第六話 最悪の変身
「いいな、お前らの部屋はここ。頼むから綺麗に使ってくれ」
「あら、ここって御堂さんの部屋じゃないのかしら?」
「ないのかしら、です!」
「……しかたないだろ、部屋は余ってないんだから」
屋根の件はベルイットがヒーロー協会に損害請求を求めるということで一件を落着させ、和真はブリジットとメリーを自室に連れてきた。
二階建ての一軒家ではあるが、両親が家を出てからろくすっぽ掃除をしていない部屋で彼女たちを寝かせるわけにもいかず、自室を宛がうしかなかったのだ。
「本当にいいの、御堂さん?」
僅かに逡巡を見せるブリジットの様子に、和真は苦笑いを返す。強引に話を進めて転がり込んできた彼女が、なんでこんなことで躊躇するのかと。
「そっちが気にしなければ別にいいよ」
「いえ、カメラとか設置されてないかしらと思って」
「そんな真似しねぇよッ!」
「御堂さんはしなくても、ベルイットさんはしてそうだけれど?」
「そん――」
慌てて部屋の中を引っ掻き回して和真はカメラがないことを確認する。
ベッドの下。照明器具の中。部屋の隅。コンセントタップの中。テレビの裏。考えうるありとあらゆる場所を確認し、カメラもマイクもないことを確認。
そうして和真は額の汗を拭いながらほっと一息をつき、ブリジットに向きあって宣言した。
「そ、そそそっそそそんな真似しねぇよ!?」
「言葉とは裏腹の行動も見えましたけど、大丈夫そうですわね」
セカンドバックを床に下ろしたブリジットが髪の毛をかき上げる。その背後からひょこっと顔を出したメリーは、まっすぐと和真を見つめて笑った。
「御堂さん御堂さん、エッチな本はどこにあるのです?」
「机の引き出しの二重底の――ねぇよそんなもん!」
定番だ。あんまりに定番すぎるメリーの発言に、和真はスッと瞳を細めてブリジットを一瞥する。
「アレだな。変身ベルト型アンドロイドはご主人様に似るって良く言うしな」
そう言って和真がニヤリと笑みを歪めると、ブリジットが投げつけてきたセカンドバッグが顔面に直撃した。
「失礼な事言わないでくれないかしら!? まるで私がメリーにそういうこと教えてるみたいに聞こえますの!」
「いきなり手を出すやり方やめろ! お前ってホント、クールな時とそうでないときの差が激しいな!?」
「うるさいですわよ! とにかく、私達はもう休みますの、さっさと出て行って下さる!?」
「ここが誰の家だかわかってる、分かってる!?」
背中を押される形で、和真はブリジットに部屋から追い出される。廊下に放り出されるとすぐに部屋の扉が閉じられ、ガチャリと鍵のかかる音。
右手で頭を抱えた和真は扉の奥にいるだろうブリジットに声をかけた。
「……あんまりごちゃごちゃ言うつもりはないから。とりあえずあれだ」
『なんですの? 昼の件なら、私は自分が間違ってるなんて思っていませんわ。なんなら、今から化け物になるっていうなら、すぐにでも相手に――』
「違うっての。うちの朝食は朝七時だ。遅れたら飯抜きだからな」
『っ…………』
無言を肯定と受け取り、和真は扉に背を向けて一言だけ残す。
「それじゃ、おやすみ」
階段を下りて一階に向おうとしていた和真の背後で、僅かに扉の開く音が聞こえる。その音に気付かないふりをしていると、消え入るような小さな声が和真の耳に届いた。
「おやすみなさい、ぽりごん」
「ロリコンですらねぇのかよッ!? ってしまった、ツッコんじまった!?」
口元に手を当ててニヤリと笑うブリジットと目が合うと、直ぐに彼女は部屋の中に消えていく。
どこにぶつけていいかわからないやるせなさを抱え、和真は拳を握って可愛くないやつと、そう呟いた。
「おぉ、ここにおったのかの和真」
「ん、あぁベル。そっちはどうだ、ソフィのやつはもう寝たか?」
辺りを気にするように周囲を確認しながら、ベルイットが和真の傍に現れた。彼女はいつもの黒いシャツに黒いショートパンツを着込んだ闇に紛れる外着仕様。
短い前髪で隠れないおでこがきらりと光り、ベルイットは和真に向って人差し指をたてる。
「あ奴が寝込むのは確認したのじゃ。桐子に頼んで準備も済ませておる。お主こそ、準備は万端かの?」
挑戦的な視線に、和真は口端を吊り上げて笑った。
「ったりまえだ。じゃあ行くぞ、いつも通り暴れに」
「うむ」
大きく頷いたベルイットを連れ、和真は静かに家を出た。
◇◆◇◆
ドアに耳を当てて息を顰めていたメリーが、ベッドの上に倒れ込んでいたブリジットに声をかける。
「ご主人様。御堂さんが動いたのです」
「……えぇ」
メリーの声に、僅かに遅れてブリジットが反応を返した。即断即決で動くブリジットらしくない返答に、メリーは愛らしく小首をかしげる。
「どうかしたのです、ご主人様?」
「……貴方は覚えてる? 私が最初に捕えた突然変異種のこと」
ベッドに俯せて顔を隠したブリジットが、籠るような声でメリーに尋ねた。彼女の問いにメリーは頭を捻って、自身の最初の変身を思い出す。
「ご主人様が一番最初に捕えた突然変異種です? 覚えているのです。たしか、超能力型の突然変異種だったのです。ご主人様と同じような金髪をした壮年の男性だったと思うのです」
「えぇ、そうですわね。最初に捕えたのがあの人だったから、今の私があるんですもの」
「ご主人様?」
一度だけぼふっと枕に拳をぶつけたブリジットを、メリーが不安そうに見つめる。だが、彼女の視線を受けたブリジットは髪の毛をかき上げてベッドから立ち上がった。いつもと変わらぬ片腕だけ腰に当てたモデル立ちで、ブリジットは悠然とメリーにを見つめる。
「さぁ、行きますわよ。四六時中見張ればチャンスはあるとは思っていましたけれど、こんな時間にソフィさんに内緒で家を出る。きっと何かやましいことがあるはずですわ」
「はいなのです、ご主人様!」
主人の迷いのない声に、メリーは満面の笑みで頷いた。
◇◆◇◆
(ここは――)
家を出た和真とベルイットを気付かれないように追っていたブリジットが見たのは、山奥の廃工場。自宅から徒歩で三十分ほどの距離のある場所だ。腕時計で時間を確認すれば、既に日付が変わるまで後一時間もない。
人気を避け、前を歩いていた二人はこんな山奥までやってきた。
「(ご主人様。怪しい匂いがするのです)」
「(分かっていますわ。目を離しては駄目ですわよ、メリー)」
「(はいなのです!)」
傍に居たメリーと共に廃工場の片隅に隠れる。目立つ金色の髪の毛は持ってきていた黒のニット帽で隠し、ブリジットはその青い双眸を二人の立つ一際広いその場所へ向けた。
中央に立つ青年から少女が距離を取り、一人の白衣を着た銀髪の女性の元へと近寄っていく。その顔を細めた視線で見つめ、女性が元ヒーロー協会の研究開発課にいた来栖桐子であることを知る。
(一体何を始めるっていうんですの?)
怪訝に見つめるブリジットの目の前で、亜麻色髪の少女が青年に声をかけた。
「準備は良いかの、和真!」
その声に青年は拳を握って腰を低く落とす。臨戦態勢だ。思わずブリジットも拳を握り、いつでも戦いに出られる準備を済ませる。
「あぁ! 桐子さん、お願いします!」
「わかったわ。今日の相手は三体! 気を抜くとすぐにやられるから気を付けてね、和真君!」
「ハイッ!」
青年の強い肯定の声と共に、少女と女性の背後から三体の化け物が飛び出した。
「……ッ!」
敵。
そう思って飛び出そうとしたブリジットだったが、差し込む月明かりで現れた三体の化け物の姿を確認し、直ぐに乗り出しかけた身体を隠す。
(あれは、アンチヒーローの怪人?)
青年を取り囲う三体の化け物。それぞれが青年より一回りも大きな外骨格に覆われた強靭な肉体を持ち、猛獣を模した頭部の怪人だ。
彼らはジリッと青年との距離を測り、青年もまた周囲を見渡して拳を構えた。
「――ッ!」
瞬きをした瞬間に、死闘が始まる。
正面から姿勢を低く倒して飛び込んでくる虎の怪人に、青年もまた駆け出した。突きだされた虎の怪人の拳は空を切り、青年は身を捻るようにして怪人の上空スレスレを跳躍。
そのまま怪人の顔を両手で掴んだと思うと、青年は一瞬だけ倒立し、倒れ込む勢いで虎の怪人の背に膝蹴りを決めた。
押し倒される形で怪人の巨体は地面に落ちる。その背に着地した青年は残る二体の怪人を睨み付けた。
「うむ! まずは一本じゃな和真!」
「あぁ、けどまぁ、手加減してもらってなきゃ一発でこっちの負けだけどな」
「それは仕方ないわ。それより和真君、次は同時に二体行くわよ!」
「了解です!」
押し倒した怪人の傍から離れ、青年は二体の怪人の元へと駆けだした。
(戦闘訓練――)
目の前で残る二体の怪人との一進一退の攻防を続ける青年を見つめ、ブリジットは唇を噛んだ。その瞳は怒りに燃え上がり、心臓が激しい警鐘を打ち鳴らす。
青年は、怪人相手の戦闘訓練をしている。それだけなら、自分はここまで怒りを覚えなかった。
「生身で戦う訓練……」
その事実が、許せない。
貴方は化け物なのでしょう。貴方は、変身しなくても他の化け物を圧倒できる突然変異種なのでしょう。貴方は強いのでしょう?
なのに。なのになぜ、そんな傷だらけになってまで、こんな真似をしているの。
なぜ、力も使わずに戦う訓練をするの。なぜ、持っているその力を自分のために使わないの。
「……みとめま、せんわ」
低い声が漏れる。隣にいたメリーが服の袖を引いて自分達の存在を隠そうとするが、それでもブリジットは自分を押さえられなかった。
「化け物は化け物らしく、その力に溺れて、暴れればいいのに。自分のために力を奮えばいいのに……!」
あの人と同じように。
あの人と同じように、トラウマに負け、力に溺れ、自分を見失い――実の娘を捨てて。
「絶対、認めませんわ……!」
突然変異種は皆、あの人と同じでなければいけない。
突然変異種は皆、化け物でなければいけない。
突然変異種は、自分からは変われない。変わっちゃいけない。
「……っ!」
だって。変わることができたのなら。化け物になっても人としてやっていくことができるのなら。
――自分はあの時どうして、心を殺して父親を捕まえなくてはいけなかったのか。
「ん?」
遠い隅で、ガタンという酷い音が聞こえ、和真は身体を止める。戦いを続けていた怪人達もすぐに動きを止め、整列してベルイットの傍に並び立った。
「誰かそこにおるのかの?」
ベルイットがそう問いかけると、暗闇の中から一人の女性と小さな少女が現れた。
少女を背後に控えさせたその女性は、黒いニット帽で顔を隠し、低い声で和真に問う。
「答えていただけます? 貴方は、何なんですの?」
「はぁ?」
要領を得ないその問いに、和真は首を傾げた。だが、直ぐに声を発した女性の傍に控える少女の赤髪を見て、和真は事態の危うさを知る。
「お前ら、なんでここに……!」
和真はすぐにベルイットと近寄ってきていた桐子を背後に隠す。そんな和真の目の前で、女性はニット帽を脱ぎ捨て、金色の髪を闇に散らした。
優雅。
普段の和真であれば、彼女の姿にその言葉を連想した。だが、今目の前に立つ金色の蒼い双眸は、射殺さんばかりの殺気を放って自分を睨み付けていた。
「答えてくださいな。貴方は、一体なんですの!?」
すらりと伸びた背筋と、女性を意識させるスマートな白いシャツにチェックのスカート。なまじ気取らない服装なだけに、彼女が持つ本来の凛々しさが滲み出る。
しかし、それさえも唯の怒りで消し去ってしまう今の彼女――ブリジットの姿は異常だった。
「何って聞かれても、俺は俺だとしか答えられないけど」
「そんなことを聞いているわけではないわ! 貴方はどうして、こんな意味のないことをしているの!?」
怒声というよりは、もはや叫び。工場内全体に響く彼女の声に、和真は眉をしかめる。
「意味ない事なんてないだろ」
「ないわ! 戦うのなら、貴方は化け物の力を使えばいいですもの! 突然変異種としての力を使えば、貴方にはこんな訓練なんて必要ないはずですわ!」
ブリジットの有無を言わせぬ物言いに、和真は深い溜息をついて頭を振った。
「お前な、何度も言うけど、力っていってもそれは唯のトラウマの影響で――」
「和真ッ!」
ベルイットの強い声に、和真ははっとして顔を上げた。上げた視線のその先で、ブリジットの白く細い人差し指が天を差した。たったそれだけの所作で彼女の周囲の空気が変わる。
張りつめた緊迫感。強者の纏うオーラ。折れぬ信念が風を纏い始めた。
まずいと、和真は息を飲む。
「どれだけの問答もやはり、意味はないのですわね。御堂さん」
彼女の自重した問いに、和真は必死になって叫んだ。
「お前、俺はお前と戦うつもりはないって――」
「その強情がいつまで続くのか、見せてもらいますわよ」
ブリジットの眼が閉じる。背後で控えていたメリーが物言いたげに和真を見つめ、だが、直ぐに彼女はブリジットの腰元に抱き着いた。瞬間、周囲に空振が走り、和真達の元まで荒れ狂う風が襲いかかる。
「っぐぅ!」
咄嗟に両腕で顔を守る。辛うじて開くことのできた片目で、和真は最悪の現実を見てしまった。
「いけないわ、和真君、ベルちゃん!」
桐子の叫びもむなしく、和真達の目の前でブリジットが最悪の言葉を告げる。
金色を纏う正義の味方の――産声を。
「シグナル・コンタクト……!」




