第十二話 折れた心と助ける理由
「どうして、この場所が分かったんですの?」
抱きかかえたブリジットの問いに、和真は正面にいる巨大な化け物から視線を外さずに答えた。
「ベルの眼を掻い潜って学校行ったら、お前が休みの連絡入れてるって聞いた。そうじゃなくてもこれだけの大騒ぎが起きれば、学校にだって情報が入る。あとはもう、そこにいるバカに確認を取っただけだ」
「バカとはひどいのぅ。ワシらはお主の怪我を心配し、黙っておいたというのに」
隣の瓦礫の陰から二体の怪人を連れて現れたベルイットが、肩をすくめる。彼女の傍に立つ虎を模した怪人と土竜を模した二体の怪人が、暴れようとしている化け物の前に立ち、和真とブリジットを庇うべく前に出た。
和真達の様子に、抱きかかえられたままのブリジットが両腕を振って和真の腕の中で暴れだす。
「ちょ、おいこら!」
「私のことは、もういいんですの! 離して、放してくださいな!」
地面に落としそうになり、慌てて和真は彼女に怪我をさせない様、地面に下ろす。ぺたんと座り込んだブリジットは、溢れていた涙を拭うこともせず、和真とベルイットを睨み付けた。
「なんで邪魔するんですの!?」
「はぁ!?」
突然のブリジットの叫びに、和真は眉をしかめる。助けておいて邪魔をするなと言われても、どう答えていいかわからない。
「私は御堂さんに助けを求めてなんかいないわ! 私はもう、助けてもらう価値もないもの!」
助けてもらう価値。その言葉を聞いて和真は頭を振る。
「助けてもらうのに価値なんてないし、そんなものを考えて助けに入る余裕なんてないだろ。それに、助けなきゃお前、死んでたかもしれないだろうが」
「だから、なぜ助けたのか聞いていますの! 私はもう戦いたくない! 私は、死んでもよかったのに!」
ブチッと。怒りがはち切れた。
ブリジットの言葉に和真は眼を見開く。座り込んで泣き喚くように叫び散らすブリジットの深紅の襟元を掴みとり、引き上げた。
彼女の揺れる瞳を睨み付け、和真は彼女の嗚咽を黙らせる。
「ふざけるな」
「ふ、ふざけてなんていませんわ……!」
「俺はお前がなんで、そこまでして突然変異種にこだわってたのか知らない。お前がなんで、そんな風に戦わなきゃいけなかったのか知らない。俺はなんで、メリーが俺に助けを求めたのか知らない。けどな……」
背後から聞こえてくる唸り声に、和真は彼女の襟元からゆっくりと手を放した。そうして一度、ブリジットの傷だらけの身体を見る。自分より幾年月も長く戦い続けてきた小さな身体。肌には細かい傷だっていくらでもある。
彼女は戦ってきた。理由が何であれ、何の為だろうと。彼女は見ず知らずの誰かを守るために戦ってきた。
だからこそ、
「死んでもいいなんて絶対駄目だ。お前が死んでもいいなんて絶対ありえない。絶対死なせない」
和真の強い言葉に、ブリジットは嗚咽を止め、下唇を噛み締める。口端から血が滲むほどにブリジットは顔を伏せ、再びの慟哭を上げる。
「貴方なんかに何がわかるっていうんですの!? もういや! わたしはもう、逃げるのも戦うのもいや! どうしてこんなつらい思いしなくちゃいけないんですの!? どうして、助けたいと思っても、誰も助けられないんですの!? どうして、私の大切なものはなくなっちゃったんですの!?」
頭を振って泣き喚く彼女の姿を見て、和真は瞳を閉じた。今の彼女はもう、正義の味方の衣をまとっていない唯の女の子。信念も、勇気も、誇りも何もかも脱ぎ去った少女だ。
そんな彼女の姿を見て初めて、和真は彼女に共感することができた。彼女は強いだけの正義の味方なんかじゃない。自分と同じように、弱さを持った人間なんだと。
それゆえ、和真は思わず顔を綻ばせて泣きじゃくる彼女の頭を撫でてしまう。
「なんだ、ちゃんと泣けるんじゃないか」
そんなことを思わず和真が口走ると、ブリジットの瞳がキッと強くなり、平手打ちが和真の頬に突き刺さる。
「……っ、貴方なんて、貴方なんて……!」
「いきなり殴ることないだろ!?」
「うるさいんですの! 貴方みたいなデリカシーのない男性なんて、あの化け物にさっさとやられちゃえばいいんだわ!」
「それはさすがに酷くない、酷くない!? 頭一つ撫でたぐらいでなんでそこまで言われなきゃいけないんだ!」
「女の子の頭を撫でる行為がどれだけのセクハラになるか、貴方が知らないだけですわ!」
顔を突き合わせて怒鳴り返す和真とブリジットの傍で、ベルイットが慌てて二人の腕を引いた。
「お主ら、いつまでくだらんことをやっておるのじゃ! ほれきた、きたきたきたのじゃぞ!?」
「ぬぉっ!?」
ベルイットの悲鳴にも似た叫びに和真は慌てて振り返り、頭上から振り下ろされようとしていた巨大なチョップに慌ててブリジットとベルイットを突き飛ばした。
「きゃああ!?」
「にょおおあ!?」
突き飛ばした二人を、二体の怪人が腕を引いてその場をさらに跳躍して距離を取る。一人チョップの前に晒されていた和真もまた、すぐさま振り下ろされるチョップから逃げ出す。
だが、完全には躱せない。ブリジットを助けはしたが、未だ和真は能力を使っておらず生身の身体。地面を抉るその攻撃の余波が、逃げ出した和真の足を襲う。
「ぐっ……!」
右脹脛を鋭利な刃物が裂く。浅い傷ではあったが、痛みにバランスを崩した和真はその場に無様に転がった。
「和真、次が来るぞぃ!」
遠くから聞こえるベルイットの声に、腕を地面について身体を起こす。だが、既に眼前に横薙ぎで迫る巨大な腕に和真は為す術もなく蹂躙され――、
「伏せて、マスター!」
聞こえてきた声に、和真は反射的に起こしたばかりの身体を地面に伏せた。
ゴウッという風を裂く音と共に頭上を巨大な腕が通り抜け、和真の髪の毛が数本宙を舞う。直撃を受けていたらと思うと肝が冷え、だからこそ声の主へ向かって和真は顔を上げた。
「助かったソフィ!」
「いいから、無茶しないで!」
五メートルほど離れた瓦礫の背後に隠れるソフィの姿を見つけ、和真は次の攻撃が迫るより早くその場を立ち上がって化け物から距離を取る。
「壱号、弐号! 相手の腕は残り三本じゃ! 機動力で陽動をかけるぞぃ!」
同じくブリジットと共に怪人によって距離を取っていたベルイットの怒号が飛ぶ。周囲を見渡せば一般市民の避難は既に怪人達が完了させ、この場に残っているのは藤堂秀樹と一人の少年。そしてそれを囲う怪人十体と自分達だけだ。
ソフィの傍にたどり着いた和真は彼女の頭を撫でるが、直ぐにソフィが視線をきつくして和真を怒鳴る。
「マスター、なんできたの!?」
ブリジットとは異なる理由で自分を怒鳴りつけるソフィの姿に、和真は苦笑いを返す。
「お前が聞くかよ、その問いを俺にさ」
助けずにはいられない人間。自分達はそう言う正義の味方だろうと、和真はソフィに目で訴える。その視線を受け止めたソフィはむっと頬を膨らませ、面倒臭そうに呟いた。
「……一応、言っておかないと私の気が済まない」
「んじゃ、俺も言っとく。こういうことには、必ず俺を連れて行け。前も言ったと思うけど、俺はもう間に合わないのは嫌なんだ」
そう和真が告げると、ソフィがちらりと離れた場所で座り込んだままのブリジットを一瞥する。その顔に複雑な感情を見せ、ソフィは小さくコクンと頷いた。
「わかった。教えても教えなくてもこうしてマスターは無茶するから、それなら教えて一緒にいたほうが私の精神安定のためにもいい」
「別に無茶なんてしたつもりないんだけどな」
「十分無茶してる。あの人の前だからって、力も使わずに生身であの化け物に立ち向かおうとするなんて、バカの――」
「きゃあああああ!?」
ソフィの叱責を全て耳にするより早く、ブリジットの悲鳴が響き渡った。すぐさまソフィを背後に隠した和真は立ち上がり、悲鳴の聞こえた先を仰ぎ、絶句する。
「な、に、やってんだ、あのバカ……ッ!」
怪人に引かれてなお、立ち上がることすらしようとしなかっただろうブリジットが、化け物の巨大な腕に捕らわれている。握りつぶされたり叩き潰されたりこそしていないが、まるで取り込まれる様な形で彼女は腕の中に飲み込まれた。
すぐさま和真はソフィを置いてその場を駆け出し、ブリジットが捕らわれた腕に向って叫ぶ。
「おいブリジット! まだ間に合う、すぐにそこから抜け出せ! メリーと一緒ならできるだろうが!」
「……っ」
和真の叫び声に、悲鳴を上げていたブリジットは強く目を閉じ、何かを逡巡する様を見せた。そうして彼女は、和真の想定外の言葉を口にする。
「メリー! 変身解除……っ!」
『ご、ご主人様!?』
「なっ!?」
ブリジットが取り込まれた腕が真紅の光を放つ。次の瞬間には、巨大な拳から溢れ出した真紅の粒子が小さな人の形を成し、和真は慌てて落ちてくる少女を受け止めた。受け止めた彼女は、ボロボロになった身体でなお和真の腕から降り、自分達から距離を取ろうとする巨大な腕に向って小さな掌を伸ばした。
「ご主人様、ご主人様! なんでなのです、なんでなのです!?」
泣き叫ぶようにして巨大な腕を追いかけるメリーに、別の腕が襲いかかるのに気付き、和真はすぐに彼女の腕を引いてその場を飛びずさった。
「くっ……!」
先ほどの右脹脛の怪我の痛みで、メリーを抱きかかえたまま地面を転がる。もう駄目かと思った直後に、自分達に迫った巨大な腕は飛び込んできた怪人二体が辛うじて防いだ。この隙に和真はすぐにメリーを連れ、集まってくるソフィとベルイットの傍に駆け寄る。
四人と共に化け物を睨み付けた和真は、その巨体の顔の傍に立つ藤堂と目が合う。
「これで正義の味方は終わりだ! さぁ、後は君達部外者だけだ! 君達もまた、私の息子に手を出そうというのか!?」
「俺達はあんたの息子に手を出そうなんてつもりはない! だから、落ち着いてくれ!」
「落ち着けるはずなどないだろう! 息子はまだ幼い! それを利用して私を捕まえようなどとする君達正義の味方の言葉が、信じられるものか!」
興奮した様子の藤堂の姿に、和真は歯がゆさに歯を食いしばる。大吾のときとは状況が違う。話ができれば、本人にこの状況を止めさせることができるかと思っていたが、甘かった。
体制を整える和真達を尻目に、獅子のような頭部の真上にブリジットが捕らわれた拳が伸びた。その拳を守るように辺りの瓦礫が集まり、三本だった腕は二本へと姿を変え、その巨体はさらに大きさを増した。
「でかい、なんてもんじゃないな、こりゃ……」
傍に居たベルイットも、周囲を注意深く見渡し自体の状況把握に努めている。だが、
「……最悪な状況に変わりはないの。すまんのじゃ和真。あ奴があそこまで心が折れてしまっているとは、わしも気付かなかったのじゃよ」
「お前が謝る必要なんてない。そもそも、あいつの心を折ろうとした俺の責任だ」
「マスター、あれを止めるには……」
変身しなければ、駄目だ。だが、大吾とを捕えたあの日以来、自分とソフィはまともに変身出来たことがない。本当に、自分達で彼女を助けることができるのだろうか。
助けも求めない彼女を。
「ご主人様、ご主人様!」
拳を握る和真の傍で、メリーが瞳に目一杯の涙を抱え、ブリジットを呼ぶ。その必死さに和真は胸を掴み、呼吸を落ち着けた。
「ご主人様、今すぐ助けるのです! だから、だから絶対諦めちゃダメなのですよ!」
メリーの声に、捕らわれたままのブリジットが青白い顔を上げ、自嘲したように顔を横に振った。
「ごめんなさい、メリー……。私はもう、大切な物なんて持ちたくない……。だから、私のことなんて助けなくていいの、いいのよ」
「ご主人様っ!」
ブリジットの答えに、メリーはガクンとその場に崩れ落ちる。ソフィが彼女を支え、自分を見上げた。
その視線を受け止めた和真は、捕らわれたままのブリジットを見つめる。
彼女の心は折れてしまっている。その責任は、彼女の挑戦を真正面から受けなかった自分の責任でもある。
彼女を助ける。それは今の自分達の至上命題であり、絶対的な戦う理由。
だが、駄目だ。
ソフィが大吾に纏われた時と同じ。ただ、求められもしない助けに応えて助けるだけじゃ、きっと本当の意味で彼女を助けられない。彼女は素直になれない。
それは自分が誰よりもよく知っており、誰よりも素直になることの難しさを知っている。
だとすれば、どうすれば彼女を本当の意味で助けられる?
「御堂さん……っ!」
思案する和真に、メリーの縋るような声が届く。彼女はソフィに支えながらも自分の服の裾を必死になって両腕で掴み、懇願していた。
「おねがいです、御堂さん! ごひゅ、人様を助けてください! 私はどうなっていいのです、いいですから、ご主人様を、ご主人、しゃまを……っ!」
嗚咽でロクに声もあげられないのに、否定されたのに。それでもメリーは、彼女を助けてほしいと願っていた。
彼女の助けに、和真の胸の内に熱い何かが生まれ始める。その熱は次第に全身を駆け巡り始め、和真は強く拳を握りしめた。
「マスター」
「ソフィ?」
銀色のツインテールが風に揺れる。彼女の誇り高い視線が和真を見つめ、こくんと頷いた。
「マスターの助け方に、合理性なんてない。ベルがいつも言ってる」
「うむ。わしらアンチヒーローの助け方は唯一つじゃ」
助けたいと思ったら、手段も方法も何もなく、好き勝手助ける。
「……そうだな、そうだった。俺達は、人を助ける正義の味方だからな」
「ん」
「おうなのじゃ!」
二人の仲間の強い返答を胸に、和真はメリーの頭を一度だけ撫で、化け物の前に一歩を踏み出した。握った拳を正面に突出し、右頬を歪に吊り上げ、眼光鋭く。
「覚悟しとけ」
迷いもなく、その声は絶望渦巻く死刑場で高らかに響き渡った。
「こっから先は、世界一身勝手な正義の味方の――晴れ舞台だ」




