第一話 人助けの嫌いな男
「あぁくっそ! どうしてこう俺はもう……助けるからもうちょい無事でいろよ!」
ぼやきながらも目に入ったのは、山道の中にあった寂れた工場跡地。廃墟と言っても過言ではない場所だ。その中から漏れてくる土煙。聞こえてくる悲鳴と轟音に和真は駆ける速度を上げる。
疾駆。そして跳躍。
肥大化した大腿筋で地を蹴り付け風を切り、跳躍一つで軽々とフェンスを越えて見せた和真は、そのまま廃墟の扉を蹴破った。
「助けて!」
蹴破った扉が吹き飛んでいく中で和真が目にしたのは二人の少女と異形。銀色と亜麻色。それを襲う異形の巨体。突然変異種。その見慣れた姿にそれを理解し、和真は舌打ちする。
荒れた工場内の中で、互いを支え合うようにして庇い合う二人の少女。今にも襲いかからんとする異形の前にいる彼女達に向って、和真は叫び声を上げた。
「助けるからちょっと待ってろッ!」
突然の来訪者に少女たちの視線と異形の視線が和真に注がれる。だがそれ以上を彼らが理解するより早く、和真は手にしていた鞄を少女に襲いかかろうとしていた異形に向って投げつけた。
――バシッ!
二メートルはあろうかというその巨体でなお、異形の巨人は自分に向って飛んできた鞄を片手で弾いた。だが、その時にはもう遅い。
「ッ!」
異形と少女の間に滑り込んでいた和真は、飛び込む勢いのままその腹に中段蹴りを決めた。
重い。だが、それでも異形の身体はやすやすと弾け飛び、数度床を跳ねて廃墟の壁にめり込んだ。
衝撃で廃墟全体が揺れる。天井からいくつかの破片が落ちてくるが、和真はこれを無視して荒れる息を整えた。
「ふぅ……」
拳を数度握って、能力が切れたことを確認する。そして、すぐさま和真は今しがたの自分の行動を振り返り、頭を抱えた。
「あぁ、俺って、なんでこう……」
黙りきったままの少女達を置いて、和真は頭を振って項垂れる。
助けを求められた。助けてと聞こえてしまった。そう言う言葉を聞きたくないから、一人で散歩をしていたというのに。
身悶える和真だったが、傍で座り込んでいた銀髪少女と亜麻色髪の少女の視線に気づき、慌てて咳払いして背筋を伸ばした。地面に座り込む少女たちの様子に、和真はなんと声をかけたものか逡巡する。結局、口を割ったのは在り来たりな言葉だった。
「ん、あー。だ、大丈夫だったか?」
「……貴方、何者?」
「お主は?」
小さな声と凛とした声。片や人形のような白い肌の銀髪を左右で結んだ少女。瞳は半分しか開いておらず面倒臭そうにしており、白黒のゴスロリに身を包む少女だ。片や、快活さを感じさせる亜麻色髪の少女。吊り上った瞳に黒一色で決めるハーフパンツに黒いシャツ。前髪の短いカールがかった髪の毛を揺らせる少女だ。
二人の少女は傍で立つ和真に驚きの視線を向けている。彼女たちの視線を受けた和真は、頭をかいて再び言葉を探した。
「あー、何者なんて言われても。ただの通りすがりの一般人です俺」
とぼける和真の腰に抱き着いた亜麻色髪の少女が、興奮気味に口火を切る。
「うぉっほーい! お主、すごいのぅ! あの突然変異種を蹴り一つで黙らせるとは、驚きすぎて目が飛び出そうなのじゃ!」
喜び勇む少女は、和真の正面の壁を指差した。
そこには、鱗に覆われた二メートルほどの巨大な異形に変異した人間の姿がある。およそ人と言ってよいかわからない強靭な筋肉。外骨格に覆われた頭部。見ただけで背筋の凍る化け物。
変異型の突然変異種だ。
「いやこいつは見た目だけですっごい弱かったから。知らない? 変異型の突然変異種って見た目より弱いことが多いんだよ。それにほら、助けてって言われたしな」
しがみ付く亜麻色髪の少女の視線からそっと顔を逸らした和真は、座り込んでいたもう一人の銀髪少女に笑顔をむけた。
すると、その少女は眉をしかめてそっぽを向いてしまう。
「助けてなんて私、言ってない。正義の味方はそんなこと言わない」
直感が告げる。この銀髪少女は素直じゃない。溜息をついた和真はしがみ付いていた亜麻色髪の少女を引きはがし、地面に落ちていた鞄を拾った。
「あーもう、とりあえずお前らさ。女の子二人でこんな人気のない場所に来たりするなよ? 突然変異種なんて、いつどこから襲ってくるかわからないんだから。ま、どうせ変なこと言ったんだろうけど」
そう言って銀髪少女の頭をぽんっと叩くと、腕を振り払われる。
「そんなの、自称一般人の貴方に言われる筋合いない」
「お前はほんと素直じゃないのな。お礼の一つも言えないのかよ?」
「失敬。恩着せがましく助けたつもりになられても困る」
「よし、お前は俺の敵だ。お前次あったら絶対泣かすからな」
「おぉそれは良いのじゃ和真! ぜひその時はワシを呼ぶのじゃ。ワシも全力でお主をサポートするぞぃ」
「うっし、その時は頼むな……って、なんで俺の名前しってんの?」
亜麻色髪の少女が和真の傍で無い胸張ってふんぞり返っていた。その手には、先ほどまで和真のズボンのポケットに入っていたであろう携帯電話の姿が。
和真の視線に気づいたその少女は、手に持っていた携帯にキスをし、にやりと笑う。
「ふふん。甘いのぉ。女子に抱き着かれたらすぐに何も盗まれていないか確認すべきじゃな。気を抜くとすぐに盗まれるぞぃ、童貞とか」
「何、女の子ってそんなに危険な人種なの!? あれ、盗まれたのは俺の心ですとかってオチじゃダメなの!? てか、俺の携帯返せこの野郎! やめろ、俺の携帯にキスするの止めろ!」
「ひょっひょっひょっひょっ! 安心せぃ。お主の電話番号とメールアドレスに暗証番号とスケジュールにブラウザ履歴は既に控えておいたのじゃ!」
「それもうほとんど全部じゃないか!?」
ひとしきり突っ込み終わった和真は、少女から慌てて携帯電話を奪い取った。そのまますぐに暗証番号を変更し、電源をオフにしてズボンのポケットにしまい込む。
落ち着いた和真の正面で、亜麻色髪の少女は腰に手を当てて口端を吊り上げた。
「ワシの名はベルイット・ベン・ベル。ベベベと揃ったアンチヒーローの作戦参謀大幹部、ベルイットちゃんじゃ! 愛情込めてベルちゃんと呼ぶがよぃ! むしろお主はそう呼ぶのじゃ和真! プリーズベルちゃん! プリーズラブミー! プリーズホールドミー!」
「それじゃ、山道に気を付けて帰れよお前ら」
「あ、ちょ、こら和真!? ワシの話をちゃんときけぃ、聞くのじゃ! 一人でやっとったら恥ずかしいじゃろうが!」
「いだだだだ!? ネクタイ引っ張るなネクタイを! 首が閉まる、締まるだろうが……!」
逃げ出そうとしたところをベルイットに捕まった和真は、地面に倒れ込んで荒い呼吸を抑え込む。霞む視線で顔を上げると、ベルイットが満面の笑みでこちらを見つめていた。
「もう一度名乗るが、ワシの名はベルイットじゃ。アンチヒーローの作戦参謀ベルイット!」
「アンチヒーローって、あの怪人要する対突然変異種組織だろ? お前がその一員?」
ベルイットに問い返すと、彼女は頷き手を差し出す。
「おぉ、良く知っておるではないか。なら話は早い。御堂和真、お主の力を見込んで頼みがあるのじゃ。ワシと共に――」
「……ちょっと待って」
だが、和真に差し出された腕を銀髪のツインテール少女が掴み取った。銀髪少女は空いた片腕で携帯端末を操作しながら不機嫌さを露わにする。
「勝手に二人だけで話を進めないで」
「なんじゃ、今いいところじゃというのに! あーもう、ソフィ。お主はもう帰ってよい。ほれ、あっち行ったあっち行った。愛する二人の邪魔をするでない! 愛憎劇になるぞぃ」
「いやそんな愛生まれてすらいねぇよ」
ツッコミを入れる和真をよそに、しっしと言わんばかりに手を振ったベルイットをまるで無視した銀髪少女――ソフィが和真の前にずいっと出て眉をしかめた。
「御堂、和真でいい? ロリコンで間違いない?」
「ん、あぁまぁ。間違っちゃいないけど……ロリコンは間違ってるけど心底否定するけど」
「こりゃ! ワシを無視するでない!」
名前を問われて返事をすると、ソフィが再び携帯端末を眺め、和真の顔の前に端末を差し出す。何やらメールが表示されており、文面を確認しようと和真は差し出された携帯端末を覗き込んだ。
「ヒーロー協会第零支部からの伝令。御堂和真。貴方の力を見込んで、ヒーロー協会専属の正義の味方として雇うことが決まった」
「へぇ。今日から俺も正義の味方か――なんて言うか!」
ソフィの吐き捨てる様な言葉と全く同じことが、差し出された携帯のメールにも書いてある。
「何度も言うけど俺は唯の一般人なの。悪いけど、そんな話には絶対乗らないからな、断固拒否だそんなもの!」
差し出された携帯端末を押し返し、和真は拾い上げていた鞄を胸に抱いて二人の少女を残して踵を返した。
すると、そんな和真の背中に飛びついてきたベルイットが耳元で叫ぶ。
「こりゃ和真! ワシの話も聞いていくのじゃ!」
「あーもう! 俺は休日の陽ざしの中を散歩したかったの! したいの! いい加減帰らせてくれ!」
「年寄りチック」
「気にしてることさらっと言わないでくれない、言わないでくれない!?」
背後から聞こえたソフィの指摘にツッコミを入れると、何やら制服が後ろに引っ張られる。ベルイットを引き離しながら廃墟を後にしようとした和真の制服を、ソフィが逃がすまいと両腕で引っ張っていたのだ。
「なぁおい、手、放してくれない?」
「いや。離したら勝手に貴方はどこかに行こうとするから。貴方はヒーロー協会が雇うの」
「あ、こりゃソフィ! 抜け駆けはずるいと言っておるじゃろうが!」
「ふふん。悪の幹部の後ろを歩くなんて正義の味方にはあり得ない」
和真の背から飛び跳ね、ソフィのもとに駆け寄っていったベルイットが、彼女と顔を突き合わせて喧嘩を始める。そのまま取っ組み合いを始めた二人の少女の様子を見て、和真は何とはなしに現状を理解し始めた。
つまりはあれだ。この二人の少女はそれぞれヒーロー協会とアンチヒーローの関係者で、かつ犬猿の仲。人気を避けてこんな廃墟に来たところを突然変異種に襲われ、助けてという悲鳴を聞いた自分が首を突っ込んだ。
「なぁおい、俺もう帰りたいんだけど――」
暴れる二人の少女を窘めようとしたその瞬間、少女二人の背後に巨大な影が立ち上がったのに気付く。
叫び声をあげるより早く、和真はベルイットとソフィを横へと突き飛ばし、二人を庇うべく飛び出した。正面から迫ってきた巨大な拳を振り被った突然変異種がその悍ましい口元を開き、
『タス、ケテ……!』
異形になってしまったそいつの助けを求める声が、和真の耳に届いた。
「和真!?」
「あっ……!」
ベルイットとソフィの目の前で、巨大な拳が和真の腹を捕えた。和真の身体を突き抜けた空振が音をたてて廃墟を揺らし、身体の芯から湧き上がる吐瀉物に和真は頬を膨らませる。そのままくの字に折れた和真の身体は異形の腕にもたれかかり、ピクリとも動かなくなった。
目の前の突然さに、ベルイットとソフィが恐怖に顔を歪ませ、言葉を失う。
しかし、
「わか……った。助け、る。けどな……!」
ゆっくりと和真が顔を上げる。口元から流れた血を払い、和真は自分の腹にぶつけられた拳を押し返す。全身に漲る力と共に、和真は腹に突き刺さる腕を掴みとり、そのまま背に背負った。
「中途半端な気持ちで、俺に助けを、求めるなってんだあッ!」
異形のその巨体を、和真は雄叫びと共に背負い投げ。地を踏む足が地面のコンクリートにひびを入れ、突然変異種の身体は造作もなく宙で縦に伸び――落ちた。
遠慮もまるでないその背負い投げに、突然変異種は床にめりこみ、呻き声と共に動きを止めてしまう。
「はぁ、はぁ……ったく」
「ぶ、無事じゃな和真!? 怪我はないかの!?」
近寄ってきたベルイットと、傍で腰を抜かせていたソフィに大丈夫と一言だけ告げ、口の中に溜まった血を吐き出す。呼吸を落ち着けた和真は二人と共に、地面に埋まったままゆっくりと萎んでいく突然変異種の様子を確かめた。
突然変異種を止める方法は二つ。相手の意識を一時的に奪ってしまうのと、本人の意思で止めさせること。
「まぁ、自分で落ち着けはしないだろうし、諦めてくれよ」
こうして気を失ってしまえさえすれば、突然変異種である人間はその能力を奪われ、変異型の人間は元の姿に戻る。そして今、和真やソフィ、ベルイットの目の前で異形の姿に変わっていた突然変異種が元の人間の姿に戻った。
「…………」
人の姿に戻ったその突然変異種である彼の姿を見て、和真はスッと瞳を細め、近寄ってきていたソフィとベルに向き合う。
「おい、そこのバカ二人組」
「和真が呼んでおるぞ、ポンコツ」
「何言ってるの。貴女のことに決まってる、悪の幹部」
「「…………」」
「お前たちに言ってんの!」
ついつい項垂れそうになった和真だったが、気持ちを切り替えて気絶してしまっている男性を指差して二人に訊ねた。
「お前ら、この人の『禁止語句』を言葉にしたろ?」
そう尋ねると、二人は互いにそっぽを向いて和真の問いに応えようとしなかった。
「……この人の禁止語句って、一体なんだったんだ?」
再びの和真の問いに、ソフィとベルイットは顔を見合わせ、声を揃える。
「「変態」」
「…………オーケー分かった。なんとなくそんな気がした」
大きな溜息をついた和真は、地面で大の字になっている男性に視線を移す。胸には女性物のブラジャー。下着はキャラクターものの女性用下着。どっしりと飛び出した腹。顎から延びる無精髭。
見るに堪えない姿がそこにあった。ちょっと嬉しそうな顔している当たり、蹴り飛ばしたくなるほどに。
ジト目を二人の少女に向けると、彼女達はそれぞれの顔を指差して慌て始める。
「あ、あれじゃぞ! アンチヒーロー側で下着泥棒として追っていたのじゃ! それをそこのポンコツが挑発したせいでじゃな……!」
「ひ、人のせいにしないで。コレは私たちヒーロー協会が無力化を任された突然変異種だった。それを悪の幹部が……!」
互いの頬を引っ張り合って責任のなすりつけを始めるソフィとベルイットを尻目に、和真は痛む腹をさすりながら鞄を肩にかけなおした。痛みに吐き気が戻ってきそうになるが、これに耐える和真は足早にその場を無言で歩き去る。
「あ、こりゃ和真! まだ、まだワシの話が終わってないぞ!」
「私の話も終わってない! 貴方は、私たちヒーロー協会に……!」
「先にそこで伸びてるやつ掴まえたほうが良いんじゃないの? あー、なんだか俺、責任持って仕事に取り組む会社に勤めたいなー」
「こりゃソフィ! こやつはワシらアンチヒーローが逮捕するのじゃ! お主は和真の勧誘でも続けておれ! どうせ無駄じゃがのぅ、ひょっひょっひょ!」
「それはこっちのセリフ。コレは私達ヒーロー協会が逮捕する。貴女こそ、その下品な笑い声で下品にあそこのロリコンを誘惑すればいい。どうせ無駄だろうけど」
再び取っ組み合いをして暴れ始めたソフィとベルイットをちらりと見つめた和真は、ちょろいなと一言残して廃墟を後にした。