第六話 探し物は何処
「ここを見た記憶は?」
「いえ、ありません」
「じゃあ、そっちは?」
「記憶にないですね。御堂さんはあっちは知ってますか?」
「いや、そりゃ俺は知ってるよ。地元だし」
「私は知らないですね」
…………。
………………。
「御堂さん?」
「俺のせいじゃないからな」
通りのど真ん中で向かい合った和真とアリサの間に何とも言えぬ沈黙が漂う。かれこれ朝早くに家を出て既に数時間。日は既に昇りきり、人気の少なかった街中は休日を楽しむ人の姿で溢れかえっている。
アリサの記憶にある景色の一つでもないものかと、和真は彼女と共に街中を歩きまわっていた。だが、どうにも状況は思わしくなく、アリサはどの景色も覚えていないとのこと。時計の針は既に短針長針が重なろうとしており、和真は腹を押さえてアリサに提案を持ちかける。
「一旦腹ごしらえにしよう。その辺に食べる場所結構あるけど、どうする?」
「出来れば人気の少ないところをお願いしたいです。協会の関係者の方に見つかっても困りますから」
「人気の少ない場所か。んー……」
街中を見渡す限り人気の少ない食事処など見当たらない。むしろこの稼ぎ時の時間に人気が少なければ、営業なんてできやしない。頭を捻る和真はふと、ある場所を思い出す。
「なら、良い場所があった。あそこなら人気も少ないし、アリサも知ってるからな」
「私が知ってる場所、ですか?」
「そうそう」
小首をかしげるアリサを手招きし、和真は昨日訪れたばかりのあの場所へと向かって歩みを進めた。
◇◆◇◆
「ここって……」
足を踏み入れた瞬間に、辺りを見渡すアリサの様子に和真は小さく笑った。
「ここならアリサもよく知ってるだろ? なんせ、昨日来たばっかりだもんな」
「確かに、ここは私もよく知ってます」
はにかむアリサに和真は満足げに頬を掻き、彼女を連れてさらに奥へと進む。
繁華街から多少距離のある場所に佇む、人気のない噴水広場。寂しげなその広場の中央から離れた位置に、たこ焼き一筋ののぼり旗を掲げた白のワンボックスカーを見つけた。近づくにつれて香る良い匂いに思わず喉が鳴り、進む足が速度を上げる。
そうして、近寄ってくる和真達の様子に気づいたスーツにエプロン姿の店長が、曇った眼鏡を拭いてキラリと白い歯を輝かせた。
「へいらっしゃい! たこ焼き一筋二週間! うんめぇたこ焼き、いかがかな!」
目が合っての開口一番の謳い文句に、和真は深く頭を抱える。
縁のない眼鏡のずれを直す店長は、白いエプロンを靡かせてボックスカーの中できらりと決め顔。何と声をかけてよいかわからず、和真は愛想笑いだけを彼に向けた。
「あの……会うたびに突っ込みいれさせようとしないでくれませんかね?」
ジト目を向けた和真の様子に、左腕で頭をかくタコ焼き屋の店長は柔和な笑みを浮かべる。
「いやぁ、だって坊主、ツッコミ大好きだろ? だろ、だろ? おじさん、一晩頑張って考えた」
「ツッコミが好きなわけじゃない!」
「もぅ、坊主ったらツンデレなんだからっ! このこのぉ」
「あっははは、あぁもうすごいイラッとした。そーんな筋肉質なおっさんのテヘ顔なんで見たくない、見たくないの俺ッ!」
「あの、御堂さん。私、即席コント見に来たわけじゃないんですが」
「そんなつもりこれっぽっちもないからね!? 全方位にツッコミ入れさせないでくれないかな!」
それにしても、筋肉質な店長――いやもうおっさんでいい。おっさんの背広と真っ白エプロンと言う組み合わせは実に最悪だった。その上、たこ焼き屋をやっているというのに、エプロンにはでかでかと『リンゴ飴一筋』の文字。突っ込めと言われてもどこに突っ込めばいいのかわからない完全装備だ。
「で、坊主。おっさんの服装に関するツッコミをどうぞ」
「…………」
白髪をかきながら、おっさんはニヤリと口元を緩め、和真を見つめる。その視線に和真は何と答えたものか思案し、だが、隣にいたアリサが盛大な溜息をついて言い切った。
「センスないですね。ダサいと思います」
「ちょ!?」
「ほう?」
いきなりの発言に慌てて和真はアリサの顔を見る。しかし、そんな和真に気づくこともなく、彼女は呆れたように頭を振りながら更なる痛烈な言葉を続けた。
「まず服装がダサいです。スーツ姿に白いエプロンと言うのは奇を狙ったのかもしれませんが、バランス悪すぎです。あと、ふちのない眼鏡っていうのも個人的にはアウトです。それに、見たところ唯のおしゃれ眼鏡で度が入ってませんね。つけるだけ無駄です。あと、おっさん顔になよっとした笑顔もいまいちです。まず服装は白いシャツに真っ黒エプロンがベストです。頭には赤い三角巾を。縁なし眼鏡はこの際捨ててもう少しキリッとした顔つきを生かす方向で――」
「ハイストップ! それお前の個人的趣味だけだろ!? 見ろ、おっさんさんだって呆然として――」
叫びながらも振り返った和真の視線の先には、既に白シャツ一枚の黒エプロン、赤ずきんな五十代後半の壮年男性の姿が。
「こんなのでどうかい?」
「いや着替えるの早すぎだろッ! なんでそんなに準備良いんですか!?」
「だっはっは! いやぁ、この嬢ちゃん達が手際が良くってな! ついおじさん、張り切っちゃった」
「は? 嬢ちゃん達?」
店長の言葉に不穏なものを感じながらも、手招きにつられ、和真はボックスカーの外からその中を覗きこもうと身を乗り出す。そこにいたのは椅子に座ってたこ焼きを食べる少女二人。亜麻色と銀色。
和真の瞳がスッと細くなった。
「…………」
「はふ、はふっ、おほう、ふーっ、ふーっ、遅かったのじゃな和真」
「マスター、これお願い」
差し出された真っ赤なタコ足が八個だけ残った白いパックを受け取り、和真はその一つを咥え、歯ぎしりしながら彼女達を問い詰めた。
「お前ら、いつからここにいたんだ」
「いつからって、お主たちが勝手に家を出てすぐじゃ。昨日の今日じゃし、この場の状況見聞のためなのじゃよ」
破顔するベルイットの様子に頭を抱えながらも、和真は自分を睨み付けるソフィの視線に乾いた笑いを返す。口いっぱいに頬張ったたこ焼きを楽しみながらも、ソフィの髪は逆立ち自分を威嚇してきた。昨晩、自分も連れて行けと言っていた彼女を置いてきたことに腹を立てているのがすぐにわかる。
「いや、悪かったよ。けど、お前ら爆睡してたしさ」
「マスターはもう少し、私の存在を大切にすべき。にーど、ふぉー、ゆー」
拗ねるソフィの様子に和真は頭をかき、言葉を探す。だが、直ぐに背後にいたアリサに声を掛けられ、和真は振り返った。
「御堂さん、ソフィちゃんの言うとおりです。私達を蔑にするのはあり得ないです」
「いや、別に蔑にしてるつもりはないっていうか……」
頭をかいた和真の正面に、ずいっとアリサが近づいてくる。見開いた目で和真の両肩を掴んだ彼女は、口端を吊り上げて笑った。
「とにかく、ソフィちゃんも一緒に来てもらいましょう。いいですか、一緒にです」
「いや、だからあのな――」
溜息をついた和真に向ってアリサは一言。
「午前中、進展有りましたか?」
――無かった。完膚なきまでに、何一つ全く持って進展はなかった。
「…………ハイ。連れて行きます」
多少なりとも事情を知り、アリサのご主人様の姿を知っているソフィを連れていくのは、何らかの手がかりになるかもしれない。そう言う考えがアリサの胸の内から見え、和真は渋々頷いた。
「たまにはマスターも物分かりが良い」
「どれどれ、わしも手伝うとするかのぅ」
ボックスカーの中から出てきたソフィとベルイットも和真の周りに集まり、一気にその場は賑やかになる。和真の隣に立ったソフィを見たアリサは、直ぐに彼女に声をかけた。
「ソフィちゃん。昨日の件はお互い水に流しましょう」
「ん。昨日は私も言い過ぎた」
「じゃあ……」
にこっと笑みを浮かべてアリサはソフィに手を差し出す。ソフィもまた彼女の伸ばした掌に手を伸ばし、握手を交わした。だが、二人は躱した握手を互いに引き寄せ、一瞬にして顔を衝きつけた睨み合いに。
「新型だか何だか知りませんが、あまり私を舐めないでくださいね。今あの人のことを喋ってくれれば、私も手荒な真似はせずに済みます。胸が小さいくせに」
「貴女こそ、旧型でちょっとぐらい出るとこ出てるからって、私を舐めないで。私達は貴女の為を思って黙ってる。胸デカいだけのくせに」
「そんな優しさいりません。だから、さっさとあの人のこと喋ってください、ぺちゃぱい」
「悪いけど、私はマスターと同じで身勝手な部類。貴女の頼みには応えられない、乳お化け」
一拍の間と共に、アリサとソフィは互いの頬に両手を伸ばし、一気に引っ張り合いを始めた。あまりに醜い少女達の争いに一瞬だけ和真は言葉を無くすが、直ぐに頭を振って二人の間に割って入る。
「あぁもう、直ぐにこれだ。お前ら、喧嘩をするなら――」
「喧嘩じゃありません。スキンシップです!」
「アリサの言うとおり。これは私たちなりのスキンシップ!」
「嘘つけ! 涙目になるほど頬引っ張りあってやるスキンシップがあってたま――って、こら! なんで俺の頬引っ張んの!? いっだだだだ!?」
左右からソフィとアリサに頬を引っ張られ、和真は慌てて彼女達を押しのけようと腕を伸ばす。そんな和真の様子を眺めていたたこ焼き屋の店長ことおっさんは、微笑みと共に和真の脇腹を肘でつついてきた。
「いやぁ、大変そうだなぁ坊主、モテる男って。にくいねぇ、このこの」
「止めてくれません!? ものすごくイラッとするから止めてくれません!?」
「何じゃなんじゃお主等。そんなくだらんことで喧嘩しておるのかの?」
黙っていたベルイットがやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、アリサやソフィの視線を自分に集めた。ベルイットの姿に、アリサはムッと眉を寄せて唇をすぼめる。
「くだらなくなんてありません! ソフィちゃんやブリジットさんがあの人のことを教えてくれたら、それで全部すむ話なんです!」
「本当にそれで済むなら、私達だって話してる」
喧嘩腰のままの二人の様子に、和真はベルイットと視線を交えて溜息をついた。
「しかたないのぅ。アリサ」
「何ですか! 今ちょっと忙しいです!」
「ほれ、これ」
無造作に、ベルイットは和真の隣に立つタコ焼き屋の店長を指差した。
「その人が何だっていうんですか。そんなただマッチョなだけで、おちゃめなふりしてキャラ作ろうとしてる無職のおっさんなんて今はどうでもいいんです!」
「おぉ、全部ばれてるぞ坊主。おっさんびっくり。でも無職は傷ついた」
「いや、そこでへらへら笑えるところは尊敬してますよ、俺」
乱暴に肩を叩きながら笑う店長の様子に和真は頭を抱える。だが、そんな和真やアリサ達の様子を気にもしないベルイットはたった一言の爆弾発言。
「かわりにコレ、お主のご主人様にすればよいのじゃ」
「――は?」
「――え?」
思わず和真とアリサが絶句する。すぐさま和真はアリサと視線を交え、ばっと音をたてて自分の隣で笑うタコ焼き屋の店長を眺める。
「ん、ん? 一体何の話?」
そこにいるのは白髪のおっさん。眼鏡は既に外してしまっており、壊滅的な服装センスをもつ、その場その場を楽しく生きている壮年の男性。小皺は年を感じさせ、柔和な表情とは裏腹の年不相応な筋肉質な肉体には少し驚かされるが――それでもただの一般人。
とてもじゃないが――今から正義の味方になれる様子など見えはしなかった。
「あの……おっさ――店長」
「あ、おっさんでいいぞ」
「じゃあおっさ――いやダメでしょ!」
「虎彦な。おっさんの名前。近藤虎彦」
「じゃあ虎彦さん。虎彦さんって昔この地域を守っていた正義の味方のこと、しってますか?」
「あ、それ俺俺。つい最近までこの地域守ってた」
…………。
よくよく聞くと爆弾発言。
「う、うそ! つ、つい最近っていつまでの話!?」
「も、もっとそれ詳しく聞かせてください! お願いします! ひょっとして、貴方が私の――!」
話を聞いていたアリサも和真と共に、店長――虎彦に詰め寄り、鼻息荒く問いかけた。二人の様子を見た虎彦は、ちらりとベルイットに視線を泳がせ、
「おっさんが三十台の頃の話だから、今から二十年ほどの最近だなぁ。いやぁ、おっさん若かったぁ。手に汗握る激闘。頬染めるラブロマンス。命を懸けたプロポーズ。おっさん、あのころが一番輝いてたなぁ。ダイヤモンドの輝きだった」
「…………」
「…………」
顎に手を当ててキラリと決め顔。そのあまりの笑顔に和真とアリサは顔を見合わせて深く項垂れた。
そんな和真達の様子を一瞥したソフィは、ベルイットにを面倒臭そうに見つめる。
「……ベル、一体どういうつもり?」
「どういうつもりも何も、お主等が下らぬことで言い合いしておったからのぅ。わしが一石投じてみようとじゃな」
ニヤリと歪な笑みを浮かべるベルイットの姿に、和真は素早くツッコミを入れた。
「隕石落として場を全部吹き飛ばしたけどな、お前の発言は」
「そんなに褒められるとわし、照れちゃう。ぽっ」
「どこをどうしたらそんな前向きに受け取れるんだよお前は……」
腰をくねらせて抱き着いてくるベルイットを引きはがし、和真は項垂れたままのアリサに声をかけた。
「アリサ、あんまり気を落とさずに行こう」
「そう、ですね。なんだか毒気が抜かれました」
がっくりと肩をおとしたアリサはとぼとぼとソフィの前に立ち、頭を下げて謝る。
「ごめんなさいソフィちゃん。もう少しじっくり行くことにします……」
「……ん」
アリサの謝罪に、ソフィは複雑な表情を見せて頷く。彼女達の様子を見ていた和真は、傍に居た虎彦に声を掛けられた。
「坊主はあの嬢ちゃんの探し人を探してんのか?」
「あ、はい。ちょっと事情が複雑で……。人を探すのって、難しいんですね」
「精々頑張んな。おっさん、応援だけはしてやる。けど、関わるのはごめんだからな。面倒事、おっさんきらい。そこの嬢ちゃんも勝手におっさん巻き込むんじゃねぇぞ!」
「にょっほっほ!」
きつい視線を向ける虎彦の前で口笛を吹くベルの様子に、和真は深い溜息をつく。あの時彼女が虎彦を冗談の種に使わなければ、また言い争いが起きていたかもしれないからだ。
そうして和真は、離れた場所で噴水を見つめているアリサにちらりと視線を向ける。
「見つけなきゃ、な」
アリサの見せた今にも壊れそうな表情に、和真は胸を締め付けられる思いで呟いた。




