第五話 終わらない不幸
「ったく、あいつら……」
ぼやきながら、和真は机に突っ伏した。
先ほどベルイットから電話が入って早三時間。午後の授業も終わり、周囲にいたクラスメイト達も部活や帰宅の途についてしまっている。そんな中で一人、担任から出された反省文を書いていた和真は、ふっと隣の席に座った金色を見て顔を顰めた。
「御堂さん、反省文は書き終わったのかしら?」
「誰かさんのせいでいつもの二倍の量があったけどな。まぁ終わったよ」
「あら、きっとその誰かさんは私みたいに綺麗な女性に違いないわ」
「良く言うよ、ブーちゃんの癖に」
ゴンッと、辞書の入った重い鞄が脳天に落ち、和真は頭を抱えて痛みに耐える。恨みがましく傍で鞄を抱えているブリジットを睨みつけると、彼女は鼻を鳴らした。
「そのおかしなあだ名で呼ぶのだけは止めていただこうかしら」
「殴る前に注意してくれよ!」
「殴る大義名分があるのに、殴らないほうがおかしくはなくて?」
「いや、そこは殴るの止めない!? てか、こんな時間まで何の用だよ? 昼休みにあれだけ引っ掻き回しておいて、普通に話しかけてくるその面の皮を剥がしてみたいんだけど」
「お生憎。私こう見えてもすっぴん派なんですの。剥ぐべき化粧がありませんわ」
「裏も表もないってことね、あぁハイハイそうですか」
呆れながらも和真は帰り支度を済ませる。書き終えた反省文は黒板傍の提出箱に入れ、ネクタイを緩めて鞄を手にし、和真はブリジットに向かい合った。
「で、実際は何の用?」
そう問いかけると、彼女もまた鞄を両手で持って和真ににこりと笑顔を向ける。たったそれだけの仕草だというのに、思わず息を飲む上品さ。日本人離れした美しい金色の髪が揺れ、その濡れた唇が開く。
そして、たった一言の爆弾発言。
「貴方の家に泊めてもらおうと思って」
「はぁ!? はぁあ!? はぁああん!?」
驚きの三段活用を済ませ、和真はとんでもないことを口走るブリジットに人差し指を突き付けた。
「いったい――」
「先週の金曜からホテルに泊まっていたのですれど、手持ちももう少ないんですの。こちらでの活動拠点を協会が用意してくれるのに時間がかかりそうですし、貴方の監視も含めて泊めていただこうかと」
「せめて、俺が理由を問う時間ぐらいくれない!?」
問うより早く理由を語られ、和真はがっくりと項垂れた。脱力仕切った背筋をゆっくりと起こし、口をすぼめて眉を寄せる。伸びた髪が目に入りそうになり、片腕でかき上げて和真はブリジットを睨みつけた。
「あのなぁ。あれだけのことしておいて、さらには人のこと化け物だとか倒すだとか宣言して。俺達だって一応宣戦布告みたいなことしたわけだし。その相手の家に、あまつさえ年頃の男の家に泊まるってのはいかがなものかと思うぞ?」
できるだけ常識的な意見で和真はブリジットの納得を得ようとする。だが、彼女は和真の言葉にまるで顔を崩さない。それどころか、肩をすくめて和真に言い返してくる。
「年頃の男の家に、私より小さな二人の少女が住んでいるって聞いたのですれど。あぁ、ごめんなさい。御堂さんはロリコン協会の会長でしたわよね」
彼女の挑発に和真の額の血管が浮かびあがった。
「私のような年増が貴方のハーレムに入っては迷惑ですものね。仕方ありませんわ。御堂さんがロリコンでは私に出る幕はないのですもの」
「だあああ! あああもう! なんなんだお前、マジでなんなんだ!?」
「ストレスを与えれば化け物になってくれるかなと思ったのですけれど」
「化け物になる前にハゲるわッ! 腫れ物になるわ! あぁもう埒が明かない! 俺は帰るからな!」
正面に立つブリジットの肩を押して彼女をどかせ、そのまま教室の扉へ向かって和真は大股で歩きだす。ブリジットは和真の通り道を塞ごうともせず、教室の中央で突っ立ったままだ。
ついてくるどころか、引き留める声すらもかけてこない。なんだよやっぱり挑発かよなんて思い、和真は教室の扉を開いて廊下に出る。
そのまま扉を閉じ、廊下を数歩歩いたところで和真は唐突に立ち止まった。
「………………」
振り返ってもブリジットは出てこない。教室から声も聞こえてこない。
(そう言えばあいつ、転校生なんだっけ。周りより先に知り合いだったせいで忘れてたな。他の印象強すぎたし……)
そんなことを思い出すと、もう悶々として足が進まない。
昼休みにあれだけのぶつかり合いをしたのだ。普通の人間なら、そんな相手を家に泊めたりしない。男と女だ。目指す正義の味方は全く真逆だ。自分と彼女は、きっと相容れない相手だ。
――だが、それだけではないか。
「あぁくそ」
どうしてこう、自分は放っておけない人間なのかと和真はげんなりする。見ないふりして、気づかないふりして済ませればいい。相容れないから放っておけばいい。求められた助けだろうが、無視してしまえばいい。
「できない……よなぁ、俺は」
言葉にするとおり、それができていればとうの昔に自分はトラウマを克服している。何より、全部を助けると決めたのは自分自身だ。それはもうどうしようもないほどの事実である。
その事実があるからこそ、自分はソフィやベルイットと正義の味方になることを決めたわけで、その事実を否定することは彼女達を否定することと同じ。
「……ったく」
深い溜息をついた和真はくるりと反転し、再び教室の扉の前に戻った。
大きな深呼吸をして扉に手をかけ、一気に開く。
「あぁもうわかった! いいな、協会がお前の定住先見つけるまでだからな!? それと、家の中で俺を襲うの禁止だぞ!?」
「あら、どうかしたのかしら御堂さん?」
「…………」
背後からかけられ声に、和真の顔が真っ赤に染まる。よくよく見ると、ブリジットは教室後ろの扉から廊下に出てきたらしく、完璧な入れ違い。
「で、なんですの、そんなに大きな声で」
口元に手を当てて目尻を下げ、ブリジットがくすりと笑う。
猛烈に恥ずかしくなった和真はすぐに彼女に背を向けて廊下を大股で歩きだした。
「うるさい! あぁもううるさい! お前もう家に帰れ!」
「えぇ、だからご一緒しようかと思って。泊まっていいのでしょう?」
「……生活費は割り勘だからな!」
「えぇ、分かってますわ」
覗き込むようにして隣に並んだブリジットに約束を取り付ける。彼女もその点は理解しているらしく、和真の言葉に素直にイエスと答えてくれた。
そして、ブリジットはすぐに自分の背後に現れた赤髪の少女に指示を飛ばす。
「メリー、本人の許可がでましたの。協会からの宿の提供は断っておいて」
「はいです、ご主人様!」
満面笑顔で元気よく答える赤髪少女――メリーをそこに見つけ、和真はぎょっと目を見開く。期間限定でブリジットだけなら何とかと思ったのだが。明らかにおかしな方向に話が転がり始めていた。
「あれ、ちょっと待って!? おかしくない、話がおかしくなってない!?」
「さぁ帰りましょう御堂さん。行きますわよメリー。今日は御堂さんがフルコースを用意してくださるらしいわ」
「はいです、ご主人様! 楽しみなのです! 一食十万円コースなのです!」
「人の話聞いてくれない!?」
そそくさと二人で廊下を歩きだす彼女達を追って、和真も早足で駆け出した。
◇◆◇◆
「……マスター。自分が何をしているか分かってる?」
「分かってないって言ったら許してくれる?」
ぎろり。
「なんでもないです……」
しゅんと項垂れる。
寒空で暗くなった玄関先に正座した和真は、正面で仁王立ちしているソフィのジト目の前に顔を伏せた。かれこれすでに一時間。帰宅して玄関先にいるというのに、未だに自分だけ家の中には入れていない。
ソフィの背後の扉の奥では、ベルイットやブリジット、メリー達の騒ぎ声が聞こえてくる。
ここ誰の家だっけ、なんて頭を捻ってみるが目頭が熱くなるだけだった。
「マスター。お昼にあの人達がマスターに何をしたか覚えてるの?」
「ん? あぁ、襲われたな。さんざん挑発されたから、お前と一緒になって言い返したのは覚えてるぞ」
「だったら、なんでそんな相手を家に連れてくるの? いくらなんでも無茶苦茶すぎ」
呆れたように溜息をつくソフィの左右の髪が揺れる。その顔が、なぜ自分に相談してくれないのかと切実に訴えてるのに気づき、和真は頬を掻いて苦笑いした。
「いや、まぁ……。俺も別に連れてくるつもりはなかったんだよ。ただ、なんていうかちょっと色々引っかかっててな」
言葉を濁すと、その場に立っていたソフィもまた和真の目の前で腰を落とした。ふわりと彼女の白黒のロリータ服が風に揺れ、ソフィはその場にちょこんと居住まいを正す。
そして、彼女は僅かに眉を顰め、和真に問いかける。
「……メリーが言ってたこと?」
ソフィの問いに、和真は頷く。
「メリーが言ってたよな。ご主人様はいつも何かから逃げてるって。俺も似たようなことを昼休みに感じた」
「それで?」
表情を変えないソフィの前で、和真は足を崩して胡坐をかき、話を続けた。
「あいつが俺を襲う理由は、俺が『突然変異種』だからだ。けど、その気になればそのまま俺を攻撃できたのに、わざわざ派手な挑発までしてブリジットは俺に力を奮わせようとした。そこに何か理由があると思う」
そう言って和真はソフィと視線を合わせる。だが、ソフィはそれでも首を横に振った。
「でも、そんなの唯の推測。そんな理由でマスターを襲ったあの人達を受け入れることは、私には――」
「見逃したくないんだよ」
「……え?」
ソフィの言葉を遮り、和真は自嘲したように笑う。そうして軽く瞳を閉じて、ソフィと初めて変身したあの時を和真は思い出した。
「俺はさ、人助けが嫌いだ。自分が化け物だったことがトラウマだった。だから、お前がひた隠しにしていたトラウマに気付いてやれなくて。お前が必死に隠してた助けを求める声から目を逸らして、自分を誤魔化して納得させてた」
「マスター……」
握る拳を見つめ、和真は小さく息を吐き出す。
あの時あの瞬間、少しでも自分が彼女を助けたいと願わなければ、きっと自分は彼女の助けを求める声に気付けなかった。きっと自分のトラウマは、永遠にこの胸を蝕んでいた。
だからこそ、
「俺は見逃したくない。それが例え言葉にされていない助けだろうと。お前の時みたいに遅れたくないんだ」
ぽんっと、立ち上がってソフィの小さな頭に手を乗せ、乱暴に撫でる。この掌の中に感じる小さな温かみと、嫌がって頭を振る彼女の物言いたげな瞳が自分にとっての誇りだ。
遅れはしたけれど、自分から願い、助けた結果がここにある。
軽く和真が笑みを零すと、ソフィも立ち上がり、和真に背を向けて小さな声で呟いた。
「……一つだけ、訂正しておく」
「ん? なんだよ」
尋ねると、ソフィのうなじが真っ赤に染まる。
「……マスターは、遅れてなんかない。私のこと、ベルのこと、博士のことを助けてくれた」
ソフィの言葉に、和真は面食らってしまう。背を向けたままだったソフィは、真っ赤に染まってしまったその顔を和真に向け、頬を膨らませた。
「ちゃんと、覚えてて。ロリコンのことを格好良かっただなんていうのは、あの日が最初で最後」
「……おう」
見詰め合い、軽く笑いあう。それだけで全部が伝わってしまった気になるのは、きっと自分が彼女のパートナーだからだろう。
「しばらくは迷惑かけられるだろうけど、頼りにしてるからな」
「仕方ないから頼りにされてあげる」
差し出した拳を合わせる。そうして和真とソフィは、気持ちも新たに家の中に入ろうと扉に手を伸ばし――、
ドォンッ! と。
とんでもない爆発音と共に、自宅の二階の屋根が吹っ飛んだ。飛び散った瓦が周囲に転がり、一緒に飛んでくる火花が軽く肌を焼く。パラパラと振り落ちてくる粉を払い、和真とソフィは周囲を見渡した。
「…………」
「…………」
転がった瓦を一瞥し、和真とソフィは瞳を細めて屋根からモクモクと上がる黒煙を見つめる。一体何がどうなればあんな事態になるのか、甚だ理解できない。だが、たった一つだけそこには事実があった。
――愛しの我が家が悲劇的ビフォーアフター。
「ソフィ、一つだけ訂正する」
「……何?」
「今すぐあのバカ野郎共をこの家から叩き出す。俺達の家が助けを求めてる」
「ん。イエス、マスター」
憤怒の決意と共に、和真とソフィは目の前の扉を丁寧に開き、自宅へと駆けこんだ。




