモを取り続ける深見と、心配そうに見つめるブリジット達の視線を受け、和真はそっと息を吐き出して答えた。
「……見たっていうよりは、見せられたって感想だ。ベル、お前の言ってたその工場が襲われた時の映像を」
言葉にしただけでも悍ましい映像。ソフィの中にある記録映像を克服していないときの自分であれば、また化け物になってしまいそうなほどのトラウマを植え付けるほどの映像だ。
「うぅむ。和真、ソフィ。その映像の中に敵の姿は映っておったか?」
再び和真とソフィは顔を見合わせ、頷く。
「あぁ。黒い――怪鳥とでもいいのかな? 鋭い鉤爪を持った、変異型の突然変異種だと思う。変異する前の姿までは分からなかったけど」
「となると、やはり工場を襲ったその敵に、アンドロイドが操られている可能性は高いですわね」
「ん。私達と同じ変身ベルト型アンドロイドや怪人達をあんな風に化け物に変えてしまうのは許せない」
「なのです。あんなやり方、酷過ぎるのですよ!」
ブリジットの言葉にソフィもまた、スカートを握りしめて言葉に怒りを込める。ブリジットの隣にいるメリーもソフィと同じ気持ちなのか、いつも浮かべている笑みを怒りに変えていた。
周囲の空気が重苦しくなるのに気付き、和真はメモを続けていた深見と視線を交わす。すぐに和真の考え事に気づいた深見は、ペンを止めた。
「まぁ、ここで顔突き合わせてても犯人は分からないだろ。それこそ、俺達は探偵じゃないからさ」
そう言って和真はもう一度、ちらりと深見に笑みを投げる。和真の視線に深見は肩をすくめてみせた。
「探偵はでしゃばらないってのが僕のポリシーなんだけどね。今回の件はその子から依頼も受けてるし、しっかり頑張るよ。アリサの件もあるんだし、しばらくはこっちの街に滞在するつもりだからさ」
「うむ。お願いするのじゃ」
胸を張ってふんぞり返るベルイットの姿に、和真達は顔を見合わせて笑い声を上げた。
◇◆◇◆
深見が家を去った後、和真は玄関の扉を見つめたまま頭をかいた。
「なぁ、ベル。アリサがどこに行ったか知らないか?」
「うぬ? あ奴なら、ちょっと一人になりたいとかで、あの後からずっと戻ってきておらんのぅ」
ベルイットの返答に、和真は深い溜息をつく。まだそれほど夜が遅いとは言えないが、既に辺りは暗くなり始めている。放っておけばまた、彼女は一人で段ボールハウスでも建てるのではないかと思い、和真はいそいそと靴を履きはじめた。
「ちょっと探してくる。悪いけど留守番を――」
してくれと言おうとしたのだが、既に隣では靴を履きはじめたブリジットとメリーの姿が。さらに逆隣では既に出かけ支度を済ませて玄関先の扉に手をかけたソフィの姿も。
留守番どころではない。全員揃って、家を出ようとしていた。
「…………」
「マスター、さっさと支度済ませて。私とマスターが噴水公園周り担当。リジィ達が繁華街担当。ベルがボケ担当」
「最後の担当限りなく必要ないよね!? ってか、いや、だから全員で行かなくても俺だけで……」
「十分だなんて言わせませんわよ。敵の狙いが御堂さんである可能性が高いですもの。少なくとも、ソフィさんと一緒に行くのは当然ですわ」
「当然なのですよ! 御堂さん、ソフィさんに心配かけちゃ駄目なのです!」
詰め寄ってくるメリーの剣幕に押され、和真はちらりとソフィへと視線を向ける。彼女のまっすぐ自分を見つめる瞳に、和真は一瞬だけ瞳を伏せた。
一度自分は、昼間と同じような状況でソフィの目の前で化け物になってしまったことがあるのだ。あぁいうやり方を敵が狙ってくる可能性がある以上、彼女が自分の身を心配するのもよく分かる。
何より、ここ最近の自分は彼女に心配をかけ過ぎているのだ。
「……分かった。一緒に行こう」
「ん。初めからそうやって素直になってくれれば話が早い。おやつは三百円までだから、マスター」
「ピクニックじゃないからな!?」
ツッコみつつも、和真はソフィとブリジット達を連れ、ベルイットに手を振った。
「悪い、怪人達と留守番頼むな、ベル。ボケは俺のいないところで頼む。時空超えたツッコミは俺には無理だから」
和真がそう言うと、ベルイットは腰をくねらせながら自分の肩を抱き、猫撫で声を上げる。
「えー、ベルちゃんこまっちゃうー、なのじゃ!」
ガチャリ。
「……存外、ツッコミがないというのは寂しいのじゃな」
一人残されたベルイットの肩を、焼き鳥を咥えた虎顔の怪人が憐みに叩いた。
◇◆◇◆
ブリジットと別れてソフィと共にアリサを探し始めて十五分程たった頃、和真は噴水公園の噴水傍に立ちすくむアリサの姿を見つけた。彼女の行動範囲は、自分の見知ったところに限定されるんじゃないかと言う勘は見事に的中したらしい。
「おい、アリ――」
慌てて彼女を呼ぼうと和真は口を開いたが、黒いワンピースに身を包むアリサの頬が僅かに光るものを見せたのに気付き、口を閉じる。傍にいるソフィを覗き見ると、彼女もまた口端を噛んでじっとその場に立ち竦んでいた。
他でもない。アリサを傷つけているのが自分達だからだ。
アリサはじっと、壊れかけのままの噴水を見つめている。人気もなく、明かりも数えるほどしかなく。噴水に溜まる水面には、月が映り、立ちすくんだままのアリサの姿も映し出す。
今、彼女は一体どんな気持ちでそれを見つめているのだろうか。そんなことを思うと、和真は自然と胸を押さえ、隣にいたソフィの頭を撫でていた。
嫌々をするソフィの様子に苦笑しながらも、和真は大きく深呼吸をしてアリサの背を見つめる。そして、目一杯吸い込んだ空気を胸に溜め、和真は一歩を踏み出すと同時にアリサの背に声をかけた。
「あーさーりぃ! ……の砂抜き面倒臭い!」
「アリサです! 人の名前を勝手に味噌汁のちょっと豪華な具みたいにしないでください!」
「ごめん、言ってて何言いだすんだ俺って自分でツッコミ入れたくなった」
バッと音を立てて振り返ったアリサは、顔を真っ赤にして和真に詰め寄る。和真は自分の口走った冗談が、昼間に虎彦が口走った冗談に似てるなと気づき、自己嫌悪。だが、アリサは和真のそんな様子を無視して、そのまま遠慮なく頬を両手でつまみ上げた。遠慮も何もない捻りあげに、和真は慌ててギブアップを宣言。
「ちょ、ちょちょちょ! ごめ、冗談! おちゃめな冗談だろ!? いだだだだ!?」
「空気ちゃんと読んで下さい! 冗談も言っていい時と悪い時があります!」
「アリサの言う通り。マスター、今の冗談三点」
「低ッ!? し、仕方ないだろ! 俺なりに精一杯の冗談だったの!」
近寄ってきたソフィに突っ込みつつも、アリサにつまみあげられていた頬を解放された和真は赤くなった頬を撫でる。ムッとしたままのアリサの様子に気づき、和真は乾いた笑い声を上げながら、アリサに話しかけた。
「迎えに来たんだよ。昨日の今日で色々と面倒事が増えてるし、もう夜も遅いだろ。段ボールハウスじゃ無理だ。マイハウスに来い」
「失礼ですね。あそこにある段ボールハウスのどこが無理なんですか?」
そう言ってアリサが指差す先には、石垣傍に綺麗に組み立てられた、人二人は入れそうな巨大な段ボールハウス。入口はパタパタの開き戸。屋根も作られ、『みかん』の文字が書かれた段ボールの一部が扉に貼り付けられている。凝った装飾だ。
「段ボールもあそこまで行くと芸術になるんです! 御堂さんにはあの芸術がわからないんですか?」
「いや、その芸術、たった今ソフィの手で崩壊してるんだけど」
「マイはうぅっす!?」
ふふんと笑うアリサの背後で、綺麗に組み立てられていた段ボールハウスは、ソフィの遠慮のない蹴りによって崩れ落ちた。見るも無残に破壊されたダンボールハウスだったものは、翌朝には廃品回収に持って行かれるに違いない。
「そ、そんなっ、渾身の出来のマイハウスが……、唯のダンボールに……!?」
「元からダンボールじゃね?」
膝をついてがっくりと崩れ落ちるアリサの肩を、ハウス粉砕の現行犯であるソフィが憐みに叩く。いくら彼女を連れ帰るためとはいえ、やり方がえげつない。そして何より、その遠慮も思慮も配慮もないやり方が、どこかの誰かさんそっくりで。
和真は思わず、ほくそ笑むソフィに声をかけてしまった。
「……ソフィ」
「なに、マスター? 私、いい仕事して今いい気分夢気分」
「お前……行動が、その、ベルに似てきてるぞ」
ばっと音を立ててソフィが和真のほうに振り返る。その顔が悍ましい何かを見てしまったように歪み、
「ッ!? 私が、ベルに、似て、きて、る!? エレキテル!?」
「えれきてねぇよ! いや、似てるっていうか、やり方のえげつなさがな、ベルを連想させた」
「あの悪の幹部と同類……!? 毎朝裸でうろつく変態と、同類!?」
よっぽどベルに似ていると言われたことがショックだったのか、ソフィはそのまま和真の隣で四つん這いになって崩れ落ちた。そのままぶつぶつとマジ来てるなどと呟く彼女の背を、和真はジト目で眺める。
とりあえず壊れたソフィのことは放っておき、和真は同じく壊れたままのアリサに再び声をかけた。
「この辺り、まだ半年前の傷跡が残ってるんだよ。そのせいで人気も少ないし、こんなところで一人でいいわけないだろ」
「……半年前の傷痕、ですか」
崩れ落ちた段ボールハウスを眺めたままのアリサが、和真の言葉を反芻しながら自嘲したように笑った。
「ここ、私とご主人様が最後に戦った場所なんですよね?」
アリサの問いに、和真は思わずソフィを見つめた。崩れ落ちたままだったソフィは、和真の視線に気づき、立ち上がってこくんと頷く。
「ん。アリサはここで戦いを終えた後、協会にすぐに戻った」
「だから、かもしれないです。ここの景色を見てると、すごく落ち着くんです。ここで待ってれば、ご主人様に会えるかもしれないって。迎えに来てくれるかもって」
「…………」
アリサの言葉に、和真は胸を締め付けられた。何と言葉をかけてよいかわからない。どうやって今の彼女を助ければいいのか、分からない。消されてしまった記憶を取り戻す方法なんて、それこそどこにもない。彼女は、自分達人間とは違うのだから。
ふぅっと一息をつき、和真はもう一度彼女に声をかけた。
「悪かったな。迎えに来たのが俺達で」
「いえ、迎えが来ないよりきっとマシです。それに、今日はもう……疲れましたから」
「分かった。なら、今日はもう帰ろう。明日は学校だから一緒に探せないけど、授業後なら手伝えるから」
「ありがとうございます、御堂さん。ミカンの皮ほどにあてにしてます」
「それって一体どういう意味!? ほとんどゴミ箱行きだろうが!」
「アリサ、それはいくらなんでも言い過ぎ。マスターはミカンの皮じゃない。お風呂場にある切れたシャンプーぐらいは役に立――ごめんなさい、役には立ちそうにもなかった」
「中身入れ替えろってか!?」
ソフィとアリサの毒舌の前に崩れ落ちた和真は、自分を一瞥して帰宅の途につき始めたソフィとアリサの背を見つめて苦笑する。
やはり、彼女達はどこか似ている。見た目も姿も性能も全く違うというのに。
「アリサの、ご主人様……か」
それは一体、どんな人物なのだろうか。自分やブリジットに似ているのだろうか。それとも、もっと別な考えで、別な理由で戦っていた人なのだろうか。名前も姿も何一つ知らないその人は、一体どうして正義の味方でいられなくなったのだろうか。
二人がどんな正義の味方だったのか知ることができれば、全部解決できるというのに。
「――え?」
ふと。
和真は脳裏に浮かんだ考えに立ち止まった。
アリサとそのご主人様がどんな正義の味方だったのか。それを自分自身で知る方法は本当にないのか。
「いや、待てよ……?」
何かを自分は忘れている。彼女達がどんな正義の味方だったかを知る方法を、自分は確かに持っているはずだ。ソフィやブリジット、ベルイットの口から聞くのとは別の方法で。
「……っ」
必死になって頭を回転させる和真だったが、広場の入り口に並んで立つソフィとアリサの声に、慌てて顔を上げる。
「マスター、何やってるの! 早く帰る!」
「ソフィちゃんの言うとおりですよ! 御堂さん、行きましょう!」
「あ、あぁわかった!」
彼女達の自分を呼ぶ声に考えていたことはかき消されてしまい、和真は仕方なくその場を駆け出した。
――遠い空の上で自分達を見下ろす、漆黒の怪鳥に気づきもせずに。




