第十七話 亜麻色×スマイル×銀色
助ける。
その言葉の無意味さを、和真はよく知っていた。
幼い頃に交通事故に巻き込まれ、今にも燃え上がりそうになった車の中に残された両親。逃げろと言ってくれた彼らの笑顔に胸を押し潰されそうになった。
助けるんだ。そんな想いが和真の中に生まれるのに、十分な理由である。自分だけでも助けようとする周囲の人達を振り切るには、力が必要だった。大の大人数人を軽く振り飛ばすほどの力が。
故に、和真は力を願った。彼らを助ける――化け物のような力を。
そうして、和真は助けると叫んで周囲の制止を振り払り、燃えだそうとする車に向って飛び出した。結果として、和真は両親の命を救うことに成功した。だが、二人を助け出した和真の姿は白髪鬼とも呼べる悍ましいものだった。白銀色の髪の毛に燃える様な真紅の両眼。小柄だった身体はゆうに二メートル近くの巨体へと変わり、まさに鬼だった。
人を助けたはずの英雄に向けられたのは、容赦のない罵声。
化け物。いなくなれ。消えろ。来ないでくれ。助けてくれ。この化け物から、俺達を助けてくれ。
そんな悲痛な叫びに和真は心を壊し、その場を一人で去っていく。
だが、この時だけは何かが違った。
一歩を踏み出したその瞬間、和真の右腕が誰かに握られたのだ。
恐る恐る振り返った和真の前には、自分と同じ銀色の髪をした少女が――。
◇◆◇◆
「……ゆめ、か」
ゆっくりと目を開いて和真は天井を見上げた。そこにはいつも見る円形の照明器具。鼻につく消毒液の匂いに顔を顰め、和真はあたりを軽く見渡す。
「俺の部屋……あ、俺、あの後一体どうなって……ん?」
身体を起こそうとすると、右腕に何やら柔らかい感触。身体を起こした和真は、左肩に走った鈍い痛みに顔を歪め、呻き声を上げる。
そういえば、あの時大吾の触手で貫かれたのだ。細い触手だったとはいえ、痛いのは痛い。泣きそうなほど痛い。
「あら、目が覚めたかしら、和真君?」
「ふぅ、ようやく一安心じゃな」
聞きなれた声に、和真は破顔し、二人を見つめた。
「ベル! それに、桐子さんも!」
「あまり騒ぐでないぞぃ。そこのポンコツが目を覚ましてしまうのじゃ」
「え、あ……」
ベッドの傍の椅子に腰かけていた桐子とすぐそばに近寄ってきたベルイットの視線を追うと、ベッドに寄り掛かるようにして小さな寝息を立てるソフィの姿に気づく。その小さな手が和真の右手をしっかりと握っており、放そうとはしてくれない。
彼女の無事な様子に微笑む和真は、ベルイットに視線を戻した。
「あー、悪いベル。あの後どうなったか話してくれると助かる」
「うむ」
笑顔を浮かべたベルイットが、語りだす。
「あの後お主が気を失って既に丸一日経ってしまっておる。怪我は酷かったが、協会とワシらアンチヒーローの救護班の手当てで後一週間もすれば完治するはずじゃ。お主の化け物じみた回復能力の高さもあるがの」
「そいつはどうも」
「で、ソフィが寝ずに貴方の看病をしていたのよ。起きてすぐの和真君に一言言いたいことがあるって言ってたから」
「こいつが?」
桐子の声に、和真は寝てしまっているソフィの顔を覗く。相変わらず寝ていれば可愛い。
起きていれば一に皮肉、二に文句、三四にドヤ顔、五にそっぽと言わんばかりの意地っ張りな少女だが。
「和真君。今回は本当にごめんなさい。大藤大吾を取り逃がしたのは、間違いなく私達ヒーロー協会の不手際だわ。一般人の被害は最小限だったとはいえ、公式に謝罪をさせてもらいます」
「い、いえ。協会は人手が足りないって話でしたし、あんな化け物を普通の人間に逃がすなっていう方が無理ですよ」
「えぇそう。貴方の言うとおり。普通の人間に、あんな化け物を掴まえるなんて無理なの。そこでなんだけど――」
頭を下げていた桐子の顔が上がる。その顔が歪な笑みを浮かべているのに気付き、和真の顔が引きつった。
「正義の味方になってみない、和真君?」
「それは……」
想像していた通りの桐子の問いに、和真は口を閉じた。
そのまま和真は、傍で自分の手を握って寝てしまっているソフィの顔を優しく見つめ、大きく深呼吸する。
自分は、この少女と変身した時に決めたのだ。人を助けるために生まれ、そのせいでトラウマを持って生きるこの少女を助けるために、正義の味方になると。
人を助ける。あの日あの瞬間の自分の行動と思いが嘘でなかったことを証明するために。
「桐子さん。俺は、ソフィと一緒に正義の味方に――」
なります、と。そう告げようとしたその時、部屋の中に二種類の着信音が流れる。一つは一昔前のアニソン。もう一つは形式ばった味気ない着信音。
「ふむ。桐子、話は先に電話に出てからじゃの」
「仕方ないわね。はい、研究開発部門所長、来栖ですけれど……へ? 会長?」
桐子の笑顔が固まった。何やら血の気の引く音をたてて桐子が電話口に「はい、はい……」と力なく答えていく。
片や、ベルイットは電話口の相手と何やら楽しそうに話している。会話の中に何やら総帥だの協会の不手際だの不審なものを感じるが、和真は二人の電話が終わるのを待つしかなかった。
しばらくしてそれぞれが真逆の反応をしながら携帯を直し込む。
「あ、えと。桐子さん。さっきの話の続きなんですけど、俺はソフィと一緒に正義の――」
「……ごめんなさい和真君」
「へっ?」
ガクンと、桐子が床に崩れ落ちた。そのまま床に両腕をついて項垂れてしまう。
「あの、えと……どうしたんですか、桐子さん?」
「……アンチヒーローに、やられたわ」
「え?」
和真がバカ面を晒すと、桐子は部屋に備え付けてあった小型のテレビのスイッチを入れた。チャンネルをさっと切り替え、ニュース番組に切り替える。
『はい! では先ほどのニュースに戻りましょうか。いやぁ、それにしても噂の真偽は如何なものでしょうか。ヒーロー協会の変身実験の映像。巷では合成映像だと言われておりますが』
『そうですねぇ。変身に失敗したせいで突然変異種になってしまう――というのは、私はとても信じたくありませんね。もしそれが事実なら、私達一般市民は、爆弾を抱えたヒーローを応援していることになりますよ』
『どちらにせよ、ヒーロー協会会長の会見の中継待ちになりますね。あ、繋がったようです。現場の――』
…………。
「…………え?」
初めての顔芸に、和真の頬が攣った。
「……クビになったわ」
「く、び……?」
崩れ落ちた桐子のつぶやきが和真の耳に届く。あまりに不穏すぎるその言葉を復唱すると、桐子はそのまま説明を続けてくれた。
「和真君とソフィの変身実験の映像が、テレビ局に匿名で届いたらしいわ。その映像がもう全国ネットで流れてる。当然、ヒーロー協会は火消しに必死になってる。水面下で進んでいた私の実験も、丸ごとなかったことにされたの。私も、いなかったことにされたの……」
「…………」
天国から地獄に落とされた気分。そして、そんな真似ができる人間を桐子も和真も一人しか知らなかった。
「にょほ?」
ペロッと舌を出したベルイットの姿に、桐子が彼女の襟を掴んで叫びだす。
「ハメたわねベルちゃん!?」
「ひょーっひょっひょっひょっひょ!」
慌てる桐子をよそにベルイットが下品に笑い声をあげる。その声に不安なものを感じた和真もまた、ベルイットに慌てて問いかけた。
「おいベル! お前、一体何をしたっていうんだ!」
「別になぁんにもしとらんのじゃよぉ。たーだー、わしぃ、ちょぉっとだけ頭が切れるっていうかぁ、今回の事件をうまく利用させてもらっただけなぁのじゃ」
「その間延びした言い方やめれ! ものすっごい腹立つんだけど!?」
すぐに桐子に視線を戻すと、彼女もまた興奮冷めやらぬ顔で和真に事情を説明してくれる。
「いい? 一応、協会の規定では突然変異種を正義の味方にすることを禁止されているの。でも、彼らを止めるためには同じ突然変異種の力が必要。だから私は、ソフィに突然変異種との闘いの記録をこれでもかと埋め込んだ。変身を試みた時に、彼女のトラウマを一緒に抱えることのできる人を見つけるために」
「えぇ、それは分かってます」
「黙秘という協会の協力も取り付けていたわ。ただ、その代わりに上層部から提案された一つの約束事があったの」
「約束事?」
桐子の話に頷きながら、和真は脳裏で情報を整理していく。
「アンチヒーローにスパイに出ている、ヒーロー協会会長の孫娘に協力をする事」
「ヒーロー、協会会長の、まご、むすめ……?」
顔を伏せた桐子を見た和真は、ふんぞり返っているベルイットをジト目で見つめる。
「うむ、お爺様がつけてくれたのじゃ」
「お爺……さま?」
すべての情報が繋がっていく。ベルイットがやけにヒーロー協会の事情に詳しい理由。桐子と親しいわけ。自分をアンチヒーローに引き抜くと言いながらも、ソフィと自分の間を持とうとする行動。
ベルイットのニヤリとした笑みに、和真の背筋に寒いものが走った。
「うむ。申し分ない戦力を得たわけじゃ!」
「だ、ま、し、たなぁ!?」
大声を上げて笑うベルイットが、人差し指をたてて左右に振った。
「騙してなんぞおらんぞ。わしは文字通り、アンチヒーローにお主を引き抜くのじゃ」
「はぁ!?」
話が全く理解できず、和真は首を傾げる。
「わしは確かにヒーロー協会会長の孫娘じゃが、協会のやり方が好かん。守りたいものを守らずに、敵に向うヒーロー達のやり方が。じゃから、好き勝手自分の大切なものを守れるアンチヒーローにスパイに入り――そのまま居座ることに決めたのじゃ」
「それの一体どこが、俺をアンチヒーローに引き抜く方法に――」
そこまで喋ったところで、唐突に和真は理解した。
来栖桐子の計画は、ベルイットがテレビ局に流しただろう映像でなかったことにされた。クビにされた。そうなれば桐子はおろか、ソフィもまた協会所属ではなくなる。
ソフィが協会所属でないなら、自分もまた彼女のパートナーとしてやっていくことはできない。
であれば、目の前の亜麻色髪の少女はどう動くか。
答えは簡単だ。
「桐子とソフィをアンチヒーローに引き抜いたのじゃ。じゃから和真、ソフィとパートナーを組みたいならアンチヒーローに入るが良い!」
「やっぱりそうなるのかぁあああ!」
「ひょーっひょっひょっひょっひょ!」
腰に手を当てての大爆笑をするベルイットの目の前で、桐子が床を叩きながら自身の迂闊さを嘆く。
「だから、だから嫌だったの! だから早く御堂君をヒーロー協会に引き抜こうとしていたのに! ベルちゃん、いくらなんでもやり方が卑怯だわ!」
「何を言っておるか。いっとくが、テレビ局に映像を流したのはお主の部下じゃぞ。過酷な労働生活についていけませんとか何とか言って。そうして首になるところを、わしがお爺様とアンチヒーロー総帥に頼み込んで引き抜いてやったのじゃ」
「う、うそ!?」
「うそなものか。それに、協会と違ってアンチヒーローは大量生産技術に優れておる。当然専用の研究所もあり、わし管轄の物もいくつかある。そう言えば、今期の予算も余っておったの。わし、こう見えても堅実派なのじゃが……あーあー、そろそろ新しい研究に投資してみるのも良いかのー」
ベルイットのあからさまな発言に、桐子の眉がピクリと動いた。
「予算……? 研究所もあるの?」
「宿泊施設もついておる。温泉付きで。美男子によるマッサージルーム付き」
「そう言うことよ和真君。これからも同じアンチヒーローの一員として宜しくね」
「騙されてる、すっごい騙されてるって桐子さん!? ちょっ、なんでそんなにいい笑顔!?」
うって変わって予算予算と踊りまわる桐子の姿に、和真は絶句した。
桐子の傍で悪びれもせずに、あさっての方向を向いて口笛を吹くベルイットの様子に、和真深い溜息をつく。
「そう言うことだから和真君、怪我が治ったら歓迎パーティを開いてあげるわ。ビーカー用意して待っててね」
「いや、そう言うことって言われても……つかビーカーって何するつもり!?」
和真の決死のツッコミもむなしく、桐子は手を振って部屋を出ていく。その背を追って、ベルイットもまた扉の傍に駆け寄った。
「和真」
力なく項垂れたまま和真に向って、ベルイットが振り返った。
「なんだよ、ったく、お前は本当に――」
「本当にありがとう、なのじゃ! ワシの友達を助けてくれて!」
「………………」
いつも見ている笑顔とは違う。心の底から笑うベルイットの笑顔を初めて目にした和真は、完全に面喰ってしまった。
「協会に所属しようものなら、お主もソフィもきっと他の正義の味方に、世間に狙われることになる。じゃが、わしの元におればそんなことはさせぬ。わしの大切な友達は、わしが助ける」
ベルイットの決意に満ちた声に、和真は慌てて口を開く。
「おまえ、まさかそのために?」
「にょほ、いかんいかん。ついつい嬉しすぎて口が滑ってしもうたのじゃ。それではの、和真!」
手を振って部屋を去っていくベルイットを見送り、和真は呆れたように笑う。
「あいつ、ほんと初めっから最後まで自分の好きな事ばっかりやっていきやがったな」
感謝など、してもしきれない。
良くも悪くも、彼女の叱咤があったおかげで自分は前に進めたのだから。
と、綺麗に纏めようと思ったところで、和真は頭を抱える。問題はむしろ山積みなのだ。
「はぁ……。ソフィが起きたらどう説明すればいいんだよ?」
「もう起きてる」
「そうだよな、起きてるもんなお前。でさ、聞いてた? お前、博士たちと一緒にアンチヒーロー所属になったらしいぞ――って、起きてたの!?」
「……当たり前。気付いたから、博士もベルも気を利かせてくれた」
「う、そ、それはちょっとむず痒いな……!」
頬を膨らませてムッとするソフィの視線に、和真は照れたように頭をかく。が、相も変わらず右腕はソフィが握ったまま。思わず右手を持ち上げてみると、ソフィの右手も持ち上がる。
「なぁおい。この手なんだけど――」
「ぷぃっ」
「なんで知らんぷりするかな!?」
そっぽを向いてしまったソフィのうなじが真っ赤に染まっているのに気付き、彼女なりに恥ずかしいのを我慢しているのを和真は理解した。
「……ロリコン、怪我は?」
「ん? あぁ、まぁ多少は痛いけど一週間もすれば完治するって話だからな。つか、無断で学校休んじまったな」
これくらいなんでもないと笑う和真の目の前で、ソフィが頭を下げる。
「……ごめんなさい。私が家を飛び出したりしなかったら、貴方を怪我させることなんてなかった」
聞こえる小さな嗚咽に和真は息を吐き出し、彼女の頭を乱暴に撫でる。
「気にすんなって。別に死んだわけじゃない」
そう告げると、消え入るような声でソフィが呟き始める。
「……私」
「ん?」
ソフィの声に、和真はできるだけ優しく続きを促した。
「……怖かった。化け物になったのはお前のせいだって、責められるのが」
「うん」
「でも……」
静かに彼女の話を聞き続けると、ソフィは和真の右腕を再びぎゅっと握る。
「本当は、無理矢理変身させられた時のほうがもっと怖かった。嫌だった。あんな最低な人に、私の初めての変身が奪われるのが、怖かった」
「…………」
ソフィの瞳から涙が溢れ出す。その涙を拭い、和真は彼女の想いを受け止める。
「……あの人に無理矢理纏われて、もう死にたくなった。生きていたくなかった。私は正義の味方なのに、人を傷つけているのがわかったから。もういなくなってしまえばいいって、そう思った」
あの瞬間を思い出しているのか、嗚咽を堪えて語るソフィの頭を和真は優しく撫で続ける。
しばらくして落ち着いたソフィは、すんと鼻を鳴らせて和真を見上げた。
「……でも、貴方が私を呼んでくれた。あんな化け物になってしまった私を、呼んでくれた」
「あぁ、そうだな。俺にはどうしてもやりたいことがあったから」
「……貴方が、私のトラウマを克服してくれるって言ってくれたから。貴方が、私に助けてくれって言ってくれたから、私は私を取り戻せたの」
「ははっ。ホントはもう少し格好よく助けられたらよかったけどな。助けようとしてるのに助けて、だなんてカッコ悪かったな」
誤魔化すようにして笑うとソフィが和真の腰に抱き着いて嫌々をするように頭を振る。
そのまま消え入るような声で、「……かっこよかった」と言われ、和真は染まってしまう頬を掻いた。
「貴方が私を奪ってくれた。そして今、私はこうしてここに居られる。だから、ロリコン――うぅん、和真」
「おう」
不安と期待の入り混じる赤い顔を向けたソフィが、和真に訊ねる。
「これからずっと、貴方を――マスターと呼んでもいいですか?」
ソフィの問いに、彼女の言葉をかみしめるように瞳を閉じた和真は、大きく頷いて答えた。
「当然。俺はお前と正義の味方になるって決めたからな」
「あ……っ、はい、マスタぁ!」
そう答えると、ソフィがぱっと笑顔を輝かせた。
彼女にあって初めて見たその笑顔に、和真は心臓を高鳴らせてしまい、思わず息を飲む。
だが、直ぐに彼女と同じように和真も満面の笑みを浮かべた。
人を助ける。
今確かに、自分は彼女を助けることができたのだろうか。彼女に助けてもらえただろうか。
「ソフィ」
「な、なに?」
「人を助けるって怖いけど……いいもんだな。忘れてたんだよ、俺」
「……ん」
そして、しっかりと腰に抱き着いてそのまま寝息を立ててしまったソフィの頭を撫でる和真は、窓の外から覗く朝日に微笑を浮かべ、呟いた。
「夢を見た翌日も、悪くないんだな」
と。




