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銀色ペルセウス  作者: 大和空人
第二章 金色アルテミス
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第九章 身勝手は億倍

 幼い頃のことを、目を瞑ればすぐに思い出す。

 大事な家族がいて、そこそこに豪華で真っ白な家があって、庭があって犬がいて。何不自由なく暮らし、何一つ文句のなかった生活。毎日こんな生活が続くと信じていた。疑わなかった。

 あの日、母が事故に遭い、目の前でそれを見ていた父親が突然変異種になってしまうまでは。


「……最低ですわね」


 部屋の片隅で膝を抱えて顔を伏せていたブリジットは、脳裏をよぎった鮮烈な映像を振り払い、暗い部屋の中でそっと顔を上げた。

 およそ八畳ほどのそこそこに広い一室。ほのかな生活感の香り。勉強机とベッド、炬燵にテレビの供えられた、普通の部屋。

 今この場には、彼女を含めて四人の女性がいた。

 一人は、すぐそばで寝息を立てるパートナーのメリー。彼女は小さな寝息を立てて、くてんと床に崩れている。もう一人は部屋の扉に背を預けて派手な寝息を立てる亜麻色髪の少女、ベルイット。

 そして、最後の一人はベッドの傍でずっと座り込んだままピクリとも動かない銀色の少女。


「…………」


 銀髪の少女はベッドの上で寝たきりの青年の看病をするべく、一睡もせずにその場に座っていた。彼女の小さなその背と暗い中でも鈍く光る銀色の髪を見て、ブリジットは抱えていた膝に再び顔を押し付ける。

 今より二時間ほど前、自分が蹂躙した青年がぷっつりと意識を失った。生身であれだけの攻撃を受けたのだ。当然と言えば当然の結果と、彼に騙され力を奮ってしまった己を悔い、混乱する自分達の前に、彼女は颯爽と現れた。

 倒れ込む青年を誰よりも早く受け止め抱きしめ、そして彼女は自分を睨み付け――何一つ自分を責めようとはしなかった。

 手際の良いベルイットと彼女の率いる怪人の手により、青年はアンチヒーローの特殊医療班の手による治療を受け、今はこうして自宅に戻り、自室で静かに眠っている。


(私は、一体何をしたかったんですの……?)


 ブリジットは、折れてしまった心に問いかけた。

 過去の記憶で我を失い青年に挑み、結果として罠にはめられ、傷つけ、勝負に負けた。

 初めての突然変異種を完膚なきまでの叩きのめしたあの時からずっと、貫き続けた己の信念は、あっさりと出会ったばかりの青年に折られてしまった。

 突然変異種は敵。

 相手がどこの誰だろうと、突然変異種の力を奮う相手にだけは、一切の容赦なく叩きのめす。相手は敵なのだ。どこの誰だろうと、愛する人だろうと、尊敬すべき相手だろうと。突然変異種になり、その力を奮う相手は絶対的な悪。捕えて当然。倒して当然。


 ――そう信じ、己を貫き通せば、罪の意識から逃れることができた。


 目の前で母を失い、突然変異種として化け物になって暴れてしまった父。自分を捨て、家を出て、正義の味方から逃げ回り続けた父。そんな父を助けるべく、自分は正義の味方を目指しメリーと出会い、ヒーロー協会に所属する正義の味方となった。

 そしてその初日に、自分は街の人々を守るために一体の突然変異種を無力化した。


(お父様……)


 正義の味方として人を助け、敵を倒すべく己の全てをかけて敵を無力化し、化け物から人の姿に戻ったその突然変異種の顔を見て――自分は、何かを失った。

 大好きだった人。幼い頃から尊敬していた人。何よりも、自分が正義の味方となり助けたかった人。

 自分と同じ色の短い髪の毛の壮年の男性が、目の前でボロボロになって倒れていた。

 呆然とする自分の背に浴びせられるのは、集まっていた一般人の歓声と称賛。誰もが自分を褒め称え、目の前で転がる彼を嘲笑った。


(あの日からもう二年……。ずいぶん経ちましたわね)


 大切なものを失った後は、必死だった。

 護るべき相手を自らの手で無力化し、捕えたその自責の念から少しでも目を逸らそうと、自分は突然変異種の力にこだわった。

 たとえどこの誰だろうと、それが突然変異種の力を奮う化け物なら、容赦なく倒す正義の味方。敵には、血も涙も情けもない正義の味方。その姿だけが、あの日の自分を救うことができた。

 故に、突然変異種でありながら正義の味方になった青年がいると聞き、自分はこの地に来ることを決めた。彼を倒し、自分の信じる正義の味方をこれから先も信じ続けるために。

 だというのに。


(私を……助ける……?)


 寝息をたてる青年は突然変異種である。だが、青年はどれだけの挑発にも力にも屈しない。その抗い方は酷く滑稽で、みっともなくて考えなしで、傍から見れば唯の無様にしか見えず――それが羨ましかった。

 物思いに耽っていると、透き通る小さな声が耳に届く。


「……貴方が何から逃げてるのか、私もマスターも知らない」


 視線の先にいた銀色の髪が揺れた。いつもは左右に結っている髪の毛を下ろしたストレートヘア―。その髪が振り向きざまに大きく揺れ、ソフィのまっすぐな視線がブリジットに注がれる。

 ソフィの物言いたげな視線を受け止め、ブリジットは眉を寄せた。ちょうど昔を思い出していただけに、ブリジットの声色は強くなり、慟哭へと変わる。


「同情ですの? そんなもの、私には必要ありませんわ。大切なものを自分で傷つけたこともない貴方達なんかに、私の気持ちを分かってなんてもらいたくありませんわ……!」


 だが、ブリジットの言葉にソフィは表情も変えずに言い返した。


「大切なモノなら、もう何度もこの手で傷つけた」

「……っ」


 ソフィのあまりに変化のないその言葉に、ブリジットは言い返す言葉を飲み込む。ブリジットの様子を一瞥したソフィは瞳を伏せ、再び眠ったままの和真に視線を戻した。


「私は、正義の味方の変身ベルト。人を助け、人を守ることが誇り。でも、私の誇りは一度折れた。マスターが正義の味方になったあの日、他の誰でもない。マスターを傷つけたのは私だから」

「貴方が、御堂さんを傷つけた……?」


 自嘲するソフィの物言いに、ブリジットは耳を傾ける。


「私が逃げたから。自分の中にある大切なもの全部から逃げて、そのせいで私はマスターを傷つけた。貴方がマスターにつけた傷なんかより、もっともっとひどい傷を」


 ソフィの小さな掌が、寝たままの和真の頬に添えられる。膝を抱えたままだったブリジットはそっと立ち上がり、ソフィの傍に並んで腰を下ろした。


「それでも、マスターは私を助けてくれて。ベルを、博士を助けてくれた。会ってたった一週間の私達のために、傷だらけになって血だらけになって。人を助ける事に、マスターはトラウマを持ってるのに」

「……聞いても、いいですの?」


 ブリジットの問いに、ソフィは無言で頷いた。


「御堂さんはどうして、人を助けることにトラウマを……?」


 そう尋ねると、ソフィはその小さな唇を開き、細い声で呟く。


「両親を助けて、両親に捨てられたから。化け物だって言われて」

「――――」


 ソフィの答えに、ブリジットは息を飲んだ。視線を注いだ先にいる青年もまた、自分と同じように大切なものを失くした人間なのだと、ようやく理解できてしまった。自分が今まで見ないようにしてきた、突然変異種の持つその特異な事情に触れてしまった。

 呆然とするブリジットに向って、ソフィがまっすぐな視線を向ける。そのまっすぐとした信念の籠る視線に、ブリジットは思わず拳を握った。


「もう一度言う。私の大切なモノなら、もう何度もこの手で傷つけた。でも……」


 瞳を閉じたソフィが、ふっと一息をつく。そして、


「多分、本当に大切なものはきっとここにある。だって、私は貴方と違って、自分から大切なものを捨てたりなんてしてないから」

「自分から、大切なものを捨てる……」


 その言葉に、ブリジットは再び両膝を抱えた。

 失ったとばかり思っていた大切なものは、本当になくなってしまっているのか。

 自分が、この掌の上から捨ててしまっただけではないだろうか。

 自答するブリジットは、傍に居るソフィと寝たままの和真に向って唇を尖らせ、年相応の少女のようにそっぽを向いた。


「……貴方達は、本当にお節介な正義の味方ですわね」


 ブリジットの言葉を聞いたソフィは、別段彼女に興味を見せるでもなく答える。


「言ったはず。私もマスターも、貴方達なんかより何億倍も身勝手だって」

「あら、私達より何千倍も身勝手、だったんじゃないんですの?」


 ブリジットが言い返すと、ソフィはムッと頬を膨らませてブリジットを睨みつけた。半目は鋭く、彼女は不満げに語る。

「……あの時は確かに何千倍だった。でも、今回のマスターのやり方で理解した。マスターのやり方は考えなしでロクでもなくてバカでアホでロリコンで、無茶無謀であり得ないほど身勝手だって」

「……その意見にだけは、私も同意しますわ。私も、こんな身勝手でバカな人、見たことないですもの」

「こんなのまだ序の口。私達が初めて変身した時はもっとマスターは無茶苦茶で――」


 ソフィとブリジットの声でひそかに盛り上がる部屋の中で、壁にかけてある時計の針だけがカチャリと数字の六を指していた。



 ◇◆◇◆



「……痛っ」


 脇腹を襲った痛みに目を覚ます。見上げてしまえば辺りは既に明るくなり始め、向けた視線の先にある時計は既に七時。いつもなら一時間は早く目を覚まし、食事の準備を終えている時間だ。


「つか、ここ、俺の部屋……? そういや、昨日の夜あいつと戦って……」


 痛みで思い出すブリジットとの戦闘。さすが現役の正義の味方とあって、生身でもその戦闘力の高さは十分に思い知った。必要以上に思い知った。

 ゆっくりと痛みにこらえて身体を起こす。部屋の中を見渡しても誰もおらず、カーテンも空いていない。


「……見舞いもなしですか」


 思わずぼやいてみると目頭が熱くなったので、仕方なくベッドから起き上がる。脇腹に巻かれた包帯や、痣になった腕を眺めてこっぴどくやられたもんだと苦笑いし、和真はカーテンを開けて部屋を出た。

 そうして、痛む身体を引き摺って居間に顔をだし、和真はあんぐりと口を開けてしまう。


「あら、御堂さん遅いですわよ。朝食は七時。遅れたら朝ご飯は抜きではありませんでしたの?」

「おお、御堂さんが起きたのです! 御堂さん御堂さん、本日の朝はご主人様と私の手作りなのですよ!」

「マスター、早く席について。マスターが手を付けるまで、私達が朝食にあり付けない」


「…………は?」


 目の前にはハート柄のエプロンを身に纏った金髪の美少女――ブリジットと、彼女のパートナーのメリー。その手には湯気の上がる鍋を抱えており、かすかな甘い匂いが鼻孔を擽る。

 そして、食卓に着いて既に居住まいを正しているのはソフィ。相も変わらずツインテールは寝癖で重力を無視した方向に伸びてしまっているが、ツッコむべきはそこではない。

 食卓の上に並べられた朝食にしては豪華な料理の数々。焼き立ての香ばしいクロワッサンに、瑞々しいサラダ。中央に置かれた鍋から、各々の皿に注がれるコーンポタージュ。焦げ目のない白と黄色のコントラストの目玉焼きと、かりっと焼き上がったベーコン。

 起き上がってすぐだというのに、思わず唾を飲み込んでしまう。


「え、と」


 だが、待て。問題は料理ではない。そこは重要ではない。何が一番重要かって、


「ソフィさん、そこのお皿の準備をお願いしますわ」

「わかった。メリー、お皿の数が多いから手伝いお願い」

「わかったのです!」


 手際良く朝食の準備を進めるブリジットとメリー。それに協力するソフィ。そう、問題はそこだ。あの三人が、協力して食卓の準備をしているのだ。


「なぁ、おい。一体何が――」


 そこまで口にしかけて、和真は慌てて口を噤む。視線の先にいたブリジットが、ソフィが、メリーが笑っているからだ。

 理由は分からないが、指摘を止める理由には十分だった。野暮なことをわざわざいうほど空気の読めない男のつもりはないし、わざわざ地雷を踏むつもりもない。

 せいぜい、そんな空気を読めないバカなんて――、


「うぅむ、お主等えらく仲良くなったのぅ。なにかあったのじゃな! わしもそこに混ぜるのじゃ!」


 自分の背後からひょっこり顔を出してにんまり笑う、この亜麻色の髪をしたバカだけだ。

 当然、騒いでいた三人の視線が和真とその背後から顔を出すベルイットに注がれる。絶対零度の冷たい視線にさらされ、ベルイットは背に隠れるようにして和真の服を引き、小声で話しかけてきた。


「(おぉう、何やら地雷を踏んだようじゃのぅ)」

「(地雷原でキャッチボールしようとするからだろうが!)」

「(言葉のキャッチボールとかけたのじゃな! 確かに、なげるだけ投げて戻ってこんからの)」

「(ツッコまないでくれない!? ちょっとだけ恥ずかしいんだけど!)」

「マスターもベルも、くだらない事言ってないで席について」

「そうですわよ。別に何もおかしなことなんてありませんわ」

「おかしくないのですよ! 別に御堂さんの怪我が治るまでは休戦することを決め――はむっ!?」


 元気よく叫ぶメリーの口を、慌てて傍に居たソフィとブリジットが閉じる。だが、彼女のセリフを聞き逃さなかった和真は、呆然と三人を見つめ、ふっと噴出した。


「ま、マスター! べ、別にこれはそういう意味じゃない、そう言う意味じゃない!」

「そ、そうですわよ御堂さん! 今日のこれは、そう! しばらくお世話になるっていう意味で!」


 薄紅に染まった顔で慌てるソフィとブリジットを見つめ、和真はニタリとベルイットと笑みを交わす。野暮なことを言わず、和真はそのまま黙ってベルイットを連れて食卓に着き、ソフィやブリジットを手招きした。

「知ってるよそんなの。それよりさぁ、せっかく作ってもらったんだし食べよう」

「う、し、仕方ない。マスターがそう言うなら……」

「そ、そうですわね。えぇ、しかたありませんの」


 ベルイットとソフィが和真の両脇に座り、向かいの席にブリジットとメリーが付く。そうして五人は手を合わせ、頂きますと一言宣言。

 だが、周りにいる女子四人の視線が自分に集中しているのに気付き、和真は頭をかく。


「あー、その、お前の手作りなんだっけ?」

「えぇ。折角ですし、味見して下さるかしら? 貴方が一番最初に」


 目じりを下げて頬杖をつくブリジットの様子に苦笑いしながらも、和真はスプーンを手にする。そのまま目の前にあったコーンポタージュをそっと一口掬い、口元へ。


「それじゃ、この香りのいいコーンポタージュを――」


 ぱくっと。


「いい忘れてましたけど」


 ぞぁああっと、口の中に広がる激痛。脳天に突きぬける辛味。目から噴き出す涙。額から溢れる汗。血色のよかった肌が青白く染まっていく。


「私、見た目がすごくおいしい料理を作るのが得意なんですの。えぇ、見た目だけ」

「お、おま……! だ、騙しやが……っ!?」


 口元に手を当ててくすくすと笑うブリジットを、和真は眼が飛び出さんばかりに睨み付ける。手にしていたスプーンは音をたてて机に落ち、和真は震える声でブリジットを恨んだ。


「この、やろ……! おまえ、自分が、りょ、料理下手、なの、分かってて……!?」

「あら、停戦はあくまで戦闘の話ですわ。私の舌を溶かす料理なら、貴方も倒せると思って。ふふっ、昨晩騙された分の邪悪な策略返し、成功ですわね。これで一勝一敗かしら」


 策略返し。いや、そんな生易しいものじゃない。彼女は、自分が壊滅的に料理が下手なことを、知っててやりやがった。自覚がない天然の料理なんかじゃない。意図して作られた、殺人料理。慌てて隣で支えに入ってくれるソフィに体を預け、和真はブリジットを指差し、


「お、お前だけは、ぜったい後でとっちめて――あ、あふあふあ!?」



 破顔するブリジットに恨み節を残し、和真はぱったりと気を失った。

 一勝一敗。彼女との決着は、どうにもこうにも長引きそうだった――。

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