第十六話 感じた温もり
「こ、ここは……?」
「お父さんっ!」
目を覚ます藤堂に少年が抱き着いた。ぐったりと横たわったままの藤堂に、少年はしがみ付く形で泣き声をあげ始める。自体を飲み込めない藤堂は、開いた目で辺りをゆっくりと見渡した。
見る影もなく崩れているショッピングモールの瓦礫は、集まっているアンチヒーローの怪人やヒーロー協会の関係者の手によって撤去が始まっている。辺りにはすでに報道関係者の姿も見えた。
傍で慌ただしく自分の怪我の治療をしている医療関係者をちらりと見つめた藤堂は、少年の背後に立っていたブリジットとメリーの姿に気づき、尋ねる。
「あの後、どうなったんだね……?」
尋ねられたブリジットは既に治療を終えており、額や腕、足などの切り傷を包帯などで応急処置を済ませていた。だが、痛みを微塵も見せないブリジットは、藤堂の問いにふっと笑みを零して答える。
「暴走した貴方の能力の塊はもう壊しましたの。その反動で気絶していただけですわ」
ブリジットの返答に、藤堂は動く右腕で顔を覆い震える声で自嘲した。
「あぁ……そうか。私は自分で息子を殺してしまうところだったんだな」
その声に、ブリジットは言葉を返さない。
しばらくして治療を終えた藤堂は、抱き着いたままの少年ごと身体を起こし、彼の頭を撫でながら語り始める。
「妻はな、私の目の前で殺された。通り魔と言うやつだ。私はその場にいたし、妻が死ぬその瞬間も見届けた。あの瞬間ほど世界を呪ったことはないし、人を許せないと思ったことはない。だというのに、そいつはさらに私から息子まで奪おうとした」
手を出すな。
藤堂の語りに、あの時少年の腕を引いた自分に向けられた言葉をブリジットは思い出す。
「それが、貴方の禁止語句なんですのね」
藤堂が小さく頷く。愛おしそうに少年を抱きしめ嗚咽を隠し、過去を否定しようと藤堂は言葉を続けた。
「あぁそうだ。もう二度と私の大切な物は奪わせやしない。誰にも触らせはしない」
「お父さん……」
「私が守らなくてはいけない。私しかいない。私だけが……。そう言う傲慢な思いが、いつの間にか私を本当の化け物にしてしまっていたのだろう」
そう言って、藤堂は傍で立っていたブリジットに両腕を差し出す。何かを悟ったようにやつれてしまった頬を緩め、藤堂は笑っていた。その顔を見て、ブリジットは僅かに下唇を噛む。
「さぁ、私を捕まえてくれ。私は大勢の犠牲を出す様な事件を起こした。私には裁かれる義務がある」
「…………」
押し黙ったブリジットと藤堂の間に、少年が腕を伸ばして立ち上がった。父親を庇うように立った少年は、まっすぐとブリジットを見上げる。その表情はまるで、嬉しさと悲しみをごちゃごちゃに混ぜ合わせたような歪な表情だ。
少年の表情に、ブリジットは何と言葉を告げていいかわからなくなる。今から自分は彼の大切な物を奪うのだと思うと、握る拳が震え、決意が揺らぐ。だが、そんなブリジットの手を、傍で黙っていたメリーがそっと握った。
すぐにブリジットが彼女へと視線を移すと、メリーは笑みを浮かべてまっすぐに自分を見つめていることに気付く。彼女に背負をされる形でブリジットは、藤堂を守るようにして立つ少年の前にしゃがみ視線を合わせた。
「貴方の気持ちは、よく分かりますわ。誰だって、自分の大切な物がその掌からこぼれていくのは怖いですものね」
「あ……!」
ぱっと、少年が笑みを浮かべる。それを見てブリジットは、頭を左右に振った。
「でも……」
瞳を閉じる。そして、思い出す。
この戦いを通してブリジット・エインズワースが学んだもの。それは、
「本当に大切な物は、掌から零れたりしませんわ。貴方のお父さんが貴方に見せてくれた愛情と同じように」
「っ、で、でも……! 僕には、お父さんしかいなくって……!」
「祐介」
ブリジットに縋る息子の名を、藤堂が呼ぶ。その声に少年は振り返り、はっと息を飲んだ。
「父さんはやり方を間違った。だが、人はきっとやり直せる。何年かかるかわからないが、必ずやり直して見せる。その間、祐介はそうやって泣き喚くだけか?」
「ぼ、僕は……」
顔を伏せる少年の頭を、藤堂が撫でる。やつれて細くなったその顔とその腕で、力強く逞しく――穏やかな笑みで。
「約束だ。父さんは罪を償ってくる。だから、お前は父さんよりもっと強い男になれ。父さんみたいに間違わないよう、大切な物を失くさないように」
藤堂の言葉に、少年は一度だけブリジットを見上げる。少年の涙を堪える瞳を見つめ返し、ブリジットは大きく頷いた。その頷きを見た少年は一度だけ顔を伏せ、両腕でゴシゴシと顔をこする。
そうして少年は再び藤堂に向かい合い、大きな声で宣言した。
「お父さん、僕、正義の味方になる。お姉ちゃんみたいに、お兄ちゃん達みたいに誰かを助けられる正義の味方になる。お父さんがもう間違わないよう、今度お父さんが間違いそうになったときは僕が助けられるように、僕はずっとずっと強くなる!」
少年の強い言葉に、藤堂は驚きに言葉を失くす。だが、直ぐに息子の言葉の意味を理解し、笑い声を零して頷いた。
「あぁ、約束だ。私は罪を償い、お前は正義の味方になる。そうだな、祐介」
「うん!」
藤堂とその息子が薬指を絡めるのを見つめ、ブリジットは瞳を閉じて小さな笑みを浮かべた。
◇◆◇◆
「僕が助けられるように……ですってね」
「ご主人様?」
藤堂がヒーロー協会の関係者と共に現場を去り、少年も施設の関係者が連れて帰っていった。彼らを最後まで見送ったブリジットは、離れた場所に設置された簡易医療テントを目指して歩みを進めながら呟く。
「なんでもないわ、メリー」
「むむ、何かを隠しているのですよ、ご主人様は!」
眉を寄せて覗き込んでくるメリーの額を軽く小突き、ブリジットは立ち止まっていた足を再び前に進めた。
そうして近づいてくる医療テントを見つめ、ブリジットは自嘲したように笑う。
少年の言葉が胸に残る。
今度間違ったら、自分が助けるから。
(はじまりはあの子と同じでしたものね)
久しく忘れていたのかもしれない。口では何とでも、思い出の中では何度でも思っていたのに。助けるために正義の味方になることを決めたのは、他でもない自分だったというのに。
(本当に、遠回りしてしまいましたの)
思い出した今となっては晴れ渡る心は清々しい。
「迷っていたのがバカみたいですわね」
「ご主人様! 一人で納得するなんておかしいのです! メリーにも教えてほしいのですよ!」
「嫌ですわよ。私は自分がバカになっただなんて認めたくありませんもの」
敵を倒す正義の味方。そんな姿に逃げ続けた自分はどれだけ馬鹿だっただろうか。皮肉にも、青年に向けられた言葉のように。目を瞑れば、ばーかと嘲笑うような声が聞こえてくる気がする。
思い出す声に思わず腹立たしくなり、歩みを進める足を止めてブリジットは拳を顔の前で握った。
「……なんだか、無性に殴りたくなりますわね」
「ひぃ! わ、私は殴られるのは嫌なのですよ!?」
「貴女を殴るほど、私は酷い女じゃないですわよ」
「ご主人様、満面の笑みで拳を握るのは止めて欲しいのですよ」
メリーの当然の抗議にブリジットは苦笑いし、握った拳を開いて医療テントを目指した。
◇◆◇◆
静かな医療テントの中で一人、和真はゆっくりと簡易ベッドから身体を起こす。思わず走った痛みに呻き、額を滲む汗を拭って息を整えた。全身は酷い有様だ。上半身はほぼ包帯の一張羅。特に背中の痛みは酷く、横になっているだけでも辛い。
「ふぅ……」
ソフィとベルイットはこの場を離れており、今は自分一人きり。痛みのもどかしさに叫んでみようかと息を吸い込むが、テントに近寄ってきた金色と真紅に気付き、和真は吸い込んだばかりの息を吐き出した。
「あの人達はどうなった?」
「ついさっき、連れていかれましたわ。それにしても御堂さん、また勝手に起きてるのかしら?」
近寄ってきたブリジットの怪訝な視線に、和真は苦笑いを返す。
「いや、寝てても背中が痛いんだよ。起きてたほうが楽だからいいだろ、別に」
「寝てないと、またソフィさんに殴り飛ばされますわよ?」
「それは勘弁こうむりたいよなぁ……」
苦笑する和真のベッド傍にあるパイプ椅子に、ブリジットが腰を下ろした。その隣にメリーも座り込む。
「御堂さん御堂さん、ソフィさんとベルイットさんはどこに行ったのです?」
「ん? あいつ等ならなんか、搬送車の手配とか何とか。さすがに俺も今は歩けないし、家に帰るまでの車の手配をしてくれてるらしくて」
「あぁ、それで霊柩車が近くに止まっていたんですのね。理解しましたわ」
「いや待って超待って。俺まだ生きてますが」
「え? あんな怪我して生きてるんですの、御堂さん?」
「目の前にいる人見て! まだまだ元気いっぱいだぞ!? って、いててて……」
「興奮するから痛みが増すんですの。落ち着いてツッコめばいいんですのに」
「その前にボケるのを止めてくれたら、俺ツッコまなくて済むんだけどね」
皮肉を返すしたが、言い返しても来ないブリジットがゆっくりと頭を下げるのに気付く。彼女の殊勝な様子に、思わず和真は面食らってしまった。
だが、直ぐに彼女が何を言おうとしているのかに気づき、和真は深い溜息をつく。
「ごめんなさい、御堂さん。私のせいで、貴方にまでこんな怪我をさせてしまいましたの。この責任は――」
パチン、と。下がっていた額を和真は指ではじいた。
赤くなったデコをさするブリジットは不満げに和真を睨み付けるが、そんな視線を無視して和真は語る。
「言ったろ。身体が勝手に動いただけだし、こんなのお前のせいでもなんでもない」
「ですけど……」
顔を伏せるブリジットを心配そうにメリーが見つめる。二人の様子に、和真は痛む腕で頭をかき、彼女を助けようとした時のことを思い出す。あの時の自分は、相当バカなことを言っていた。
めちゃくちゃで身勝手なことを言っていた。だが、そんな自分の言葉を信じて、助けを求めてくれなければ自分は彼女達を助ける事さえできなかったことは想像に安くない。
だからこそ、自分は彼女達にお礼を言われる必要はない。
「ですけども何も関係ないだろ。それに、あの時も言っただろ。俺を助けてくれって。お前が助けを求めてくれなきゃ俺は死んでたし、みんなを助けることも出来なかった」
「あんなの、貴方の口からの屁理屈で……!」
「だから、言ってるだろ。俺達は理屈で人助けなんてできないんだって。だから、怪我の責任なんてどこにもないんだよ」
言い返すと、不満げにブリジットが眉を寄せる。端正に整うその顔が愛らしく拗ね顔へと変わっていき、唇を尖らせた。
「……本当に、身勝手な人ですわねっ」
「なんせお前らの一億倍だからな」
「口も減らない人!」
不服そうに頬を膨らませるブリジットの様子に和真は吹き出す。そんなそっぽを向いて膨らんだブリジットの頬は、傍にいたメリーの人差し指でつぶされ、ぶっ、という情けない音をたてた。
そのあまりに場違いな音に和真は笑いを堪えきれず、腹を抱える。当の本人は真っ赤なになった顔をきつくし、隣で座っていたメリーを睨み付け叫んだ。
「め、メリー! 貴女、なんてことするの!?」
「うっきゃああ! ご主人様が怒ったのですよ!?」
「ちょ、こら! こっちに来るなメリー! あ、ちょ、おい!」
拳を振り上げるブリジットからメリーがパイプ椅子を倒す勢いで和真の方へ逃げてくる。怪我の痛みでまともに動けない和真は為す術もなくメリーの突撃を食らい、顔を歪めた。
「あ、あわわわあわ!?」
「うぉっ!」
「メリー、御堂さん!?」
メリーの重みも加わり、簡易ベッドの足を止めていた金具が音をたてて外れる。メリーに巻き込まれる形でベッドから投げ出されそうになり、和真は慌ててしがみ付くべきものを探した。だが、手近にあったものなど彼女以外にないわけで。おのずと身動きが取れない和真の身体は、ブリジットの胸の中に顔面から納まり、彼女を押し倒す形で地面に倒れた。
「っ……!」
「あっ、わ、わるい……!」
倒れ込んだ痛みで身体に力が入らず、だが顔面に感じた柔らかさが何だかすぐに理解した和真は、真っ赤な顔をしたブリジットに謝りを入れる。しかし、予想していた拳も飛んでこず、ブリジットは和真の謝罪に軽くそっぽを向いて眉を寄せた。
「べ、別に構いませんわ。今のは私達も悪いですし、御堂さんは怪我をしているのでしょう?」
「う、あ、あぁわるい。すぐにどくからちょっと待ってくれ」
「いえ、別にそんなに急がなくても構いま――」
「で、マスター達は何してるの。パートナーの私がいない間に」
耳に届く低い声に、桃色を帯びようとしていた医療テントの温度が急激に下がった。
恥ずかしさで赤く染まっていた和真の顔は血の気を失い蒼白に。痛みで震えていた身体は別の意味で震えだし、鳥肌の立った全身が最悪の危機を訴えてくる。
だが、そんな和真の様子を意にも介さず、低い声はさらに和真を責め立てた。
「もう一度聞く。なに、してるの、マスター?」
顔を上げた先に立っていたのは、自分を見下ろす絶対零度の視線の主。煤で汚れてしまったゴスロリに身を包み、銀色のツインテールを揺らせる変身ベルト型アンドロイドの姿。
「い、いや、これは別に、事故っていうか、仕方ない結果と言うか!」
「あ?」
まるで潰れたゴキブリを見る様な冷たい瞳が和真を射抜く。化け物を相手取った時とは違う、別の意味で声が震えた。だが、動揺に起き上がることも忘れた和真は、押し倒したままのブリジットに助けを求める。
「ぶ、ブリジット! 頼む、ソフィのやつにもちゃんと説明を――」
「ソフィさん、誤解ですわ。これは同意の上でのことですもの。御堂さんがソフィさんの胸がないことを嘆いて私の胸に飛び込んできただけですわ」
「いや然全然違うよね!? 同意も合意も胸囲もないよね!? ソフィ、勘違いするな! 身動き取れなかったからこうなっただけで……!」
「誰の胸囲がないって?」
言い訳する和真の言葉を切り捨て一瞥したソフィは、遅れてやってきたベルイットに視線を向け、和真を指差した。そしてそっと一言。
「ベル。マスタータックルお願い」
「それきたのじゃ! 和真、わしもそこに混ぜるのじゃぞ! んちゅー!」
「ぎゃああああ!」
飛び込んできたベルイットに押しつぶされ、再び急速に意識が持って行かれる。視界は薄れ、呻き声も消えていく。あ、また気絶するなんて理解してしまい、和真は己の不幸を呪った。
だが、そんな中、和真は自分の目の前にある顔を見る。
瞳から涙を零すほど大笑いをする彼女の顔は、年相応の女の子の顔で。
鼻に突いたような正義の味方を演じる姿は、そこにはひとかけらも残っていなくて。
(なんだよ、やっぱり笑うと可愛いんだな)
そんな笑顔一つで救われた気分になる自分を笑う和真は、後のこと全てを暴れる彼女達に任せることに決め、ゆっくりと疲れと痛みに目を閉じる。
「ありがとうございます、和真さん」
そんな言葉と共に、頬に不思議な温もりが触れたことに気づきもせずに――。




